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吉澤嘉代子が掘り起こす過去、山中瑶子がよろこぶ獣道。「自分が救われるよりも、真実を見たい」

家族と記憶をテーマにしたアルバム『幽霊家族』。人生の出口が見つからなくても

幼少期の記憶や家族との関わりは、多くの人にとって現在の自分をかたちづくる大きな要素です。一言では言い表すことのできないその複雑さと向き合うことは、誰にとってもそう簡単なことではないのだと思います。

そんな家族や記憶をテーマに、私小説に近い言葉で紡いだアルバム『幽霊家族』を発表した吉澤嘉代子さんは、手に負えなかった過去に一つずつ向き合い、覚悟を決めてこの作品を完成させたと言います。収録曲のなかでも特に重たさのある「ほおづき」のMVは、社会からどこか逸脱しながらも、自分の倫理で、自分の足で立とうとする女性を監督作『ナミビアの砂漠』で描き出した山中瑶子さんが手がけました。

自分のなかに棲む鬼との付き合い方。家族を表現するときに傷つけないようにしたこと、傷つけてしまったこと。そのときにしかできない表現の大切さ。そして吉澤さんがずっと考えてきたという「人生の出口の見つからない感覚」や「本当のことを見つめたい欲望」について。二人が紡いだ「ほおづき」のMVの世界のように、人生においてたやすく得られるカタルシスはそうそうないかもしれないけれど、話しながらいろいろな景色に出会っていくような対談になりました。

傷ついていたときに観た『ナミビアの砂漠』と、なかなか抜けなかった「去年を支配する気分」

─お二人の出会いは、どんなところから始まったのでしょう。

吉澤:髪を切ってくれているヘアメイクさんが、『ナミビアの砂漠』をおすすめしてくれて。「嘉代子さんみたいな主人公が出てくるよ」と教えてくれたんです。当時、わたしはギリギリというか、ボコボコの状態になっていて……。『ナミビア』からは「異物」のようなものを感じつつも、それも含めて自分にとって違和感がなく観られたんです。それで山中さんに興味が沸きました。

山中:MVは基本的に、曲がいいと思ったらやるようにしているのですが、「ほおづき」はすごくよかったんです。失恋の曲なのかな? とわたしは受け取りました。個人的にも、去年を支配する気分みたいなものと重なる気がして。

左から山中瑶子さん、吉澤嘉代子さん

─去年を支配する気分というと?

山中:次のフェーズに向かいたいけど、過去のことがすんなり抜けていかない、みたいな気分が続いていました。だからこれはいいタイミングだなって。

吉澤:MVの候補曲はほかにもあったのですが、「ほおづき」は山中さん以外には考えられないってぐらい思い詰めていました。お引き受けいただいて、この曲が浮かばれました。

山中:なんと、そうでしたか、とてもうれしいです。最初、吉澤さんが「MVに自分は出ないほうがいいんじゃないか」と言っていたんですよね。でもわたしは吉澤さんを撮るのを楽しみにしていたので、出ていただきました。曲から受ける印象として、吉澤さんの身体から出てきた言葉だと思ったので、その曲と関係のない人に出てもらうのは嫌だなっていうシンプルな理由です。でも、楽曲が作者と一致していると見られるのもどうなのかなとも思っていて。そのあたりどうですか?

吉澤:そうですね。特にこの曲は自分が書いたと思われたくないというか。わたしの楽曲のなかでも特に生々しさのある歌詞に仕上がったので、自分から遠ざけたいっていう感覚はあったんですけど。でも山中さんが出てほしいって言ってくださるなら、身を委ねてみようと思いました。

─「ほおづき」のMVでは、嘉代子さんが耳と踊っていますね。

山中:失恋とは一体なんだろうかと考えてみると、それまで慣れ親しんでいた人やものごとの見え方が揺らぐというか、パースが狂った世界になるようなものだとまず思って。それと吉澤さんから、この曲は幸せだったときに一回書いたんだけど、少し経ってから書き直した部分があると聞いたんです。そういう意味でも、いろんな時間や気分、質感が混ざっているMVにしようと思いました。

