💐このページをシェア

同じ日の日記

五月十五日、この町で生きる日記/小指

「そういえば、子供の頃って毎日が修羅だったな」

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2023年5月は、2023年5月15日(月)の日記を集めました。音楽を聴き浮かんだ情景を五線譜に描き視覚化する試み「スコア・ドローイング」の制作ほか、漫画や随筆の寄稿などを行う小指さんの日記です。

起床したものの、どうも寝た気がしない。ここ数日、うっすらずっと起きているような睡眠しかとれなくて、疲ればかり溜まっている。多分、生理が近づいていて黄体ホルモンの分泌が増えたせいでこんな調子なんだろうと思う。首こりも肩こりもひどく、いっそのことガソリンスタンドの洗車機の中に入って水圧でブルルルルルと全身をもみくちゃにされたい、と血迷ったことを考えてしまうくらいPMSの朝はつらいのだ。私は這い出るように家を出て、自転車に跨り駅前のドトールに向かった。
窓に面した席で、外を眺めながら構想中のコラムの土台を何本か考えた。しばらく眠気で集中できなかったがコーヒーを飲むうちに気分が乗り出し、ペンを無心で動かした。すると、突如背後からオペラ(のような、特殊な謎の裏声)が聴こえてきて、私の稀少な集中は一気に中断された。振り返ると、そこにいたのはこの辺りをよく歌いながら歩いている、ちょっと風変わりな女性だった。
私はその人のことをずっと一方的に知っていたが、まさかドトールで会うとは思わず、しばらく壁に打ちつけられたように固まってしまった。
今日もその人は入店から終始歌い続け、持っていたビニール袋の中から編みかけの毛糸を取り出してますます大きな声で歌いながら器用に編み物をした。こんな特技があったのか。16時ごろ、店を出る。

まだ正午のように明るく、自転車で近場を走った。
ふと、昨日図書館から予約していた本が届いたと連絡がきていたことを思い出した。いつもは四駅ほど電車に乗ってわざわざ中央図書館へ足を伸ばしていたが、夫のKから「もっと近いところあるよ」と教えられ、今回初めてその図書館で受け取りをすることにしたのだ。
Kは、「奥には市民プールもあるよ」とも言っていた。家から滅多に出ないKがなぜそんなローカル情報に詳しいのか不思議なのだが、どうやら私の知らないところで意外と一人で出掛けているらしい。こないだもKと隣駅へラーメンを食べに行った時、「こっちの道が近いよ」と知らない道をずんずん一人で歩いて行ってしまい、黙って着いて行ったら全然知らない林道とかよその家の敷地みたいな道を通り抜けて、本当に普段より十分も早く到着したので驚いた。道に詳しいことにも感心したが、後ろを着いていっている間、まるで近所に長くいる野良猫を尾行しているような気分だった。こうやってKは、人知れず近所をうろうろ歩き回って色々なものを見てきているのだろう。
なんでこんな行き方を見つけられたのかと訊ねたら、「一人で現地調査をしているのもあるが、まず家を出る前に地図を見て、目的地までの道を定規で測って一番歩数が少なく済むルートを見つけている」とKは言った。いつもこうして一番無駄のない最短コースを自力で見つけているらしい。地図に定規を当て、独自の計算式でラーメン屋への最短ルートを探しているKの姿を想像したら思わず吹き出してしまった。
私は地図すら読めないので、スマホのGPSを使って図書館へ向かった。近所の団地の端っこにある図書館のようなのだが、走っているうちに道を一本間違えたのか、GPSを使ってるにも拘らず迷ってしまった。地図で近所のあらゆる獣道まで頭の中に記憶してるK、かたやGPSでも辿り着けない私……。自分が情けなくなりながら走り続けていると、気づいたらどんどん変なところに迷い込んで、私の背丈くらい伸び放題の草地、広い畑、見たこともない野菜の直売所、堆肥と草木の野生的な匂いの中を自転車でぐんぐん漕いでいたら、もはや迷子になっていることなどどうでもよくなるくらい楽しくなった。
すると、突然その光景にデジャビュを感じた。
(ここに来ることは、ずっと昔から決まっていたことだったのかも)
そういえば、前の家からここへ越してきたばかりの時、「こんな何もない町に引っ越してきてしまって生きていけるんだろうか」と不安で悲嘆に暮れてばかりいたことを思い出した。それに、前の住居の急な取り壊しや予算の問題とはいえ、Kに何の相談もせず私が勝手に物件を決めてきてしまったことにも反省していた。いざ住んだら町が静かすぎてどうにも慣れず、Kも言葉には出さないけれど内心「前の家の方が良かった」と怒ってるんじゃないかと、私は勝手に疑心暗鬼になっていたのだ。
だが、ある日思いきって本人に「この町、どう思う? 退屈?」と訊ねたら、「この町はフルーツが沢山なってて、いいところだと思う」と想像もしていなかった答えが返ってきて私は驚いた。Kが指差す先には、隣の家の見事な夏みかんの木があった。
フルーツ。言われてみると、確かにこの辺りはどこの家にも庭に柿やらミカンや、何かしらの食用できる果物が植えられていた。少し歩いた先の空き地には野生の枇杷もたんまりなっていて、旬が来ると枇杷の橙色と青い空がとても綺麗だった。確かに、「実」がなる木々が豊かに育っている景色は、見ているだけで嬉しさがある。盗み食いしたら問題だろうが。庭で植物を育てている人たちは私たちにはない心の余裕があるようにも感じた。その感覚は正しかったようで、どうも今までの地域に比べて親切でゆっくりとした人が多く結局住めば都だった。人んちの植木を見て、「フルーツが豊富」と着目したKの観察眼は意外に鋭かったのかもしれない。

