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i meet you

ひまわり学生運動の記録、反差別団体との連帯、文化と政治の接続。台湾のブライアン・ヒューと話して

社会問題や芸術文化から政治を捉えるメディアを運営し、DJや上映を行うスペースも運営

社会のことから、ごく個人的なことまで。me and youがこの場所を耕すために考えを深めたい「6つの灯火」をめぐる対話シリーズ、「i meet you」。台湾で暮らす燈里さんの案内で、『New Bloom Magazine』などのメディアを運営するブライアン・ヒュー(Brian Hioe)さんにお話を伺いました。このテキストは、me and youが制作中のブック(クラウドファンディングの支援者の方々へのリターンの他、書店でも販売予定)にも掲載予定です。

ジャーナリスト、編集者、翻訳者、活動家、DJと様々な肩書を持って活動し、台湾の政治社会に関する有識者として数々のメディアに登壇するブライアン・ヒュー(Brian Hioe)。2014年から複数のオンラインマガジンを運営し、『New Bloom Magazine』では台湾の政治経済や社会問題の報道記事を、『No Man Is An Island』では芸術文化から政治を捉えるコンテンツを発信しています。また、ブライアンが執筆からデザインまで全て1人でつくり上げた『Daybreak Project』は、2014年に台湾で行われた「ひまわり学生運動」の百科事典であり、運動の参加者約100人による口述歴史の記録でもあります。『New Bloom Magazine』の拠点である「Tacheles」というスペースでは、トークイベントや抗議活動、展示、映画上映会など政治的なイベントを定期的に開催し、左翼・アナキストの若者たちの交流の場をつくっています。

台湾の社会運動史から生まれたメディア・コミュニティであり、アクティビズムの実践であるNew Bloom。その創立7周年を祝ってTachelesを訪れ、ブライアンからお話を聞きました。ひまわり学生運動がどのようにブライアン含む若者たちの人生を変えたのか、その変遷を辿りながら、物語を記録すること、コミュニティ同士が連帯してフェミサイドなどの社会問題に対して声をあげること、文化を媒介に社会と日常を接続し、仲間と共に差別と闘い続けることについて明るくお話ししてもらいました。ブライアンが歴史と時事を徹底的に追求することで、複雑な政治を紐解きながら、同時に創造的で実験的に社会課題にアプローチする姿勢を見習うところが多くあると感じました。

多様なスペース、雑誌、店、そして声と社会が生まれるきっかけを与えた「ひまわり学生運動」

―New Bloomはメディアでもあり、コミュニティを築いているよね。拠点であるTachelesではさまざまなイベントを行っているけれど、どんな人々が参加してる?

Brian:本当にいろいろな人が入り混じっているよ。例えば、台湾人や台湾系アメリカ人を中心とした大学生。学術関係者や研究者もよく来ていて、彼らは自身の研究テーマ、特に台湾の環境問題や原住民の文化といったテーマに関連したトークを聞きに来ることが多い。NGO団体の職員も、社会問題に関心を持っていて、その詳細や解決方法を知るために参加しているのをよく見かける。それから、活動家も。

こんな風にさまざまなグループがTachelesを訪れるけれど、みんな個人的な目的のためにイベントに来ていて、他の参加者とは関わらない。だから最近は、コミュニティ形成のためのイベントに力を入れている。台湾語や台湾原住民語を学ぶ言語教室と言語交換を主催したり、Tachelesにブランチを食べに来てもらったり、中秋節(台湾三大節句の一つで、10月1日に行われる)のときはBBQをしたり。ここに来る人たちが気軽に言葉を交わし交流できるようきっかけをつくりたいと思っている。実は、有識者に登壇してもらうイベントにはお金がかかるという金銭的な事情もあるんだけど。

―活動資金はどこから出ているの?