それで造形物として耳のかぶりものをつくったり、CGを入れたり、絵を投影したり。感情をそのまま映すのって難しいので、映像にいろいろな質感を入れることで、感情のちぐはぐさを見せたいと考えました。そして、誰かのことを記憶から消し去りたいとか、むしろ忘れたくないとか強く思念するほど、その相手の全体像がわからなくなって、どこかの一部だけの手触りがすごく強く残るということがあるんじゃないかと。その象徴として、耳と踊ってもらいました。

吉澤:映像としてものすごく大好きなものができあがったので、そのなかに入れてもらえてうれしいし、光栄です。自分でもまったく想像していなかった、見たことないものになって、この楽曲が自分自身かどうかなんてどうでもよくなりましたね。

吉澤嘉代子「ほおづき」MV

「自分のなかにはいつも鬼が住んでいて、それをなだめすかすので精一杯」(吉澤)

─「ほおづき」には氷鬼、影鬼、一人鬼など、たくさんの鬼が登場しますし、『幽霊家族』というアルバムのタイトルにも、幽霊という言葉が入っていて。嘉代子さんの歌には普遍的な感情も歌われているけれど、どこか童話的な世界観や、世の理から逸脱したものが含まれていると感じます。そういった表現について考えていることをお聞きしたいです。

吉澤:鬼っていうのは、自分のいつまでも飼い慣らせない部分というか、どうしようもなくて手がつけられない、厄介な部分ですね。自分のなかにはいつも鬼が住んでいて、それをなだめすかすので精一杯。少しでも気を許せば暴れ出すんじゃないかっていう恐れと共に生きている感覚があります。

鬼の灯りと書いて「鬼灯(ほうずき)」とも読むので、漢字の表記から楽曲の連想を広げていきました。弔いやお供えのイメージもありますよね。去年の夏、たまたま道で売ってたほおずきを購入して、この曲はそこから生まれました。「これをもってして、自分はこの夏を生き抜くぞ」みたいな。そんな覚悟を決めて、花屋で買ったんです。

山中:花屋の話はいま初めて聞きました。そういえば、MV撮影の直前に歌詞が変わりましたよね。書いたものを、結構直されるんですか?

吉澤:はい、もうレコーディング当日まで直しちゃいます……。迷惑な話ですよね……。

山中:いやわたしもまったく同じで、ギリギリまで直します。

吉澤:以前、山中さんはアドリブが好きじゃないとおっしゃってましたよね? 映画は演者がいて、それぞれの部門のスタッフがいて、監督は総仕切りの役割じゃないですか。わたしは創作の過程で、自分の作品が気づいたら自分の手からどんどん転がっていくような感覚に危機を感じてしまうところがあるんです。山中さんにとって自分の領域を守ることは、脚本を大事にするということなのでしょうか?

山中:そうですね、脚本は自分の領域です。台詞には責任を取りたいので、わたしが書いたとおりに演じてもらいますが、役者の身体は私が完全にコントロールできるものではないと思っています。現場ではなるべくまずはみんなの好きなようにしてもらっていますね。違うと思ったときに言う感じで。

今回のMVの撮影現場は『ナミビア』のスタッフが多かったのですが、またみんな好き勝手やってるなあという感じがして、それがよかった。はじめましての美術部の方も、撮影当日に勝手に追加で絵を描いてそれを投影したりとか。これは違うなと思ったら止めますけど、決めたことを順番通りにやっていくっていうのがあんまり好きじゃなくて。吉澤さんが大きく構えてくれたことも大きかったです。

「ほおづき」MV撮影現場。吉澤嘉代子さんのInstagramより

吉澤:誰ひとり、一切ピリピリしていない現場だったんですよ。スタッフのみなさんが山中監督を信じていて、「絶対楽しいものができあがる」みたいな空気感があるんです。真ん中にいる人としてすごく愛されてる方だなと思って。

山中:ピリピリしないというのはわりと心がけていますね。心がけているというか、そういうふうになる方をチームに入れていないこともあると思います。わたしが一番だらしなくてのんびりしているので、ピリピリしても仕方ないというか、損というか……。撮影中の吉澤さんは、ダンスの練習時間が1日しかなかったのに、踊れば踊るほどどんどんよくなっていって。どうしてこんな顔ができるんだろう? と見惚れるほどでした。

─嘉代子さんはライブでも、フィクションを演じるような演出をよくされている印象があります。さきほど、楽曲を自分自身と同一視すること/されることについての話がありましたが、創作を通じて「演じる」ことをどのように捉えているのでしょうか?

