忙しい日々を生きる人々の本能が目覚め、小さな革命が起きる映画
2024/9/21
見知らぬ2人が川辺で出会い、特別打ち解けないまま石を拾い、名もなき遊びをして、ひたすら川辺を歩く。現在上映中の『石がある』は、そんな形容しがたい時間や関係性から、目が離せなくなる映画です。価値や意味の証明をせわしなく求められる現代社会において、本作の中では、人も石も、名前も目的もなく、ただただそこに存在します。
『石がある』について、監督の太田達成さんと、本作の出演者であり、ドキュメンタリー映画『沈没家族』の監督でもある加納土さんにお話を伺うにあたって、共にお話いただいたのが、漫画とエッセイで自身の旅を綴った『偶偶放浪記』を先日刊行した、漫画家、画家、随筆家の小指さんです。
小指さんは同書において、いわゆる観光地や名所のように、あらかじめ評価や魅力が共有されているわけではない場所を、好奇心や偶然に導かれながら巡った様子を描いています。
自分の足を使って見つけ出したものの豊かさや、合理性の追求から距離を置いてみること、未知のものと相対するときの不安や恐れ、私的な経験が創作に繋がっていること。そんな感覚を共有する両作について、3人でお話いただきました。
映画に倣い、川辺で行ったこのインタビューは、この場所で自身の30歳の誕生日パーティーをしたこともあるという加納さんが持参してくれたテントを組み立てるところからスタート。開け放ったテントの幕から、風や、ときどき通りすぎてゆく人の気配を感じながら、互いの作品を通じて考えたこと、感じたことについて語る言葉に、それぞれがじっくり耳を傾けました。
―小指さんは、加納さんが共同保育で育ったご自身の経験を描いた『沈没家族』をご覧になっているそうですね。
小指:私、2回観ていて。
加納:ありがとうございます。
小指:もともと原一男さんの『極私的エロス・恋歌1974』を観て、武田美由紀さんがいた「こむうぬ(共同保育)」をすごいなあと思っていたのもあって。当時「共同保育」に参加する人を募集するチラシをもし見つけていたら、私も連絡していたかもしれません。
加納:効率性とか、支援する、される関係じゃなく、面白いからみんなあの場にいたんですよね。子どもの面倒をみることが義務というわけでもなくて、大人にとってただただそこにいていい場でもあったんだと思います。
太田:僕は小指さんの『宇宙人の部屋』を読んで、めちゃくちゃ癒されました。当事者でもないし、境遇も違うんだけど、割り切れない出来事や視点がずっと書かれていて、そういう割り切れないものが自分にもあっていいんだと思えました。
小指:わあ、嬉しいです。
─小指さんは『石がある』をどんなふうにご覧になりましたか?
