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同じ日の日記

巡る思考は、帰る場所を忘れた/saki・sohee

ディアスポラの生とセンチメントを辿る、ケアと思考のこと

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2022年10月は、2022年10月31日(月)の日記を集めました。社会と日常の問いを見つめるマガジン『over and over』のエディターで、現在は台湾で暮らしているsaki・soheeさんの日記です。

この街で雨が数日続くなんて稀で、滅多にない連日の雨天に何より体が追いつかず、頭が重い。ねっとりしたジャズボーカルでも聴こうといざプレイリストを開いては、早々に止めてしまった。思春期のような素直じゃない気持ち、鬱々とした頭の動き。真撃に愛を訴えるにぴったりのクラシックジャズがその日の湿気とぶつかってしまいそうで、聞き続けるのはなんだか気が引けてしまった。

この湿度にはEtta Jamesが唄う“Stormy Weather”なんかピッタリなのにな、と私は静かに嘆きながらベッドに戻り、体の力を抜こうと横になった。ブリッジも転調もない、雨の音の重なりが永遠に続く。充実した週末の後のバーンアウトと重なって、予定はないが余裕もない月曜日の午後3時。

『模範郷』の舞台でもある台湾中西部の都市・台中で住み始めて二年と少しが過ぎた。あの一冊にリービ英雄が綴るように、台湾は「ねばねばするような光」で包まれている。そんな中でも台中はまっすぐで強い陽射しが照る街だ。台中はこの時期ほとんど毎日快晴に恵まれているので、雨に濡れた街の様子をすっかり忘れていた。季節の変わり目を印すように降る、雨。

私は、見慣れた風景こそが変わってしまうことを恐れている。そして何も変わらないという普遍性の無限さにも。思考は矛盾に満ちる。矛盾しているからこそ、いつも私は、そして一度始まるととても長い間、思考の中であちこちを彷徨っているのだ。

でも雨だからか普段の思考回路とは違う方向にハンドルが傾く、珍しい感覚。

稀なことというと、昨日起きてすぐの感覚を思い出す。感覚が映像に変わって、昨日同じようにベッドに横たわった自分が映し出された。

沢山の人と同じ空間や時間を共有した次の日は、一人だけの時間をたっぷり取ることを決めている。楽しかった思い出を楽しいことのままに探求するための、自分のソーシャルバッテリーのキャパを見越したライフハック。この土曜日もイベントが立て続きであったので、スケジュール帳の日曜日の空欄に「一人で過ごす」と書き込んでいた。

けど来たる日曜は、公式化された「いつも」に当てはまらなかった。起きた途端に襲われる孤独に、寝ぼけながらもすぐに気づく。昨晩、夜が朝になるまでお酒も音楽も人も溢れた場所で過ごして、しっかり疲れたはずなのに。

他者の言葉を証拠に、楽しかった昨夜が嘘じゃないというリアシュアランスが必要だった。朝起きて特になんにもない一日だったとしても、そんな今日こそあなたと居れたことが幸せだったと言ってほしい。そんなことを思って、ボサボサな髪の真上に伸ばし広げた手のひらを見つめる。この部屋で唯一動作を見せるのは私の指だけで、なんだか寂しかった。

こんなことを5年前までは頻繁に考えていたことを思い出しながら、それを過去のこととして捉えている自分に驚いたし、それほどに自分は変わってしまったのだ。5年前。初めての移民生活が始まって間も無く押し寄せる孤独という恐怖に歯向かって私は、一人でいることはクールなことだと定義付けた。自己決定を妨げられる事実を伝えられる前に、一人で最高に遊んだのだ。弱さを伴う一人間が出逢う「寂しい」という感情を見つめる暇もなく、蓋を閉めて海に流した。代償は、ある意味ケアレスな冷たな世界。一人に全てを押し当てるように、他者から全てを離すように、ひとりぼっちの「寂しい」を認めずに世界に満足しようとする。「寂しい」は“悪者”だと、その頃の私は冷たい心で決めつけていた。

結局昨日は誰かに会うことはなく、ただただ友人たちに「一人で寂しい」とLINEした。文面上でかまってかまってと騒ぐ私は、聞こえない誰かの言葉で安心しようとするが、私は「そうじゃない」ことを分かっていた。それでも今日は一人でいて、「寂しい」と感じることを許そう。自己と他者の関わりにおける個人主義的正義から決別する、精一杯の第一歩。メモアプリを取り出してそそくさとタイプした、「リマインド:私は、いつでも変容できうる」。

そんな昨日の出来事を、今日の私は回想する。

ベッドに横たわるのに飽き飽きしてしまい、のしかかる“重さ”に抵抗しながら立ち上がって、私はトレーシングペーパーを手に取った。窓に紙を押し当てて、一つ一つ、水滴をなぞる。まんまるなしずくをぐるぐると縁取る。滴るしずくを、追いかけるように線引く。夢中で、いつかどこかに流れ落ちてしまう水滴のほんの一瞬の姿を、一生懸命記録した。自然が魅せる形や色の在り方は、私たちの想像力を軽々と越える。

私は長い思考に一旦区切りをつけたことに、少しだけホッとした。

脳の中で起こる思考や想像の連鎖も、必ず、「起こっている」といえるのに、証拠は私の中にしか残らない。脳内の思考を辿るということは私にとって立派なスケジュールなのに、「友人とカフェに行く」や「〇〇時にミーティング」みたいな予定とはなんとも違うの、不思議じゃない?

でも今日だけは、この結論づかない複雑な思考が存在することを、誰かに見ていてほしかった。私と私だけの静かな対話じゃ、足りない。全て私の脳内だけに残すのが、今日だけは、惜しかった。

雨よ、私の負けだ、と呟いて、最近同じアパートに引っ越してきた友人を呼んだ。第三言語での生活を互いに支え合うのに、歩いて15秒の距離に住んでいるのは心強いし、何より楽しいに尽きる。今日だって、勉強しようと理由をつけて、本当は会いたかっただけ。雨にも謝る、勝ち負けも二元論もブルシットだねと。

「そういえばね」といつものように、それぞれの内に静かに巡る思考の共有が始まる。そのうちにジャズの話になった。ジャズのことを考えていたのも、ずっと前のことみたい。とても、遠いところまで来たんだ。

「晴れの日にジャズを聴くとあまりにもぶち上がってしまうから、雨のこのズンとした時に聴くぐらいがちょうどいいんだよ」と返ってくる声。

私はいつもどおり、帰るところの知らない思考を、離れたり近づいたりしながら、辿るんだ。

saki・sohee

兵庫育ち、済州島の血が流れる在日コリアン。日本からアオテアロア・ニュージーランド、そして現在居住する台湾と、拠点を変えながら渡鳥のような生活を過ごす。社会と日常の問いを見つめるマガジン”over and over”エディター、植民地主義の歴史を問い直すプロジェクト”複数形の未来を脱植民地化する”主催。ディアスポラの生と人権、インターセクショナリティや多言語空間に焦点を置く。

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