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声のポスト

人それぞれの自由の形。あなたにとってのFree your mindって?40人の声(前編)

「自分だけの考えでは自由になれない」「おかしいと思うことは拒否する」

言葉にならない違和感が生まれるきっかけになったできごとや、社会に存在する問題まで、ひとつの「問い」を立てて、公募を含めたさまざまな人の声を集める「声のポスト」の企画。複数の声から、それぞれの思いや語りが同時に存在する社会そのものを見つめていきます。

あなたにとって、「自由」とは何ですか? me and youはクリーンビューティブランド7NaNaturalとコラボレーションして、少しでも自由に生きていけるあり方をそれぞれの持ち場で探る20名に加え、公募でもさまざまな方から「Free your mind」をテーマに声を集めました。ジェンダーやセクシュアリティ、環境や政治や宗教、どんな表現をするか、母であることなど、社会や自分自身のなかにある固定観念に向き合いながら、自由について考える計40名の声をお届けします。

🤍あなたにとっての「Free your mind」って?
1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?
2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?
3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?
4.世の中の「こうあるべき」によって不自由さを感じたことはある?
5.自分が特に縛られていると感じる、世の中の「こうあるべき」は?
6.何が変わったら、「こうあるべき」に縛られない?

※質問1〜3は記述式、4〜6は選択式。

🤍公募で声を寄せてくださった方々

前編
aiさん燈里さん飯嶋藍子さん出雲にっきさん小川莉歩さんgrrrdenさんぐりこさん古墳さんしずくさんJuliさん

後編
DesireさんtomokoさんNanakoさん日比楽那さんぽんこたさんmitsuamiさんめいびいさん由衣さん雪さん吉井さん

他にも、たくさんの方に声を寄せていただきました。この場を借りて、大切な声を届けてくださったみなさま、本当にありがとうございました。

前編では、質問1〜3に対して回答いただいた声のうち、まず20名の声をお届け。「それぞれが一番ベストな選択を胸に抱え生きていていい」と思うようにしていること、自由はただ耳障りが良く上滑りする単語であるだけでは何の価値も持たないといった言葉などが集まりました。

私の思う「自由である」とは、単純にやりたい放題色んなことをするという意味合いではない

アウファさん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

固定観念は、社会的環境や親子関係、生まれながら持つ気質、様々なものが複雑に絡み合ってます。
私にとって、大きな固定観念であるひとつに「人のために身を削ってでも尽くす」という正義感がありました。

SNSやニュースなどを通して人々の活動を目にしては、自分も偉業を成し遂げなければ人に認められない、何か特別なことをしなければ自分は価値のない人間であるという、優生思想的な考えに陥っていました。

自分は何をしたいかという気持ちよりも、人にとって自分はどんな存在でありたいかという気持ちが上回って行動すると、自分の場合は必ずと言っていいほど良い結果にならない(心が空虚になる感じ)。

自分本位が失われた行動に、本当の優しさは生まれないのだなと、適応障害になって初めて悟りました。

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

自分にとって一番生きやすい道を、自分自身で理解でき、実行できている状態だと思います。
いま幸せであることを自分で認められる時、自分のために時間を使っている時の流れを感じられた時に、自由である実感がわきます。

色々選択肢が与えられているこの世の中で、私はあえて“決まりが多い”と言われるイスラム教を信仰しています。
礼拝や断食、喜捨の義務、豚や酒は禁じられていること、女性は肌身を隠す決まりがあることなど、あらゆる戒律が人の生活を苦しめているのではとよく言われますが、私にとってイスラームの教えは、自分の心身をより豊かにするものであること、このガイドライン無くして、快適に過ごせないなと、成功・失敗体験を通して理解しました。

私の思う「自由である」とは、単純にやりたい放題色んなことをするという意味合いではないです。ある一つの軸に沿って、如何にしてこの身を有益に使っていくか。そこに自由な選択(意志)が与えられているんだろうなと思います。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

自分を一番労わることができるのは、やっぱり自分。
私の場合は、多くの人と関わるよりも1人の世界に浸るのが心地いいです。本を読んだり、歌を歌ったり、料理したり……どんどんアイデアが浮かんで楽しくなります。

私は面白いほどに悲劇的な高い感受性をもっていて、すぐにネガティブになる性格なので、ちょっとしたことでも膨大なエネルギーを使ってしまっては疲弊しています。一つ一つの出来事をできるだけ評価しないように、気持ちを言語化し整理して客観的に物事を捉える努力をしています。

あとは日々、出来ることや出来たことに目を向けながら行動しています。それらを一日の終わりに振り返っていくと、今日も善く生きたな〜と自然と思えます。特別な刺激で日常を埋めずとも、「ありきたりな地味な日常」こそが十分に尊いです。

大地の恵みを調理して味わう時、土いじりしている時、指を誤って切ってしまった時、人生いろいろあり過ぎますが、あらゆる悲劇や感動に対して感謝できる瞬間が一番の幸せで、最近はこれが私にとっての「リア充」なんだなと思いました。

