フェミニズムや環境問題との接続、在日コリアンの母娘がつなぐ記憶
2026/5/29
ロシアによるウクライナ侵攻や、イスラエルによるパレスチナ侵攻。現在も各地で起こっている“戦争”は、植民地主義と深くつながっています。そして、植民地主義が生み出した支配関係によって、現在もあらゆる人種ルーツを持つ人々への不正義が正当化されています。
Decolonize Futuresは、「複数形の未来を脱植民地化する」をキーワードに、東アジアにおける植民地主義を見つめるZINEプロジェクト。これまで、フェミニズムや気候変動、アイヌをテーマにしてきましたが、今夏にはVol. 4「〈在日〉コリアンを巡る教育と主体性」が刊行されます。
Decolonize Futuresを作る二人は、それぞれ異なる場所から「脱植民地化」に出会いました。アメリカの大学院に通う酒井功雄さんは、気候変動のアクティビズムから。台湾から日本に拠点を移したばかりのsaki・soheeさんは、在日コリアンという自身のルーツから。
私たちの生活に残っている植民地主義について、在日コリアン四世であるsaki・soheeさんの経験やお母さんとの記憶をつなぐ対話について。切実な眼差しと豪快な笑い声が混ざり合う空間で、お話を伺いました。インタビューの前編をお届けします。
―Decolonize Futuresというプロジェクトについて教えてください。
sohee:2022年に、自主出版のZINEのプロジェクトとして2人ではじめました。日本と東アジアにおける植民地主義の根深さや、話されなさ、また脱植民地化の必要性をテーマとした研究者へのインタビューを収録しています。
Isao:フェミニズムや環境危機、アイヌなどをテーマに、2022年の夏から1年くらいかけて8名の研究者の方にインタビューをしました。もともとは一冊にまとめる予定だったんですが、かなり長くなってしまうと思い、何冊かに分けることにしたんです。手に取りやすい内容で、ビジュアルが良くて、日本語と英語で書かれたものを作りたいねと話して、結果的にZINEという形になりました。今は3冊出版しており、あと2冊分出す予定があります。
―Decolonize Futuresでテーマとしている「脱植民地化」とはどのようなものなのでしょうか?
Isao:私たちは脱植民地化の説明をするときに、それは一つに定義されないものであると繰り返し話しています。ヨーロッパ諸国はアジアやアフリカを、日本は朝鮮半島や台湾、東南アジアなどを植民地としてきました。植民地主義はさまざまな地域で行われてきたので、それぞれの文脈があるんです。政治的独立を果たしたとしても、経済的な搾取や文化的な支配関係が続いているケースもあるし、脱植民地化を定義してしまうと、特定の立場から見えているものだけに囚われてしまう危険があると思います。
その上で、このマガジンで考えたいことは「コロニアリティ」なのかなと思います。ペルーの社会学者アニバル・キハーノが論じたコロニアリティ(植民地性)とは、政治的な独立などにより植民地支配が終わったとしても、コロニアリズム(植民地主義)が、文化的表象や経済のあり方などを通して、現在まで残っていることを意味しています。
sohee:植民地支配を経験した人やその子孫にとって、自分たちの置かれている状況について、主体性をもって考えることがままならない場合だってあると思うんです。私たちがもっと自由自在に生と死を迎えられるならば、それほど豊かなことはないけれど。脱植民地化を考える上で、エージェンシー(主体性)やオートノミー(自己決定権)はとても重要な要素だと思います。誰にとって、どんな脱植民地化を描けるのかということは、ずっと問うていきたいです。
―お二人はどのようにして「脱植民地化」という言葉にたどり着いたのでしょうか?
