わたしにとっての演劇は、
すごくアンビバレントな存在。
いつも「演劇やりたい」と「演劇なんかやってていいのか?」のせめぎあい。
糞みたいな構造を無視して、
自分の特権性を意識せず、
無邪気に上演に向かえたらどんなにいいだろうと思う。
でもそんなこと無理だよね。
嫌でも目を見開かなきゃいけない。
教養や倫理がゴミみたいに扱われる世界で、
それでもわたしはそれらを後生大事に抱き締めていたい。
さぞ滑稽で生きづらいように見えるだろうけど、
自分を、人間を、これ以上諦めたくないからそうしている。
なにかを楽しむことに、罪悪感が生まれたのはいつからだろう。
今は、どんなに楽しい時間があっても、
その後に信じられない絶望と虚無がやってくる。
それでバランスをとった気になっている。
こんな恥ずかしいエゴある? とまた落ち込む。
でも自分で自分を罰して律していく以外に、
誠実な創作をする術がわからない。
わたしはだらしのない人間だから、
すぐ言い訳をしたくなる。
その甘えをできるだけ切り捨てたいと思う。
演劇に希望なんてあるんだろうか。
悶々としながら、稽古場に向かう日々。
お世話になっている助成金の書類に、
「この公演が演劇業界や社会に与えたと思われる影響」を書く欄があって、
思わず頭を抱えてしまう。
作品ひとつで変わる程度の構造なら、
こんなに絶望していない。
劇場でお客さまから熱い反応をもらうと、
達成感のようなものを覚えたりもする。
変化の兆しを期待したりもする。
だけど、現実は一向に変わんないね。
やってる意味を見失いそうになる。
みたいなことを、ぐるぐる考えるスパイラル。
不毛だ~。
というわけで、『きみはともだち』が終演した後の白紙のスケジュールを前に、
ボーッとしている最近です。
でもきっと、わたしが生きている間に何かが劇的に変わることは決してないんだろうから、
できることを粛々とやる。
誰かの頭に1ミリでも残ることを祈りながら。