吉澤:今回の『幽霊家族』は私小説みたいな感覚でつくった曲が多くて、それが過去のアルバムとは違ったなと思っています。その反発で、煙に巻くみたいな書き方が加わったというか。自分自身に近づいた分、真実に近づけば近づくほど、それをごまかすような書き方をしたと思っていて。特に「ほおづき」が自分のなかでも重たい曲だったのですが、山中さんの映像の世界で耳と踊っているのが自分だとは思えなかったので、そこでようやく自分と切り離すことができて、曲を愛することができました。踊りながらどんどん覚醒していって……。

「ほおづき」MVより

山中:完全に覚醒してました。目つきとか。すごく面白い話ですね……。自分が身体を使って記憶などを総動員して本当のことを書いたのが恥ずかしくなって、それをあえて遠ざけようとして、ちょっと隠蔽するみたいなことですよね? それを素直に言えるのが正直すぎて、面白いと思いました。たぶん他の人たちは、思っていても仕舞っておいて言わないと思います。

吉澤:でも、正直すぎて本当に悩んでるんですよ……。正直とかまっすぐとかって、いい言葉というか長所みたいな雰囲気を醸し出しているけど、本当に生きづらいですね。嘘をつくのが苦手で、本当のことばかり言っちゃうから、後で困ることもあります。

手に負えない家族の存在の大きさ。自分の幼少期や記憶、家族のことを作品でどう扱うか

─お話をうかがっていると、今回のアルバムはすごく難しいことに向き合ったのではないかと思います。家族のことは、きれいなことばかりでもないと思いますし、どう書いても、これでよかったのかなと思い続けてしまうようなことでもある。このタイミングで自分の根っこである家族と向き合おうと思ったのは、改めてなぜだったのでしょう。

吉澤:家族のことが、自分にとってのボス戦というか、ラスボスのようなものなんです。家族や生い立ちが、自分の成り立ちにすごく密接に関わっているし、これまでいろいろな影と影がつながって大きくなって、自分には手に負えない大きさの敵になっていたんですよね。

20代の終わりぐらいからずっと、一つずつそれを紐解いて、等身大の大きさに区切っていく作業をしていて、いつかは家族をテーマにしたアルバムをつくりたいと思っていました。でもやっぱり自信がなくて、勇気が出なくて、それをしたら自分も壊れてしまうんじゃないかとか、書ききれないんじゃないかとか、不安でした。そんなときに、地元の埼玉県からふるさとの歌をつくってくださいというオファーをいただいて、時がきたなと受け止めました。それが「メモリー」という曲です。

吉澤嘉代子「メモリー」

─山中さんも、過去の作品で中国にルーツがある母の故郷との関係について描かれてきたと思います。『回転てん子とどりーむ母ちゃん』(2019年)に寄せたコメントでは「自分自身が最も混沌とした時期にどうしたものかと思い悩んだが、それらをまるっとそのまま撮ってみることにした」と書かれていて。自身の創作の経験を踏まえて、『幽霊家族』の家族の描き方をどう捉えたかお聞きしたいです。

山中:まだ『回転てん子とどりーむ母ちゃん』は、ドリーミーな表現で変換できているのですが、『魚座どうし』(2020年)という作品では、自分の見ていた景色やかけられた言葉をダイレクトに引用しています。当時はこれを映画にしたら面白いだろうと客観的に思っていたのですが、母に見せたら少し悲しまれてしまいました。自分の幼少期や記憶を作品でどう扱うか、自分のなかにまだあんまりルールや答えがないですね。でも……やっちゃいけないことってあるんですかね? 自分の見て感じてきたことを作品にするときに。