アウファ

東京生まれ育ちのインドネシア人。昨年は自分や社会に絶望して適応障害になり、危うく人生を退場するところでした。これを機に心理学、精神病について勉強し、太宰治やフランツ・カフカなど、様々な人の「生きるための哲学」に触れることで生きる意味を再確認。アウファ 東京の新章のスタートを切る。生きるだけで精一杯。芸術昇華が好き。

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少しの成功体験が、私に自由な感覚をくれる

AYANAさん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

「きれいな人のほうが得」と思ってしまうことが多いですね。これは昔からそうです。理由は自分がきれいな人が好きだからで、だから仕方ないのですが、理想から遠すぎる自分を嘆く癖は、だいぶマシになったとはいえなかなか抜けません。ただこれは自分で設定した固定観念であり、社会から課されたもののようには捉えていません。

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

自分に自信が持てるとき、自分は自由だと感じます。たとえば、私が書いた文章に励まされたとか、私がすすめた化粧品を使って喜んでもらったとか、自分の考えたことが誰かのためになったとき。今日のメイクは結構いいかもしれない、って鏡を見て思えたとき。上手に夕食が作れたとき。少しの成功体験が、私に自由な感覚をくれるなと思います。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

結局、自分のことを好きになるように努力するということ以外にない気がします。そしてそれは(少しずつであっても)可能だと、これまでの人生を振り返って思います。自分のダメさを明るく嘆いたり、嬉しいことは大袈裟に喜んだり、人に褒められたらそのメッセージをスクショして専用フォルダに入れてつらいときに見返したり(笑)しています。
また、私は衝動的に色々なことをするタイプなのでとても難しいんですが、計画を立てる、目標を持つということはやはりとても有意義だなと思います。自分を生きることに責任が生まれる感覚があります。

AYANA

ビューティライター
コラム、エッセイ、インタビュー、ブランドカタログなど広く執筆。化粧品メーカー企画開発職の経験を活かし、ブランディングや商品開発にも関わる。2021年、エッセイ集『「美しい」のものさし』(双葉社)を上梓。
文章講座EMOTIONAL WRITING METHOD(#エモ文)主宰、OSAJI メイクアップコレクションディレクター。

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おかしいと思うことは、こうすべきと言われても拒否すること

イシヅカユウさん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

物の使い方や人への接し方、社会生活の中で、「自分は本当はこうするべきなのではないか?」と考えてしまう時。

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

トラブルやストレスが全くない状態ではなく、それらに向き合える精神の余裕があり、向き合うことで適切に処理できる状態。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

自分が「このようにするべきなのではないか?」と思うことや、社会から「こうするべき」と押しつけられることに対して、本当にそうなのか? ということを学び続けて、その規範がどう出来て、自分や社会にどのような影響を及ぼしているかしっかり知っておくこと。そしてそれと上手く距離を取っていくこと。おかしいと思うことは、こうすべきと言われても拒否すること。

イシヅカユウ

ファッションモデル。ファッションショー、スチール、ムービー等、さまざまな分野で個性的な顔立ちと身のこなしを武器に活動中。最近では俳優としてテレビドラマや映画にも出演するなど、活躍の場を広げている。

いろんなものから少しの間、距離を置く時間を作る

市川渚さん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

子どものころから「これが普通」だと刷り込まれてきた人生の在りようと自分の歩んできた道、これから歩む道を隣に並べて比べてしまうことがある。恋愛・結婚するのが普通、子どもが欲しいと思うのが普通、年齢を重ねたら丸くなるのが普通、などなど。普通=世の中のスタンダードということなのだと思うのだけれど、これが本当に厄介。誰が決めたものでもないし、第一、比べたって、何にもならない。大切なのは自分が納得しているかどうか、だと、頭ではわかっているのに。

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

ジェンダーやパートナーシップ、家族、他者との関係性、仕事、学びなどなど、人それぞれのかたちとさまざまな選択肢があること自体を知る機会があり、その上で自分が望むことを、自らの意志で、選択できる状態にあること。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

いろんなものから少しの間、距離を置く時間を作る。人がいない場所に行く。圧倒的な自然に囲まれると、自分がわだかまりを感じた悩み、そのもの自体があまりにちっぽけなものだなあ、と思えるから。納得のいかないことに対して声をあげて戦うことも大切だと思うけれど、逃げることも許したい。

市川渚

ファッションデザインを学んだのち、海外ラグジュアリーブランドのPRなどを経て、2013年に独立。クリエイティブ・コンサルタントとして国内外の企業/ブランド、サービスのコミュニケーション設計、コンテンツ企画・制作・ディレクションに関わる。

またクライアントワークの傍ら、自身でのクリエイティブ制作にも注力しており、フォトグラファー、動画クリエイター、コラムニスト、モデルとしての一面も合わせ持つ。丁寧なモノづくりと少し先の未来を垣間見れるデジタルプロダクトが好き。

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自分だけの考えでは自由にはなれない

eriさん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

いまだに「男らしい」「女らしい」などという価値基準が自分の中から無意識的に出てくるシーンがあります(とてもがっかりするし、この価値観をはやく刷新したいと思います)。

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

様々な人の、価値観、立場、問題意識、観念……その人自身の存在について……エンパシーを持とうと心がけること。自分だけの考えでは自由にはなれない。みんなでこの世界をつくっているからその中で自由であろうとするなら自分の中の多様性を広げていく他ない。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