Isao:私は高校生の頃から4年くらい、Fridays For Futuresという気候変動のプロテスト運動に参加していました。その頃は、いかに気候変動を止めるか、CO2を削減するか、再エネを増やすかということしか考えてなかったんです。大学ではアメリカに行って、平和学を専攻しました。そこで気候変動の原因には植民地主義があると分かったんです。ちょうどその頃アメリカではBlack Lives Matterの活動が盛んで、インターセクショナリティの概念も広まっているタイミングでした。
そんななかインスタを見ていると、BLM、気候変動、クィア、フェミニズムなど、各方面のアクティビストたちが口を揃えて「植民地主義が問題だ。裕福な、シスヘテロの白人男性を中心に世界が作られているのが問題だ」って言っていたんです。それを見て、日本に帰って誰かとこの話をしたいと思っていたら、Soheeがちょうど「東アジアの脱植民地化が最近のテーマ」ってインスタのストーリーを上げていて。それで「話しませんか?」ってDMを送りました。
sohee:私は在日コリアンとして関西で生まれ育ち、高校時代はニュージーランド、大学から昨年12月までは台湾に住んでいました。高校では、環境を変えて肩の荷を下ろすことができるんじゃないかと思ってニュージーランドに行くことを決めたんですが、先住民族の歴史や文化がありながらも、イギリス領だったためパケハ(ニュージーランドのヨーロッパ系白人)の文化が主流で、英語が日常的に使われる言語として優位であること、そして自分が東アジア人としてのみ位置付けられることに立ち止まる経験をしました。もう少し違う場所からレイシズムや土地性と自己の繋がりについて考えてみたいと思って行った先が台湾でした。
ニュージーランドも台湾も植民地支配を受けた歴史があって、もともとそこに暮らしていた人々の文化と言語が剥奪された歴史があります。それでも、さまざまな運動や日々の営みを通して、そうした習慣や言葉が守り続けられました。例えばニュージーランドの先住民族マオリの伝統的な自己紹介では、祖先につながる土地を語るものとして山の名前、川の名前、カヌーの名前、部族の名前を言って、最後に自分の名前を言う、ペペハ(pepeha)と呼ばれる表現が存在します。思春期を過ごした環境でこうした継承があったことを振り返りながら、自分が在日コリアンであることや自分が経験したことを再定義するようになって。
Isaoと出会ったときの私は、訴えかけるようにSNSで声をを上げていました。日本における愛国主義的な言説にうんざりしていて、自分や周りの経験を理解し、説明するための証拠をずっと探していたんですよね。「韓国って何を経験したんだろう?」「えっ、朝鮮半島って何を経験したんだろう?」「えっ、なんで朝鮮半島が分断されたんだっけ?」ということがちょっとずつ分かっていくタイミングで。Japanese Breakfastのミシェル・ザウナーによる『Hマートで泣きながら』やミン・ジン・リーの『パチンコ』などを読んでいました。韓国ルーツと移民経験を持つという点では同じ文脈にいるものの、韓国や朝鮮半島との関わりにおいてはまったく違う経験をした人のストーリーに触れるなかで、だんだんと植民地支配の歴史にたどり着きました。
―日本では、一般的に「植民地」というと、教科書に載っている歴史というイメージがあるかもしれません。現在に引き継がれている「植民地主義」というのは、例えばどのようなものなのでしょうか?
Isao:まず、現在も植民地状態にある国はまだたくさんあるんです。また、物理的な支配が続いているだけでなく、植民地下で行った暴力や略奪、文化の抹消に対する清算が行われていないことも植民地主義における問題です。日本の文脈では、北海道でアイヌ民族の先住権訴訟が行われています。アイヌの文化と深く結びついたサケ漁を行い販売する権利を求めていますが、その要求はまだ通っていません。また、沖縄にも日本全体の7割の米軍基地が押しつけられています。
Vol. 1でインタビューを行ったラローズ・T・パリス教授は、両親が元イギリス領のジャマイカ出身でした。ジャマイカの教育では、ジャマイカの歴史ではなくイギリスの歴史を習ったといいます。イギリス王室については詳しくなるのに、自分たちの土地で起こった奴隷だった人々による反乱についてはまったく教わらない。このように、文化や記憶が上書きされていくということも、現在進行形の植民地主義だと言えると思います。
―Vol. 1のテーマは「反人種差別、フェミニズム、脱植民地化」、Vol. 2は「脱植民地化と環境危機」でしたね。フェミニズムや環境危機と植民地主義はどのようにつながっているのでしょうか?
