日記屋 月日による日記本の即売会やトークショー、音楽ライブ
2024/2/27
2023年12月に東京・下北沢にある日記の専門店「日記屋 月日」主催の第四回「日記祭」が開催されました。日記本の即売会やトークショー、音楽ライブなどが行われ、me and youも出店者として参加。隔週金曜日に配信中のニュースレター内でお送りしている竹中万季・野村由芽が互いの日記にお返事を書く「日記文通」をひとつの本にまとめた『me and youの日記文通 message in a bottle』などを販売しました。
また、me and you little magazine内で「同じ日の日記」を掲載したり、「日記屋 月日」と日記をつけるワークショップを開いたりなど、me and youでは日記を一人ひとりの個人的な記録を残していくための方法として捉え、大切なものと考えています。
そんな日記を楽しむイベント「日記祭」の様子をお届けするレポートを「日記屋 月日」の久木玲奈さん、栗本凌太郎さんに寄せていただきました。
2023年12月10日(日)。日記屋 月日は、東京・下北沢の屋外商業施設BONUS TRACKにて、第四回「日記祭」(にっきさい)を開催しました。このレポートでは、イベント当日の様子をお伝えしつつ、これまでに回を重ねてきた「日記祭」について日記屋 月日が考えていることや、お店を運営するうえで大事にしている日記についての考え(これ以降の文章では「日記観」とします)についてもあわせてご紹介したいと思います。
「日記の本を作ってもらい、本人が販売する即売会を設ける」というスタイルの日記祭は、スタッフ間の話し合いの中から生まれました。日記屋 月日の店舗には、日記の本を販売する「本屋部門」と、コーヒーやビールを販売する「ドリンク部門」があり、オンラインでは「月日会」というコミュニティを運営しています。2020年の開店時〜2021年までは主にそれらの売上で店舗運営をしていました。
「本屋部門」で取り扱う書籍は、新刊本(いわゆるバーコードがついていて、出版社から出ているもの)、古書、リトルプレス(一般流通はしていない自主制作本)の三つに分かれています。もちろん、すべて日記の本です。例外もありますが、日付がついている「ただの日記」ばかり置いています。そしてその三項目のうち、売上の大半を占めるのがリトルプレスです。
文学、文芸のフィールドですでに活躍している人の本もありますが「普段は別の仕事をしていて、日記をつける習慣がある」という方が自分のために作った小部数の冊子や、創作したい気持ちの先にあったのが日記形式で、それを形にした本、といったように、有名・無名関係なく、ひたすら暮らしが綴られたものばかりが並んでいます。
そんな「ただの日記」ばかり集めた即売会ができるのは「日記屋」と名乗っているこのお店だけなのではないか。そして、一見ビジネスとして成り立たないようなイベントだけど、大勢のお客さんを集めることができたら、「日記っていいかも」と思っていただけたら。それぞれの新しい日記観が広まり、日記について一緒に考える人が増えるのではないか。
そういった考えのもと、2022年4月に第一回目を開催しました。
日記屋 月日では、基本的に日記を「文章に日付がついているもの」と定義しています。日付から書けばどんな表現も受け止めるのが日記の面白さであり、懐の広さでもありますが、本来であれば人目につかない「個人の話」が書かれたものを取り扱っているため、いろいろと気をつけたい部分があります。
大前提として、その文章が「ただの日記」だからこそ、読む人の心を強く揺さぶる可能性があるということです。それをポジティブなこととして受け止める人もいれば、その日記に書かれている一文によって、とても悲しい気持ちになる人もいます。どちらも「日記」という形式で書かれた文章が引き起こす感情です。そこに書かれた個人の感情や、読んだ人の抱いた感情は、決してなかったものにはできません。
けれど、今後も日記のお店を運営しながら考えていかなければならないポイントは、たくさんあります。
日記の楽しみ方は人それぞれなので、その自由を制限する意図はありませんが、わたしたちの運営する場では、なるべく安心感をもって集まれるように、差別的・暴露的な表現、のぞき見的な関心、個人のプライベートに迫るような態度については、助長させたくないと考えています。
そのため、即売会に応募される方に向けたフォーマットや、お店のサイト上に載せている文章にその時々で加筆したり、アナウンス事項を増やしたりしています。
日記祭では、当日までに自分の日記を本にして、会場で販売するという「即売会」を催しています。会場をめいっぱい使って並べたブースは、全部で30組。日記屋 月日で販売を代行する「委託販売」へ参加された方は33組。これまでの日記祭で一番多い出店数となりました。