吉澤:うーん……。家族のことってすごくナイーブですよね。いままで好きになった人とかだったら、誰だかわからないようにもつくれるかもしれないけれど、家族は特定できるじゃないですか。なので今回のアルバムでは、家族を傷つけないものにしたいなっていうのはありましたね。

吉澤嘉代子『幽霊家族』。アルバムには、実際の家族が写真にうつっている

山中:それはすごく感じました。吉澤さんがさっきおっしゃったラスボスの話とか、これまでのインタビューなどを読んでも、家族がひとつの枷のようにも語られているのに、『幽霊家族』全体の印象がちゃんとぽかぽかしていて。「ほおづき」だけがソリッドという感じがしました。

吉澤さんの作品を聴いて、わたしはそういうふうにやってきていなかったな、と思いました。『魚座どうし』は23歳頃の作品なのですが、「自分が傷つけられたから、自分を傷つけた人も傷つくべき」みたいな拙いいじわるさをもって、映画をつくっていたなと振り返ってみて思います。今後はそういうふうにはやらないと思うし、創作するときはもう少し変換しないといけないなと思っています。ただ、そのときにしかできない表現とか、そのときだからそうなってしまったみたいなことは重視している。そういう意味では後悔はしてないです。

山中瑶子監督作『魚座どうし』場面写真

─自分にとって大事なことをどう語るか、その語り方はそれぞれにあると思います。山中さんがさきほど、『幽霊家族』を「ちゃんとぽかぽかしている」と話していましたが、嘉代子さんの表現は、痛みや傷跡を見つめながらも、それらをないものとはせずに、その記憶を抱えている自分や、自分のような人の頬を撫でるような体温があるように感じます。本作は記憶も一つのテーマだと思いますが、記憶について考えていたことがあればうかがいたいです。

吉澤:慈しんでいる……愛していますね。それは、良い記憶も、悪い記憶も。さきほど山中さんがおっしゃっていた、いまだから書けるものや、そのときだから書けるものを重視することを、『幽霊家族』ですごく感じました。ある一定の時期から、自分はいつでもクオリティを保てる作品がつくれると思っていたんですよ。「いまだから書ける」みたいなことを信じていなかった。記憶や経験をフリーズドライして、その素材をいつでも出せることがプロフェッショナルだと思っていたんです。自分なりにクオリティを担保しながらものをつくってきた自負もあるし、それだけの時間と労力と気持ちを使ってきたんだって言えるほうがかっこいいなと感じてきました。

でも今回のアルバムには10代の頃に書いたものを手直した曲もあり、かつての自分と共作するようなことにも取り組みました。当時の自分がその曲を書いた理由がよくわからなかったり、いまなら書けないような瑞々しいものがそこにあったりすることをすごく思い知った。そのときにやっぱり、なにかを表現する仕事をしている自分は、いま出せるものを精いっぱい出すことがすごく大事なんだなと初めて思いましたね。

山中:吉澤さんはすごくちゃんとこう、なんて言うんだろう……。つらいほうに向かっているし、向き合ってきたんだなと感じます。わたしはデビューしたてのときに、「プロってなんだかわかるか」って聞かれたことがあって。「お前はプロではない」と言いたいがためにそれを言われていると気づいて、嫌な人だなあと思ったんですが。

そういう文脈でしか「プロ」という言葉に向き合ったことがなかったので、自分のなかで考えを深めることはせず、逆に不良ぶってしまったというか。外に対する「嫌」という反射から、「別にプロなんかなりたくないし」という気持ちが強まってしまって、反骨精神という名のサボりみたいなものをやってきた。いまの吉澤さんのお話を聞いて、それは残念なことでもあったと思いました。

吉澤:でもやっぱり山中さんは、心が本当に動くときに手が動く人なんじゃないかな。そうあってほしいなというファンタジーかもしれませんが。

山中:いや、はい、それはそうです!