なにも考えない、なにもしない、自分自身であること、をとにかく全部許す。
意外と他人からでなく、自分自身が自分を縛ってしまっていることって多いはずだから、まずはそこの枷を外してあげる。

eri

アパレル会社経営・プロダクトのデザイン・古着のバイイング/販売を通して、繊維産業、地球の環境課題、気候危機に対してどうアプローチできるかを模索中。
またアクティビストとしてあらゆる社会問題に関心を寄せ、またそれをどう市民が課題解決のためにアクションできるのかを考えシェアし、さまざまなプロジェクトを立ち上げ運営に携わっている。

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人は人、自分は自分

小谷実由さん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

第一印象で何かマイナスな印象を受けてしまったとき。その印象が合っていたり、信じたいと思うこともあるけど、一度落ち着いて自分が持つ出来る限りの様々な視点から考えたいと思う。

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

いまその瞬間の目の前のことだけを集中して楽しんでいるとき。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

出来る限りの様々な視点で気が済むまでベストな答えが出せるまで考える。自分の考え、答えはちゃんと持っているけど、人の意見を否定しない。人は人、自分は自分。

小谷実由

1991年東京生まれ。14歳からモデルとして活動を始める。自分の好きなものを発信することが誰かの日々の小さなきっかけになることを願いながら、エッセイの執筆、ブランドとの コラボレーションなども取り組む 猫と純喫茶が好き。通称・おみゆ。
2022年7月に初の書籍『隙間時間(ループ舎)』を刊行。

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例えば朝起きて一杯目に飲む水を、脚付きのグラスで飲んでも良いこと

苅田梨都子さん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

思い当たる選択肢が少なく、主観で判断してしまうこと。周りを想像できないことです。
過去に、私自身は恋愛の話はタブーで無いけれど、相手が話をすることすら好きでは無い方が居た時に自分は固定観念に縛られているんだなと感じました。

今はそういう方も周りに多く、配慮ができています。誰もが興味がある訳では無い話題もあるということを心がけています。

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

周りからどう思われようが気に留めず、自らが素直に心地良く居られる状態。余白があり、手を伸ばそうと思った時にすぐに行動できる状態。
例えば朝起きて一杯目に飲む水を、脚付きのグラスで飲んでも良いこと。本を読む時に、ロッキングチェアで読む方法や海辺に寝そべって読んでも良いこと。自分の感覚で、周りに迷惑をかけずベストである状態ならば、何をしても制限がないこと。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

自分と考え方が異なると感じている場合。話を投げ掛けた方に悪意は無く、その場では当たり障り無く過ごします。その後に、「でも私は違っていいんだ」と自分自身と対話します。それぞれが一番ベストな選択を胸に抱え生きていていいんだよなと思うようにしています。
また、他人と比べ過ぎないこと。自分の人生は私が決める。心配するのは周りではなく、自分自身と対話することを周りの人たちも同様に出来たらいいなと考え過ごしています。
実際の行動としては、上記に至るまでに心や身体の調子を整える必要があると考えます。
以前、アーユルヴェーダのオイルマッサージに通い、体調や心の乱れを整えてもらっていました。
最近は朝か夜にヨガをできる時に10分間程度。モヤモヤした気持ちを沈めたり、身体もほぐれて気分すっきりします。そして、考え過ぎないということも一つ大事なことだと思います。考え、立ち止まることは大切ですが、自身が感じたまま素直に動くことが心地よいということ。

苅田梨都子

1993年岐阜県生まれ。母が和裁士で幼少期から手芸が趣味となる。バンタンデザイン研究所卒業後、梨凛花を6年間手掛ける。
現在は自身の名を掲げたritsuko karitaとして衣類をメインに活動中。2022年4月より母校にてファッションデザインの講師としても勤務。洋画専門チャンネル『ザ・シネマメンバーズ』にて隔月10日コラム連載中。

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どれを選んだとしても「どちらが上だ」なんて言われなければ、無いはずの正解を追わせられすぎなければ

合田文さん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

可能性への固定観念は、自他両方に対してまだまだ溶かしきれていないかもしれません。

「達成できるかわからないから、既定路線で」という自分へのブレーキ。
仲間に対して「まだこれを任せるのは荷が重いかな」というブレーキ。

あえて社訓に「迷ったら野心的な方を!」という、固定観念を崩すための「ややマッチョな言葉」を掲げています(笑)。

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

選んでも選ばなくてもいい選択肢が、フラットに開かれた社会に生きること。
恋愛や受験、仕事、子育て、結婚など……なるべく多くの人にとって「する」も「しない」も「ときどきする」も「休む」も「がんばる」も、選びやすい社会であること。

どれを選んだとしても「どちらが上だ」なんて言われなければ、無いはずの正解を追わせられすぎなければ、私は、私の周りの人は、もっと悩みなく健やかに過ごせているはずなのにな。なんて思っています。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

より自由でいられる小さなコミュニティから探すこと、つくること。住む家や起業した会社がまさに、私にとってはそれです。根城をつくって、また大変な毎日に繰り出していく。