Isao:植民地主義は土地の支配だけでなく、文化や生活規範という形で私たちの社会に浸透し、植民地主義がもたらした格差や抑圧を私たち個人も無意識のうちに内面化しています。そして、フェミニズムが問題とする家父長制や、気候変動の原因となっている資本主義は、どちらも植民地主義と大きく結びついているんです。
植民地主義の中心的な担い手は、シスヘテロ男性の白人で裕福な特権階級の人々でした(日本による朝鮮半島やアジア諸地域の支配においては、その役割を日本人男性が担っていた)。そのような属性を持つ人が「もっとも人間らしい人」とされたんです。そして、女性、有色人種、障害のある人、性的マイノリティが劣った存在としてみなされました。2023年以降のパレスチナ人虐殺がはじまったとき、イスラエル国防相がパレスチナ人を「ヒューマン・アニマルズ」と呼んだように、植民地主義下では「自分たちが人間だと認めない人は支配してもいい」とされたんです。
そして、自然もまた劣っている側に置かれていました。西洋哲学では、デカルトやフランシス・ベーコンなどが機械的自然観というものを唱え、自然は魂がない劣った存在であり、人間のために搾取し支配してよいものになりました。そうした考えが資本主義と結びついて、自然を「資本」や「開発可能な土地」であるとみなすようになります。そしてアメリカ大陸やアジア、アフリカが侵略され、土地が切り拓かれていきました。同時に、自然を再生させるような文化を持っていた人々の知識も消されていったことが、現在の環境破壊の根底にあります。たとえば、北米ではネイティブアメリカンの人々が野焼きなどの実践を行っていたことで、生物多様性が保たれていました。しかし、自然を人間の手付かずのものであるべきとみなした入植者により、先住民族の人々が排除されたことによって、生態系のバランスが崩れてしまいました。
―Vol. 4は在日コリアンがテーマですね。在日コリアンにおける、現在まで続く植民地主義にはどのようなものがあるのでしょうか?
sohee:植民地支配というのは、土地を領土にし、資源や作物、そして人までも「支配できるモノ」として扱う仕組みとしても機能してきました。だからこそ、環境破壊と家父長制がなければ、植民地支配は成功できなかったと言える。在日コリアンが辿ってきた歴史の観点から見ても、炭鉱開発などから同じダイナミズムが浮かび上がります。例えば北海道は石炭などの資源が豊富で、1939年以降、朝鮮人や中国人労働者が炭鉱や工場で働かされました。そして低賃金かつ劣悪な労働環境下で、事故や病気で命を落としていった人々が多くいた。大日本帝国の成功のために、自然を破壊し、土地と植民地出身者の搾取が行われたんです。当時失われた命のことはもちろんですが、その子孫が今も日本に残り生活を営んでいることや、北海道という土地で搾取が行われたことも、植民地主義の問題として考えなければいけないと思います。
Isao:永田康祐さんという映像作家の方が『Fire in Water』という作品のなかで、朝鮮半島のマッコリの歴史と日本統治の関係についてリサーチしていたんです。とても衝撃的だったのが、日本が韓国を統治するなかで、米の品種を朝鮮半島在来のものではなく日本のものに変えたり、発酵細菌の微生物さえも日本のものに変えたりしたということで。土地や作物さえも「より良い日本」に変えるという環境改変が、「日本人の血統がより優れている」という言説の一端を担っています。同じようなレイシズムが、琉球やアイヌでも行われてきたんだと思います。
―soheeさんはどのように自分のアイデンティティと出会い、向き合ってきたのでしょうか?
