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i meet you

小林エリカさんと、見えないものについて話す。時間をこえて、わたしの記録を残し、あなたの痕跡を探すこと

運命なんて言葉で片付けない。過去も未来も誰かの選択の先に

社会のことから、ごく個人的なことまで。me and youがこの場所を耕すために考えを深めたい「6つの灯火」をめぐる対話シリーズ、「i meet you」。小説・マンガ・インスタレーションなど、自由な姿勢で、自らの思いに真摯に創作に向き合う小林エリカさんにお話をうかがいました。このテキストは、me and youが制作中のブック(クラウドファンディングの支援者の方々へのリターンの他、書店でも販売予定)にも掲載予定です。

日々のささやかな事柄を記録する日記。心にとまったものを描き写したなにげないスケッチ。一見とるにたらない私的な記録は、もしも書かなければ、誰にも気づかれず、歴史のなかでなかったことになっていた、とも言えるかもしれません。

作家・マンガ家の小林エリカさんは、10歳で『アンネの日記』に出会ってから、アンネ・フランクと、彼女と同じ年の生まれである父の日記を重ね合わせた旅に出かけ、物理学者マリ・キュリーが残した研究ノートをもとに、見えない“放射能の光”を追い求める旅を続けています。過去にたしかに生きた誰かが残した記録、記憶、痕跡の先に今わたしたちがいること。そして同時に、「書く」という手段では残すことができなかった思いや声もかけがえなく存在すること。

「『運命』なんて言葉で片付けてしまうと、見えなくなってしまうことがたくさんあると思う」と語る小林エリカさん。歴史を辿ることでまざまざと気づかされる、一人ひとりの選択の重みのこと。目に見える/見えないにかかわらず「残されたもの」から、わたしたちはどう、生きた痕跡を探すのか。過去の誰かの蓄積によって生きるわたしたちにとっての、未来を紡ぐ手がかりになることを願って。

ずっと死ぬことが怖かった、というより「何も残さずに消えてしまう」ことが怖かった

─エリカさんの作品や表現活動の根底とも言えるような、「心のなかにずっとある」というようなものはありますか?

小林: やっぱり、10歳の頃に出会った『アンネの日記』の存在じゃないかなと思います。日記はアンネが13歳から15歳までに書かれたものだから、彼女のことは賢いお姉さんみたいに思っていました。「なんで大人は戦争を止められないんだろう?」とか、「どうしてこんな現実があるんだろう?」とか、勇敢に日記に記している姿がかっこよくて憧れのような気持ちを抱いていました。それでアンネが「将来はジャーナリストか作家になりたい」って書いていたのにわたしも影響されて、今のわたしがあるんです。

小林エリカさんと、見えないものについて話す。時間をこえて、わたしの記録を残し、あなたの痕跡を探すこと

小林エリカさん

─『アンネの日記』にそこまで感化されたのはなぜでしょう?

小林:アンネは日記に「わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!」と書いていて、その言葉にはすごく衝撃を受けました。わたしはそれまで死ぬっていうことがすごく怖くて……でも正確に言うと、死ぬことそのものというよりも「何も残さずに消えてしまう」ことが怖かったんだと思います。そんなわたしにアンネは、「書けば生き延びることができる」ということを教えてくれたんです。またそれと同時に、文字や言葉の持つ凄みというか偉大さにも気づくことができました。わたしも、この先みんなに読んでもらえるような「何か」を書き残して、死んでもなお生き延びることができるような人間になりたい。そんな風に強く思ったんです。

─『アンネの日記』とエリカさんのお父様の日記、そしてご自身の日記を重ねながら、アンネの足取りをたどる旅を記した『親愛なるキティーたちへ』(2011年)という作品をエリカさんは書かれていますが、お父様はエリカさんにとってどんな存在だったのでしょう?