合田文

株式会社TIEWAの設立者として「ジェンダー平等の実現」などの社会課題をテーマとした事業を行う。共通点でつながる男性同士向けマッチングアプリ「AMBIRD」を運営。広告制作からワークショップまで、クリエイティブの力で社会課題と企業課題の交差点になるようなコンサルティングを行う傍ら、LGBTQ+やフェミニズムについてマンガでわかるメディア「パレットーク」編集長をつとめる。2020年、Forbes 30 UNDER 30 JAPANに選出。

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常に心に問いかけて、心のノイズをとったうえで、うきうきしたりあったかくなるほうの選択を

SAKURAさん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

あたしのまわりは自由な人が多くてまだ囚われてない方だとはおもうが、それでも小さい頃世間からずっとゆわれていた世間体や“ふつう”や“何歳までにこうあるべき”という謎のルールに無意識に自分の天井を低くしてしまってると感じることがある。
本当は自分が求めてることじゃないのにやってみたり、ぎゃくに本当はしたいのに我慢してしまったり。

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

全ての選択を自分が心地よい基準で決めることができる時。
たとえば誰かの意見に惑わされないでじぶんの素敵! やテンションあがる! を極められたり発信したりすること。
変化を恐れないで自分軸で生きていけること。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

現代は情報過多なのでテレビやSNSを見てるだけでも判断がにぶるときがある。
なのでなるべく情報をシンプルにすることがいまのあたしの課題です。
テレビは置いてないですが、SNSもインプット3アウトプット7くらいの割合で使っていきたい。
2年くらいからヨガや呼吸で内に意識をむける時間をつくってます。
そうすると自分の状態を客観的に感じて、フラットに戻しやすくなる。
常に心に問いかけて、心のノイズをとったうえで、うきうきしたりあったかくなるほうの選択を心がけています。

SAKURA

モデル・アーティスト
静岡出身 日本人の父とタンザニア人の母を持つ。
レゲエダンサーを経てモデルへ。体感の良さと表現力を生かし広告や雑誌、ランウェイ等で活躍する。
現在放映中の「Red Bull RAP賢者」ではDJ CHARI氏と共にMCを務めている。
2022年にはYOGAライセンス取得、身体とマインド両方のウェルネスを体現している。
Jamaicaに行って音楽・カルチャーを吸収するなどリアルなバイブスと生まれ持ったgrooveが持ち味である。

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たくさん寝たり、人と話したり、ダンスを踊ったり、もう働けません! と宣言したり

塩塚モエカさん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

「普通の〜」という言葉を使ってしまうとき。
普通の幸せがほしい、普通の会話がしたい、とか。
昔、恋人とそれでよくすれちがっていたけど、結局普通ってなんだったんだろう?

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

自分が満ち足りているとき。
自分に対して、好きとか嫌いとかの感情もなくて、ただ満ち足りていると感じるとき。
私の中にはあんまりない。でも、例えば余裕があって、本をたくさん読んでいるときとか、そんな状態になる。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

まだわからない。
余裕がなくなるととにかく落ち込むし、人との関わりもうまくいかなくなる。
でも最近はその原因が、自分のキャパシティを知らない間に超えていることだってわかった。

だから、その度に、たくさん寝たり、人と話したり、ダンスを踊ったり、もう働けません! と宣言したりしている。

塩塚モエカ(羊文学)

羊文学のギターボーカル。全楽曲の作詞・作曲を務める。
並行して行っているソロでの音楽活動は、映画やドラマの劇伴制作、CM歌唱など多岐にわたる。
また、そのアイコニックなキャラクターからファッション・カルチャーシーンからも注目を集め、モデルや文章執筆などでも活躍中。
羊文学としては、2022年4月20日にNew Album「our hope」をリリース。今年は5大都市のZepp公演を含む初の全国ツアー「OOPARTS」を全公演SOLD OUTで開催する他、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2022、SUMMER SONIC 2022 、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2022 in EZO、など数々の大型フェスにも出演。

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🫖あなたにとってのFree your mindって? ここからは公募で声を届けてくれた方々🫖

🫖あなたにとってのFree your mindって? ここからは公募で声を届けてくれた方々🫖

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🫖あなたにとってのFree your mindって? ここからは公募で声を届けてくれた方々🫖

公募の方々には、ニックネームを必須で、住んでいる地域、年齢、性別(女性・男性・その他)を任意でご回答いただきました。

自分のセクシュアリティはまだ明確じゃない、私が誰を好きになるかくらい私に決めさせてよね

aiさん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

人は異性を愛する
女性は毛を剃る
女性は子を産む

人は誰かに恋をして付き合うよねっていう考えがあまりにも当然視されすぎていると思う。特に異性愛至上主義にはよく出会う。どこの場にいても今彼氏はいるの? 好きな男性のタイプは? と聞かれる。年齢が高くなると若いうちは恋愛沢山しないとね〜って言うけど私はあなたじゃありませんって言いたいくらい。誰かを好きになることを否定したいわけじゃない、私だって人を好きになる。だけど私が女性という見た目だけで恋愛対象が男性だと決めつけてこないで。自分のセクシュアリティはまだ明確じゃない、私が誰を好きになるかくらい私に決めさせてよね。