「音楽があったから生き延びたけれど、それでも自分は、こんなにも出口を欲している」(吉澤)

吉澤:わたし、小学生のときにハムちゃんとハムくんっていう女の子と男の子のハムスター飼っていて。死んだときに花壇に埋めたんですけど、しばらくして雨が降った日に、掘り起こしたんですよね。ハムスターがちゃんと眠っているのを見て、また埋めたんです。

いつも自分は、自分が救われることよりも、真実を見たい、見つめたい欲のほうが強くて。なんて言うのかな……苦しいほうへ向かっているようですけど、それが好きなんです。性分なんでしょうね。本当のことを知りたいってずっと思っています。本当のことだけ言いたいとも思っている。

─その「本当のこと」という話は、事前に嘉代子さんが、山中さんに聞いてみたいと話していた質問とも重なりそうですね。

山中監督と、どうしたら人生の出口を見つけられるかについて話したいです。「抱きしめたいの」という曲の歌詞にも書いているのですが、いつも出口のようなものを見つけては幻だったと気付く、それを繰り返しています。自分はどうやったら自分を満たせるようになるのか、出口はあるのか、についていつも考えているのでお話できたら嬉しいです。

吉澤:先週、山中さんと鍋を食べたときに、出口の話をしたこと、覚えています? 出口というのは人生の終わりという意味ではなくて、わたしは常に、いまいる場所が蝉の幼虫みたいに地面の下だという感覚がずっとあるんです。なのでいつか出口を出て、蝉の1週間のようなものを味わってみたい。でもそもそも、人生に出口なんてあるのか……? ということも疑問になってきました。とにかくわたしは出口が見つからないんだという話を山中さんにしたんですね。

山中:地下にいる感覚というのは、すごくわかります。わたしがかつてよく見た夢に、地上と地下を断面で見ていて、自分はずっと地下にいて上にあがれないというシーンがあって。上ではお母さんとその元夫が楽しく暮らしているという、自分が全く介在できない世界を眺める恐ろしい悪夢なんですよ。

吉澤:すごい、断面なんだ。やっぱり映画をつくる人なんですね。自分とも距離を置ける人だ。『ナミビアの砂漠』のランニングマシーンや、『あみこ』のダンスのシーンのように、超現実が差し込まれる山中さんの作品を思い出しました。

山中瑶子監督作『ナビミアの砂漠』

山中:本当ですね(笑)。そうか、吉澤さんは主観で見ているから、出口が見えないのかもしれないですね。

吉澤:視野が狭すぎて。こうやって(手を細くまるめて目元に持っていく)。

山中:そうか、望遠鏡というか、万華鏡のようなもので世界を見続けているんですね。

吉澤:世の中には出口を必要としない人もいると最近知ったのですが、出口がなければどう生きていけばいいかわからなくなります。出口、ないんですか? 山中さんは出口を探していますか?

山中:全然探してない(笑)。でもわたしは、地下から地上に出られた感覚は明確にあります。ただ、地上が楽しいかというと別にそうではない。だからそういう意味では、出口はないんじゃないですかね。

「ほおづき」MVより

─嘉代子さんは、出口はこういう景色だろうというイメージはあるのですか?

吉澤:それこそ「ほおづき」に書いたように、心地よい風に包まれて、やわらかな光が零れて、神様はいないと微笑んでいるような……ほぼ無の境地かもしれません。渇望がなくなるというか。

山中:無欲。そうなると、もう音楽をやらなくなっちゃうんじゃないですか?

吉澤:いいんですよ、やらなくて。

山中:えっ、そうなんですか。

吉澤:生きるバランスを取るために、音楽という表出の方法を見つけたという感覚なんです。生きていくための方法は、みんながそれぞれのやり方で探しているものだと思うのですが、自分は音楽に辿り着きました。音楽があったから生き延びたけれど、それでも自分は、こんなにも出口を欲している。出口が見つけられるなら、全然そっちのほうがいいというか、それが手に入るのであればなにもいらないとも思っているんです。

「誰かが決めた道をみんなで走ることが好きじゃないから、なにかをつくっている」(山中)

─それは、さっきお話ししていた、本当のことを見つめたいというような感覚ともつながりますか?