小林:父親の日記を見つけたとき、父がアンネと同じ年に生まれたのだと知って、ハッとしました。彼らは同じ時代をひとりはユダヤ人の少女として、もうひとりはナチ・ドイツの同盟国である日本の少年として生きていたんです。わたしは父のことが大好きだったので、それまで何十年も一緒に暮らした父のことは何でも知っているつもりでした。でも、その日記を開いて初めて、金沢から学徒動員(戦争の拡大による農村・工場などの労働力不足を補うための学生・生徒の強制的動員)されてなお日本の勝利を疑っていなかった父のことを知ったんです。こんなにも身近だと思っていた家族のことを、実は何も知らなかったのだと気づいたことは、わたしにとっての大きな転換期になりました。その人が語りえなかったことも、わかりえないこともある。けれどそれでも痕跡をたどることで、新たにその人を知ることもできるのだという気づきでもありました。

小林エリカさんと、見えないものについて話す。時間をこえて、わたしの記録を残し、あなたの痕跡を探すこと

『親愛なるキティーたちへ』(2011年/リトルモア)。『アンネの日記』と「父の日記」に導かれた小林エリカさんの17日間の旅。

父の番茶、アンネの苺ジャム。「戦争」という言葉に隠れてしまっている人々の生活がある

─エリカさんの作品からは「戦争」の存在を色濃く感じるものが多くあります。日本では実際に戦争を体験していない人も多く、どこか遠くに感じている人も少なくないのではないかとも感じるなかで、エリカさんが「戦争」に関心を持ったり、題材として扱ったりするようになったきっかけにはどんなことがあったのでしょう?

小林:戦争のことをはっきりと意識したのは、中学生の頃、湾岸戦争のことが毎夜ニュースで報道されているのを見ていてだったと思います。もちろんそれまでも学校の授業で学んだり、夏になると必ず第二次世界大戦特集や原爆投下についての番組とかイベントがあったりして「戦争があったんだ」ということはわかっていました。でも、戦争って、自分とは違う格好をした、もんぺとか履いて、防空頭巾を被るような、自分とは全く別の人間がずっとむかしにやっていたのだと思っていたところがあって。そんなものが、湾岸戦争が、自分の生きている今このタイミングで実際に起こっているんだということを知ったときに衝撃を受けたんです。

─「あちら側」で起こっていると思っていたことが、急に「こちら側」にも起こっていることなんだと気づいたような感じでしょうか。エリカさんはそれを知って、じゃあどうしようと考えましたか?

小林:本当にそんな感じです。急に自分と関係のあることになったというか。やっぱり戦争するなんておかしい、誰も止めることができないなんて、大人は何をやっているんだろうと、子どもながらにすごく不服というか、無力感みたいなものも感じたと思います。でも今思うと、本当は子どもだって無力じゃないし、もっとできることはあったかもしれないとも感じるのですが。

─エリカさんのお父様の日記には戦争はどのように描かれていたのでしょう? そこからエリカさんが受け取ったものはありましたか?

小林:父の日記には、「又一日、命が延びた」と書いたすぐ後に「番茶がうまい」と書かれたりしていて。戦争というとわたしのなかには24時間ずっと爆撃から逃げ惑うみたいなイメージがありましたが、本当は「待ち」の時間の方が長かったんですよね。みんないつ空襲が来るのかと不安をずっと抱えながら、日常を続けていかなければならなかった。父と同じ時代を生きていたアンネもまた、同じように戦時下の日常のことを書いています。《隠れ家》で勉強したり、苺ジャムを作ったり……。父の日記やアンネの日記からそういうリアリティを知ったときに初めて心底ぞっとしたというか。「戦争」という言葉に隠れてしまっている人々の生活があるというあたりまえに気づかされたんです。

『最後の挨拶』(2021年/講談社)。精神科医であり、シャーロック・ホームズ研究者として母・東山あかねと共同で翻訳を手がけていた父・小林司さんをモデルにした小説

「わたしは、わたしたちは、見えないものを見たつもりになって安心したい、というところがあると思います。でもそうじゃない」

─先ほど、「子どもも別に無力じゃなかったのかも」とお話をしてくださいましたが、それはどういうことでしょう? エリカさんがどんな子どもだったのかも気になります。

小林:子ども時代、大人が思っているほど子どもじゃないのにと感じることがたくさんあったんです。やっぱりどうしても学校や社会だと先生や大人が偉い立場で、大人はなんでもわかっているから子どもに教えてあげる、みたいな態度になってしまうことが多いから、それにわたしは納得がいっていなかったんでしょう。大人の勝手な判断で、残酷なことや悲惨なこと、不条理なことなんかも、本当は隠さないでほしかったし、もっとちゃんと向き合って話してほしかった。だから大人になってからは、自分の子どもにも死や生のことも含めて、なるべくうやむやにせずに話したいと思っているんです。