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

“選択肢がある”ことは自分は自由かも〜と感じられる一つの状態だと思います。私が通っていた高校は県内でも上位に入る進学校でした。高校卒業後は有名大学に入ることが正解で、それ以外の選択は有り得ない世界でした。専門学校や就職を選択した子は300人中2人くらいいたけれど、落ちこぼれだからみたいな空気感があったように思います。当時はそれを不思議に思えなかったけれど、17歳が思い描く未来が有名大学に入ることだけ、それが唯一正しい未来だと口を揃えて大人に言われるのはあまりにも無情だなと思います。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

まだ模索中です。どうしても社会に、外に出ると、目には見えない“常識”が氾濫していて、なぜかそれに忠実に動いてしまおうとする自分がいます。でもこれって実際どうなの? と一度座って考えてみる、一人になって頭をぐるぐるさせることが、いつかのどこかの自分を心地よくしてくれると思っています。私の場合は夜寝る前に、体をほぐしつつその日の事をぽつぽつ振り返っては一人考えあぐねる時間を大事にしています。

(ai・千葉県・22歳・女性)

時に自分で首輪を外して帰属の集団から離れないと、知り得ない、実感できない真正の美しさや感動があります

燈里さん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

営業の仕事をしていた時、マニュアルの中に身だしなみの項目があって、女性はナチュラルメイクが推奨されていました。英語で「natural makeup」と聞けば、7NaNaturalのような天然由来成分を使った安全な化粧品を思い浮かべます。でも、その営業のマニュアルには、ベージュと茶系の薄いアイシャドウ、艶やラメの入っていないピンクの口紅、血色感を出すピンクのチーク、と化粧の仕方と色が具体的に指定されていました。ナチュラルメイクの「ナチュラル」は、ありのままの自然という意味ではなくて、女性は自然にこう見えるべきであるという、女性の外見に対する固定観念です。薄すぎず、濃すぎでもない化粧をすることで、理想の当たり障りのない顔に自分のナチュラルの顔を近付けるということです。それは私にとっては全然ナチュラルじゃない。自分のナチュラルを他人に決められたくない。

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

私にとって自由とは、ナチュラルであることです。「tame」は家畜が飼い慣らされている状態ですが、その対義語としての「wild」野生であること。そして孤独である状態です。自由は待っていれば与えられるようなものではないから、闘って獲得したい。「鎖は長くなれば長くなるほど重みを感じなくなってしまうから、ちょっとでも重たく感じたら自分から切るしかないのです、飼い犬に成り下がる前に」と先日友達のスナネコが言っていた。時に自分で首輪を外して帰属の集団から離れないと、知り得ない、実感できない真正の美しさや感動があります。それを直に目撃するために、自分の限界を超え、自分自身さえ壊して、徹底的に追求したい世界に1人でのめりこみます。そういう時、自由な状態にあると感じます。生きる方向性を持たない者には、自由はただ耳障りが良く上滑りする単語であるだけで何の価値も持ちません。持て余した結果、恐ろしくなって手放してまた他人に躾けられてしまう。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

SNSから距離を置くようにしています。SNSには、ナチュラルに見せかけた滑らかで触り心地の良いイメージが氾濫しています。自由という言葉が、本当は何の意味も持たないのに、ただブランディングに使われる記号と化しています。偽りの心地良さの虜になってもしょうがない。現実の私の顔には皺と傷があって、日焼けして黒子とシミがあり、毛が生えてザラザラで、時々ニキビができます。それを醜いからと言ってカバーも修正もしないし、美しいと称えることもしません。ただそれが私のナチュラルであると見つめます。そこにハートのラメを振りかけたり、友達から金の口紅を塗られたり、リキッドアイシャドウを頬に涙のように流してみたり、黒子に線を足して音符にして遊んでいます。私のナチュラルはSNSでは見つけられない。それが私のナチュラルメイクです。

(燈里・海外・29歳・女性)

もっと知る(客観的にも主観的にも)、もっと選択肢を見つける、自分の偏りを理解していく

飯嶋藍子さん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

英会話の先生がイスラム教徒なのですが、異教徒の人と結婚できないと聞いた時に驚いた自分に固定観念があると感じました。自由恋愛が許されないことに息苦しさを感じている人もいる一方、信仰によって幸福感を感じる人も多いはずです。日常の行動や考え方が自分とはまったく違う人に対して驚きを感じた時は(ポジティブな驚きでもネガティブな驚きでも)、自分のなかに固定観念があることに気づかされます。

また、ライターとして様々な人の固定観念に関する意見を聞くなかで、自分がどうありたいかよりも、「固定観念をなくすべきだ」というある種の強迫観念を感じることがあります。とんちのような話になってしまいますが、「固定観念をなくすべき」という言葉にふさがれて何も言えなくなってしまう時、その「べき論」に縛られていると感じます。

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

自由である/自由でないと考える必要のない状態が自由だと思います。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