小指:すごくよかったです。いまの私は、あまり時間に制限がない生活をしているから、共感が強かったです。でも昔、夜中の3時に仕事から帰って、朝7時に出勤するような生活をしていたことがあって、その頃観たら、多分まったく違う感想になっていたと思います。いまって、みんな基本的に忙しくて、人間の大事なところを麻痺させないと維持できないような生活をしている人も多いなかで、この映画は人間の本能を目覚めさせるようなところがあるし、小さな革命みたいなことが起きるんじゃないかなと思いました。私の本も、意外にきちんとした生活をしている人たちの方が読んでくれている感じがするんですよね。
加納:「自分もこんなふうにしてもいいかも」と思えるのかもしれないですね。
太田:僕もすごく忙しかった時期があって。その頃に友達と3人で川に行って、やることが他になかったからみんなで石拾いをしたんですけど、すごく感動したんです。あとから考えたときに、あの時間ってなんだったんだと思って、その体験を映画に移行できないかなと思ったことが、この映画をつくるきっかけになりました。
小指:人に話すと、「で、どうなったの?」って聞かれて、魔法みたいに消えちゃうような話を温め続けて作品にするってすごく素敵です。『偶偶放浪記』も、別にハワイに行ったとか、そういう派手な話じゃないから、最初は自分と同行した人たちのために書いたんですけど、そういう個人的な時間を保管するためにつくったところに共感します。無駄なことをやっている自分を、もう1人の自分が俯瞰しているときって、すごく楽しくないですか? 私は貝殻拾いが好きなんですけど、海のゴミが流れ着くような地味な海岸の潮だまりで、木の枝とかでウニの殻とかをほじくり返しているとき、ふと、自分何やってるんだろうなって。そういうとき、自分だけ群れから外れた蟻みたいで、自分自身や時間が愛おしくなるんです。
太田:うん、わかります。
小指:今回の映画も親しい人たちとつくられたそうですけど、その感じが映画からすごく伝わりました。
─太田さんと加納さんも、以前からご友人だったと伺いました。
加納:もし撮影自体がものすごく切羽詰まっていて、「1日で全部撮るぞ」みたいな雰囲気だったら、ああいう映画になってないよね。
─撮影中、お昼寝するような時間もあったそうですね。
加納:ワンカットずつじっくり悩んで撮っていたから、彼(太田さん)が一旦考えるモードに入って待機する時間があると、みんなすかさず寝てました。待っている時間に代わりに別のことを進めたりもせず、時間をすごく贅沢に使っていたと思います。撮影の時点では、まだ映画が本当に公開されるのかもわからなかったから、撮影自体がもはや無駄かもしれなくて、「なんで俺は川を渡ってるんだろう」と思いながらもそれが楽しかったです。
─小指さんの本にもご友人が出てきますね。
小指:『宇宙人の部屋』に出てくる2人が、『偶偶放浪記』にもメインで登場してくれています。私の交友関係が狭すぎるというのもあるのですが(笑)、普段の生活が地続きで作品になっています。いまさら気を遣わないでいいし、彼らはどこにでもついてきてくれるので。
太田:いい仲間ですね。
小指:もちろん意見が違うこともあるけど、なるほどなっていういい意見をくれたり、関係が長いからすぐに大事なこともわかってくれるんです。よく友達とは仕事をしない方がいいって言うじゃないですか。一緒にやると亀裂が入るとか。
太田:そういう危うさはあるとは思います。
小指:でも、私は身内とじゃないとできないんです。大事なものが同じ仲間とつくるとストレスがないですよね。いいものをつくるために苦労したいのに、余計なことで苦労したくないじゃないですか。
太田:単純にやりやすいですよね。いい関係性だからこそ生まれるアイデアってあるはずだし、フラットに話せる人たちとやった方が楽しい。僕にとってはそういう環境の方が良い作品をつくれるような気がしています。
加納:監督の仕事って、仮に監督自身からアイデアが出なかったとしても、みんながアイデアを言いやすくなるようなフィールドをつくることなんだなと、今回の現場で思いました。
─シナリオは印刷して共有せず、手書きのものを1冊だけ現場に持ち込む形だったそうですね。
太田:何もないと混乱すると思うので1冊だけ持っていって、困ったときに見るぐらいの感じでした。配っちゃうと、それに頼ってしまって、現場で何かイレギュラーなことがあったときにそれを発見する眼差しが浅くなってしまう感じがして。事前の準備と目の前の現実と、どちらかに寄りすぎず、その間で揺れているときにこそ、心を揺さぶる風景を記録できるんではないかと思っています。
加納:旅もそうですよね。宿を取っている場所や、電車の時間があったりすることと、気分としてはこっちに行きたいっていうことのせめぎ合いがあって。完全にフリーでもそれはそれで大変だし。
小指:じゃあ一応ゴールを決めて、あとは現場で自由に?