Brian:今はイベントの際のバーの売り上げだけが収入源だよ。立ち上げ当初、まったく資金がないところから始めて運営がギャンブルだった。でも、ずっと資金なしでギリギリやりくりする方法を模索してきたことが逆に活動の長い継続に繋がっているように思う。ひまわり学生運動後、僕たちと同じ時期に立ち上がった媒体は他にもたくさんあったけれど、結局数年で資金が尽きて更新や発刊を停止してしまった。ただ、僕たちもここ数年Tachelesという拠点を持つようになってからは収益を得なくてはいけなくなった。バーの売り上げだけでは拠点の家賃を払うのが厳しいから、運営方法を変えようとクラウドファンディングもやってみたんだけど、大した収益にならなかったんだよね。どの道、New Bloomのあり方は資金には左右されないと思う。

ひまわり学生運動の記録、反差別団体との連帯、文化と政治の接続。台湾のブライアン・ヒューと話して

左から、ブライアン、燈里さん。取材はTachelesで行いました

―2014年、台湾の若者たちが馬英九政権の対中接近策に危機感を募らせて立法院に突入して占拠した「ひまわり学生運動」は、とても大きなインパクトがあったと思います。ブライアンは運動の参加者約100人による口述歴史を記録したという『Daybreak Project』を立ち上げているけれど、どうしてこのプロジェクトを行おうと思った? また、ひまわり学生運動の記録を残していくことにどんな意味があると思う?

Brian:ひまわり学生運動は時代を大きく動かす出来事だったにも関わらず、台湾の声は国際メディアに拾われず流されてしまったと感じたんだ。聞かれていない物語がたくさん埋もれていて、今後人々が過去から学べるように学生運動の史記を書く必要があると思った。ディアスポラの若者たちがこの運動を語るとき、また、活動家の若者たちが過去の事例から戦略を知るときの資料になるかもしれないという期待があった。当時、ひまわり学生運動は失敗だったと言われたけれど、後から長期的に見たときに価値が変わったり評価が見直されたりする可能性もある。若者が社会を変えた記録になるかもしれない。

学生運動に参加した直後は、この運動は規模が大きすぎて全容は把握できないと思っていた。でも、Daybreak Projectとして約100人の参加者と話をしたことで、この抗議運動の遺産と傷の両方を知ると同時に、自分の体験も振り返って整理する大切な過程になった。数々のデモへの参加はその後の自分の人生を大きく変えてきたと思う。

ひまわり学生運動の記録、反差別団体との連帯、文化と政治の接続。台湾のブライアン・ヒューと話して

Daybreak Projectのウェブサイトでは運動の参加者のインタビューが読めるほか、運動のタイムライン、歴史、辞書なども読むことができる

―ひまわり学生運動は若者にどんな影響を与えたんだろう。

Brian:若者文化に活気を与え、面白いものにしたと思う。この運動が起こるまで若者たちは「苺世代」と呼ばれていた。今の若者は苺みたいに柔らかくて弱く、仕事ができない、と。でもこの運動は若者のイメージを180度変えた。若者は未来に対して責任感を持ち、より良い社会のためには犠牲を厭わずリスクを負えると世間に知らしめることになった。デモの後もたくさん草の根で活動が続き、多様なスペース、雑誌、店、そして声と社会が生まれたことは興味深い。

「台湾の問題を報道する海外メディアが非常に限られていて、特に若者がどのように考えどう感じているかという視点から報じるメディアがなかった」

―『New Bloom Magazine』のコンセプト文に、海外と台湾現地を接続させることを意識している、とあるね。この課題感が生まれた背景を教えてください。

Brian:僕がひまわり学生運動で立法院を占拠したのが2014年。実はその前の2011年には「ウォール街を占拠せよ」というアメリカの抗議活動(“We are the 99%”というスローガンを掲げ、上位1パーセントの富裕層が所有する資産が増加し続けていることに対し、経済界に抗議した運動)にも加わっていて、2012年は福島の脱原発デモ(2011年の東日本大震災の後に福島県の関西電力大飯原発が再稼働することに対する大規模なデモ)にも入っていた。当時の世界各地での社会運動では国会を占拠するやり方が主流で、その記憶が強かった。

ひまわり学生運動のときは、マレーシア航空の飛行機が消息を絶った事件(マレーシア航空370便墜落事故)が国際報道を騒がせていて、ひまわり学生運動については海外で報じられなかった。台湾の問題を報道する海外メディアが非常に限られていて、特に若者がどのように考えどう感じているかという視点から報じるメディアがなかった。だから代わりに台湾の声を発信する場所がほしいと思った。ひまわり学生運動には翻訳チームがいて、運動の現状を30以上の言語に翻訳して、既存のメディアに頼らず自分たちで世界に発信したんだ。僕は翻訳チームの設立メンバーの1人で、翻訳チーム全体の統率をしていた。その延長線上に今のNew Bloomの活動があると思う。台湾の現地の声が海外の人々に聞かれるべきだと考えていて、その矢印の向きが他の媒体とは違う点だ。

ひまわり学生運動の記録、反差別団体との連帯、文化と政治の接続。台湾のブライアン・ヒューと話して

『New Bloom Magazine』のウェブサイト。「New Bloom」という名前は1990年の「ワイルドリリー運動」から2008年の「ワイルドストロベリー運動」、2014年の「ヒマワリ運動」と過去の社会運動の名前が花にちなんでいたことから、将来、新しい社会運動が開花することを期待してつけられた

―ブライアンがひまわり学生運動で翻訳チームをまとめていたことが、その後どんな風にNew Bloomの立ち上げに繋がっていくのか、旅路を共有してくれる?