同じようにブースを設けていても、参加者によって本の内容、装丁、販売方法は様々。日記なので当然ですが、内容が同じになることは一切なく、その見覚えのなさが面白いと感じます。目の前にいる人の数だけ生活があることと、その奥行きにあらためて気づく瞬間です。
日記祭では、第一回からトークショーを催しています。1時間という短い時間ですが、全体のテーマのみお伝えし、お招きしたゲストの方に縦横無尽にお話ししていただくという時間を設けています。
「日記」や「日記文化」と一口に言っても、さまざまな切り口や考え方があります。すでに日記をつけている人にも、そうでない人にとっても日記が開かれた存在であってほしいと考え、このトークショーを企画しています。
これまでには、野中モモさん×藤原隆充さんの「日記を「わざわざ」自主出版する -最も私的な個人メディアとして-」や、植本一子さん×滝口悠生さんの「あなたを書く/わたしが書かれる日記」など、毎回異なるテーマでトークショーを行ってきました。
第四回でも、2つのトークショーを開催。さまざまな角度から見た日記観についてお話を聞くことができました。一部抜粋して、ご紹介します。
ネットやSNS上で日記をつけるのも当たり前になった世の中。人目に付くところで自分のことを振り返るってどういうこと? 「内省文化」について、ネットで日記を公開している古賀及子さんとマンスーンさんにざっくばらんにお話いただきました。ここでは、日記に書いている家族のこと、自分以外の人について日記に書くことに触れています。
マンスーン:古賀さんの日記を読んでいると、もちろん家族ではあるんですけど、何も言わなくても伝わる親友同士、みたいな感覚もすごく感じて。
家族との距離というか、雰囲気というか。そこがものすごく羨ましくもあるし、怖くもあって。こんな友達然としてこの家族があるんだ、みたいな。僕は家族と、あんまりうまく喋れないんですよ。親とかに「仕事何してんの」って聞かれて「なんかインターネットの」みたいな。
古賀:ちょっと解像度粗めな感じで(笑)。
マンスーン:はい、粗めに言ったり。会話の中でちゃんと自分の趣味を話したり、そういうのを見せるのが苦手で。無職期間も長かったんで、そこでより断絶みたいのがうまれちゃって。なんか、ご飯食べるときは下の階行って、「ちょっす」みたいな。
古賀:おお、なるほど。
マンスーン:今は全然大丈夫になってきてるんですけど。だからその子供の頃から、そういう友達感覚ではないですけど、その距離感でずっと接しているのがものすごく羨ましくて。
古賀:そっか。私も家族については常々ものすごく疑ってます。家族がニコニコ幸せなわけがないっていうのは、かなり思っていて、疑ってかかってるんですけども……なぜか結果的にうちの三人はうまくいってるんですよね。とはいえマンスーンさんも、家族の回があるよね(マンスーンさんの日記を読む)。だからやっぱ、家族を書いて面白そうだなっていうのは、多分いいとこ抜いてるっていうことでもあると思う。日記ってそういう不思議というか、書く人によって百人百様の日記ってスタイルがあるし同じようなものにはならないと思う。
マンスーン:そうですよねえ。
古賀:その理由の一つに、どこを取るか、どこを書くか、どこを書かないかがあると思います。例えばグズグズの家族でグズグズのとこだけ書くっていうスタイルも絶対ありだと思うし、そういう日記作品もきっとあり得るし、面白いかなとは思うんです。でも私はやっぱりのんきなところばっかりを書いていて。前回の日記祭のトークでも言ったんですけど、私の日記は神への奉納みたいなところがあって。「我々人間はこんな楽しい生活をしています、だからお天道様どうか安心してくださいどうぞ」っていう感じで書いてる。だからわりと楽しいように書いてるっていうとこがあるんですよね。
古賀:2020年の4月に一度、毎日更新をやめたときがあって、「こんなことしてちゃ駄目だ」って実は思ってたんです。子どもの事を書いて、世の中に見せて、子どもが歳を取って中学とか高校とかになってきたんで、彼らのプライベート、プライバシーはもう彼らのもので私のものじゃない。だからもう書いちゃ駄目だろうって思って一回やめたんですよね。
マンスーン:うんうん。
古賀:でも二人と話したら、面白く書いてもらえるのは嬉しいって言ってくれたり。娘がわたしの日記を読んでるときにめちゃくちゃ笑うんですよ。なんかね、自分のことが書いてあるようじゃないように感じているって見えたし、話をしてるとちょっとそういうところがある。
フィクションだと思って読んでるようなところがあって、だからわたしが見てるうちの日常はわたしの目で見ている日常でしかなく、彼らの見ている日常とはまた別なんだなってちょっとそこで折り合いをつけたんですよね。だから、わたしが書いてる娘、息子は、娘、息子そのものではないって、ちょっと捉え直して。
本を出すときは、一応その確認の意味で原稿を読んでもらって。そしたら「面白いよ」って。「出しなよ」って。
マンスーン:いいなあ。
古賀:そういう意味で、何か気をつけていることありますか?