sohee:私はもともと自分が韓国人だという感覚はなく育ってきたんです。というよりも、10歳までは韓国にルーツがあることを知りませんでした。私が小学生の頃、韓国で「英語村」という、英語で行われるサマーキャンプが流行っていました。韓国でアメリカに対する美化やスパルタ教育などが加速していくなかで、母も私に参加させようと決めたみたいで。そこではじめて自分でパスポートを持つことになるからと、学校帰りに「サキは日本人じゃないで」と告げられたんですよね。
そのあとすぐ東日本大震災が起こったので、韓国に移住し直そう、という話になりました。そうして住んだこともない場所への「帰国」の準備を進めるなかで、また母が見つけてきた「オリニ土曜学校」という場所に通うことになるんです。「オリニ」は子供を意味し、民団が朝鮮半島にルーツを持つ子どもたちに向けて提供している、言語と文化を学ぶ場所です。当時、私が住んでいた地域の支部に通っていたのは私を含めた4人だけで、そこで2年間くらいハングルを学んだり太鼓を叩いたりしました。それまでは、食卓に並ぶ料理や、法事(チェサ)などの儀式からなんとなく韓国の文化に触れていましたが、そこではじめて文化と言語に意識的に触れていくことになりました。
そのようなことを経て、中学高校ではずっと言語化できない“怒り”のようなものを抱えていたんですけど、ようやく植民地主義という言葉に出会って、自分自身さえ知らなかった自分の秘密を植民地主義が私にさまざまなことを打ち明かしてくれたんです。馬山(マサン)と済州(チェジュ)にルーツを持つことをきちんと認識して、特に母方の済州島の歴史や、そこにいる人々の生を知っていった。済州島では、日本の植民地支配から解放されたあと、朝鮮半島が南北に分断されていく混乱の中で、アメリカ軍政が進めた南だけの選挙に反対する声が広がりました。その過程で、多くの住民が「共産主義者」と疑われ、軍や警察によって虐殺された「済州島四・三事件」が起こった地でもあります。
そういう歴史に出会い、涙を流しながら、今までアクセスできなかったものにアクセスしていく。そして、自分の経験と感情を理解していく。そこから私はもっと自分らしくなってきているような気がします。
―学生時代の言語化できない怒りは、どのようなときに感じていたのでしょうか?
sohee:10歳で在日コリアンであることを知ってからも、それを周りに伝えることはなかったんです。ただ、小学校や中学校の同級生に「もし好きな人が韓国人だったら、結婚したいと思う?」って聞いてまわったことがあります。それに対して「関係ないよ」って言われた記憶はなく、むしろ「韓国人も中国人も無理」とか、「そもそもそういう人のこと好きにならんと思う」って言われた。私は子どもながらに「ふうん」としか答えられなかった。そして母に、言われた言葉を自分の体験ではなくネットで見かけたものとして「こうやって思われてるらしいよ」って嘘をつきながら伝えてみるんですけど、母は「親がそう言ってるんやろうなあ」とかソフトに言うんです。私はその応答にも、「なんでなんで」ってずっと思っていた。
こういう差別的な状況に誰もおかしいって言わないことに怒っていたけど、「韓国人は無理」と言っている友だちに対して、「目の前に韓国人おんのに、あんたはそんなこと言うんか!」なんて、私はまだまだ言えなかった。それは、母に在日であることは「秘密やで」って言われたから。ロイヤル(誠実)な娘として、その秘密は守りたかった。ただ、こういう経験をしてきて、私が守る秘密である以上に、本当に私のことを守っている秘密なんだなということが分かってきたんです。
今振り返ると、学生時代はすごくトゲがあったなと思うし、とにかく自分のいる環境から逃げたかった。今の自分みたいに在日のことを理解したかったし、説明したかった。今言葉にしているのは、当時の自分や、母のためのようなところもある気がします。
Isao:最初にsoheeに会ったときは、名前もまだサキだったよね。名前に対する感覚がどう変わっていったのか気になる。
sohee:うん、そうだった。大学で台湾に行くときに、高校の卒業証書がサキですごく大変だったんよ。ニュージーランドの高校は通名が使えたからサキで入ったけど、大学に入学するときはパスポートの名前で申請しなきゃいけないから。卒業証書と同一人物であることを証明しなきゃいけなくて、卒業証書を再発行してもらって。この先もまた、この長い手続きをし続けなきゃいけないと思うと、「ああ、もうソヒ(소희)って名前しか使えないな」って思ったんです。
