アリサさん
1.なぜ社会に音楽はあり続けるのだと思いますか?
社会に音楽が「ある」というよりも、社会に生きている以上、人間は音楽を「見出し」てしまうのかもしれないと考えました。
「すべての人にとっての、すべての障壁が完璧に無い社会」という理想郷は、一人ひとり違う人間が集まってできる「現実の社会」には起こり得ないのかもしれないと最近思います。
自分とはどうしても異なる「社会の隣人」たちと、時に衝突したり傷つけあったりしながらも手をとりあって共に生きていくためには、自分も社会の痛みの一部を引き受けなくてはいけない場合があるということ。そのことからもう目を逸らしてはいられない、という気がしています。
でも、やっぱり、その痛みを淡々と処理していくっていうのは人間には難しい。だから、日常のちょっとした音や経験や感情から「音楽」を「見出し」て、痛みをやわらげるために/あるいは痛みしか知らない存在にならないために、「文化」をつくるのではないかと思いました。
2.日本でたびたび言われる「音楽に政治を持ち込むな」という意見についてどう思いますか?
日本の文化圏だと「差別に反対する」という内容を歌っただけで、「政治的」と揶揄されてしまうイメージがあります。だけど、「差別に反対する=政治的」というのもちょっとヘンな気がします。
なぜなら、本来であれば、差別をゆるさないことが政治の土台であってほしいと思うからです。
それに、政治的でないものなんて究極存在しないとは思うのですが、「政治的」とわざわざ抽出して言及されるものがどんなものかといったら、「現状の政治に抗議する内容」のことが多い気がします。
その前提の中で「差別に反対する=政治的」という方程式が成立しているのだとしたら……。考えると怖くなります。
3.あなたの生活のなかで、音楽はどのような存在ですか?
社会のなかのルールや基準に自分がうまく当てはまれないと感じることが多いので、自分の気持ちや状態を的確に表せる言葉も見つからないことが多いです。
そういった、言葉に変換できない、もしくは社会的に言葉に変換されてこなかったものを自分の中から放出するためのツールとして、音楽(特に歌詞のない音楽)を演奏することが特に幼い頃の生活にはどうしても必要でした。
大人になってからは、歌詞のある音楽も好きになって、楽曲中だからこそ感じとることのできる曖昧な言葉の表現などに、自分が生活を続けるための心の居場所を見つけることも増えてきています。
4.音楽が自分自身のアイデンティティを肯定してくれると感じたことはありますか? エピソードとともに教えてください。
この質問への答えを考えるまですっかり忘れていたのですが、小学生くらいの時に泣いても泣いても止まらない涙に溺れそうになりながら(今や何が悲しかったのかすら覚えていない)、実家の子供部屋のアップライトピアノを一人で何時間も弾いたことがある……、と思い出しました。
音楽に関する自分の記憶をたどっていくと、思っていた以上に明るい思い出がなく、悲しみ・痛み・怒りなどの負のパワーと一緒にいることが多い気がします。
負の感情が強いときって、たとえ自分の外部に不満や怒りを抱いていたとしても、私は自分のアイデンティティさえも蝕んでしまいそうになるのですが、そういうタイミングで無意識のうちに音楽に触れることを選択していて、それによって自分の大事な部分を守ってきたんだなと思います。