Brian:学生運動の後、医大の院生の友人グループが主催する読書会に参加していて、そこでマルクスのような急進的な政治思想を読んだり台湾の社会課題について議論したりしていた。医大の院生だから言語は英語を使う機会が多く、彼らが僕に英語で記事やブログを書くよう提案してくれた。そこから案を得て、メディアをつくろうと思い立ったのが2014年の4月、そして数か月の準備期間を経てNew Bloomを立ち上げたのが同年7月だった。

軽快な滑り出しになった。というのは、最初の2年間は引き続き親中派の中国国民党の時代で、まだ人々の間に運動の記憶と共通の危機感があり、積極的に社会運動に関わろうとする人が多かったから。でも2016年に現総統である民主進歩党の蔡英文が初めて政権を取ってからは、政治への危機感は薄れ、台湾で社会運動は以前ほど多くはなくなった。それでその時期から約3年間は政治社会に文化面からアプローチする記事を書いていた。その後、拠点を持つようになったのが2年前で、今のTachelesは3箇所目の拠点。New Bloomの歴史をまとめるとこんな感じかな。

「この社会で繰り返し起こり続ける問題に対して僕たちが何かしら反応を示すべきだ。フェミサイドが起きればもちろん反対の声を上げる」

―2021年3月にアメリカのアトランタのマッサージ店で人種や性別、仕事、移民など交差するアイデンティティのためにアジア系女性が標的にされたフェミサイドの事件が起きたよね。それに対して、New Bloomは台北の他の反差別団体と連帯して同月にデモとコミュニティフォーラムを主導しているけれど、このイベントの開催へ至った経緯を教えてください。

Brian:New Bloomは女性やクィアを取り巻く社会問題に取り組みたいと思っている。この社会で繰り返し起こり続ける問題に対して僕たちが何かしら反応を示すべきだ。フェミサイドが起きればもちろん反対の声を上げる。女性が標的にされ攻撃されるパターンがあるにも関わらず、それが一般的にはまだフェミニズムの枠組みで捉えられていない。

New Bloomの過去の記事でこの話題を取り上げたことがある。2018年の台湾では女性が殺害された個別の事件が11件あり、うち2件はバラバラ殺人事件だった。ショックな内容で世間を騒がせたが、これは男性全員からの女性に対する暴力だという視点からは報じられなかった。むしろ被害者女性を面白おかしく書き立てて、女性側に非があるかのように報じたメディアが目立った。だから、これらの事件の根本には「有害な男らしさ(Toxic Masculinity)」があると論じたら、広く拡散されて、New Bloomの過去の記事で最も読まれた記事の1つとなった。

ひまわり学生運動の記録、反差別団体との連帯、文化と政治の接続。台湾のブライアン・ヒューと話して

デモ・コミュニティフォーラムはセックスワーカー支援団体の「日日春關懷互助協會」、女性権利団体の「我們台灣」、台湾人女子大学生が立ち上げたメディア「Taiwan Mixed」、BLM団体の「Taipei is listening」と協働で行われた

ひまわり学生運動の記録、反差別団体との連帯、文化と政治の接続。台湾のブライアン・ヒューと話して

(写真:燈里)

―事件に対する反応が早かったよね。このイベントで連帯したTaiwan Mixedや日日春關懷互助協會とはもともと知り合いだったの?