そんなことを思い出しながらぐるぐる走っていたら、やっと図書館らしき建物が見えた。自転車を停めると、隣の学童からランドセルを背負った子供がうじゃうじゃと出てきた。路上で女の子たちが開脚対決をしていて、たまたま通りがかった保護者が「すごいねえ」と声をかけたら、みんな急に恥ずかしがってやめてしまった。その後ろを、大きな水槽を抱えながらヨタヨタ歩く小さな男の子がいた。水槽の中には、立派な流木と干し草みたいなのが入っていて、多分捕まえた虫でも入れてるのだろう。男の子は、その水槽の中を時折覗きこんだり愛おしそうに眺めていた。

図書館へ入ると、中は想像していたよりずっと綺麗で、揃えも良くて驚いた。なんでこんないいところに、もっと早く来なかったんだろう。
ここにある本が全部タダで借りれる、というのは冷静に考えたら凄まじいことだと思う。税金の使い方もここだけに関しては納得だ。そもそも私など、本来はもっと図書館を活用すべき所得の人間なのだ。それなのについ「暇がない」とか理由をつけて、本屋で買うならまだしも、ネットで買ったり横着しがちなので反省する。貧しい人ほど自炊をしない、と同じ理屈だと思う。これからは心の余裕をできるだけ保ちながら、身分相応の生活をすることが当面の目標だ。5冊も借りた。

帰り道、団地のスーパーに寄る。ここは、他のスーパーの非にならないほど肉類が安い。でかいモモ肉3枚が400円代で売られていたり、そこから更に半額とかになったりもするので、ちょっと常軌を逸した安さなのだ。どういうルートで仕入れているのか非常に気になるが、やっぱり安かろう悪かろうみたいで、どの肉も血色が悪く、他のスーパーで買った肉と比べて明らかに腐るのが早い気がする。だが、安さには抗えず私は結局ここで買ってしまうのだった。
以前、隣町に住む友人が「安いスーパーを探している」と言うので、「ここのスーパー激安だから、騙されたと思って行ってみて!」と熱烈に勧めたことがあった。すると、その数週間後に本当に行ってきたらしく、後日「ねえ小指ちゃん、◯○ってスーパー知ってる? こないだ誰かに勧められてそこで鶏肉買ったんだけどさ、パック開けた瞬間、腐ってるんじゃないかってくらいすごい臭くて!! これは無理って思って、ニンニクとショウガのすったやつに丸一日漬け込んで焦げるくらい焼いたんだけど、それでもやっぱり死ぬほど臭くて、結局食べられなくて捨てたよ! あそこで肉だけは買わないほうがいいよ!」と、すごい剣幕で言われたことがあった。
「誰かに勧められて」の「誰か」とは、間違いなく私のことだ。どうやらこの子は、私から勧められたことをすっかり忘れて注意喚起してくれてるらしい。
私は、変な肉の店を友人に勧めてしまった罪悪感に加え、普段自分たちが食ってる肉ってそんなに酷いものなのかという気づきによるショックで、なおさら心苦しくなった。
それにしても、ニンニクとショウガという消臭の二大巨頭とも言える薬味で漬け込んでも食べれないほどの臭さって。今後、安いからという理由だけでこのスーパーの肉を他人に勧めるのはやめておこう、と思った。

とはいえ、そんなことがあったにも関わらず私は今日も懲りずにそこで肉類を買った。鶏むねのひき肉(ジャンボパック)、牛すじ、豚ロースの味噌漬け2枚。
ついでに向かいの八百屋でモロヘイヤとしめじを買い、本で膨らんだ鞄に無理やり詰め込んで前カゴにのせた。
さて帰るかなと自転車に跨ると、あの大きな水槽を担いだ男児が、また目の前をヨタヨタと歩いていた。さっきは一人だったのに、今は同い年くらいの子供が三、四人その男児を取り囲んでつきまとっている。「おい、何がいるの。見せて」としきりに言っているが、男児は下を向いて頑なに無視をしている。多分、言う通りに水槽の中を見せてしまったら、奪われるか逃されてしまうとわかっているのだろう。そんな緊張感とジレンマをその男児の横顔から感じ、心の中で「無事に帰れますように」と祈りを送った。
そういえば、子供の頃って毎日が修羅だったな。そんなことを思い出しながら、私は自転車を漕いで家に帰った。

小指

随筆家、漫画家。
これまで自主出版にて「夢の本」「宇宙人の食卓」「旅の本」「人生」を刊行。
「小指の日々是発明」(TOKION)、「小指の偶偶放浪記」(白水社の本棚)にてコラム連載中。
本名の「小林紗織」名義では画家としても活動し、音楽を聴き浮かんだ情景を五線譜に描き視覚化する試み「scoredrawing(スコア・ドローイング)」の制作を行う。
現在、「オペラシティアートギャラリーprojectN」にて9/24まで展覧会開催中。

『project N 91 小林紗織』

会期:2023年7月6日(木)〜9月24日(日)
場所:東京オペラシティ アートギャラリー

Exhibition Details | 東京オペラシティ アートギャラリー

関連する人物

newsletter

me and youの竹中万季と野村由芽が、日々の対話や記録と記憶、課題に思っていること、新しい場所の構想などをみなさまと共有していくお便り「me and youからのmessage in a bottle」を隔週金曜日に配信しています。

support us

me and youは、共鳴を寄せてくださるみなさまからのサポートをとりいれた形で運営し、その一部は寄付にあてることを検討中です。社会と関わりながら、場所を続けていくことをめざします。 coming soon!