そして、名前をパブリックな場所でも使っていくためには、まずは周りに自分のルーツを伝える必要があった。在日であることを知らなかった小中の友だちにも、この際言っちゃおうと思って。インスタのストーリーで、「私こういうアイデンティティ持ってます! でも、今まで無意識な差別発言があんたたちの口から出てくるのにうんざりしてきました!!」みたいな(笑)。これはちょっと言い過ぎかもやけど(笑)。そこからやっとソヒって言ったり、saki・soheeっていうニックネームを使ったりするようになってきて。
ただ、サキっていう通名の名前も、漢字では希望が咲くって書くのですごく好きです。在日コリアンや外国籍の人は、本名を問われがちですよね。本名はすごくすごく重要なものではあるけど、実は私はそこまで重きは置いてないです。母も私のことはサキって呼びます。心のなかでは流動的なものだし、どっちの名前で呼ばれても私って気づく。でも、それは多分ソヒっていう名前を意識的に使うようになったから、ようやく感じる軽さなんだと思います。そうじゃなかったら、もっと怒りやもどかしさがあったと思います。
―名前の話を聞きながら、日本に帰化した中国出身の私の祖父を思い出していました。私は祖父のことを長く日本人として捉えていたし、中国名を知らない。祖父から直接名前を伝えられたこともなければ、中国人として生きることについての話を聞いたことがないなと。もちろん在日コリアンとは異なる文脈ですが、世代によっても経験が変わってくるのだと感じました。
sohee:本当にそうだと思います。私も母に対してたくさん思うことがあります。私の母は仕事をする上では在日であることを特に公言している訳ではなくて、辛いことを乗り越えた末に今の環境があるという経験があるからこそ、より日本社会に馴染むライフスタイルを持っています。ですが、違う時代を生き抜いてきた母の過去があるからこそ、在日四世の私なりのフラストレーションが通じないことがあって。「私のこの怒り、伝わってる?」ってナイーブな子供の私は言うんです。ただ、だんだんと、私にとっても母にとっても、「脱植民地化」という言葉が分かるかどうかは、一番大事なことではないのかもしれないと分かったんです。
この前も、Decolonize Futuresで登壇したイベントの話をしたときに、自然と親戚の話になったんです。これまでは在日コリアン性ゆえに家族が離ればなれになってしまった孤独な話が多かったのに、それ以上の幼少期の思い出についていろいろなことを話してくれました。母が「脱植民地化」という言葉が分からなくても、母が辿ってきた道を語ってくれたこと。それを聞いて二人で涙を流せたこと、それがすごく解放になったんです。私が在日の置かれている状況を理解できていなかったら母の痛みは分からなかったから、こうして話せたことはお互いにとってギフトだったと思います。だからこそ、脱植民地化についてもっと知りたいし、ZINEを作り続けたい。母に知ってもらいたいというよりも、在日の歴史や植民地主義を知ろうとしている私がそばにいること、それだけでいいのかなと思って。
―今回日本に来て、お母さんをイメージしたタトゥーを入れたと聞きました。
sohee:そうなんです! 背中に母娘のライオンを入れました。母はもともと私がタトゥーを入れていることも知らなかったので、「どんな反応するかな〜」と思いながら、「ママとソヒをイメージして入れました〜! ママのソウルアニマルがライオンやからこれにしたんやで!」って言って。そしたら微笑みながら「ふ〜ん」って軽く反応されたので、タトゥー入れるのは全然大丈夫なんだって思ったんですけど。そうしたら、最終日にライオンのタトゥーの写真を撮りたいって言ってくれたんですよ。
その流れで、韓国のタトゥーアーティストに入れてもらった、ムクゲの花のタトゥーの話もしたんです。ムクゲは韓国の象徴的な花で、散っては咲いてを繰り返す、生命力の強い花です。そのタトゥーを見せたら母が驚いた顔をして、「これアボジのお墓にあるやつちゃう?」と言い始めたんです。韓国はお墓に家族のシンボルを彫るんですが、母のアボジ(韓国語で「お父さん」)のお墓にはムクゲの花が彫られているそうで。私はそんなつながりがあるとは知らずにタトゥーを入れたんですが、母はとてもうれしそうにしていました。
Isao:その話、リアルタイムで聞いた気がする! おじいちゃんがもともと教育の仕事を目指してたって話もしてたよね?
