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声のポスト

「わかりあえない」ことについて考えている人たちへ。19人の声

わたしとあなたのわかりあえなさをつなぐ「and」は?

言葉にならない違和感が生まれるきっかけになったできごとや、社会に存在する問題まで、ひとつの「問い」を立てて、公募を含めたさまざまな人の声を集める「声のポスト」の企画。複数の声から、それぞれの思いや語りが同時に存在する社会そのものを見つめていきます。

「わかる」「わからない」「わかりあいたい」「わかりあえない」「わかってもらえない」「わかられてたまるか」……。これらが身近な言葉として存在するのは、人を含む生き物は、どの個体もすべて同じではない、という前提があるからです。それにもかかわらず、一人ひとりをいともたやすくひとまとめにしてしまう言葉や号令や、あるいは自分とは異なる他者を排除しようとする動きが世の中に存在し、居心地の悪さや息苦しさを覚えた経験がある人も少なくないのではないでしょうか。

「声のポスト」最初の問いは、「わたしとあなたのわかりあえなさをつなぐ『and』はなんだと思いますか?」

長引く感染症の流行の影響もあり、多くの人が、周りの人との距離感に悩んだり、孤独感を覚えたり、心地よいコミュニケーションのありかたを探り直している状況でもあります。他者のみならず、自分のことも「完璧にわかる」ことは難しいのかもしれませんが、「わかる」や「わからない」のどちらかに永久に決めつけずとも、時間をかけて両者の「間」を考え続け、揺らぎ続けることは、わたしたちがともに生きることを諦めないためのひとつの希望になるかもしれません。ここ集まった19名の声が、これを読んでくださっている方々にとって、現在やいつかの自分自身と反響することがあれば嬉しく思います。

どうしても人と生きていかなきゃ気のすまない自分にうんざりするけれど

UMMMI.さん

たくさん眠りこけた朝は自分の睡眠で満たされた身体に満足できるのに、なんで自分で自分の身体を触っているだけじゃぜんぜん満足できないんだろう。どうしても人と生きていかなきゃ気のすまない自分にうんざりするけれど、だからこそ目の前の人をなんとか理解しようと、共に生きようと、アタシとあなたの距離をじりじりと近づけたり、時には遠ざけたりしながら寄り添うのかもしれない。

宛先が無くても言葉にすること、表現すること

小林紗織(小指)さん

私の周りには、寂しがりやで危なっかしい人が多い。みんな私にとって替えの効かない存在であることに違いないが、彼らが何故そんなに自分を傷つけるのか、助けてと騒ぐわりにいざ手を差し伸べると鬱陶しがるのか、いくら考えてもわからなかった。いつか私はやけになって、これまで溜め込んだ感情を全て外へと放り投げた。すると彼らは、それらを拾い集めて、懐かしがったり、私が忘れてたようなことにまで心を痛めたりしながら、静かにそれを読んでいた。 私はその様子を見て「初めからこうすればよかったんだ」と思った。 宛先が無くても言葉にすること、表現すること、そうすれば遠回りでも誰かにきっと繋がる。

食べたいとか愛されたいとか、人間の本質的なニーズは同じ

佐久間裕美子さん

「人としてのニーズ」
かつてあっちをフラフラ、こっちをフラフラしていた時、自分と育ちも暮らしも価値観もまったく違う共通項のない人と話をすることがたびたびあった。物の見え方が違いすぎて無力感にやられることも多々あったけれど、どれだけ価値観が違っても、食べたいとか愛されたいとか、人間の本質的なニーズは同じなのだということに勇気を得ることもあった。わかりあうことを諦めそうになるとき、そのことを思い出すようにしている。

海に浮かぶ流木のように過ごしてみる

清水淳子さん

私の「and」ってなんだろう? いつもそこにある感じはするけど正体はよくわからない。ただ、たまに自分と世界をつなげる「and」が、急に煙のようにスルッと解けて消えてしまう日がある、というのは確実に言えること。世界から波でぐいっと引き込まれ漂流が始まるような時間。そんな時は海に浮かぶ流木のように過ごしてみる。しばらくそうしていると、誰かへ続く世界への入り口が再び見えてくる。「and」天気のように変化し続けて、コントロールができない。ずっと不規則に動いてる不思議な生き物のような存在。付き合いにくいこともあるけど、無理に加工せず、そのままの鼓動で生かし続けたい。