Brian:うん、Taiwan Mixedは学生が立ち上げた新しいメディアで応援している。台湾の活動家のコミュニティは小さくて、それぞれが取り組んでいる問題も関連し合っているから、互いのことはよく知っている。特にこのTachelesと同じ萬華區の地区で活動している日日春關懷互助協會とは随分前からの知り合いだよ。マッサージ店やカラオケ店が密集している萬華區は、台北で一番セックスワーカーの人数が多い。台北でコロナの感染爆発が起きたとき、真っ先にセックスワーカーたちに攻撃や非難の矛先が向けられ、萬華區は偏見の烙印を押されたんだ。台湾のメディアはそのスティグマを扇動する働きをしてしまった。同じメディアとして、New Bloomは日日春關懷互助協會と一緒に地域課題に密着して取り組んでいる。地域社会に根差したスペースを持つ意味もここにある。萬華區のホームレス、性暴力、移民の課題も、僕たちの周囲に常にある日常生活の一部として捉えたい。

―反差別団体とのスムーズな連帯は、常日頃からそれぞれのメンバーたちが関わりを大切にしてきたからこそ実現できたものなんだね。台湾の活動家や社会運動団体のコミュニティはとても興味深い。他の国では反差別団体が自分たちが扱っている問題以外の他の差別問題に対してはまったくの無知だったり、むしろ差別に加担していたり、団体同士で対立することがよくあるのに、台湾の社会運動の現場は何が違うんだろう。

Brian:世界の反差別運動の傾向については僕も同じ見解を持っているよ。それが台湾だと、異なる団体に所属する個人が繋がり合い、複数の団体や拠点を行き来するような社会運動の環境と文化があるのはどうしてか、僕も考えたことがある。結論は、台湾の活動家たちが共同体の感覚を強く持っているからだと考えている。人々が集うスペースがあり、そこでは一緒に鑑賞する音楽があり、ドキュメンタリー映画があり、展示があり、そんな文化芸術を通して言語を共有する。活動家たちの社会的相互作用を促すスペースが複数あって、人々をコミュニティに招き入れる。友達と社会運動の情報を交換したり、気軽に誘い合って一緒にデモに参加したりするといったことが繰り返し起こる。Tachelesが目指しているのは、そんな活動家のコミュニティを構築するスペースなんだ。

切り離されがちな政治と日常生活を、アートや音楽などの文化が繋ぐ

―もう一つのメディア、『No Man Is An Island』は日常生活と政治の繋がりに焦点を当てているね。芸術文化や日常の些細なことから政治を考えることにどんな意味があると思う?

Brian:日常生活と政治の接点をテーマに記事を出している「the Brick House」というメディアコレクティブがあって、テーマを掘り下げるために、アフリカ、北米、南米など世界中のメディアとパートナーを組んでいる。the Brick Houseから声を掛けられて、台湾のメディア代表としてNo Man Is An Islandが生まれた。この媒体の立ち上げを機に、台湾の政治と日常を繋ぎ直す視点が大切だと改めて考えるようになった。

日本にも同じ問題があると思うけれど、政治と日常生活は切り離されがちだ。実質1つの政党がずっと政権を独占していて、生活に関わるさまざまな決定がなされているけれど、一般の人々はその政権に抵抗せずに職場と家を行き来するだけだったりする。思想が何であれ、もっと多くの人々が政治に加われるようにドアが開かれるべきじゃないかな。政治というのは、スーツを着た男による男のためのものだけじゃない。アートや音楽などの文化が政治に呼応するとき、たくさんの人が楽しめるものになる。政治を面白く人を惹きつけるものにして、参加の敷居を下げるのが重要だ。社会運動の規模が小さくなろうとも、これこそ台湾のアクティビズムがひまわり学生運動後の7年間でやってきたことだと思う。

ひまわり学生運動の記録、反差別団体との連帯、文化と政治の接続。台湾のブライアン・ヒューと話して

No Man Is An Island』のウェブサイト。音楽や映画にまつわる記事や、エッセイ、論考などが掲載されている

―No Man Is An Islandでは台湾のインディー音楽やクィアパーティーなどについても紹介しているね。台湾にはプロテストソングはあるの?

Brian:“島嶼天光”という曲はひまわり学生運動を象徴する歌だった。若者世代は全員知っている曲で、むしろ歌いすぎて皆飽きているくらい。さらに若い世代、当時まだ子どもで運動に参加しなかった世代でさえ、この歌を覚えていて、歌を通じて運動を理解している。台湾では音楽と社会運動は深い関係があると思う。いろいろなバンドのコンサートで活動家が団結するし、特にヘビメタやヒップホップのジャンルは彼らの活動網を繋げているね。それからインディー音楽(獨立音樂)には抵抗文化の側面があるから、政治的で社会運動を象徴する音楽になった。音楽家に関わらず、多くのクリエイターやアーティストが社会運動に関わっている。社会運動もアートも、新しい社会の創造や変革を目指す姿勢が共通していると思う。

