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i meet you

イ・ランさん、「強くならないと生きられない社会」で問う。「あなたはどうやって生きているんですか」

怖いし、悲しいですって、感情を見せながら話しているんですよ

社会のことから、ごく個人的なことまで。me and youがこの場所を耕すために考えを深めたい「6つの灯火」をめぐる対話シリーズ、「i meet you」。音楽やエッセイ、日記、小説、漫画などさまざまな方法で物語を伝える、韓国・ソウル生まれのアーティストのイ・ランさんにお話をうかがいました。このテキストは、me and youの本『わたしとあなた 小さな光のための対話集』に収録されたものを一部編集しています。

※この取材は2022年4月に行われました。

この世界に生きる誰かの一日。眩しい光が差し込み、祝福される一日だけではなく、悲しくてやりきれない思いや、生きていくしんどさを抱え、心に蓋をせざるをえない誰かの一日。誰からも慰められたことがないかもしれない一日が、そこかしこに無数にあります。だけど他の人の、あるいは自分自身の仄暗い部分に対して、なるべく気づかないように、見ないように、なかったことのように埋め立てながら、日々を送ってしまうことがある。時にそれは構造的な差別に加担してしまうことにもつながってしまう。そのことに自分自身はどれくらい気づいているのか? 考えてみればそんなことはしたくないはずなのに、どうしてしてしまっているのか?

「この社会は、強くならないと生きられない社会だから」。そう語るのは韓国ソウル生まれのアーティスト、イ・ランさん。音楽、小説、エッセイを通じて物語を語り、時にはパフォーマンスを通じてあらゆる差別に反対し意見を述べ、この世界の設定や仕組み、人々のふるまいに対してたくさんの質問を投げかけることで、見えなくなっているものごとを伝え、聞こえなくなっている声を届けています。

イ・ランさんは、インタビュー中にこんなふうにも言いました。「わたしを慰めてくれるのは誰?」。「強さ」が前提になっている社会で、どんな一人ひとりの人生もが慰められ、癒され、安心して生きていけるようになるためにはどうしたらいいのか。他者の人生を想像すること、考えることの希望について話しました。

「わたしのなかで、どうやってこの世の中を生きていくのかがいちばん大きい質問です」

─ランさんは問い、質問し続けていると思います。世の中で当たり前だとされていることに対する「わからなさ」に立ち返り、いろんな枠組みに対して疑問を投げかけているように見えますが、大人になるとあまり質問をしなくなる人も多いのではないかと感じていて。どうしてランさんが質問するのか、人の話を聞きたいと思うのか、あらためて聞きたいです。

ラン:簡単に言えば、わたしは生きているのが大変だから、です。わたしのなかで、どうやってこの世の中を生きていくのかがいちばん大きい質問です。それで、誰かと出会ったときに、「あなたはどうやって生きているんですか」って聞くことで、生きていく方法を調べたいんですよ。毎晩どうやって寝るのか? 死にたい気持ちになるときはどうやってその気持ちから抜け出そうとしているのか? そんなことを知りたくて、その理由だけで質問が生まれます。だから人と会うことが好きなのかもしれません。どうやって今生きているかがすごく気になるし、不思議です。

イ・ランさん、「強くならないと生きられない社会」で問う。「あなたはどうやって生きているんですか」

イ・ランさん

─ランさんは、自分の話をすることは好きだし、得意だったけど、話を聞くのはあんまり上手じゃなかったと以前言っていました。

ラン:社会人になってから、前よりも話を聞くようになりました。芸術大学の学生だった頃は、お金がなくても学生ローンが組めたし、学校の作業室に住んでいたので家賃もかからなくて。だけど卒業したら借金がたくさん残り、持っているお金はゼロでした。芸術大学では、どんな絵をつくるか、どうやって作品のテーマを探すかといったことばかり話していたので、社会で生きていく方法を学びませんでした。住む場所もなくなり、誰かサポートしてくれる人もいない状況で、それでも「あなたは今から社会人です」という状況になり、そのときに残ったのは、すごく死にたいという気分。怖かったですね。

それで、わたしを怖くさせるいろんなことに対して、質問が始まりました。なぜ土地に持ち主がいるのか? なぜ家がない人がいるのか? 役所に電話して質問したり、友達に聞いたり。今も質問が終わらない世の中で生きています。毎日理解できないことばかり起きるから、当然質問が起こります。

「人々は自分が知らないことを心のどこかで恥じているから、質問をしなくなるんじゃないか」

─わたしも子どもの頃から質問が多くて、「なんで?」「どうして?」とたくさん聞いてきました。でも大人になるにつれて、理由がわからないから「なんで」と聞いているつもりであっても、相手からは責められているように感じると言われることも少なくなかったんです。

ラン:そうですね。

─「なんで?」のなかに、「なんでそうじゃないの?」という否定や不満、異議申し立てが含まれていると捉えられる側面があるからだと思います。「なんで?」という問いは、面倒で厄介だと煙たがられることがある。それで、会社のような組織では、そもそもの前提や仕組みを疑うような質問をするのが怖い人もきっとたくさんいると思うんです。