積み重ねた「?」たちが、未来で「&」になるかもしれない

永原真夏さん

わかりあえないよね、くらいが心地いいです。むしろ、別にわかり合いたくないよとすら思います。けれど好きな人のことは知りたくなるので、たくさん質問します。
「何か楽しいことあった?」とか「最近食べた美味しいものある?」でも「ハマってるお笑い芸人は?」でも、内容は何でもいいです。
そうやって積み重ねた「?」たちが、未来で「&」になるかもしれない。今はまだ知らないふりでも、いつか投げたあの「?」こそが、振り返れば「わたしたち」なのかもしれないし、忘れられない夜になったし、うちらを繋ぐピースだったよねって思います。

「分かり合えなくても一緒にいたい」というその一点で

はらだ有彩さん

もしも私とあなたが対等で、そして分かり合いたいと望むなら、あるいはどうしても分かり合う必要があるのなら、「分かり合えなくても一緒にいたい」というその一点でのみ、私たちは繋ぎ合わされるでしょう。

わけあうことから

牧村朝子

わかりあうことがむずかしくても、わけあうことから、はじめられるはず。

「わかりあえない」ことについて考えている人たちへ。19人の声

特にわけあったわけではないチーズトースト

「わかりあえない」ことについて考えている人たちへ。19人の声

紙芝居を描いたときのイラスト

手は互いが差し伸べなくては繋げない

宮木快さん

「and」は、「『わかる』に少しでも近づくために傾聴し、対話する姿勢」なのだと思う。
ある側面でのマジョリティーの「わかる」は、時にマイノリティーを傷つける。
また、「わからないから」という理由で可能性を逃し、人と境界線を引いてしまうこともある。

この先もきっと、わたしはあなたにはなれないし、お互い違う部分はあり続ける。
でも、同意できなくても理解できるように相違を話して聞いてみることはできるかもしれない。お互いから出た矢印は時々コツンとぶつかりながら、たまに交わって共感が生まれたり、新たな視点に出会えたりしていく。その過程から「and」は育まれていくのだと思う。手は互いが差し伸べなくては繋げない。

常に確認しながら進んでいきたい

宮崎智之さん

「人と人とは完璧にわかりあえない」という前提を持つことだと思います。「価値観が合う」という言葉がありますが、生きているうちに人間の価値観は変わります。大切なのは価値観が合うことではなく、仮に価値観が合わなくなった時にもその人とコミュニケーションが取れるかどうかではないでしょうか。完璧にはわかりあえないからこそ、辛抱強く関係性を築きあげていく。築きあげ続けていく。誰もが可変的かつ一回性の、のっぴきならない人生を背負った個人であることを忘れず、僕自身もひとりの個人としてそうした胆力を持ち続けたい。身近な個人に対する想像力を働かせ、そこから広い世界に接続してく一歩目を常に確認しながら進んでいきたいです。

みんな同じようにわからなくて、生きているのかもしれない

yushokobayashiさん

自分の生活する世界の、99%以上がわからない。あたりまえとされているルールも、近くにいる人の気持ちも、自分のこともわからない。以前はわからないこと、わかってもらえないことが、ものすごく腹立たしくて、ずっとイライラしていた。でも、いつからかみんな同じようにわからなくて、生きているのかもしれないと思えるようになった。自分が自分のことで数少ないわかることに、「何かを好きな気持ち」がある。目の前の人と、同じものを好きになることはものすごく奇跡に近いけれど、目の前の人の「何かを好きな気持ち」だけはわかりたいと思えるようになった。好きなものを話している人の仕草が好きだ。