マンスーン:基本的に僕の日記はあまり僕以外の人は出てこなくて、自分が思ったことをそのまま書くみたいなスタイルですけど。確かに、原稿を作ったときに妻とかにも一応確認してもらうってことはありました。本をつくることが初めてだったので。でも「うん、いいんじゃない」みたいな、それぐらいでしたね。ドライで。
古賀:相手は案外ぬるいテンションだったりしますよね。すごく難しいところだなとは思います。わたしは一回、友達にすごく怒られたことがあって。書いたことを「これはちょっとな、って思った」って言われたんですよね。それは本当に、わたしが完全に悪かったなっていうふうに思うこともあって。ネットとか見てると同じようにノンフィクションをやっている人が、人が徐々に書かれたがらなくなってるっていう実感を持ってる方が多いようなんですね。で、そういう人がほんの一握りいたときに、そういった人たちはどうやら「私が書かれるのは嫌だし、書かれている誰かを見るのも嫌だ」っていう感情がうっすらあるようで、今のわたしはそれについてかなり考えていますね。
マンスーン:でも書かれるのは嫌だけど、その人のことが書いてあるのは好きみたいな人もいるわけじゃないですか。
古賀:うん。やっぱりコミュニケーションが書いてある日記は面白いですよね。
もうひとつのトークショーは、2023年6月〜9月までの三ヶ月間日記屋 月日で行われたワークショップ「日記をつける三ヶ月」のファシリテーター、詩人の大崎清夏さんと、参加者のお二人によるお話。
定期的に開催しているこのワークショップは、ファシリテーターと参加者がGoogleドキュメントに日記をつけ続け、お互いに日記を読み合うことができます。また、全部で五回、同じ場所に集まって対話を重ねる日があり、日記や日記観に対して抱く考えを交わしています。
ここでは、日記に書いてあることは嘘かもしれないという話や、それぞれの日記の付け方などについて話が広がりました。
大崎:わたしはワークショップの途中で、車の免許を取りに長崎の五島に合宿しに行ったんですよね。だから半分旅行記みたいな感じもあるんだけど、一期一会の人のことを書くのがやっぱり楽しくて。みんなのこと全部偽名だったり仮名だったりするし。そこで会った人たちと、職種とかも全然違うし、年齢も違うし、生きてる世界が違う人たちが旅先にはやっぱりいるから。それを書いて日記にするっていうのがフィクションを書くこととあんまり変わらない気持ちでできるっていうことがあって、その感覚がすごく好きなんですよね。
読者にそれが読まれるときっていうのは、私が出会ったその人のことはもちろん読者は知らないわけで、会ったこともなくて。だから、架空の人物の話を読んでるのと、何が違うんだろうみたいな。例えばそれが継続的に繋がりある人で、今住んでる場所のことが出てくる、となるとすごい気を遣うけど。
ウメヤ:これ、めっちゃ面白いんですよ。
大崎:わたしの日記を褒めてくれてるの(笑)?
