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同じ日の日記

Joy to the World/燈里

翻訳、作曲、滝壺。全ては遊びの延長で、全てを楽しむ素養がある

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2022年8月は、2022年8月15日(月)の日記を集めました。公募で送ってくださった燈里さんの日記です。

5〜7月は友達のスナネコと2人で1本ずつ「同じ日の日記」を書いてきた。「同じ日」という条件の下で各々が日記を書いても、当然同時期の異なる場所の異なる生活があるだけで、私と「誰か」の日記がただ並列されるに過ぎない。そうではなくて、異質な「あなた」と一緒に日記を書く行為を通して、私と「あなた」が交差し、影響し合い、混ざり合い、反発し合うことで、「私とあなた」というテーマを深めたいと思った時、スナネコに声をかけようと思った。数多くの友達の中でもスナネコでなければならなかった。理由は複数あるが、1つは親しくなる前から私に「全てを楽しむ素養がある」と言ってくれたから。そして同じ素養を私もスナネコにも見出したから。2人で日記を書く時は日付以外にも条件を設けてきた。例えば、5月はそれぞれの朝の音の録音を交換して、相手になりきって相手の朝の日記を書いた。6月は雨、7月は健康という共通の題材を立てて「同じ日の日記」を書いた。どれも互いに補完し合う、相手がいなければ成立しない日記だ。そしてあっという間に8月になった。

スナネコは毎朝早くから70年代の古き良きロックとパンクの曲を送ってくれる。どれも尊厳についての音楽だ。自由と愛を求める闘争の歌。スナネコはこれまで「同じ日の日記」で毎回朝について書いてきた。それは朝の時間を1日で一番大切にしているからなんだって。生死の境目を綱渡りしたことがある者にとっては、日常のどんな些細に思える習慣にも意義がある。全ての朝、全ての食事、全ての入浴、朝聞く音楽の1曲1曲。全てが、今日も自分は生きている、今日も自分の体は確かにここに存在している、という思いの発露だ。

毎朝選曲してくれていたスナネコから連絡が途絶えて2週間になる。最後にかけた電話を通して、彼が逮捕されるやり取りを黙って聞いていた。スナネコが駅員と警察官に対して1時間吠え続けた後、手錠の金属音、そして身柄を拘束され、急に静寂。深夜のホームに電車が到着する音。現場に残った警察官が鞄から身分証明書を見つけ出し、スナネコの名前と生年月日と住所を2度ずつはっきり読み上げる。そしてスマホを見て、私と電話が繋がりっぱなしだったことに初めて気付き、通話は切られた。完全な無音。

元々この日は8月15日の「同じ日の日記」を一緒に書くために電話をかけていたけれど、予想外の事件になってスナネコと一切連絡がつかなくなってしまった。いつ戻ってくるのか見当もつかない。日記の締め切り日である今日、9月5日まで待ってみたけれどまだ連絡がない。だから、今回は初めてスナネコ不在で私1人で書く「同じ日の日記」。
 
 
8月15日月曜日 台北 燈里
アートコレクター向けに助言と支援をするZETTAIという国際企業がある。台湾の現代アート専門誌White Fungusと共同で、アートの批評や作家への取材記事を掲載している。私はこのプロジェクトに2年前から関わり、記事を翻訳してきた。その過程で得たスキルや経験が元になって、翻訳業務を受注するようになった。今月ついにZETTAIの公式ウェブサイトが立ち上がり、オンラインでも日本語の記事が公開になったのはめでたい。インドネシアのアーティスト、ムラティ・スルヨダルモのパフォーマンス作品の評論は、翻訳を担当した中でも気に入っていて、早速ウェブに上がっている。
 
