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i meet you

二度閉店しても復活。台湾のフェミニスト書店「女書店」に集う女性たちの静かな革命

時代も世代も超えて女性たちの経験を共有する連帯の場

社会のことから、ごく個人的なことまで。me and youがこの場所を耕すために考えを深めたい「6つの灯火」をめぐる対話シリーズ、「i meet you」。台湾で暮らす燈里さんの案内で、フェミニズムの本を扱う書店「女書店」の代表のソン・スンリエン(宋順蓮)さんにお話をうかがいました。このテキストは、me and youの本『わたしとあなた 小さな光のための対話集』にも収録されています。

※この取材は2021年10月に行われました。

台湾大学の近隣の細い小道を歩くと、あちこちに小さな独立書店や古本屋さんを見かけます。そのなかには、夜に若者で賑わうライブハウス「女巫店(魔女の家)」があり、その二階、紫色の看板が掲げられているのが「女書店」です。女書店は1994年に台湾初のフェミニスト組織である婦女新知基金會(※1)によって設立された、中国語圏初のフェミニスト書店です。女性の文章を読み、女性の声に耳を傾け、女性の経験を共有する場を提供したいという理念に沿って、フェミニズムに特化した本の販売と出版の他、多様なイべントを主催し、時代と世代を超えてコミュニティを形成してきました。その貢献を称え、女性の権利向上に貢献した団体などを指定する臺灣女性文化地標(※2)に指定されています。

現在、女書店の代表を務めているソン・スンリエン(宋順蓮)さんに、書店の歴史や活動の紹介とともに、30年に渡る女書店との関わりを伺いました。女書店が主婦であったソンさんの人生の転機となった背景には、民主化運動や女性運動に鼓舞された女性たちの連帯と「静かな革命」があったそうです。外への扉を閉じられた経験があったからこそ、「自分の姿をどんどん見せていきましょう」と繰り返しお話しされていた言葉に熱と説得力がこもっていました。

「人々はここで青春時代を過ごし、フェミニズムの本を栄養のように摂取しました」

―女書店の歴史について教えてください。

ソン:女書店を始めたのは大学教授のグループだったそうです。彼女たちは海外でフェミニズムの本を専門に取り扱う小さな書店を見かけて、「台湾にもこういう書店がほしい」と強く思ったと聞いています。アクティビストであり、働く女性でもあった教授たちは、わたしたちが今いるこの場所を借りて女書店を立ち上げました。その教授のグループと婦女新知基金會という台湾の女性人権の活動理念が合致し、ともに協力して女書店を運営していくことになったのです。

婦女新知基金會は、もともと「girl」という名前でクラブ活動をしていた団体が、1982年に女性の権利に関する雑誌を出版する出版社である婦女新知雜誌社(※3)として立ち上がりました。そして、台湾で戒厳令が解除され、たくさんのNGOや社会運動団体が結成された1987年に今の名前に改名しました。婦女新知基金會は女性の権利を提唱し、直接的に闘争していました。一方、書店は静かな革命とでも言いましょうか。女書店に来れば、静寂のなかで心に響くものに出あうことができます。文化であり文学である本を通して若者の意識を変えようとしたのです。1994年のことでした。

二度閉店しても復活。台湾のフェミニスト書店「女書店」に集う女性たちの静かな革命

女書店

二度閉店しても復活。台湾のフェミニスト書店「女書店」に集う女性たちの静かな革命

ソン・スンリエン(宋順蓮)さん

―雑誌の出版活動や出版社が率いたウーマン・リブの流れに女書店の立ち上げがあったということですが、婦女新知雜誌社は戒厳令(※4)の厳しい言語統制のなかでどうやって活動できていたのでしょうか。

ソン:わたしは直接関わってはいませんが、雑誌の発行は可能だったようです。特にフェミニズムに特化した雑誌は政治的だとは見做されなかったのです。政治的な問題を探究したり、解決するために読書会を開いたりすると厳しく罰されましたが、フェミニズムの読書会は婦人会のように思われていて、あの時代を切り抜けるのは難しくなかったそうです。

―どんな人々が女書店を訪れていますか?