ウメヤ:いや、わたしが褒めるのは大変恐縮なんですけども(笑)。この前大崎さんの日記を読み返したら、めっちゃアドベンチャーというか。異界に行って、謎の人物たちと遭遇して、ともに戦い、すれ違いみたいな。最終的に何かを獲得して帰ってくるみたいなアドベンチャー。
ヒライシ:長編小説みたいでした。
大崎:二回目のワークショップのときに、ちょうどその合宿から帰ってきて、ヒライシさんとウメヤさんはわたしが卒業したと書いてるから「おめでとうございます」って言ってくれたんですよね。だけど、日記って言葉の世界だから、「いや、嘘かもしんないよ」って言ったのね。
実際卒業して帰ってきて、その日記を信じて「おめでとうございます」って言ってもらって「ありがとうございます」って言う。会話としてはそうなるんですけど、もしかしたらわたしがみんなにいい格好して、本当はもう一回合宿しなきゃいけないけど、卒業した体にして帰ってきてるっていう可能性も、日記だからなくはないっていうか。だから日記文学も含めて文学って面白いなと思ったりするし、書かないことと書くことを切り分けるってことも、どこまで嘘の世界に持ち込みたいかみたいな話だなって思ったりもするんです。
ウメヤ:毎日やっぱり日記を書いてるので「日記の体」になって。日記を書く体になってるというか。街歩いてても、なんかあれ、日記に書けそうだなとかってやっぱ思っちゃうし、スマホですぐメモ取りますし。
その場ではそんなに何も起きてないけど、これ書いたらなんか展開させられるな、みたいなのが分かるようになるっていうのは、僕はあったかもしれないっすね。それがいいのかわからない。結局、解釈してるっていうことにはなっちゃうから。それこそフィクションの話にも通じてくるんですけど、あったものをそのまま別に切り取るわけではなくて、何か特殊な視覚ができていくみたいな感じがありました。
ヒライシ:考え方や物の見方の癖、視野の狭さなど、客観視できるようになりました。あとは、自分の中で「これは人に言う、言わない」の基準が明確になってきました。この場で言語化するのは難しいのですが……。
大崎:日記を書くことで「出来事を覚えておける状態」になる。忘れてしまいそうになるのが寂しいから読み返して嬉しくなって続ける、っていうことがあるんですけど、逆に「忘れられなくなっていく」っていうことが、未来の自分にとってどういう影響を及ぼすか分からないですよね。ずっとそのときの言葉で覚えちゃってることが、むしろ強迫的に作用するみたいなことがある可能性もあるわけで、書かないっていう選択がもたらす安らぎみたいなこともあるのかなって。そういうことは考えます。
ウメヤ:分かります。自分の中に回路があって、こういうことがあったらこの回路で書く、みたいのができちゃって。昔の日記を読み返したら、最近書いたことと全く同じこと書いたりとかしてて(笑)。
大崎:書いてることが絶対良い習慣! みたいなことじゃなくて、自分にとって書いたものを読み返すことだったり、書くという時間を持つことだったりが、今自分はそれは必要だからやる。でも今は必要じゃないからもういいや、と切り替えられるといいのかなって。絶対書かなきゃとか思わなくていいのかなって、ワークショップを終えて思いました。
日記屋 月日はお店をやるうえで、日記を定義する一つの基準を「日付のついている文章」としていますが、それに当てはまらない日記の形も少なくないと思っています。その人は日記だとは思っていないけれど、別の人から見たら日記として機能している場合や、日記という形式を強く意識しながらも、文章以外の媒体で記録や表現をする方たちも大勢いる、と考えています。
そこで第三回「日記祭」からは、日々続いていく生活の往来を「音楽」という形で記録されていると感じるミュージシャンの方々をお呼びして、〈生活者の音楽〉という演奏会を催しています。
前回は浮さん、東郷清丸さんにお越しいただき、そして今回は工藤将也さんとmmmさんにお越しいただきました。
背中のうしろの広いガラス窓から、椅子に座っている工藤さんやアコースティックギターに陽が当たって光っていました。3曲目の演奏が終わったところで、日記についてのお話をされていました。
「高校生の時にずっと日記をアプリで書いていて、そこからしばらく書いてなかったんですけれど、今年の9月にノートを買ってちょうど書き始めたところでした」
「日記を書くときは落ち込んでいる時が多くて、暗いことを書くことが多いんですけれど、でも書くと元気になってきたりしますよね」