小林エリカさんと、見えないものについて話す。時間をこえて、わたしの記録を残し、あなたの痕跡を探すこと

左上から時計まわりに秦レンナさん、me and you 野村由芽、竹中万季、小林エリカさん

─ とくに「戦争」のことは、隠されてきたこと、ちゃんと語られてこなかったことが多いのかもしれませんね。

小林:たとえば、学校教育のなかでも原爆投下については習ったし、子どもたちに原爆の悲惨さを伝えるものはたくさんあり、それは素晴らしいものでした。でも、わたしはそんな日本もまた原爆を開発しようとしていたことを、知らなかった。その爆弾の完成を日本人も含め待ち望んでいた人がいたのかもしれないという事実を知ったときに、わたしはすごくショックを受けました。敗戦間近の日本では、原爆を開発し、それをサイパンに落とすことができれば本土空襲が避けられる、と信じられていたのです。原爆は本当に恐ろしいものです。けれど同時に、それをも望んでしまうような人間の欲望まで含めてきちんと考えて、それが繰り返されることを避けたい、とわたしは思いました。

─ご自身の作品で歴史の教科書には載らないような史実や、報道されない現実などを書くために、エリカさんはどのようなリサーチをされていらっしゃるのでしょう?

小林:知りたくてしょうがなくて、どうしても出かけて行ってしまうというか。やっぱりその地域でしか出会えないような本や、資料があったり、実際に見たり聞いたりすると距離感とかわかることもたくさんあるので。一方で、出かけていっても結局、何もわからなかったり見えなかったりもする。一番途方もないなと思うのが、もうこの15年位ずっとおこなっている放射能についてのリサーチです。わざわざ遠くまで取材に行くんですけど、結局は何も見えないんですよね。放射能ってものはそもそも目に見えないから。だから、あぁ、目に見えないな、何も見えないな、っていうことを確認するためにやっているんだなと思うこともあります。

─東京電力福島第一原子力発電所にも取材に行かれていましたよね。

小林:そうなんです。長い期間放射能と呼ばれるもののことを調べてきて、自分のなかではそれをすっかりわかったつもりでいました。でも、東京電力福島第一原子力発電所の構内に入ったときに、そこにローソンがあったんです。うちの近所にあるのと全く同じローソンが。それを見て、わたしは愕然としました。

放射線量が高い場所や、放射能で汚染された場所、というのは、「瓦礫」とか、「野生動物が闊歩する場所」みたいにわたしは心のどこかで思い込んでいたんです。けれど、そもそも放射能は目に見えないものなのだから、ローソンでも何の不思議もないはずなんです。

つまりわたしは、放射線量が高い場所というものが、自分の生きてる今こことはどこか違う場所なんだ、と線引きをして、安心していたんだと気づいてしまったんです。

わたしは、わたしたちは、見えないものを見たつもりになって安心したい、というところがあると思います。でもそうじゃない、やっぱり見えないものは見えないまま捉えるってことが大事なんだと、そのとき改めて気づきました。そこから、作品の書き方も大きく変わったように思います。

自分がとった選択の1つ1つが、未来10年後、15年後、誰か1人の人間を、生かすかもしれないし、殺すかもしれない

─エリカさんの作品では「戦争」や「放射能」を題材に扱いながらも、決してそれを「良い・悪い」で語らないところがあります。そうした視点を大切にされ続けているのはなぜでしょう?

小林:やっぱり「善悪」といった話からこぼれてしまうものを書きたい気持ちがあって。絵に描いたような巨悪みたいなものがあれば、話はシンプルだけれども、そんなに単純にすべてが割り切れるものじゃない。良いとか悪いとか、安全とか危ないとかだけの、二元論で捉えたときに、やっぱりどうしても見えなくなってしまう部分があるなと思っていて。原爆のこともそうだけど、みんなが善行だと信じて選択したことがどこか間違った方向に進んでしまうこともある。そういう部分をあえて丹念に描きたいなという思いがあります。

こんなこと書いたら不謹慎かも、とか、酷い人だと思われるかも、とか、そういうことを恐れずに自分自身に真摯に書くことも大切にしています。たとえば、放射性物質の放つ光を美しいと思ったり、そこに惹かれてしまう気持ちを書くのって、すごい勇気のいること。でもそういう気持ちも素直に伝えたい。父の死について書いたときも、悲しいとか寂しいとかきれいごとだけじゃなくて、死を直前にしてもなお、お腹減っちゃったなとか、なんか疲れちゃったとか、そういう残酷さみたいなものを自分が持ち合わせているということも、つまびらかにしたかった。そういう部分をこそ、わたしは大切にしていきたいと思っています。

─誰もが善行だと信じていることが、大きな被害や悲しみを生んでしまうことになる。その結果の分かれ道になってしまうのは、どんなとき・どんなことだと思いますか?

