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同じ日の日記

記憶は嘘じゃないと海で叫ぶ/saki・sohee

チュンジョハルモニたちが生死をかけて渡った海の先で今、私も生きている

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2022年9月は、2022年9月25日(日)の日記を集めました。公募で送っていただいた、saki・soheeさんの日記です。

「こんなはずじゃなかったのに、こんなにも美しいって何なんだ」って、海に来るといつも思う。私がここに確かに立っていて、どこからかやってきた波が足の指先を触れるとき、私とチュンジョハルモニの影が微かに重なる。海と空の境界線のその先を見つめながら、「全ての記憶は嘘じゃない」と小さく、強く叫んだ。

週末から台湾の南方にある旗津(きしん)という島へ休暇に来ている。昨春に遊びに訪れてこの島の虜になった私と友人は、まだ暑い夏が続く今日、念願の再訪問を果たした。海岸線を自転車で全力疾走し、二人ともくたくたになりながら向かった目的地のカフェはまさかの定休日。「やってらんねーね」とぐだぐだ言いながら浜辺に向かった。旅程が上手くいかなくても、海を目の前にして心は落ち着きを見せる。少しずつ、揺れる波が近づいてきた。

浜辺に着くとすぐにビーチタオルをしいて、私はその上にバタンと寝そべった。夕方の5時、まだ空は青くても知らないうちに太陽の位置は変わっていて、水面にキラキラと光が反射する。キラキラを見つけるたびに私はとびっきり喜んだ。海の傍で貝殻を拾って、キラキラが姿を見せる度に夢中で水面を眺めた。

目に入る人たちそれぞれが海の前に見せる眼差しはこの時間の海辺に似ている気がする。穏やかであったり、厳しさを持ち合わせていたり。あなたは、何を想って見つめるの。

海に行くと決まるといつも、海との記憶の中に点在する感情をどうにかほぐそうと頭の回線が熱くなる。在日コリアンであり、非母国で生きる移民でもある私と、全てを手放し日本へと海を渡ったチュンジョハルモニたち。消し去られた記憶の中で、きっと唯一、私たちが交われる場所。それが私にとっての海。

蓋をしている記憶を心の準備なく思い出すことが怖くて、何日もかけて過去を見つめたり、遠くに押しやったりして、やっと海に遊びに行く日を迎えることができている。シチューをコトコトと煮込むようにゆっくりと時間をかけて思考を巡らせる作業。そしていつも、そんな思考の無限の細やかさに溺れそうになる。今回この島に来る前も、多元的な記憶たちをひたすらに辿った。

チュンジョハルモニとは、朝鮮語で「ひいおばあちゃん」を意味する。ふとした大事な瞬間や、こうして海に行く準備をするとき、真っ先に頭に浮かぶのはいつもチュンジョハルモニの存在だ。

済州島で暮らしていた彼女たちが日本に渡ってきたとき、朝鮮半島は分断の道を辿ろうとしていた。四・三事件の少し前だったらしい。自分たちが毎日見た故郷が無くなろうとしていたことを、そして当分の長い間この土地に帰れないことを頭のどこかで分かりながら、どんな想いで海を渡る決断をし、故郷を離れたのか。聞きたいことが浮かんでは、彼女の名前や顔すら知らないことを思い出して、そんな思考を手が届かないところに追いやる。

海の向こうでの新しい生活でも厳しい差別がすぐ傍にあった時代に、彼女は何を想ったのか。チュンジョハルモニにとっての、海とは。

済州の波の音や潮の匂いを私はまだ知らない。けれど海を渡ることは、私個人の経験としても重なる記憶のように存在する。

16歳の私は、ひとりぼっちに襲われながら海岸沿いでよく泣いていた。初めてひとりで飛行機から一面に広がる青を見渡したあのとき、こんなことになるとは思っていなかった。「子供だから」「女子だから」「在日だから」。やっと別れることができたそんな声から、遠ざかるほどにホッとした。けれどそんな安心や期待はどこに行ってしまったのか、もう私には分からなかった。

新しい環境になり初めて「소희(ソヒ)」と名乗る私は、本名なのにそれがどうにもしっくりこないように、使う言語も見る景色も違うこの土地と寄り添い合えなかった。「在日だから」は、「フェイク日本人だから」に変わっただけ。こわい声からは、別れることができたと“思った”だけだった。逃げ出す/追い出されるように地元を出たものの、南半球はニュージーランドで高校に通い始めたその頃の毎日でも、結局は帰る場所をずっと探していたように思う。

2年半過ごしたその街は、海を囲み、海に囲まれるように陸地が続いている。また違う海の先、今いる台湾から思い出すその土地での記憶は、そこでみた海のように輝いてはいない。

どこかに帰りたい気持ちに歯向かうように私は、ホームステイが与えてくれる温かい一軒家に戻るのを拒み、時にひとりで浜辺に寄る。重なる移民性による混乱を、祖国の概念を、波に流してほしかった。在日が誰を指すのか、韓国語を話せない私には分かる術はない。教科書には書かれない私たちの歴史と付随する記憶は“無い”から“嘘”であり、故郷がどこか自分でさえ知らないのに「帰れ」と言われる。

もう私には、分からなかったんだ。そのままに居るだけじゃ見つからない答えを海と空の境界から必死になって探しながら、浜辺で夕焼けを何度も何度も眺めた。聞こえてくる、「在日への差別ってとっくに終わったことでしょ」と、今がもう過去であるように投げ捨てられる声。自己を守るための強さと引き換えに、私は耳をふさいだ。ふさぐことができた。

世界の重さをそのままに抱え込んでいたあの頃の私を、私は海に行くたび抱きしめて叱る。答えが出せず流した涙の全てが自分のせいじゃないって、何度も自分に言い聞かせること。それでいて、自分が色んな声から逃げだせることができる特権から目をそらしたことに、折り合いをつけず考え続けよと静かに怒ること。特権とマイノリティ性。被害と加害。それらを端と端に押しやろうともできないぐらいに、私がグチャグチャに混ざりあうなかで、あの時にひとりでみた夕陽を思い出す。それをもう一度見ようと、旗津の水光を眺める。

チュンジョハルモニなら。

返ってくる声はないままに、海は、日が落ちるまでずっとキラキラしていた。

チュンジョハルモニたちが生死をかけて渡った海の先で今、私も生きている。彼女たちが作ってくれた道を通り、私はここに辿り着けた。でも悲しいかな、傷やトラウマは世代を超えて共有され、ぼんやりした境界線の奥にある遠くの故郷を焦がれる私たちの視線は変わらない。教えられない過去、歴史的存在としての在日コリアン、そしてそれ以上の私たちの生を包み込むように無限に続く波は、皮肉にも悔しさと安心感を同時にみせる。愛しくて、辛くて、全部複雑。

海を渡ったものとして生きる、チュンジョハルモニと私。
海だけが知ってる。海は、何を知ってるの。

見切れないほど広大な海を前に、チュンジョハルモニのこと、ディアスポラとしての毎日を想いながら。夏に観た映画のセリフみたいに、「私たちは無限だ」って、今日も波の前で感じた。

saki・sohee

兵庫育ちの済州島の血が流れる在日コリアン。日本からアオテアロア・ニュージーランド、そして現在居住する台湾と、拠点を移動しながら渡鳥のような学生生活を過ごす。社会と日常の選択を考えるマガジン”over and over”エディター、植民地主義を再考し問い直すプロジェクト”複数形の未来を脱植民地化する”主催&マガジン制作中。

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