一度自分とは切り離して考えてみています。感情を一切入れずに監視カメラのような目線で、目の前で起こっていることを見直すと、気持ちが整理されます。答えはひとつではないということを前提に、ただただ整理しています。
それでもモヤモヤする時は、「〇〇すべきと言われて違和感を感じたんだけどどうかな?」と、今度は感情を入れながら夫やシェアハウスの住人たちに話します。夫たちの言葉によって、俯瞰して整理したことと生身の自分の意見がつながったり、思わぬ発見が得られたりします。もっと知る(客観的にも主観的にも)、もっと選択肢を見つける、自分の偏りを理解していく、ということが、心地よさに繋がっている気がします。

(飯嶋藍子・東京都・31歳・女性)

不自由だ、と感じた時は、怒ったり泣いてもいいんだと言い聞かせ、枯れるまで涙を流してみる

出雲にっきさん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

成人しているからと自分の行動を大人らしくしようと制限してしまうとき。
自分自身は全く気に留めてもいなかった方向で、人を傷つけてしまった時。わたし自身の考えや感じ方がその人にとっては刃となってしまったことが、その無自覚さが、わたしの固定観念の形なのだと感じた。

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

(友人も愛する人もすべての垣根を超えた意味での)好きな人へ、あなたが好きだと思える瞬間。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

不自由だ、と感じた時は、怒ったり泣いてもいいんだと言い聞かせ、枯れるまで涙を流してみる。それは、剥き出しになった心のザラザラした面と向き合うことでもあるから、自分だって苦しいし、その時の自分の心の形はどれだけ理不尽なことで剥き出しになっていたとしても、怒りのせいで皮肉になって歪んでいる。でも、忘れないように、そんな自分も無かったことにならないように、恐る恐る触れてみて、わたしはこのように傷ついたんだ、とザラザラを確かめて、そうしてまた自由や幸せについて考える。

自分自身の固定観念に縛られていると感じた時は、そうなってしまったことを一旦受け止め、何故そうなっているのかを誰かに打ち明けて客観視してもらい、アンサーから感じたことを文字に起こしてみたりする。窓口を増やすこと、何人かの友人と分かち合うことは、わたしの中でとても大切な時間になっている。

(出雲にっき・東京都・21歳・女性)

目の前にいる人を大切にしながら、自分のことも同じくらい、もしくはそれより少しだけ大きく大切にできたとき「わたしは自由だ」と思う

小川莉歩さん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

「今、私の行動を周りの人はどう思うのだろう?」と、自分の心の次にそんなことを考えてしまうとき。
自分の一番の味方は自分であることや、自分が行動しなければ何も変わらないことは頭では分かっている。けれど、人と違う行動を取るときは特に「周りの人はどう思う?」という声が次から次へと自分の中に浮かんでくる。
例えば、みんなでご飯屋さんに行ったとき。なんとなく、食べたいものがあっても自分だけ違うものを頼むのは勇気がいることのように思う。例えば、自分はこれから何をしていきたいか考えるとき。自分の声だけに従って生きることは、選ばれた人にしかできないことなんだと弱気になる(もちろん、本当はそんなことないのに) 。
小さなことから大きなことまで。“誰かに見られている自分”がいつも私を縛っている気がする。
そんなの考えすぎだと、思えば思うほど縛られていく気がする。

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

1.で書いたように、「自分はこうしたい」という感覚に素直に行動できたとき。ご飯屋さんで、自分の好きなものを「これがいい!」と頼めたとき。
誰かと意見が違っても、相手の意見は尊重しつつ、「私はこう思う」を独りよがりではなく発言できたとき。
縛られずに、自分がやりたいことをする。けれど、自分勝手とはまた違う。目の前にいる人を大切にしながら、自分のことも同じくらい、もしくはそれより少しだけ大きく大切にできたとき「わたしは自由だ」と思う。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

自分や、自分以外の言葉に触れる。日記を書いたり、読書をしたりする。
「私ってこう思っているんだ」と客観的に自分を見つめ直す、自分と仲良くする時間をつくる。
もしくは、「いつも頑張っているからいいよ」と自分を甘やかす。少し豪華なランチを食べたり、通勤前におしゃれな飲み物を買ったり。自分を褒める時間を作る。

(小川莉歩・東京都・24歳・女性)

自由はどこか遠くにあるものだとずっと思っていたけれど、本当は自分の中に一番近くにあると知った時、世界は敵ではなく味方でいてくれる

grrrdenさん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

朝起きてすぐにやらなければいけないことが頭の中を駆け巡るとき、新しい1日の新鮮さと創造性よりも、過去や思考のあれこれが気になって、そうやってそれらに気を取られている自分に気づくと、まただ! とどこか虚無感に襲われそうになる。何にも縛られていない解放感を感じたい一方で、どこか何かに縛られることに安心感を感じている自分もいるような気もしている。毎日の予定やTO DO リスト、誰かとの約束や仕事の時間。空白の部分がないように埋めていくときの楽しみと、埋まらない時の小さな孤独感で結ばれた紐はどこまで続くのだろうと考えると途方もなくなる。今を感じることの大切さも知っているけれど、どこからかやってくる あれもこれも やらなくちゃ/やりたい/ちょっと待って……と頭をよぎるたくさんの声にうんざりもする。きっと本当に大切なことは何かわかっているはずなのに、どうしてすり抜けていってしまうんだろうと落ち込んだりして、少し経ってからそれは社会の眼差しや誰かや何かとの比較、固定観念からの矢印で向けられていた方向で、自分の向かいたい場所ではなかったことにはっと気づくことがある。固定観念に縛られているときは、大抵どこか頭で考えてしまっていて、自分の心と体の声から遠ざかっている時だ。それはわたしがわたしであることを誰か何か他のものに明け渡したり、社会の大きな声に飲み込まれそうになる時に起こる。