ソン:書店が二階にあるということもあって、ウィンドウショッピングでここに立ち寄る人は本当に稀で、お客さんは大抵なにか目的や好奇心を持って訪れます。せっかく来てもらったので、スタッフがお客さんに声を掛け、いくつかの本をおすすめしています。台湾大学が目の前なので大学生も多いですね。パンデミックが始まる以前は海外から訪問する人も多く、付箋にメッセージを残してもらっていたので、今も店内に貼っています。お客さんは女性やセクシュアル・マイノリティが多いですが、そのカテゴリーに入らない人々もここに足を運び、安心してもらえているようです。

二度閉店しても復活。台湾のフェミニスト書店「女書店」に集う女性たちの静かな革命
二度閉店しても復活。台湾のフェミニスト書店「女書店」に集う女性たちの静かな革命
二度閉店しても復活。台湾のフェミニスト書店「女書店」に集う女性たちの静かな革命
二度閉店しても復活。台湾のフェミニスト書店「女書店」に集う女性たちの静かな革命

店内にはスケッチブックが置かれ、訪れた人たちのメッセージが残されている

―ソンさんから見て、女書店にはどんなコミュニティがあると思いますか?

ソン:これまで二度この書店を閉店しました。2003年と2017年のことです。資金が尽きてしまったためでした。フェミニズムの本は安定して売れるとは限らず、大きな利益になりません。十分な広告費がなかったために本を周知させられず、本を買ってもらえないという悪循環に陥りました。経営難を乗り切るために店を閉め、本を電子書籍化してオンラインショップのみにすることを検討したり、出版事業のみに専念しようとしたこともあったりしましたが、マネージャーがこの場所を維持したいとこだわりました。二度閉店したけれど、その度に復活して今も何とか継続しています。

店を畳むと発表する度、多くの人々が惜しんで書店を訪れ、まとめて本を購入してくれました。二度目の開店の際はわたしも現場にいて、たくさんのボランティアがこのスペースをリノベーションする手伝いをしていました。あの壁を黄緑色に塗ってくれたのもボランティアの女性たちです。それだけ多くの人々が女書店の活動の継続を望んでいたということです。

人々はここで青春時代を過ごし、フェミニズムの本を栄養のように摂取しました。彼女たちは中高年になってからこの場所に戻ってきて、それぞれの物語や女書店に対する気持ちを共有してくれるのです。みんな自分たちの一部を形成したと感じるこの場所に戻ってきます。それを見ると報われた気持ちになりますね。わたしたちがこの本屋をこの場所で続けたいと思う理由もここにあり、使命だと感じます。フェミニズムの本だけ売るというのがわたしたちの基本的価値観で、台湾においてフェミニズムの思想を示す場所の一つにもなっています。

二度閉店しても復活。台湾のフェミニスト書店「女書店」に集う女性たちの静かな革命

ヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』にインスピレーションを受け、女書店の店内にはウルフの絵や写真、モチーフがあちこちに飾られている

トラックに本を積んでフェミニズムの理論を伝える、学校の図書館にフェミニズムの本棚をつくる

―女書店は現在までに60冊以上の書籍を出版しているそうですね。日本の読者におすすめの本があれば教えてください。

ソン:2002年から2004年にかけて台北市婦女新知協會(※5)の理事長をしていたとき、『玩布姐妹(布―結びあう女たち)』という女性と布についての映画を制作する企画に関わりました。台北の迪化街には大きな布市場がありますが、布が大量に廃棄されていたんです。その布を回収して、布を用いたワークショップを行うことを通じて、参加者の女性たちにフェミニズムの視点を紹介しました。現代アーティストたちの指導も入り、布遊びが作品制作へと一歩踏み出すことになりました。

人は生まれるときも死ぬときも毛布と一緒です。参加者にとって毛布がなにを意味するのか質問し、その答えに基づいて女性たちがそれぞれ毛布をつくり、互いの物語を語り、丁寧に聞き合いました。他の参加者の話に共感して涙する人も多かったですね。映画ではさまざまな女性たちの興味深い物語を記録しています。選挙で使われる広告を材料にしてズボンを縫ったりね。公の場や身近なところにある意外な材料を使ってフェミニズムの精神を表現するというのは非常におもしろい試みでした。映画のあと、ワークショップの記録やインタビューなどを掲載した『女人生命歷程與布的對話(ある女性の生活史と布を通じた対話)』という本も出版しました。理事長として、わたしも本のあとがきに文章を寄せています。

『玩布姐妹』の予告編。布の作品は2016年に鳳甲美術館で『共享的溫度 – 玩布姐妹的參與式藝術計畫(温度の共有 ー布遊び姉妹の参加型アートプロジェクト)』と題した特別展で紹介された

―女書店は本の出版と販売の他に、講演会などのイベントも定期的に開催しているそうですね。

ソン:今年(2021年)は例年よりも忙しく、毎週金曜日から日曜日は連日イベントを主催しています。例えば、毎年夏にここでフェミニズムの授業を開講しています。10~15種類の授業から選べて、毎年人気のイベントです。今年はパンデミックだったのでオンラインで授業を開講したらあっという間に満席になりました。オンラインにして良かった点は、ニューヨークから特別ゲストを招待できたこと。パリからの参加者もいて、励みになりました。障壁なく誰でも参加できるオンラインには新しい可能性を見出しています。

二度閉店しても復活。台湾のフェミニスト書店「女書店」に集う女性たちの静かな革命

店内で行っているイベントの様子

―書店だけでなく、他の場所に赴いてフェミニズムについて伝えていく活動も行っていると伺いました。どんな活動がありますか?