吉澤:そうですね。自分の環境として、みんなが信じているものを自分は信じられなかったり、逆に自分は信じているけれど、周りは信じていなかったりという経験が多かったのかもしれません。自分にとっての本当のことは、自分で探しに行かないと絶対に辿り着けないんだという壁があったというか。ちなみに山中さんは、「本当のこと」みたいなものについて考えたことありますか?

山中:わたしも本当のことしか言いたくないし、本物のやりとりしかしたくないんだ、みたいにずっと思っていました。でもどうやらみんながみんなそう思っているわけではないらしいことに気づいたんです。それをやっていると、疲れるんでしょうね。自分も疲れてしまった。

具体的には、昔は誰かが言ったことを自分は完全に記憶していると思い込んでいたので、人から何回も同じ話をされることに心から傷ついていました。「同じ話をするってことは、わたしと話したことを覚えていないんだ、悲しい……」みたいな(笑)。真実の感情だけのやりとりをしたい、魂で話そうよみたいな感覚はかなりありましたが、そういう自分は実はものすごく……うざかったのではないかと。吉澤さんがということではなくて。

吉澤:いや、わたし、間違いなくうざいと思います(笑)。

山中:あはは(笑)。でもここ数年で、本当に思っていることは、言わないほうが自分や相手を守ることがあると学びました。むしろ、本当のことだけでみんなが動いているほうが怖いかもって最近は思っています。だからかつての自分が忌み嫌っていた軽い感じがいまは身についています。それはいいことだとわたしは考えようとしてるんですけど。

─山中さんのつくるものを拝見すると、作品に対しては、本当のことをしようと思っているのではないでしょうか。オンオフをわけて表現しているというか。

山中:そうですね。作品に向かっているときは、それが必要だといまでも思っています。

吉澤:なるほど。作品のなかに本当のことを封じ込められたから肩の荷が下りた?

山中:そうかも。現実の自分がそこまで神経質にならなくても生きていけるんだって思えた。ちょっと解放されたんですかね。きっかけはやっぱり『ナミビア』が大きいですね。もしすごく巧妙な嘘でコーティングした作品で評価されてしまったりしたら、こんなふうには考えられていないと思います。

映画はつくっているときと、そうでないときの生活ががらっと違うので、それでうまくわけられているところもありそうです。作品づくりのほうを真剣にやっていれば、残りの生活はもうちょっとチャランポランでいいんだみたいなことが、ようやく最近できるようになってきた。でも、音楽はもっと生活と身近じゃないですか。ライブで何回も歌い直したりするし。映画はそう何度も観返しませんからね。

─嘉代子さんは正直や素直さがいい面ばかりではないと感じている一方で、「本当のことを言いたい」とも思うということですよね。

吉澤:いま、本当に揺れてますね。生き方を変えたいと思っていて。

山中:人は変われないって思ってたんですけど……変えられますよ。(きっぱり)

吉澤:え! 変われますか?

山中:はい、本当に変わりたいと思っているなら変われると思います。

吉澤:それを聞くと、もしかしたら本当に変えようとは思っていないのかもしれないです。しんどいことも多いんですけどね……。

─しんどさをすべてなくすことができたらもちろんヘルシーだとは思うのですが、自分が本当にそれをしたいのか、とかもありますよね。

吉澤:やっぱり、比喩的なことですけど、墓を掘り起こしたいんですよね。みんながもうなかったことにしたものを、自分だけは遡って見つめたい。でも作品の表現としては、自分だけにわかる暗号があればいい。これまでも誰にも見つからない方法で、散りばめてはいるし、煙に巻いているんですけど。でもまたこうやって、言っちゃってるっていう。「わたしは暗号を埋めてるよ」って公言している状況、すごく恥ずかしいですよね。愚かなんです、本当。