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

自分自身にも誰にも社会にも判断されず、わたしを覆うものを脱ぎ捨てて裸になること。
広大な景色や海の音、木々の揺らぎの余白に垣間見る共通の何かに触れた時、自分の内側の静けさの中に帰る感覚の中に自由を感じる。

自由はどこか遠くにあるものだとずっと思っていたけれど、本当は自分の中に一番近くにあると知った時、世界は敵ではなく味方でいてくれるように感じる。
ここではないどこか、今はまだない何か、このわたしではない憧れの中の自分。そこには本当の意味での自由は無いのかもしれず、唯一安心して信頼して帰れる場所は今を生きている自分の心と体なのだと思う。
誰になんと言われようと、わたしは今わたしを生きていることに違いはなく、できたこともできなかったことも、得意なことも不得意なこともあって 、そうしたさまざまな自分の側面を受け止めて、安心感という大きな布に包まれて心と体が歌うとき、わたしはそこに自由を感じている。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

心と体の声を聞いてどんな自分の状態でも、まずは受け止めていくことを大切にしている。
こうだからいい、ああだからだめと言った呪縛から解放される時間。
それは、身近な植物や空を見上げたときに広がる世界に親しみを持って接していく感覚に似ている。そこでは、社会的の中で染められてきた在り方を離れて、自然の循環に自分を繋ぎ直すことができる。

たとえば、夕日を追いかけて海に向かったり、誰もいない静かな浜辺で貝殻の視点になってみたり、街を歩きながら植物に触れてみたり……。

自分がわからなくなった時には、まずは安心できるように休むことを許可して、それからいきたい場所へ行ったり、会いたい人に会ったり、食べたいものを食べ、心地よい言葉や音楽や景色に浸って、解放感を感じたり、心が動くもの、体が動きたいように過ごすことで自分との親密な関係性を築けていける気がする。

(grrrden・広島県・女性)

小さな(でも大きな)喜びをかみしめてみることができたらいいな

ぐりこさん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

パートナーがいる人、子供がいる人に対して引け目を感じてしまうとき。

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

固定観念や世間のフィルター、バイアスに縛られすぎず、自分の考えで判断したり、何かを選択し行動できているとき。
自分の足で立っていると感じることができるとき。
自分の考えていることや思っていることをきちんと言葉にできてそれを仲間にシェアできたとき。相手の考えを聞くとき。
話をしながら新しい感覚や考え方、バイアスにとらわれない考え方に出会えた時。
それについて考えて、話し合うとき。
好きなことをとことんして楽しい!! と感じているとき。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

なぜ心地よくないのか、わかっていないときには(もやもやするなど)そのことについて考えてみる。
なぜもやもやするのか。どうしたら心地よくいられるか。
気が乗れば、紙に書いてみる。
安心、安全な場所でシェアしてみる。一定期間考えてみても、答えが出ないときには、一度そのことから距離を置いてみる。
この人っていい風が吹いてるな、と思う人に会いにいく。
可能であれば、その人とお話する。関係のない話でもいい。そのバイブスに触れる。
その状況以外のところで思い切り自由になる。
そのような状況のあとには、スイッチを一度オフにして、のんびりしたり好きなことをとことんする。
本を読んで、本の世界をTRAVELLING WITHOUT MOVINGする。
上記同様に音楽、映画などで感覚を研ぎ澄ませたり、心に耳を傾けてみたり、あるいはリセットする。
あと、大きく深呼吸もする。

どうしても自由でいられない状況のとき、たとえば病気で入院とか、介護とか、子育てとか……のときには……想定ではあるけれど、小さな(でも大きな)喜びをかみしめてみることができたらいいな。ごはんがおいしい、とか。天気がよくて気持ちよかった、とか。
そして少しでも自分の時間ができたなら、上記のことをして心地よい時間をつくりだせますように、と思う。

(ぐりこ・東京都・42歳・女性)

ある程度社会の固定観念に縛られながらも、自分の中でそれを否定できる状態であること

古墳さん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

先日母校の中学校で卒業生のお話として自分自身のことを話す機会がありました。話の中で趣味である料理の話をしたのですが、話の終わりに「是非みんなもお母さんと一緒に作ってみてね」という言葉を掛けました。

お話が終わった後、担当の先生に「あの中にはお母さんがいない生徒もいるから言い方変えた方が良かったかもね」と声を掛けていただいた経験があります。

私は今まで両親の仲も良く裕福ではありませんが特別貧しいわけでもない、兄弟仲も良好な家庭で育ちました。しかしよく考えてみると様々な家庭の形がある現代で、私のような家庭は最早大多数とは言えないのではないかとも思います。

今まで偏見や差別については気をつけて発言してきたつもりですし、今回の発言についても悪意があったわけではありません。ですが、まだまだ無意識下での差別や固定観念は存在するのだと気付かされた瞬間でした。