sohee:そうそう。母は彼女が高校三年生のときにアボジを亡くしているので、もっと彼のことを知りたかったってずっと言っているんですが、それでも記憶にある限りのことを話してくれて。済州島は高麗・朝鮮王朝期において、政争に敗れた官僚や王権に批判的だった学者などが流刑に送られた土地でもあるんです。そして、近代には「四・三事件」があって。母のアボジはそんな済州の血を引き継いで、関東の朝鮮大学を出てからずっと朝鮮学校の先生を目指していたんです。しかし、なかなか仕事が見つからず、工場勤務を経て朝鮮学校で掃除などをする従業員になったものの、家庭もうまくいかずアルコール依存症になって亡くなって。でも、本当にやりたかったことは、学校教育なんです。そして最近になって、彼が教育者として専門にしようとしていたのが歴史学だったと知りました。
それで母は「サキは雑誌もやってるし勉強好きやろう? ほんまにアボジの生まれ変わりみたいや」って言うんですよね。私が「私の言ってること伝わってる!?」って半ば怒りながら問い返して、喧嘩になることもあるけど、それでもなんでか一緒に涙が流れてしまう。そういう瞬間が、恵みだなと思います。
saki・sohee
済州島の血が流れる在日コリアン四世。日本からアオテアロア・ニュージーランド、台湾と、拠点を変えながら、学び働き暮らしてきた。現在は東京在住。ディアスポラの生、多言語の交差点に焦点をあて、編集や通訳を行う。
酒井功雄
2001年、東京都出身。環境アクティビスト。日本・東アジアで脱植民地主義を考えるZINE「Decolonize Futures—複数形の未来を脱植民地化する」エディター。2019年2月に学生たちの気候ストライキ、”Fridays For Future Tokyo”に参加、2021年にはグラスゴーで開催されたCOP26に出席。米国インディアナ州のEarlham Collegeで平和学を専攻し、2024年に卒業。ケンタッキー大学院地理学修士課程在籍。
プロフィール
Decolonize Futures —複数形の未来を脱植民地化する
「Decolonize Futures —複数形の未来を脱植民地化する」は、日本/東アジアにおける植民地主義の根深さ・脱植民地化の必要性についての議論を行い、複数形の未来の可能性を作るためのZINEプロジェクト。文化や政治、歴史、学術など様々な角度で、歴史的な暴力および今の社会に続く植民地主義を批判し、脱植民地化についての言論空間を開いていくことを目的とします。
プロジェクト情報
me and you little magazineは、今後も継続してコンテンツをお届けしていくために、読者のみなさまからサポートをいただきながら運営していきます。いただいたお金は、新しい記事をつくるために大切に使ってまいります。雑誌を購入するような感覚で、サポートしていただけたらうれしいです。詳しくはこちら
*「任意の金額」でサポートしていただける方は、遷移先で金額を指定していただくことができます。
あわせて読みたい
声のポスト
「欠落」と「痛み」/氾濫しながら不足している/私とあなたは、私の想像以上
2025/08/15
2025/08/15
声のポスト
「集団自決」から生き残った祖母、フィリピンにいた曽祖父、ウクライナに住む知人…
2024/08/30
2024/08/30
同じ日の日記
ディアスポラの生とセンチメントを辿る、ケアと思考のこと
2023/03/28
2023/03/28
同じ日の日記
チュンジョハルモニたちが生死をかけて渡った海の先で今、私も生きている
2023/02/24
2023/02/24
newsletter
me and youの竹中万季と野村由芽が、日々の対話や記録と記憶、課題に思っていること、新しい場所の構想などをみなさまと共有していくお便り「me and youからのmessage in a bottle」を隔週金曜日に配信しています。
me and you shop
me and youが発行している小さな本や、トートバッグやステッカーなどの小物を販売しています。
売上の一部は、パレスチナと能登半島地震の被災地に寄付します。
※寄付先は予告なく変更になる可能性がございますので、ご了承ください。