 
過去2年で記事の翻訳は終えたので、先週から日本語版のウェブサイトの翻訳に取り掛かり始めた。「情報」と「サービス」のページ用にZETTAIの活動内容を淡々と訳していく。先の翻訳者が投げ出した仕事が私に回ってくるのはよくあること。その分締め切りと予算がキツくなっているのもいつものパターンだ。読み物コーナーの紹介が「Our articles are a cultural vitality in its diffuse, manifesting across the globe」とある。ugh this is tricky. 原文の文法が間違っている。vitalityは本来不可算名詞だし、diffuseは動詞と形容詞なのに名詞として使われている。この文脈でmanifestが使われるのも違和感がある。でも原文の正確さより、内容を汲み取るのが仕事だから、意味を拾い思い切って意訳する。「ZETTAIの記事は、文化が生み出す活力を世界中に伝えています」。翻訳文と共に、一応文法の間違いもまとめて社長に送った。

両脚のあちこちに広がる大小様々な青痣が20個、ぶつけた時はハイで何も感じなかったのが、今更ジワジワ痛くなってきた。でも全然平気。怪我や痛みがなければ経験したとは言えない。一昨日13日は友達4人と山頂にある滝に泳ぎに行った。Graytonのバンで台湾の東部、宜蘭県に向かったが、これまでGraytonの車は運転中に故障しなかったことがない。今回もバックドアが閉まらなくなったのをテープで貼り付け、38度の炎天下のトンネルでエアコンが壊れたのは頭に氷を乗せて乗り切った。汗だくで南澳に着き、山道のない山の岩をよじ登り、深い川を泳いで渡り、ロープで崖を登った。競技は苦手でも、登山や海川の水泳は自然にできて不思議だ。最初から体がやり方を知っているようで、力まず体が伸び、全身エネルギーが漲る感じがする。

3時間かけて山頂の滝壺に到着。滝の音を聞きながら仰向けでずっと浮かんでいた。ScottsのスピーカーからPolo&Panのアルバムが流れている。シロオビアゲハとナカハグロトンボが空をヒラヒラ舞っていて、黒い翅が太陽に透けている。滝は虹色だ。この山には私達以外人間は誰もいない。

岩石の上に仁王立ちしていたPetrが突然真横に飛び込んできたせいでひっくり返った。17日にRed Roomでパフォーマンスをしてほしいと持ちかけられた。PetrはサイケロックバンドUrban Fungusでブズーキを弾きボーカルをしていて、17日のライブに一緒に出る友達を誘っているということだった。ピアノを弾いても良いし、オリジナルの詩を朗読しても良いから、30分くらい何か発表してくれないかって。結構適当だな……。Petrは彼が純粋にその感性に興味を持った実験的なアーティストに声を掛ける。だからPetrの周りには、性格が暗くてもコミュニケーションが不器用でも無名でも、自分の世界観を1人で大切に磨き続けてきた、癖と実力と誇りのあるアーティストが集まる。彼らは互いの感受性を宝物のように認め合っている。

Petrの誘いを二つ返事で承諾したので、今日はパフォーマンスに関して宣伝用のプロフィール文や作品の概要、当日必要な機材についてざっくりまとめてJuliaに送った。主催者のJuliaはしっかり者で、企画は彼女に任せれば安心。台北在住の若者によるサイケデリックなアートや音楽シーンはJuliaがアートスペースoomphのキュレーターとして場を作ってきた。返信代わりに送られてきたリハと本番のスケジュールを確認する。今回私が発表することにしたのは「黒い帯」という作品。黒子について書いたエッセイを朗読し、自分の黒子を採譜した楽譜を同居人のCullenにピアノで弾いてもらう。元々は昨年11月に作った作品だったので、コンビニでエッセイを印刷してきて久しぶりに読み返した。日本の作曲コンペ用に日本語で書いていたが、Cullenに手伝ってもらって時間がある時に英訳しておいて良かった。文章を書く時も、いつも最初に英語でアイディアを出して友達に相談し、実際は日本語で書き、そして発表後また英語に訳して友達からフィードバックをもらう。リビングで仕事をしていたCullenに声をかけて、どういう風に演奏してほしいか、簡単な打ち合わせをした。これで明後日のパフォーマンスの大体の準備は済んだはず。滝もライブも全て私達の遊びの延長にあり、皆の創造的な思いつきとDIY、特技を組み合わせることで形になるのが楽しい。