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

ある程度社会の固定観念に縛られながらも、自分の中でそれを否定できる状態であることだと思っています。数年前「自由でいること」を意識していた時期があったのですが、ふと考えてみた時に「自由でいること」に縛られてしまっていることに気づいた瞬間がありました。確かに自由を求めることは必要ですが、「自由でいること」を考えすぎると自分の本当の思いや考えを見失ってしまうなとも思います。「自由でいること」と「縛られること」は表裏一体な存在だと思っています。なのである程度世間の風潮に乗りつつも、それを受け入れる前に「本当に正しいことか」「自分を苦しめる内容ではないか」を考えることによって自分なりの「自由」を実現できるようにしています。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

一度考えることをやめて世論に流されてみる。その上で自分の考えを客観視してみる。

(古墳・22歳・女性)

私は今、この意見を、考えを自分で見つけ出した! ってなったとき、自由を感じます

しずくさん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

どんな夢を持ったって、結局私は日本にこもって、大学行って、ふつーにサラリーマンして、社会に対する不満をどこにもぶつけず行動できずして終わっちゃうじゃないかと思ってしまいます。多分、自分なんかに世界中をまわったり、行動を起こすなんてできないんじゃないかと自分を信じきれないです(世界を旅して世界を広げたり、社会問題への活動をしたいと思っています)。うまく言えないですが自分なんかにできやしないっていう固定観念に縛られてる気がして、未来の自分が行動できるか怖いです。今の自分も、その夢への準備をするのにびくびくしてる気がします。

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

誰かの意見に依存せず、自分で自信を持って意見を持てること。これは最強の自由だと思います。私はすーごい苦手ですが(笑)。
ジャーナリストとか作家とか政治家とかを信頼してるって言ったら聞こえが良いですが、悪く言えばその人たちの言うことなんでも鵜呑みにしてなんでも正しいと思っちゃいます。そういう自分が嫌なのですが、中々そこから抜け出せません……。でも頑張って自分の意見を持てたときは、快感です。私は今、この意見を、考えを自分で見つけ出した! ってなったとき、自由を感じます。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

1で書いた固定観念に対抗するために、私はできる!!! 先のことを考えすぎてびくびくしない!! 今できることをしよう!! ってとにかく自分に言い聞かせます(やっぱり固定観念とはちょっと違いますね……ずれた回答でごめんなさい)。2も同じような感じで誰かに頼って意見をコピーしてる私がいたら、だめだめ1回いろんなひとの意見聞いてから自分なりに考えてみようって言い聞かせます。

(しずく・神奈川県・14歳・女性)

生物学的な性別だけで、いつも同じ色が選ばれてしまうことに、不自由さを感じた

Juliさん

1.自分が固定観念に縛られていると感じるときってどんなとき?

女だから礼儀正しく振る舞わなきゃだよな、という固定観念に嫌気が差しているのに、それを打ち壊して非難されることが怖くて、結局その固定観念に従ってしまうこと。自分の真の考えに蓋をして偽っているようで、疲れる。

祖父母や世間から度々言われてきた「女は立場的に弱いから人一倍気を付けるべき」という固定観念。本当は全身の力を抜いて、風を感じて、休みたいときがある。けれど上記の言葉を受けて、常に警戒をしなければならない、気を抜いてはならないというジレンマに苦しみ、行動は制限される。

祖父母が私にくれるプレゼントの色が、必ず赤であること。その理由が「あなたのイメージに合ってるから」などであれば良かった。実際の理由は「女の子だから」。生物学的な性別だけで、いつも同じ色が選ばれてしまうことに、不自由さを感じた(その度に自分の感情を説明してるのだけれど、買うたびに先入観が先立ってしまうみたい) 。

コーディネートを組むとき、「これはちょっと女性的すぎる?」「もう少し肌を見せて、女性らしさを足した方がいいかな?」「女性なのに露出してることで、危険な目に遭うかも」など、生物学的に女性であることに対する固定観念に縛られて、ファッションがときおり窮屈になっていると感じる。

中年の男性だから、甘いお菓子よりも酒のつまみになるしょっぱいお菓子の方がいいかな?と無意識に考えてしまっていたとき。

会話の始めについ「普通に」と付けてしまったとき。普通ってなんだ?人それぞれ、想像する普通は違うものだよね。そう思ってるのに、当然のフレーズのように、出てきてしまうときがある。

2.自分自身にとって「自由である」とはどういう状態だと思う?

好きなことをして生きているとき。私はいま、住み込みのお手伝いをしながら大好きな旅をしています。毎日のお掃除を終えた後に疲れを癒している瞬間、ふと、「あぁ私ってどこへでも行けるし、何にでもなれるし、自由だな〜」と感じます。

3.自分が心地よくあるために、どのように考え、過ごしてる?

自分を癒すことを最優先にして、過ごしています。疲れが溜まっていたら、一人の時間を作ってセルフケア瞑想をしたり、ただ寝転んで風を感じたり、ヒーラーさんの元に足を運んだり。まずは自分を満たさなければ、誰をも満たすことができないからです。

(Juli・千葉県・21歳)

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