太田:なんとなく、ここで2人の関係性がこうなったらいいなとか、ある程度の筋は決まっていたんですけど、撮影していくなかでそうならない場合もあって。一番重要だったのが、川で2人が出会って、川上の行き止まりまで大体5キロぐらい先まで撮影をしながら実際に歩き切ることでした。歩いていく過程で面白い場所があったら、そこで何ができるか考えて。
─たとえば砂の塊の上に乗って崩して遊んだり、橋の欄干を枝でなぞるとちょっと気持ちのいい音がすることって、現場で見つけないと描けない場面だと感じました。
太田:脚本の段階で書けるところもあるんですけど、川遊びのディテールは書きたくても書けなくて。いろんな種類の遊びを書きましたけど、石で野球するとか、そういうものしか思いつかなかったですし、現場で考えなければ成立しないような環境をあえてつくっていました。
加納:川で遊ぶ場面は、与えられた時間でどれだけ見せられるかという、僕のショータイムでした(笑)。場は設定されていて、どんなふうにカメラで撮られるかはわかっているなかで、俺ならこんなことができるかなって。
小指:加納さんは島育ちですよね?
加納:そうですね、小3から八丈島に。
小指:やっぱり小さい頃、ああいう遊び方をしていたんですか?
加納:してましたね。川じゃなくて海だけど。ただただ深く潜って底にある石を拾ったりしていました。
─水切りはもともと得意だったんですか?
加納:あれは私の汗と涙の結晶です(笑)。
太田:まさにこの川でも練習しましたね。
─撮影のお話を伺っていても、映画を観ていても、豊かな偶然に溢れた作品だと感じたのですが、小指さんの『偶偶放浪記』にもさまざまな偶然の出会いがありますね。
小指:多分、出会うというよりも、たまたま“気づいた”という感じだと思います。まっさらな状態だと、純粋にこの石面白いなとか、遭遇した面白い人にも興味が持てても、予定や考えごとがたくさんあるときは、頭の中がてきぱき仕分ける方向に切り替わっちゃって眼の前のものがよく見えない。
『石がある』では、ちょっと変な出会いがあったり、砂を崩して遊んだりするような、日常の小さな逸脱がありますよね。私、自分のことがよくわからなくなっていたときに、訓練として子どもの頃にやっていたことを繰り返し試していた時期があって。たとえば大きな石を見つけたら裏返して、ミミズを探したり。最初は「こんな意味のないことをしてる場合かな」と焦るんですけど、やり続けてみると、どんどん子どもの頃の自分に戻っていく感じがしたんです。映画の中では、加納さんの役がそうやって主人公(小川あんさんの役)を修行みたいに自由へ導いているように見えたときがありました。
加納:『偶偶放浪記』の中で、小指さんがなかなか愉快な人たちにたくさん出会うじゃないですか。映画の中の俺が、日記を書いて1日を振り返っていたけど、小指さんが出会った人たちもみんな、ああやって小指さんとの出会いを振り返っていたりするんじゃないかなって、勝手に想像しました。
小指:それは初めて考えました。まあ、忘れてそうな感じの人が多いかな(笑)。でも、『偶偶放浪記』に書いた神津島の宿のおばあちゃんが、たまたまこの本の存在を知ってくれて。もうご高齢なのにジャンプして喜んでくださったらしくて。
太田:ジャンプしたんだ(笑)。
小指:そのおばあちゃんが「お礼に」って、自分で育てたパッションフルーツとメロンを送ってくれました。でも、それは珍しいパターンで、基本的には一期一会です。私は深い付き合いが苦手な方で、その場で会って別れたらもうそれっきり、完全に自己完結なタイプです。
加納:SNSを交換したりとか、そういうがっつりな関係じゃなくて。
小指:そうなるとちょっとプレッシャーなんです。
─最近は恋愛ではない関係性を描くフィクション作品も増えてきた中で、『石がある』の2人は、友達にすらならないですよね。
加納:なんでも恋愛に結びつけるのは嫌だなと思うし、友達にならなくても、その時間が楽しければそれでいいと思うんです。あの2人はお互いに名前すら知らないですからね。
太田:シナリオだともうちょっと台詞に情報があったんです。でも、肩書きに頼らない状態での交流を描きたかったから、なるべく言わない方がいいなとは思っていて。とはいえ話が進むなかでさすがに言うべきときが来るだろうから、そうなったら言ってもらおうかなと思っていたんだけど、結局言わないままいけましたね。