小林:放射能の歴史をテーマにしたマンガ『光の子ども』では、マリ・キュリーをはじめ、放射能と呼ばれるものに関わった過去の人たちのことを辿っていくのですが、自分で描きながらも「そこ待った! そっちじゃない!」って過去に対して言いたくなるような、確実な分岐点が何回も出てくるんです。また、『親愛なるキティーたちへ』でも、アンネの生きた足取りを辿りながら、あと1か月戦争が早く終わっていれば、アンネは死なずにすんだのに、とか、あと数週間早くアウシュヴィッツが解放されていれば、移送されることもなかったのに、とか、行く場所行く場所で思いました。最後に訪れたアンネの生まれた街、ドイツのフランクフルト・アム・マインでは、「ああ、この街で、もし誰もナチドイツに投票していなければ、その十数年後に1人の少女が死ぬことはなかったんだ」と、とても悔しい気持ちになりました。

それからは、自分がとった選択の一つひとつが、未来10年後、15年後、誰か1人の人間を、生かすかもしれないし、殺すかもしれないということを、すごく考えるようになりました。でも、それはわたしたちが今を生きてる、ということの醍醐味でもあります。ここから先の未来は、わたしたちの選択によって変えることができる。そう思うと希望を感じられますよね。

“放射能”の科学史を巡るコミック『光の子ども』(2013年/リトルモア)。自由なコマ割り、和紙にGペンとインクとトーンと墨で描く手法など、工夫を凝らしながら、目に見えない放射能を描いています

─エリカさんの作品の特徴として、他人の境界が曖昧になるというか、「わたし」と「あなた」が重なっていくような視点があります。そうした視点はどのように生まれたのでしょうか?

小林:子どもの頃、なぜわたしは、今この世界のこの場所に、こうしているんだろうということが本当に不思議だったんです。湾岸戦争をテレビで観ながらも、なんでわたしは安全なところにいて、そこにいる子どもたちは、今にも爆弾が落とされるかもしれない状況にいるんだろう。なぜわたしはその子ではなくて、その子はわたしじゃないんだろうっていうことをずっと考えていたんですよね。わたしが食べるものにも着るものにも困らず安全に暮らせているというのはただ全くの偶然でしかないラッキーで、それがこんな不公平であっていいんだろうかという気持ちがずっとあるし、今もあります。

─エリカさんがいつかインタビューで、「わたしは運命を信じません」と発言されていたことが印象的で、心に残っているのですが、それはまさにそういった気持ちから出た言葉だったのでしょうか。

小林:アンネの足取りを辿る旅のなかで、彼女が死に至るまでには、数々の「選択」があったことを知りました。ああこれはその時代を生きた一人ひとりの責任で起こったことで、選択の結果でしかないんだ、とわかったとき、アンネの死は決して運命なんかじゃないと確信しました。「運命」なんて言葉で片付けてしまうと、見えなくなってしまうことがたくさんあると思うんです。

「きっと、書き残せなかったことのほうが、この世界にはたくさんあるはず。書かれたことだけが大事なわけじゃない」

─「残されたもの」から多くの作品を生み出してきたエリカさんですが、そうしたものに惹かれる理由は何でしょうか?

小林:放射能のことを調べていくなかで、マリ・キュリーの研究ノートを見る機会があったのですが、放射性物質を素手で扱っていた彼女の指紋のついたところだけいまだに放射線量が高いんです。たとえば、それがラジウム226だとしたら、それは半減期1601年なので、1601年後の未来まではっきりと残ることになるんです。たとえば彼女がそれを手にしたのが1902年だとしたら、西暦3503年の未来まで、そこに彼女の痕跡が残り続けることになるんです。私はそうしてひとりの人間の痕跡が、死んでもなおそこに残り続けるのだ、ということに深く感動しました。

たとえば、名だたる武将だったり、王族だったりしたら、街に自分の名前の通りができたり、歴史書に名前を刻んだり、次世代までその存在が受け継がれていくということはあると思います。でも、そういう人でなくとも、たまたま残された放射性物質や指紋にも、ひとりの人間が生きたという「痕跡」が残る、という事実にわたしは心動かされます。

─そうした「痕跡」を残すことは、まさにアンネの言う「死んでからもなお生きつづける
」ための方法の一つであり、誰もが残すことができるものでもあるんだということですよね。