山中:それがいいんだと思います。でも、出口はないですよ(笑)。

─この話は面白いので、図にしたいですね。それぞれの人生の出口観を。

吉澤:山中さんの作品も、出口が用意されているようには思えなくて。最後、ハッピーエンドで、めでたしめでたしと終わるストーリーではないじゃないですか。でも強烈に思うのが、そこにユーモアを感じること。なんか面白いことが好きなんだろうなって。だからいま一番わたしのなかで山中さんが面白い人ですね。そのユーモアというのが、冷笑ではない切実さを伴っているからこそ、知りたくなる。ズンとくる鈍痛であり、鮮やかな痛みではない。余韻があって、波となって、痛みが広がる。その感覚がすごく好きなんです。

「ほおづき」MVより

山中:うれしすぎます。ユーモアということでいうと、わたしはその先には絶対に道がないのに一生懸命走っていって、踏み外す人を見るとうれしくて笑ってしまうんです。やっぱり、誰かが決めた道をみんなで走ることが好きじゃないから、なにかをつくっているわけじゃないですか。

同じようになにかをつくっているけど、自分とは違う表現をしている人が、独自のコースをつくっているのかと思いきや、独自のコースからも外れて獣道に入っている姿を見ると、だよね、と思います。知らない道を見ると、面白いしうれしくなりますよね。吉澤さんにもそのように感じています。

吉澤:素敵な話。でも……出口がなかったら、やっぱりどうしたらいいんですか?

山中:きれいな万華鏡をつくる。きれいっていうか、いろんな色や素材の入った万華鏡をつくる。すごい巨大な万華鏡をつくったらいいんじゃないですか。人生長いですから。

吉澤:わあ、万華鏡か……。万華鏡つくっていきます。いまの言葉で、わたしなんだか世界がまたぐるりと変わっちゃったっていうか。今日話せて本当によかったです。

吉澤嘉代子

1990年6月4日生まれ。埼玉県川口市鋳物工場街育ち。2014年にメジャーデビュー。バカリズム原作ドラマ『架空OL日記』主題歌の1stシングル「月曜日戦争」をリリース。2ndシングル「残ってる」がロングヒット。
2025年4月20日に2度目の日比谷野外音楽堂公演「夢で会えたってしょうがないでショー」を開催。デビュー11周年を迎えた5月14日には『第75回全国植樹祭』大会テーマソング「メモリー」を、9月にはNHK夜ドラ『いつか、無重力の宙で』主題歌として書き下ろした「うさぎのひかり」をリリース。2026年3月18日に5年ぶりとなる6thアルバム『幽霊家族』をリリースし、5月に東阪NHKホールでの単独公演を開催。

Web

山中瑶子

1997年生まれ、長野県出身。日本大学芸術学部中退。独学で制作した初監督作品『あみこ』がPFFアワード2017に入選。翌年、20歳で第68回ベルリン国際映画祭に史上最年少で招待され、同映画祭の長編映画監督の最年少記録を更新。ポレポレ東中野で上映された際は、レイトショーの動員記録を作った。本格的長編第一作となる『ナミビアの砂漠』は第77回カンヌ国際映画祭 監督週間に出品され、女性監督として史上最年少となる国際映画批評家連盟賞を受賞した。監督作に山戸結希プロデュースによるオムニバス映画『21世紀の女の子』(18)の『回転てん子とどりーむ母ちゃん』、オリジナル脚本・監督を務めたテレビドラマ「おやすみまた向こう岸で」(19 )、ndjcプログラムの『魚座どうし』(20)など。

吉澤嘉代子『幽霊家族』

発売日:2026年3月18日(水)
価格:完全生産限定盤(CD+Blu-ray) 12,000円(税別)
通常盤 3,200円(税別)
発売元:Victor
収録曲:
1. Into the dream
2. あの家はもうない
3. おとうと
4. わたしの犬
5. ピーマン
6. 幽霊
7.うさぎのひかり
8. ほおづき
9. たそかれ
10. 時の子
11. メモリー
12. Out of the dream

配信
CD

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