世界でもし二人きりなら

大堀晃生さん

今この文を書くに至っている、今この文を読むに至っている、わたしとあなたである。この「至っている」ということを昔からよく考えている、それは運命論であるとか、「わたしは脳ではない」とか、『やってくる』とか、避けられないできごとのように、現在、いまここ、という時点で到来してくるものだ。現在が持つ、アドレッセンスな特権性を私は疑いたくなる、昔から思ってたから、今思ってるの? を、あなたに伝えたい。似ていることで安心したくない、世界でもし二人きりなら、せっかくだから違うことを愛そうって思う。

丁寧に「分かり合えないこと」を確認する作業

おこめさん

お互いのこれまでの「分かり合えなかった経験の積み重ね」をもとにしながら、丁寧に「分かり合えないこと」を確認する作業だと思います。
逆に、茶道や禅のような、ルール化されて削ぎ落とされた空間での繊細なやりとりは、with的な感じかなと。

余白

小川莉歩さん

わたしとあなたのわかりあえなさをつなぐ「and」は余白だと思う。相手を思いやる余白、自分を守るための余白。どちらも私の生活に欠かせないものだ。会話の中で、迷いのない人が少し怖い。会話の終わりにいつも句読点がついていて「。」で全ての会話が終わる。こちらが話し出す隙を与えてくれない。
「間」とは少し違う。会話の余韻とでもいうのだろうか。例えば、「そうだよね〜……」の……の部分。相手と一緒に考える上でも余白は重要で。途方もない、答えのない問いを投げかけあっても心地よいと感じるのは、お互い相手の考えを受け入れる余白を会話や頭の中に入れられているからだと感じるのだ。

ちょうど手をつなげるくらい

kuuさん

適度な距離や隙間。それがあることで、ぶつけ合いすぎずお互いをわかろうとできるのではないかと思います。ちょうど手をつなげるくらいが最長のイメージです。

前提が違うのだから正しさも異なる

くまさん

正しいかどうかで考えないようにすること。私の場合、相手と分かり合えないときに頭をもたげるのは自分の考えを正当化したいという気持ちです。どうしても分かり合えなくてつらい時、相手とわたしは違う惑星から来た存在だと想像します。前提が違うのだから正しさも異なるよね、という気持ちになり、つらい気持ちが少し楽になります。これはさまざまな本で知った考え方なのですが、いつも目が醒めるような気持ちで使い続けています。

アイデアの種として影響を受けた本:『もっと知りたいイサム・ノグチ 生涯と作品(アート・ビギナーズ・コレクション)』(著:新見隆/東京美術)『やっぱり、それでいい。 人の話を聞くストレスが自分の癒しに変わる方法』(著:細川貂々・ 水島広子/創元社)

「未完成」であること

児玉大希さん

「未完成」であることだと思います。
棚に整列した商品を買う時、私の何かを補うために完成品を買います。私の隙間は無くなり、閉鎖的であれます。それだけです。消費で閉じる生活も必要です。だけど、閉じたはずの隙間が窒息します。精巧な編み目のような巨大な仕組みに、部品として完成品になれ、と言われているような感じもします。
窒息しないためには、自らを不完全に開いて、同じような隙間を見つけに行きます。川越の古民家の庭、透き通った夜空の下、元気そうに古本を並べている人がいたので、買い物はしませんでしたが、古本屋さんのルーツや好きな本の話をしました。それだけです。二人で古本屋さんと本好きの客を演じ、夜空は無口でした。

等しいせつなさ

グリコさん

「等しいせつなさ」
そのせつなさはわたしにもあなたにも等しく在って、
だからこそ人はやさしいのだと思います。

わかりあえなさをあたたかく

日比楽那さん

向かい合って話すこと、聞くこと、隣り合ってそれぞれでいることだと思います。
つまりは、わかりあえなさをあたたかく受け容れ続けることなのかもしれません。
あなたと途切れてしまった私はたぶん、さまざまなことを、ちゃんと話せていなかったのだと思います。
そしてあなたにとってはたぶん、私と隣り合ってそれぞれでいることが心地いいことではなかったんじゃないかと思っています。

馬鹿にしないこと

真夜中さん

相手の考えを受け入れられなくても馬鹿にしないこと。あなたとわたしは違う、それだけのことと理解すること。わかりあうにはまずそこからだと思う。

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