小林:皮肉なことでもありますが、そう思います。一方で、最近気になっているのはアンネのように日記を書いていたけれどその日記が発見されなかった人がいるということ、あるいは書けなかった人、書かなかった人の存在です。

父と「シャーロック・ホームズ」物語の作者コナン・ドイル一生を交差させながら描く小説『最後の挨拶 His Last Bow』を書きながら感じていたのは、すべては書き尽くせない、ということでした。ひとりの人間が生まれてから死ぬまでに、見たもの聞いていたもの、肌で感じたものすべてを紙の上に書き残すことはできないし、ひとりの人間が死ぬということは、それが失われてしまうということなのだ、ということでした。でも、わたしが自分自身の人生を考えてみても、同じだと思います。どんなに大切だったとしても、きっと、書き残せなかったことのほうが、たくさんあるはず。書かれたことだけが大事なわけじゃない。書かれなかったことのなかにも、自分にとってのかけがえのない時間が無数にあるような気がします。今、そこに目を向けていきたいという気持ちもあるんです。

小林エリカさんと、見えないものについて話す。時間をこえて、わたしの記録を残し、あなたの痕跡を探すこと

小林エリカさんが、me and you のクラウドファンディングのために描いて下さった絵

本当に数限りなく、あらゆるものにわたしたちの生きた「痕跡」はある

─たとえば日記やブログなどで、日々を記録するということは、「痕跡を残す」ことにもつながると思うのですが、そうした行為にはどんな意義があると思いますか?

小林:「なぜなら、書くことによって、新たにすべてを把握しなおすことができるからです。わたしの想念、わたしの理想、わたしの夢、ことごとくを。」というアンネの言葉通り、書くということはやっぱり自分自身の心と向き合うことができる手段だとわたしは感じています。それは日記だけじゃなく、小説を書くときにも、やっぱりはじめは答えがわからないまま書いているんです。でも、1冊書き終わったときに「ああこうだったんだ」って思えることがあったりもして、それがまた次の作品につながったりもする。答えは出ないけど、それを考え続けるそのプロセスや、自分の心や気持ちを考え直せる時間を持つということが重要なのかなと思います。

─エリカさん自身は、どのようにそうした時間を作っているのでしょう?

小林:やっぱり忙しいなかで、そういう時間を持つことってなかなか難しいですよね。わたし自身、普段は日記をつけていないんです。でも、たまにドローイングのスケッチをすることがあって。それがわたしにとっては日記のようなものかもしれません。わざわざ遠くに出かける必要は全然なくて、家のなかの、台所の隅でいい。日常のなかにある自分が美しいと思ったもの、それが、ぼろぼろのスポンジでもなんでも、自分がいいなと思ったものに一瞬でも目を留めて、10秒とか20秒とか集中してスケッチしてみると、今まで見えていなかったものが見えることがあるんです。

─日記も一つそうだとは思うのですが、わたしたちの生きた「痕跡」は、どのように残すことができると思いますか? また、どのように残っていくと思いますか?

小林:最初は、自分自身の痕跡を残したいみたいな気持ちで創作を始めたけれど、今は自分自身というよりも、自分が生きたこの時代のことや、そこに生きる一人ひとりの人のことを残していきたいという気持ちが大きくなっているように思います。たとえば、それは自分とすれ違った人のことだったり、たまたま聞いた会話のことだったり、ふと目にした光景のことだったり。

「痕跡」はあらゆるところにあるとわたしは思っていて。それはときに歌だったり、ダンスだったりすると思うし、何か植物の植え方だったりするかもしれないし、メモ帳に残した落書きかもしれない。本当に数限りなく、あらゆるものに痕跡はあると思います。そういうものに、わたしは、わたしたちは、どこまで耳を澄ませたり、目を凝らせたりできるかっていうのが、がんばりどころな気がします。

小林エリカ

1978年東京生まれ。作家・マンガ家。
現在、東京在住。著書は小説『トリニティ、トリニティ、トリニティ』『マダム・キュリーと朝食を』(共に集英社)『最後の挨拶 His Last Bow』(講談社)。“放射能”の科学史を巡るコミック『光の子ども1,2,3』、アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(共にリトルモア)など。はじめての絵本『わたしは しなない おんなのこ』(岩崎書店)も刊行。他には訳書『アンネのこと、すべて』アンネ・フランク・ハウス編、日本語訳監修石岡史子(ポプラ社)など。国内外での展覧会も多数行う。

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