“島嶼天光”は台湾のロックバンド、滅火器がひまわり学生運動の学生を応援するために製作した曲で、運動のテーマソングとなった。2015年には台湾のグラミー賞と称される「金曲獎」にて最佳年度歌曲(最優秀歌曲賞)を受賞した。

―台湾の音楽と言えば、ブライアンもDJするよね。

Brian:Tachelesではイベントを運営しつつDJとして音楽も流したりしてるよ。スペースが忙しくなる前はB123 Music RoomというアンダーグラウンドなナイトクラブでもよくDJしていた。楽しいよね。DJを始めたのは比較的最近だけど、バンドでベースやギターを弾いていたこともあった。反原発運動に関わっている電子音楽家が多くて、彼らから電子音楽の文化も学んだ。例えば反原発を訴える電子音楽のアルバムをつくって、それを車で走りながら流して町中に聞かせる人たちもいて面白い。

ブライアンのDJが聴ける、MixCloud

―ブライアンは実質New Bloomや社会運動のリーダー的存在だけど、陳為廷(ひまわり学生運動のリーダーの一人で、運動後も立法委員選挙に立候補を表明したところ、過去の痴漢行為が明るみに出て出馬を取り止めるスキャンダルとなった。一連の経緯がドキュメンタリー映画『私たちの青春、台湾』になっている)のような伝統的な社会運動のヒーロー像ではなく、存在感をそこまで強く出さずにまとめ役に徹しているように思える。New Bloomでの自分の役割をどのように考えている? リーダー的立場として大切にしていることはある?

Brian:たしかに最初は僕が設立者としてこのグループを立ち上げた。台湾で団体を結成するとき、リーダーを囲む形になりがちで、そのヒエラルキー構造には当然問題も限界もある。特に左翼団体の多くはカリスマ性を持った男によるエゴ剥き出しの男性中心社会で、台湾の社会運動の現場にもその傾向はある。だからあえて自分一人だけに権力が集中しないような構造をつくるようにしている。

自分の役割は、他人の企画を実現する手助けをすることだと思っている。グループが僕に意見を求めたら、「良いじゃん、何でもやってみようよ」って基本的には賛成する。自分のこだわりを貫くのではなく、グループの総意を支持するね。グループで何か決断する過程が民主主義的になるように意識していて、僕だけに頼らず僕がいなくても回るような仕組みをつくっている。

―ブライアンは自分のエゴを見せないよね。人前に出ず、裏で隠れながら全体をよく観察している感じがする。

Brian:そうだね、後方で地味に控えるようにしている。例えばNew BloomはPodcastもやっているけれど、主催を他の人にお願いして僕はスポットライトを浴びない。イベントでも他のメンバーに司会進行をはじめそれぞれ役割を分担してもらっている。僕はバーの後ろに隠れて酒を出しているよ。もし自分がいつも代表としてステージに立つようでは、中央集権をより強固にするだけだから。

Podcast番組「Radio New Bloom」では、台湾の社会活動家、アーティスト、知識人などをインタビューしたり、トークやディスカッションの録音を配信。

―ブライアンは他者と一緒に活動することは得意だと思う?

Brian:たぶんそうだと思う。Tachelesで大勢に囲まれたり挨拶して回ったりするのは疲れるけれど、自分が信頼している人たちと一緒に活動できるのは楽しい。性格としては一人でいるのが好きでも、社会運動のなかでは他者と一緒にいる。こういう活動をしていて実感するのは、一人でできることは限られていて、グループでないとできないことがあるし、できることの可能性が広がるということ。No Man Is An Islandという名前は実はそこから来ている。島のように孤立して一人で生きられる人などおらず、誰でも他人と関わり合って生きているから。

ブライアン・ヒュー(Brian Hioe)

台北を拠点に稼働するライター、編集者、翻訳者、活動家、DJ。学生活動家としてひまわり学生運動に参加した後、台湾やアジア地域の活動や若者の政治を取り上げたオンラインマガジン『New Bloom Magazine』を立ち上げた創設者の一人。また、ひまわり運動の百科事典である『Daybreak Project』を行うほか、2020年にはメディアコレクティブ『the Brick House』の創設編集者の一人となり、芸術と文化に焦点を当てたプラットフォーム『No Man is a Is land』を立ち上げる。

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