─この映画って人間の名前は出てこないのに、犬の名前は出てきますよね。
太田:たしかに、そんな映画ってないかもしれないですね(笑)。
加納:僕たちの役も、本当は一応名前があるんですよ。
太田:それもあえて出さないというよりも、肩書きや役名が解体されていく感覚が僕にはありました。やっぱり毎日川を歩きながら撮っていたから、歩くことに一生懸命で。石を拾う体験と、映画を撮ることが非常に近しいものになっていました。
─名前や肩書きを聞くような、いわゆる社会的な大人としてのやりとりがないですし、自宅に帰るシーンが出てくるまで、加納さんが演じた人のことをかなり非現実的な存在として私はとらえていました。
加納:あの自宅のシーンがあるかないかはすごくでかいけど、最初からあったの?
太田:ありましたね。一風変わった人にも当たり前のように生活があるということを描きたかったんだと思います。一方、小川さん演じる旅人は自宅へ帰る方法を見失ってしまいます。土くんの生活を描くことで、旅先にも関わらず彼女にも生活の光が反射するように届けばいいなぁと思っていました。
─川って、「三途の川」のように彼岸との境目としてとらえられてきた場所でもありますし、 加納さんの役が川を渡ってくるときも、異界を越えてくるような迫力を感じました。遺影に手を合わせるシーンもありましたが、この作品を撮るうえで、死というものの存在をどのように考えていましたか?
加納:僕が川を渡るシーンは、やっぱり何か一線を越えるところがありますよね。多分ずっとあの川に1人でいたんだろうけど、たまたま人がいたから声をかけた、彼にとっても特別な日だったのではないかという気がします。あれは何かのモチーフになりまくりそうで、だいぶ印象的です。
小指:あのシーンを撮ることは決めていたんですか?
太田:そうですね、やっぱり彼は水が得意なんで。
加納:爬虫類じゃないんだから(笑)。
太田:大人2人がああいうふうに出会って、川沿いを歩いて遊ぶっていうのは、やっぱりあまりありえないことで。だから、ただただ過ごす時間をつくるためには、とてつもなく非日常的なものと出会うことが必要だったし、主人公もそういう圧倒的な非日常と出会いたかったんだと思います。あと、手を合わせるシーンに関して言うと、あれは彼(加納さん)の家なんですよ。
加納:あそこは私の祖母の家で、6年くらい私は祖母と2人で暮らしていました。祖母が亡くなってからは私が1人で住んでるんです。だからあれは祖母の遺影ですね。
太田:遊びに行ったときに彼がよく手を合わせているのを見て、いいなと思って撮ったから、映画として死のモチーフをつくるというよりは、死って当たり前のものだから、現実を撮っていくと出てくるんだと思いました。
小指:あのシーンを見て、この人にかつていた家族なのかなと思ったら、本当にそうだったんですね。加納さんが演じた人が、川をざぶざぶ渡って来た瞬間、日常の薄皮をばりばり破ってくるような感じがしました。あの人は一体何者なんでしょうね? こちら側とあちら側を行き来してる人という感じがします。
加納:がっつり社会人という感じではなさそうですよね。
─『偶偶放浪記』の中でも、死そのものは描かれないですが、海岸で見かけたはずの老人がふと消えてしまったり、幽霊のような存在があらわれたり、非現実的な物事があまり特別ではなく、他の体験と並列で描かれますね。
小指:死って普段はあまり意識できないですけど、たとえば島とか、ちょっと日常から離れて遠くに行ったりすると思い出すんです。
加納:島は独特ですよね。
小指:結界が張ってあるみたいな感じがします。島内にいるときは気にならないんだけど、帰りの船でだんだん島から離れていくのを眺めていると、扉を閉ざされてもう戻れなくなるような寂しさがあります。この間沖縄の久高島に行ったときもびっくりしたんですけど、あまりに静かすぎて、もはや「音がない」。海辺に行けば波の音がするけど、海辺までの道が真空の中にいるみたいなんです。本来は地球ってこんな静かなんだ、自分は随分騒がしいところで暮らしていたんだなと気づきました。音が溢れる都市で暮らしている私たちは、だいぶ目隠ししたような状態で生きてるなと。
加納:『石がある』は大自然という感じの川でもないじゃないですか。みんなが知っているような、なんでもない感じのところだけど、面白がろうとすれば、ものすごい大自然のように楽しめる、絶妙なロケーションだったと思います。
小指:あの場所はかなり探したんですか?
