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同じ日の日記

Ephedra/燈里

私達は皆、存在に欠如を抱き、それを他者から満たしてもらう

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2022年9月は、2022年9月25日(日)の日記を集めました。公募で送ってくださった燈里さんの日記です。

庭から名前を呼ばれて外に出ると、突然黒い影が飛び出した。真っ黒の犬だ。「!!!」声にならない叫び声を上げて後退りした。犬も低い姿勢で後退りしながらじっと見返してくる。友達のArianaとKellieが飼い犬を連れて家に遊びに来ていた。台湾ではよく見る中型の犬種で、私達はthe mountain dogと呼んでいる。黒い短い毛で覆われた体は細く締まり、小さな顔に尖った鼻先、三角の耳をピンと立てる、見るからに賢い犬だ。でもこの犬は絶えずあちこち歩き回りソワソワして落ち着かない。私達の家に来るのは初めてで警戒しているのかと思ったが、それにしてもちょっと異常な挙動不審だ。Arianaによると、犬は不安障害で薬を飲んでいるらしい。前の飼い主から日常的に空き缶を投げつけられていたせいで、ビールの缶を開ける音にビクビクしている。音に敏感で、私がケトルの蓋を開ける音にまで飛び上がって怯えていた。驚かせてごめんね。動き回って疲れたのか、洗面所の隅で真っ黒な体を暗闇に溶かして丸くなっていたが、私が1人でリビングでお茶を飲んでいると、音もなく近付いて来て不意に私の膝に顎を乗せた。「!!!(またお前か)」動物は苦手だが、恐る恐る頭を撫でると目を閉じて静かにしている。good girl. 犬を撫でてあげたというより、犬に撫でさせてもらったと感じた。

犬を撫でながら、「私を慰めてくれるのは誰?」という問いが頭をよぎった。これはアーティストのイ・ランさんがインタビューで問いかけた言葉だった。「他の人々の人生をこまやかに想像できる才能を持っている人はそう生きていくしかない」とした上で、でもその使命感を持つことが幸福であるとは限らないと話していた(*)。「私を慰めてくれるのは誰?」自分1人しかいないと思う。そもそも誰かが私を癒してくれるなどと期待してはいけないと思っていた。だからこの問いが立つこと自体が驚きだ。あらゆる感情を抑圧し自分の気持ちに1人で向き合ってきたから。それが強さで自立だと思ってきた。逆に誰かを慰めようとしたことはあったけれど、傷を負った男を癒す女役はもうやりたくない。本当は私だって傷付き怒っている。恋愛や性別の枠の外で人が人を慰めることは可能なんだろうか。私も誰かに慰めてほしいと願っても良いんですか。

*『わたしとあなた 小さな光のための対話集』p.347

0時にベッドに入ったが寝られず、時雨の音を聞きながら俳句を音読した。長い長い夜が明けて、薄暗い部屋でスマホが光った。5時半、スナネコからメッセージだ。大家をぶっ殺したいと沸き立っている。相変わらず朝から血圧が高いな……。本の話に移り議論が白熱したので電話に変えてもらった。最近拘置所から釈放されたばかりのスナネコさんは、勾留中に箸とニベアクリームで髪を七三分けにしていたこだわり、同室のヤクザをわざわざ威圧したエピソード、警察官からの質問に何一つまともに答えない回答集など、息を吸う間もなく捲し立てており、お腹の底から笑ってしまった。My Sleeping Karmaというドイツのサイケロックバンドを教えてくれた。エフェクトが効いたギターの揺らぎとうねり、反復を聞いていたら、目が回っていつの間にか寝ていた。

14時半に起きるとJuliaから長文のメッセージが届いていた。今Juliaを含め周りの友達が皆それぞれ辛い状況にあり精神的に苦しんでいること。特に昨夜は寝られず、友達と朝まで話して夜を明かし、その中で一度皆で集まって一緒に過ごす案が出た、と。こういう時こそコミュニティが必要で、1人きりで篭るよりも誰かが側にいて「自分は1人ではない」という感覚を再確認する時。燈里もコミュニティに不可欠な1人だから、今暗闇の中にいる予感がした。皆が集まり安心して共有できる場所を作るから、今日気軽に家に遊びに来て、というお誘いだった。