私は冷酷で邪悪で全然優しくない、と仲の良い友達は口を揃えて言う。それはそうなんですが、でもある種の優しさがないと翻訳はできないと思う。文章の行間やニュアンスや単語の選択から原文の真髄を拾い、それを文化の差異を超えて別言語に書き換える作業は、英語話者と日本語話者双方の読者の立場に立つ思いやりが必要になる。姿の見えない他者の視点への想像力が問われる。だから、私の翻訳は必ず精読と原文を書いた人への質問から始まる。それはパフォーマンスも同じで、異なる五感と感性を持つ観客にどう映るかを強く意識する。書き物も同じだ。今この文章を読んでいるあなたに届くように、私的な日記を読める形で書き表す。相手は根本的に異なる人間で分かり合えないと知りつつも、敬意を持って相手に耳を傾け、自分を開いて寄せていく。そこから創作が始まる。翻訳も音楽も執筆も私1人では成立せず、受け手と仲間がいて私は書き手になる。他者の存在によって初めて私は口が利けるようになった。

定時で退社したR君から17時半きっかりに電話が掛かってきた。スナネコは共通の友人で、彼が兵庫県警を「娑婆僧」と罵ったくだりで一緒に笑った。Rはスナネコが逮捕されたエピソードを面白おかしく替え歌にしてご機嫌だ。曲名は「ワンモア・シャブ・ワンモア・プリズン」だって。友達としてはノーモアにしてほしいんです……。Rはよく退勤の車から電話をくれ、真面目に鋭い批判をすることもあるが、基本的にはどうでも良い冗談を言って自分で笑っている。Rもスナネコもとにかく口が悪い。でも口調ではなく内容に耳を傾ければ、ふざけ方が機知に富んでいてユーモアと優しさが垣間見える。

R君が家に着いて電話を切るのが18時過ぎ。スナネコの朝のプレイリストをランダム再生してみると、Three Dog NightのJoy to the Worldが流れて、歌詞にゲラゲラ笑った。♩You know I love the ladies / Love to have my fun / I’m a high night flier and a rainbow rider, and a straight-shooting son of a gun♩こんなの絶対女好きで人間味溢れたヤク中が書いたに決まっている、たぶんコカインかな。ふざけ倒しているけれど愛がある歌詞だ。♩Joy to the world / All the boys and girls / Joy to the fishes in the deep blue sea / Joy to you and me♩ほら、世界とは、男だろうが女だろうが、私とあなたの存在を一緒に楽しんで祝福することだと1970年から歌っているよ。私は他者の本音を聞かせてもらうことを通して、自分の言葉と感情を取り戻してきた。そこで触れた優しさを仕事や創作や友人関係に移してきた。スナネコは今頃拘置所で何をしているかな。反省しているかな。悪態をつきながらも元気でやっていると良い。どんなご飯を食べているんだろう。窓はある?暇で筋トレばかりしてそう。誰かにとっての加害者は私の友達。あなたには不可侵の尊厳があって替えの効かない存在だから、いなくなった人を思う喪失感を埋めるものはない。早く娑婆に帰ってきて。9月はまた一緒に日記を書いてもらわなくちゃ。

燈里

1992年茨城県出身。台北在住。翻訳者、執筆者、作曲家。思い通りにならない不完全な自分の体を出発点に、女性性を取り巻く歴史と政治と呪術を探りエッセイを書く。
Akari is a translator, writer, and composer from Ibaraki, Japan, currently based in Taipei, Taiwan. Her writing focuses on the history, politics, and witchcraft surrounding womanhood and uses her imperfect and unwieldy body as a starting point.

『White Funges』

台中を拠点にした、現代アートのインディペンデント雑誌。編集者はニュージーランド出身の兄弟Ron HansonとMark Hanson。 2004年に「純粋なアナーキー精神」に基づき、企業の利益が地域社会の価値や関心事を操作する現状に対する抗議として、カウンターカルチャーとなる雑誌を創刊したのが始まりとなった。世界中のアナキスト、フェミニスト・アーティストへのインタビュー記事を始め、展示や論評まで読み応えのある記事を掲載してきた。これまで16刊を発行。一部の記事の日本語訳は順次ZETTAIで発表予定。

White Funges 

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