太田:いろいろ行きましたね。
小指:決め手はなんだったんですか?
太田:実際に歩いてみて楽しかったかどうかかな。最後のシーンは決まっていたから、線路と川がクロスしている場所という制約はあったけど、決め手は言葉にできないかもしれない。大きな石を飛び越えてみたときの感じとか、石の傾き具合とか、本当にちょっとした、言語化できないようなレベルで細部が自分に合っていたんだと思います。形容できたら、それはまた何か違うのかもしれないですね。理由や目的に消費されず、ただただ歩く時間がつくれる場所であることが大事だったと思います。
─主人公も、最初はこの辺に観光地があるかを尋ねていますよね。
太田:そうですね、決定的な特徴がない川だったとしても、観光地的なものへ向けるまなざしから、ただその場を見られるようになる変化が生まれたらいいなという意識はありました。
小指:何もなくても忘れられない町ってあります。なんでこの場所をこんなに好きになったのかなと思って後から調べてみると、古い建物が残ってるとかそれなりの理由は見つかるんだけど、大体は後付けで。言葉にできないけど楽しいという感覚はすごくわかります。
加納:俺は旅先でビビる瞬間が楽しくて。緊張感のあるエリアにいるときや、自分をよそ者や異端だなと感じる居心地が良くないときに、楽しくなる方なんです。常連ばかりの定食屋さんに入ったときに、俺だけ1人で端っこで食ってるような所在なさげな感じが楽しかったりして。それは自分が男性で、かつ体の不自由がなく動けるからってこともあると思うけど、俺は街中でも大自然の中でもアウェイな方が好きかもしれない。だから、川も歩きやすいより、歩きにくいくらいの方がいいんですよね。
─そういうシチュエーションに踏み入ったときに、楽しさと共に、よそ者であることによって自分が場を荒らしているように感じてしまうことがあります。
加納:街がどんどん再開発されて、つるつるぴかぴかしていって、ちょっとドキっとするような面白い場所がなくなっているのが嫌だなと思うからこそ、旅に出てビビりを味わいに行きたくなるんだけど、同時にそこには人が住んでいて営みがあるから、「お邪魔します」っていう気持ちを持っていることが大事なのかなと。銭湯とミニシアターが旅のマストなんだけど、銭湯とかも、やっぱり土地土地の主がちゃんといるから、そういう中でビビりながらも、声をかけてもらったときの嬉しさがあったりして。
小指さんの描き方は目線にすごく愛がありますよね。僕も『偶偶放浪記』に描かれているような旅が好きだけど、人に説明すると全然魅力が伝えられなくて。だからこそ、小指さんは面白く書いていてすごいなと思います。多分自分だったら、もっとかっこつけちゃう。
小指:どこかに行ったときに、自分しかこの場所のいいところを知らないかも! って思えたりすると嬉しいですよね。
太田:そういえば今日、狛江からここまで歩いてきたんですけど、途中で「古墳あります」っていう看板があって。
小指:それ、私も今日タクシーの運転手に言われました!