コンビニでチリの赤ワインを買い、自転車でJuliaのアパートに向かった。小学校の目の前、巨大な街路樹が堂々と葉を広げて並び木陰を作る閑静な住宅街。アパートの5階の呼び鈴を鳴らすと、出てきたJuliaが抱きしめて迎えてくれ、海老のサラダとチーズケーキ、クランベリージュースを出してくれた。先に友達が7人遊びに来ていた。特に何をするわけでもなく、皆着古した服でリビングのソファーやハンモックに寝そべりのんびり過ごしている。会話の話題がテンポ良く移っていく。貯金、健康保険、アメリカの中絶問題、薬物、石鹸、ジェットエンジン、観葉植物、転職、ウィスコンシン州のチーズ……。相槌を打ちつつ黙って聞いていると、Juliaがアパートを案内してくれた。キュレーターのJuliaの家には大小様々な絵画やポスター、写真、手紙が壁に貼ってある。切り花が飾られ、観葉植物が室内とベランダのあちこちで青々と葉を伸ばしている。zineのコレクションも見せてくれた。日々の生活と自分の審美感覚を大切にしているのがよく分かる。広い台所にはハーブが分類された瓶が並び、気分に合わせてハーブティーを調合して淹れてくれる姿はさすが良い魔女だ。Cards Against Humanityというお決まりのカードゲームで遊んだ。北米を訪れたことのない私は、アメリカの時事や生活文化に疎く、また皮肉や風刺の笑いが感覚として掴めないので、このゲームに勝った試しがない。今回は反キリスト教のジョークが通じ、数枚カードを取れて万歳した。ぼーっとしていると、友達がリップクリームを塗ってくれたり背中をマッサージをしてくれる。お土産にアロエとポトスとお香とコンブチャの種菌を分けて持たせてくれた。

22時半に帰宅して、早速もらったお香に火をつけた。甘い温かい香りが広がる。観葉植物も袋から出して水をあげた。台所に行き、種菌を入れる瓶を煮沸させるために鍋の水を火にかける。お湯が沸くのを待つ間、Juliaの言葉を思い返した。“I just want to create space and opportunity for collective healing through mutual support, love, and fun”.相互の支援と愛と遊びから生まれる共同的な治癒。今日はJuliaが皆をもてなしてくれたが、Juliaこそ一番友達と癒しを必要としていたのでしょう。役割の名の元、誰かが1人で他人の傷を背負ったり、2人で依存し合うのではなく、共同体の中で互いに支え合う。誰かを傷付けた暴力や抑圧構造に対して集団で怒る。1人で黙って壊れてしまう前に。私達は皆、存在に欠如を抱き、それを他者から満たしてもらう。欠如を補完し合っているとは互いに知りもせず。あなたの電話のたった一言、パーティーでのふとした動作が欠陥だらけの私を温かく満たし、その温もりが私を次の日へ繋げる。

私を傷付け怒らせてきたのは社会だった。でも私を慰めてくれるのもまた社会だ。私には他者が必要で、社会から完全に逸脱して生きることはできない。かと言って、社会に過剰に適応する大勢にはなりたくない。理想を掲げて学問と文化で社会の内側から社会を批判したい。人を目一杯愛し、そして愛される自分を許したい。愛というのは、性愛や家族愛だけではなく、友交から生まれる友愛や信愛もある。色々な形の深い愛情を持って人と接する姿勢、そして自分は複数の他者から愛されているという実感が人生において何より大切だと思う。9月25日の今日は、犬とスナネコとJulia、一緒にカードゲームをしたGrayton, Matt, Lizette, Danny, William, もう1人のWilliam, John, 友達1人1人の存在に私は確かに慰められた。

「いれものがない両手でうける」

— 尾崎放哉

燈里

1992年茨城県出身。台北在住。翻訳者、執筆者、作曲家。思い通りにならない不完全な自分の体を出発点に、女性性を取り巻く歴史と政治と呪術を探りエッセイを書く。
Akari is a translator, writer, and composer from Ibaraki, Japan, currently based in Taipei, Taiwan. Her writing focuses on the history, politics, and witchcraft surrounding womanhood and uses her imperfect and unwieldy body as a starting point.

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