ソン:台灣女書文化協會(※6)やロータリークラブの女性会員、学校と協力して、地方の学校の図書室にフェミニズムの本を寄付し、フェミニズム特集の本棚をつくるという企画も行っています。去年(2020年)は5校、今年は現時点で2校でこの企画を実施しました。実はこの企画は先生向けでもあります。もちろん子どもたちに読んでもらうために寄付した本ですが、まずは先生たちに手に取ってもらいたいのです。先生こそフェミニズムを学び、生徒たちに教えられるようになるべきだと思うからです。子どもたちはなかなか自分からはこういう本は読まないと思うので、先生が導き、本に意味と価値を与えてくれることを期待しています。

この学校の取り組みで図書室に置かせてもらった本のなかには、『眾女成城』という台湾のウーマン・リブの歴史を扱う本があります。2014年に女書店が出版した本なのですが、最近出版イベントとして、女性解放運動の歴史について、政治、文化、環境など8つの異なるテーマセッションに分け、各専門家を交えて対談するオンライントークイベントを無料で行っています。「世代對談」と言って、若者から中高年まで異なる世代が対話する機会にしています。先週第一回目のセッションが終わったばかりで、早速300人もの参加者がいました。これも台灣女書文化協會と女書店が連携して行っている取り組みの一つですね。

二度閉店しても復活。台湾のフェミニスト書店「女書店」に集う女性たちの静かな革命

『眾女成城:台灣婦運回憶錄』。上下巻ある

ソン:女書店の本をトラックに積んで国内を回り、フェミニズムの理論を伝える取り組みも毎年恒例で開催しています。例えば、台中市には小さな独立書店が多くあるので、施設を貸してもらい、地元の人々と専門家を招いてフェミニズムについてレクチャーを開講したりですとか。近年始めたばかりですがすでに話題になっている企画は、希望者の家に毎月女書店が本を一冊送るというものです。どの本が届くかは受け取るまでわかりません。年間で3600台湾ドルです。参加者は非公開のFacebookページで本の感想を共有して交流することもできます。

「自己表現し続ければ、あなたを知る人がチャンスをくれるはずです」

―台湾のジェンダー平等を前進させているのは、ソンさん含めアクティブシティズンの連帯の力だと考えています。女書店だけでなく、台灣女科技人學會(※7)や台灣婦女團體全國聯合會(台湾全国女性団体連合会)(※8)などさまざまな女性団体の代表を務めていらっしゃいますが、今の台湾の状況をどのように感じ、向き合っていますか?

ソン:昔から婦女新知基金會は台湾にあるさまざまな女性団体と連帯し、女性の権利とジェンダー平等のために法改正を主張し、政策に提言してきました。ジェンダーや性別に関わるものを中心に、民法、労働基準法、教育基本法など、数多くの法に基金は影響を与えてきたと思います。

例えば、性別平等教育法、性別工作平等法(日本の男女雇用機会均等法に類似)、防暴三法(セクハラ防止法、連続性暴力に関する改正条文、家庭内暴力防止法改正条文)の制定に貢献しました。このように台湾が法改正できたのはボトムアップで取り組んだ成果です。すなわち、草の根で活動をしていた市民団体や民間のNGOが立法院(国会に相当する国家機関)を動かしたのです。

つい先日、高等裁判所がトランスジェンダーの変更に手術証明書を要求することは憲法違反であるという判決を出しました(※9)。台湾はジェンダーの平等に関して着実に前進していますね。ただ、法改正自体に満足してしまって、本当に日常生活においてもジェンダー平等が実現しているかという議論は十分なされていないと感じています。例えばジェンダー教育ですが、台湾の教育制度自体は遅れていて非常に古いままになっています。学校の先生たちがみんなジェンダーの問題に意識を向けているとは言えません。政府を監視し、法を変えること、そして現実社会を動かす役目も担っているのが、わたしたち市民団体とNGOです。

―さまざまな女性団体で活動してきたソンさんが、女書店と関わるようになったのはなぜなのでしょうか?