加納:じゃあ狛江の一押しスポットなんだ。
太田:まだ30分くらい時間があったから、気になって「65メートル先右折」って書いてある方に行ってみると、どんどん案内が出てきて。そのときに、あと30分しかないとか、古墳まで何メートルとか、終わりがあるってことがすごく大事だと思ったんです。余暇だったら、無駄な寄り道をできない気がします。その古墳は、実際到着したらただの公園だったんです(笑)。でも、感動したんですよね。
加納:『石がある』の2人も、物理的に暗くなったら解散するもんね。
太田:あの2人も多分、永遠に歩き続けるとは思ってないから楽しめたんだと思う。
小指:主人公が夜帰れなくて、ガソリンスタンドで一晩過ごすじゃないですか。私もこの間終電を逃して、狛江から歩いて帰ることになったんですけど、途中でスマホの電源が切れて、普段なら30分で着くはずのところ3時間もさまよう羽目になっちゃって。深夜だからタクシーも走ってないし、どこかの家にピンポンするわけにもいかないしで、やっと大通りに出て見つけたコンビニで充電させてもらって助かった日のことを思い出しました。
太田:僕も狛江から自転車で帰ったときに、川沿いをまっすぐ進んでいたはずなのに、気づいたらゆっくり一周していたことがありました。
加納:狛江でいろいろ起きますね(笑)。
小指:そのときは不安だったけど、それがいい思い出になっているんですよね。だから、『石がある』の主人公も、あの1日を忘れないんだろうなと思います。そうやって自分が迷子になったことを重ねて観たりもしていたので、ちょっと不思議な入れ子構造のような感覚になりました。
太田:小川あんさんは、「鏡みたいな映画」と表現していて。映画の中に入って、どこかで自分のことを見る瞬間があると言っていて、なるほどと思いました。
─いろんな気持ちになる映画なんですけど、夜知らない街にあてどなくいることも、加納さんの役の存在も、ずっとどこかうっすらと怖さを感じていました。
太田:撮影のときにも、この道を初対面の男女が一緒に歩くにはちょっと怖いんじゃないかとか、女性1人で夜の街を歩くのは怖いかもという意見が数箇所のシーンで出ていましたが、そういう要素をなくしていくのは違うような気がしました。実際ある問題に目をつぶることになるのではないかと。
─ある場面で、2人が細い道にいて、小川さん演じる主人公の後ろから加納さんが歩き始めるけれど、主人公がほんの一瞬その場に立ち止まって、加納さんに先を譲るじゃないですか。あそこもやっぱり、後ろを歩かれるのは怖いからなのかなと思いました。
太田:そうですよね。
加納:あと、俺が演じた人が小川さん役の人を案内したがっている感じもありましたね。
─この場面のように、近づいたと思ったらちょっと離れたりする、繊細な距離感の変化がずっと描かれていますね。
太田:事前にこういう距離感を描こうと具体的な距離を決めていたわけではなく、どの場所にいるかや何をしているかで、自動的に距離感が決まっていったところがあって。怖そうな抜け道があったときに、小川さんとも「まだ歩き続けられるだろうか?」みたいな話し合いをしつつ、ああいう距離感が生まれました。だから、すごく個人的な話を描いているようで、社会的なまなざしや意味合いが自然と表れるだろうとは思っていました。
─2人の関係性についても、撮っていくうちに想定していた通りにならないところがあったというお話がありましたね。
太田:2人で遊ぶ時間をもうちょっと撮ろうとしていたシーンがあったんだけど、小川さん的に「もう遊べないかな」という気持ちになったみたいでやめたんです。
加納:それで俺は寂しくなった(笑)。俺はとにかく本気で楽しませようとしていて。だから小川さんに「何がしたいんですか」っていうもともとあった台詞を言われたときに、本当に辛くなりました。
小指:いきなり目的を問われるって、たしかに辛いですよね。
太田:言ってしまう側も辛いかもね。
─小指さんはどんな人に『石がある』を観てもらいたいですか?