リハーサル中には「日記の文章は人には見せられないけれど、それを歌という形にすることで人に見せられるようになるんですよね」とお話しされていました。
会場のガラス窓から見える区道をたまたま通っていたおばあさんがふらっと聴きに来る、という光景があり、座りながらも全身で踊っている方や、歌っている工藤さんの姿をまっすぐ見つめるお客さんたちが多くいらっしゃいました。
窓の外は暗くなり、照明も一段落としました。mmmさんが短い挨拶をしたあと、「えっと、基本、わたしは、日記のような歌ばっか作っているんで、そんな感じです」と少しはにかみながら言ってライブがはじまりました。
エレキギターをやさしい動きで弾きながらゆらゆら揺れて歌ったり、口笛を吹いたりしている姿を、ライブを目掛けてお越しくださった方や、普段からお店でドリンクを買ってくださっている常連の親子さんがじっと見ていました。即売会を終えた出店者の方も、何人かいらしていました。
途中、最前列で見ていた小さな女の子と男の子は楽しくなってきたのか、「きゃーぉ」「わぁーん」と声を出していて、見かねたお父さんがふたりを連れて会場の外に歩いていったとき、mmmさんが「暗い曲ばかりだったけれど大丈夫だったかな」「いい声でしたね」と言っていて、会場全体で笑顔になって微笑みの声がひとつになって聞こえました。
自分でつけた日記を本にして売る。そんな一見妙な催しが開催され、静かな熱気が起こるのも、誰もが「日記」を知っていることが支えているのだとあらためて感じる一日でした。日記を自分からつけ始める人は、どれくらいいるのでしょうか。学校で誰かに「つけなさい」と言われて始めた場合でも、あとで振り返ると生活の一部になっていて、その時々の自分の姿をうつす鏡になっていた、ということもあると思います。
日記は、その時の空気をしまっておける「箱」でもあります。厳重に鍵をかけてもいいし、いつも開けておいたっていい、おもしろい箱です。
これからもお客さんとの会話やワークショップ、イベントなどを通して私たちの日記観も更新していきながら、毎回少しずつ違う日記祭を企画できたらいいな、と考えています。どのような方とも一緒に、日記の魅力について共有していけたら嬉しいです。
日記屋 月日
〒155-0033 東京都世田谷区代田2-36-12
Webサイト
店舗情報
次回の日記祭の出店者募集については開催時期が決まり次第、SNSでお知らせします。
また次の日記祭をお楽しみに!
Twitter | 日記屋 月日
Instaram | 日記屋 月日
おしらせ
関連記事
連載
誰かの生活がただそこにあり、日記もただそこにある
2023/10/31
2023/10/31
傷痕まで自分の星座にできるひと
2023/05/10
2023/05/10
まなざしは光、見守ることは愛
2023/05/10
2023/05/10
“しっかりした”、とか“信頼できる”ではなく“安心できる”大人でいること
2023/04/30
2023/04/30
もし二人の日記が同じ場所にあったらそこはどんな香りがするのだろう
2023/04/30
2023/04/30
普段の生活も長い目で見ればきっと長い長い旅路
2023/04/26
2023/04/26
表現の間で揺れ動く思考を私も大切にしたいなと思いました
2023/04/26
2023/04/26
ある人から見たら
2023/04/20
2023/04/20
思い出話が盛り上がる時は、同じ気持ちを共有していた時間が過去にあったから
2023/04/20
2023/04/20
出会いや経験の蓄積は人によってずいぶん違ってくる
2023/04/17
2023/04/17
世界のその日のバランスの偏りみたいなものを感じます
2023/04/17
2023/04/17
newsletter
me and youの竹中万季と野村由芽が、日々の対話や記録と記憶、課題に思っていること、新しい場所の構想などをみなさまと共有していくお便り「me and youからのmessage in a bottle」を隔週金曜日に配信しています。
me and you shop
me and youが発行している小さな本や、トートバッグやステッカーなどの小物を販売しています。
売上の一部は、パレスチナと能登半島地震の被災地に寄付します。
※寄付先は予告なく変更になる可能性がございますので、ご了承ください。