ソン:この書店の会長の任期は2年です。前任の会長は70代の元大学教授で、書店の運営を継げる人を探していましたが、なかなか見つからず困っていたようです。彼女は女性の科学者とエンジニアの国際的なネットワークをつくり、台灣女科技人學會の立ち上げを行い、わたしもその協会で常務監事を務めていました。わたしは薬剤師の知識と経験を活かした事業で生計を立てているのですが、彼女はわたしが会社を経営していることを知っていて、経営難の女書店を託そうとしたようです。 声が掛かったとき、最初は断りました。本を嗜む上品なやり方はわたしに合わない、 と言って(笑)。とは言え、誰かがこの場所を引き継がねばならないとも思いました。

結局この書店の会長になることを決意したのは、もう一つ大切な理由があります。1994年、わたしが33歳のとき、婦女新知基金會のオフィスがこの場所にありました。当時はボランティアを集い、離婚に関する法律や家事事件法(家庭の紛争に関する法律)にまつわる女性の声を集めていたんです。あの頃は離婚が成立すると女性のすべての資産は夫に明け渡されることになっていました。家から子どもまですべてです。離婚する夫婦で意見に相違があった場合、夫の意見に従うようにとまで法に書かれていました。離婚して法廷に行き親権を訴えても、法廷はただ法に従い夫側に親権を渡していました。不平等だと思うでしょう。それで離婚法を変えるために活動を始めました。法改正の前に、まずは人々のリアルな声を電話で集めようとし、わたしもボランティアの一人として週に2日、2時間ずつここに通いました(※10)

―女書店ができる頃に、婦女新知基金會とはまた別のかたちで関わっていらっしゃったんですね。

ソン:この経験には非常に勇気づけられましたね。それまで自分は良い妻でも良い母親でもないと思い込んでいました。女性は従い、従い、そして従うようにという教育を受けてきたら、そう思うでしょう。それが女性のあるべき姿だと。わたしたちは何でも用意して、家を綺麗に整理整頓するのが役目。そういうしつけを受けてきましたね。年子の子どもが二人いましたが、わたしはどうしても外で働きたかったのです。でも夫からは働かず家にいるように言われました。働くならば二度と敷居を跨ぐな、と。もちろんカッとなってそういうものの言い方になったのはわかりますが、どうしてわたしがあなたに従わなければならないの?と思いましたね。悔しさでいっぱいになり、苦しみました。自分は良くない女なのだと思わされました。その思いがあったからこそ、財団での活動が刺激になり勉強になりました。

理論的な裏付けを得て、わたしが求めているのは基本的人権なのだと気づき、自分がなにをすべきなのかやっとわかりました。この場所はわたしにとって個人的に意味があるのです。書店に資金が必要なときは惜しまず投資してきました。薬剤師の事業は波に乗りお金は十分あって、恩返しするときだと思いましたから。お金が戻ってこないのはわかっていましたよ。支援の気持ちでしたね。

―もう従わないと決めたソンさんが今のキャリアを築き、経営難の女書店に戻ってくるまで、どんな思いがあったのでしょうか。30代の頃のソンさんと似たような立場の女性たちへアドバイスはありますか?

ソン:学び続けること、そしてチャンスを掴むことですね。友達でも良いので、外の世界に自分の姿を見せていきましょう。決して隠れてはいけません。顔を出して自己表現し続ければ、あなたを知る人がチャンスをくれるはずです。

わたしの場合は社会復帰を夫が許さず、家で息子二人の面倒を見ている間も、ずっと科学誌の記事を読み続けていました。大学時代の女性の教授は「あなたがどうして家にいるの」って怒ってくれましたね。それで翻訳のバイトの仕事をわたしに回してくれ、毎月3〜5本の記事を訳すようになりました。科学者向けに科学誌の英語の記事を読んで、250字程度で中国語の要旨を書く仕事です。この翻訳業務は大した収入になりませんでしたが、とにかくやらずにはいられなかったですね。 もっと勉強したいという思いがありました。当時子どもたちはまだ一歳と二歳でとても小さく、昼寝の時間に勉強していました。

社会に戻ることは簡単ではありませんでしたが、そうして専門分野に細くでもつながりを持っていたことで、のちに復職できたんだと思います。いつでも準備万端にしておいて、誰かがチャンスを持って来たとき「わたしがここにいます!」って挙手できるようにしておくこと。そうすればチャンスを自分のものにできると信じています。