小指:考えてみたら、私、友達がしんどそうなとき、しょっちゅう川や海に誘ってるんです。果てしないものをただぼんやり見てるだけで、結構元気になってくれるんですよね。そういう行為って、薬みたいだなと思います。だけど、自分のペースすら思い出せないくらい追い詰められてしまっている人は多分この世にたくさんいて、そういう人にこの映画を観てもらいたいですね。
最近、自分の努力だけじゃ世の中がどうにもできない感じがあるじゃないですか。いくら仕事を頑張ったってすごく儲かるわけでもないし、社会を良くしていかなきゃいけないけど、自分だけの力で明日から世界のすべてをひっくり返すのは、ちょっと難しい。だから折り合いをつけながら、それでいて世間にいいように流されず、自分を見失いかけたら連れ戻してくれるような存在がこれからはとても大切だと思っていて。『石がある』という映画も、そういう存在の一つだと思います。
加納:嬉しいなあ。
太田:落ち込んでるときって、どこにも行けなくなりますよね。だからちょっと頑張って、2時間座りに行くぐらいの気持ちで観てもらえたら。ただ座って観ているって、結構贅沢なことだと思います。
太田達成
1989年生まれ、宮城県出身。植物の研究をしていた大学時代、レンタルビデオショップで偶然手にとった『⻘の稲妻』(ジャ・ジャンクー監督)に衝撃を受け、友人と映画制作を開始。初の短編『海外志向』で「京都国際学生映画祭」グランプリを受賞したのち、東京藝術大学大学院で黑沢清、諏訪敦彦に師事した。修了作品『ブンデスリーガ』は「PFFアワード」、スペイン「FILMADRID」等に入選。『石がある』は自身初の劇場公開作となる。
加納土
1994年生まれ、神奈川県出身。武蔵大学の卒業制作として「共同保育」で育てられた自身の生い立ちに関するドキュメンタリー映画『沈没家族』の撮影を開始。完成した作品は「PFFアワード」で審査員特別賞を受賞するなど高い評価を得たのち、全国で劇場公開された。2020年、筑摩書房より初の著書『沈没家族子育て、無限大。』を上梓。『石がある』では演技未経験ながら、主役を務めあげた。
小指
漫画家、画家、随筆家。1988年神奈川県生まれ。武蔵野美術大学卒業。
2015年より同人誌の制作を始め、夢日記や自身に起きた出来事を冊子にするようになる。2023年、依存症と内省の記録『宇宙人の部屋』(ROADSIDERS)を発表。2024年7月、自身の偶然の旅行記をまとめた『偶偶放浪記』(白水社)を刊行する。
また本名の小林紗織名義で画家として活動し、音楽を聴き浮かんだ情景を描く試み「score drawing」の制作や、岸本佐知子・柴田元幸編訳『アホウドリの迷信』、リー・アンダーツ著『母がゼロになるまで』等書籍の装画も手掛ける。第12回グラフィック「1_WALL」審査員賞受賞(大原大次郎選)。
プロフィール
『石がある』
2024年9月6日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、ポレポレ東中野ほか全国順次公開
2022年/日本/スタンダード/104分
監督・脚本:太田達成
出演:小川あん、加納土 ほか
撮影:深谷祐次 録音:坂元就 整音:⻩永昌 編集:大川景子 助監督:清原惟 音楽:王舟
製作・配給:inasato
制作協力:Ippo
配給協力:NOBO、肌蹴る光線
宣伝:井戸沼紀美 宣伝協力:プンクテ
特別協賛:株式会社コンパス 協賛:NiEW
©inasato
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