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同じ日の日記

正しい元日の過ごし方。/卯月わかな

2022年1月1日(土)の同じ日の日記

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。me and you little magazineのはじまりの日記は、2022年1日1日(土)。公募で送ってくださった卯月わかなさんの日記です。

元日というのは、なにか一新するような新鮮さを感じる気もするけれど、実際のところは、どちらかと言えば、のっぺりとした時間が広がっているように思う。時間の流れが普段よりも一段とゆるやかになっているような。去年のお正月ははじめてひとりで過ごした。東京で年越しをするのも、新年をひとりで迎えるのもはじめてのことだった。おせち料理が、というか、おせち料理に入れるいくつかの具材がとりわけ好きなので、年末に好きな食材だけを買いそろえ、実家の味ではないけれど、自分ひとりだからこそ好きな白味噌でお雑煮を作り、こんなお正月も悪くないかしら、と思っていたけれど、ちょうど元日が生理二日目にぶつかり、ひどく具合が悪くなり、万が一、病院へ行くようなことになったら、こんな年始に、しかも医療がひっ迫しているときにどうしようか、と不安になったりした。正月休みは嬉しいけれど、早く普通の日が戻ってきてほしいような気すらした。そしてだらんとしたお正月特番というのは、他愛ないことを話しながら、あるいはうとうとしながら、正月新聞の間違い探しなどをしながら、見るから面白いのだと知った。

今年は一昨年と、その前とその前とその前と同じような元日を過ごしながら、それでもなぜか心の底の方のかすかな不安感のようなものが、新年の新しさにも消えてくれない気がして、思えばこの二年、心配性のわたしの心配具合はひどくなり、自分がずいぶん不安定になっていることを実感する。克服したと思っていたあれこれが、ここ二年でぶり返したようにも思う。過去の自分がちょこちょこと顔を出す、実家にいるからこそそんなことを思ったのかもしれない。

初日の出を拝み、おせちを食べて、分厚い正月新聞を読んで、特番を見るともなしに見て、お雑煮を食べ、うとうとし、正月新聞の間違い探しとクロスワードパズルを解き、夜は決まって相棒元日スペシャルを見るという、この元日のルーティンを壊さないようにしなければ、というか、それらひとつひとつがスタンプラリーのポイントのように感じられ、確実にスタンプを押さなければいけないという、半ば強迫観念めいたものさえ感じる。そうしないとまるでよい一年にならないとでもいうように。そんな風に感じていることこそが、一年のはじまりに相応しくないというのに。

そもそも今回の帰省も直前までひと悶着あった。いや、誰かともめたわけではなく、自分で勝手に自分と対立していただけだ。帰省数日前にPCR検査を受け、陰性。念のため、帰省当日の朝、自宅に常備していた、抗原検査キットで検査をしてみたら、陽性の際に現れるというラインにうっすらと線があるように見える。念のためもう一度。やっぱり同じ。PCR検査後、一度だけ半日ほど出社してしまったので、そこで、ということもなくはない。いやでも会食をしたわけでもなく、普通に業務をしただけで、人ごみにも行っていない。が、確実に大丈夫だと言える保証はどこにもない。なんの症状もないけれど、それは当てにならないともう知っている。こんなに気を付けて、念には念を入れて、今年こそは帰れると思ったのに。二十七にもなって、母に泣きながら電話をし、もうこんな思いするなら、帰らなくなっていいと当たってしまう。結局、自宅までバイク便でキットが届き、その場で唾液を採取し回収、当日中に結果がわかるというPCR検査を高いお金を出して頼み、夕方には陰性を確認し、やっとの思いで帰ったのだった。こんな風にして、準備に準備を重ね、お金をかけて、覚悟を決めて、ようやく帰るような場所になってしまった。自分の家だというのに。いや、もうここは自分の家、ではないのか。

いつもの元日のルーティンに組み込まれていないことで、したことと言ったら、散歩だった。年末年始に限らず運動不足がたたっているので、帰省後はなるべく散歩に出かけるようにしていた。今日は母と二人で散歩する。それほど多くはないがここ数日雪が降ったので、道にはまだ溶け切らない雪や、溶けて再び固まった氷などがあり、足元に気を付けながら歩く。公民館、老人ホーム、保育園が新たに整備され、すっかり綺麗になった一帯を抜ける。全然知らない場所のようだ。さすがに元旦から畑仕事をする人もなく、犬の散歩にはまだ早い時間のため、ほとんど誰にもすれ違わない。小学校でも中学校でも校歌に歌われている山が正面に見え、元日の晴れやかな青空に映えて美しい。風がつめたい。家の塀や小屋のトタン屋根につららができていて、それが午後の陽射しに溶けて、ぽたぽたと水滴を落とす。近くにあるのに行ったことがなかったお寺まで歩く。ここにも誰もいない。手を合わせると、お寺や神社、あるいは教会などに特有のしんとした静けさ――人がいないからではない、研ぎ澄まされたような、透明な静けさの中に包まれるのを感じる。あ、わたしこれが好きだった、と気づく。旅行はもちろん、都内ですら出かけることもほとんどなく、神社やお寺にふらっとお参りすることもなくなって、すっかり忘れてしまった感覚を思い出す。

帰り道、小学校からの友人の家の前を通った。ここへ遊びに来たのはもう二十年近くも前になることが信じられない。彼女も東京にいたけれど、少し前に宮崎に引っ越したことをSNSで知った。彼女は一月生まれだから、誕生日には連絡をして、様子を聞いてみようと思う。毎日一緒に下校したのに、今はもう連絡するのは年に数回。見知った風景が懐かしいのに、どこかよそよそしく感じられるのは気のせいだろうか。わたしが勝手にそんな風に感じるだけなのだろうか。いつも遠くへ行きたいと思っていたけれど、今はここが遠い場所になっているみたいだ。

家に入ってから、新年の空気をマスク越しにしか吸ってないことに気づき、もう一度玄関を出る。マスクをそっと外して、空気を胸いっぱいに吸う。故郷の空気、どころか、マスクを外して、外でこんな風に息をするのはいったいいつぶりだろう。のっぺりとした一月一日の空気はやっぱりどこか新しい匂いがして、わたしはもう一度、大きく息を吸いこむ。

卯月わかな

都内在住の会社員。手芸とお昼寝と梅干しが好き。

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