※1:婦女新知基金會は、台湾における男女平等と女性のエンパワーメントのために戦う非営利の法律・政策提言団体。1970年代から80年代にかけて戒厳令下の台湾の民主化運動から生まれた婦女新知基金會は、女性は公私ともに権利と尊厳を与えられるべきであるという信条のもと設立された。1982年の設立以来、同財団は台湾のフェミニズム活動の最前線に立ってきた。公教育運動や草の根の団体結成・連帯を通じて、抑圧的な家父長制の制度や規範を解体する文化的・政治的変革を先導してきた。女性のリーダーシップと政治参加や職場における男女平等、生殖に関する健康と権利と教育を推進している。

※2:臺灣女性文化地標とは、台湾史において女性の権利向上に貢献した20の遺跡や団体、民族、教育機関を指す。 2005年に陳水扁政権下で中華文化總會が関連分野の女性の専門家を招いて調査、指定した。

※3:婦女新知雜誌社は、台湾の民主化運動で女性活動家が疎外され、台湾の文化や社会における女性差別に異議を唱えるため1982年に設立された。1987年に戒厳令が解除されるまで、この出版社は台湾で唯一の非営利の女性団体で、男女平等の推進に取り組んでいた。 発行した雑誌を通じて台湾におけるフェミニズムの言説を形成し、発展させ、夫婦間の不均衡な力関係など、当時論議を呼ぶテーマを積極的に論じた。また、メディアによる女性の性的モノ化、性別の偏見に基づいた民法や刑法について、公開討論会や講演会を開催した。

※4:1949年から1987年の38年間、国民党の軍事独裁政権は、中国本土との交戦状態であるという設定のもと、戒厳令を敷き、思いのままに拡大解釈と乱用をし続けた。「白色テロ」とも呼ばれるその時代、政権は国民の一切の政治活動を封じ、基本的人権を奪い、言論・出版・集会の自由を厳しく制限した。民主主義と自由と平等を求めて政府に批判の声を上げた多くの人々が反逆行為や中国共産党のスパイとして起訴、 投獄、処刑された。犠牲になった政治犯は約1万人、銃殺刑に 処せられたのは1000人以上だと言われる。

※5:台北市婦女新知協會は、1994年に発足し、女性の救済を目的にさまざまな問題や女性の意識に関する講座を行う団体。台湾で初めて、高齢者や障害者の長期在宅介護を行う女性の支援や、中高年女性のセカンドキャリアを支援する活動も行っている。

※6:台灣女書文化協會は、 2020年に発足した社団法人で、1990年代以降の台湾の女性運動の精神を受け継ぎ、フ ェミニズム文学の文化の発展、 差異の尊重、男女平等の推進を目指す。女書店と共同で台湾の女性文学を普及するイベントを開催する。

※7:台灣女科技人學會は、International Network of Women Engineers and Scientists (女性のエンジニアと科学者の国際ネットワーク)の台湾支部で、科学、技術、工学、数学(STEM)分野における男女平等を目指し、意思決定の役職の女性の存在を促進することを目的としている。

※8:台灣婦女團體全國聯合會は、2001年に設立された女性団体。国内外の女性団体間の交流を強化したり、女性の雇用と起業の支援、母親の子育て支援など、女性の権利と男女共同参画を推進したりするための活動を展開する。

※9:2019年10月、性別違和の診断書は提出し、性別適合手術を受けていないトランス女性が、性別の変更の申請が拒否されたことから裁判を行った。2021年9月、彼女の訴えを支持し、性別変更を認める判決が下された。

※10:1994年以来、婦女新知基金會はジェンダー関連や家庭内の問題について法的支援やカウンセリングを提供するボランティアを養成してきた。現在も財団のホットラインは年間2000人以上に利用されている。

ソン・スンリエン(宋順蓮)

1982年に薬学部を卒業後、亞東紀念醫院(亜東記念病院)に就職。その後、非常勤で薬機法の分野に入り、7年間法律事務所で働くなかで「婦女新知基金會」と出会う。2006年には医薬品の法律を扱う微功商行有限公司を起業した。台灣女科技人學會の常務監事を務めた他、國際女科技人聯絡網工業與企業副會長の副代表なども務める。1994年より女性の人権に携わるNGOに関わり、2021年、中国語圏初のフェミニスト書店「女書店」の取締役会長に就任。

女書店

住所:台北市大安區新生南路三段56巷7號2樓(台大操場對面近辛亥路的第一個紅綠燈巷子口)
営業日:火曜日〜日曜日 11:00-21:00
定休日:月曜日・祝祭日

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『わたしとあなた 小さな光のための対話集』

編集:me and you(野村由芽・竹中万季)
発行:me and you
価格:3,850円(税込)
発売日:2022年8月20日

『わたしとあなた 小さな光のための対話集』| me and you little magazine

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