ラン:わたしも子どものときから質問が多かったのですが、質問しても、答えはありませんでした。先生や家族に「なんで?」と聞いても、ただ無視されたり、「大人になったらわかるよ」とはぐらかされたりしました。でも実際は、大人になってもわからないことばかりです。

誰も答えてくれないから、わたしは質問を、創作した作品のなかに入れるようになりました。そうすることで、親や先生だけに質問するのではなく、それを受け取った人たちに質問を伝える機会になっているんです。

─2022年1月には、3枚目のアルバム『オオカミが現れた』が『ソウル歌謡大賞』の「今年の発見賞」に選ばれ、授賞式で〝オオカミが現れた〞のパフォーマンスをされて。そのなかで、ランさんを取り囲むように、ともに舞台に上がっていたオンニ・クワイア(韓国のカルチュラル・フェミニスト団体「Unninetwork」の一員として性の多様性とフェミニズムを支援する合唱団)が、手話で「差別・禁止・法・今」というメッセージを発信しました(※1)。ランさんは自身の問いかけによって、今まで見えないものにされてきた人たちやものごとのことのことを、見よう、聞こうとしているのではないかと感じます。

ラン:うーん……。興味深い話ですが、どこから話したらいいか、考えます(しばらく考え中)。

まず、例えば2021年のことなのですが、秋にすごく体調が悪くなりました。病気になったのですが、そのときにいちばん言われたのは、韓国語でよく使われる「アップジマ(아프지마)」という言葉。日本語に直訳すると「痛いことをやめる」、つまり「元気になって」というニュアンスに近くて。「早く元気になって」といった言葉を聞いて、すごく挫折感がありました。がっかりして、力が抜けたんです。わたしには回復できないかもしれないという可能性もあるのに、病気になったわたしを、その人は受け入れられないという表現に聞こえました。

韓国では、ちょうど今日(4月20日)が「障害者の日」で、ここ数か月、障害がある人の権利を求める人権運動がすごく盛んになっているんです。「障害者」という言葉で表される人たちのなかには、回復の可能性がなかったり、低かったりする人もいるわけですよね。その人に対して「元気になって」とか「回復できるよ」といった言葉をかける光景をよく見かけたのですが、そのときの彼、彼女たちの無力感や、無力感のなかで生きている状況について考えずにはいられませんでした。

アップジマ……痛まないで、元気になって、という言葉は、相手を傷つけることを意図した言葉ではないですよね。ただ知らないから、そういう立場を想像したことがないから発せられる言葉なのだと思います。それも理解できます。だけど、悪意がなくても、知らなかったがために、傷つく人がいることも事実です。そして同時に、知らないからこそ、相手を嫌悪してしまうということもよく起きていることなのではないかと思います。

人は、見知らぬもの、まだ慣れていないものと向き合ったとき、これまで知らなかった自分に対する恥や羞恥を感じることがありますよね。それはなぜかというと、この社会は、強くならないと生きられない社会だから。知らない自分に対して恥を感じて、そういう自分を認められない。あるいは他人にそう思われたくないから、知らなかった相手を嫌悪したり暴力性につながったり、その人の話を聞かないことが起きていて。

だから、質問するのかもしれません。知らないことを前にしたときに「よく知らないからちょっと聞きたいんだけど、今どういう状況なの?」「どういう気持ちなの?」「なぜそう感じていると思う?」という質問をすることが、自分にできることの一つだと思うから。質問すれば、相手の立場から話を聞かせてもらえる。相手の感情を理解することに役に立つ。質問という方法によって、それができると思いますが、人々は自分が知らないことを心のどこかで恥じているから、質問をしなくなるんじゃないかと思います。

こんばんは。私は麻浦区望遠洞で暮らしている37歳(おそらく韓国の数え年齢・訳者注)のイ・ランと申します。お目にかかれてうれしいです。皆さまは、私を初めて見たと思いますし、私もこの場に立っていることに戸惑っています。でも、うれしいかどうかと聞かれたら、うれしいです。うれしいけれど少し戸惑っていますね。なぜか今年『発見』され、こうして受賞することになったのですが、とても感謝しています。私は主に、私や私の友人たちのことを思いながら歌を作ります。私の友人たちが安全に暮らせる世の中を思い描きながら、いわば『革命歌』のような歌を歌っているのですが、私がこのような歌をこれ以上歌わなくてもいいような、差別とヘイトのない世の中が一日も早く来ることを心から願っています。賞をくださって感謝しています。

— 『ソウル歌謡大賞』の「今年の発見賞」のイ・ランさんの受賞コメントを、本人から依頼を受けたハン・トンヒョンさんが翻訳して紹介した(2022年1月23日 ハン・トンヒョンさんのFacebook投稿より ※2)

「わたしじゃなければ、誰がこういう話をするだろう?」

─たしかにそう思います。そのうえで、迷うことがあって。誰もが自分とは異なる複雑な経験をしている状況においては、ある特定のトピックにかんして、自分よりも相手のほうが今大きな痛みを抱えているという状況がありえますよね。その時点の自分は相手と同じ痛みを経験したことがないと感じたとき、相手の立場を知ろうとしたり、想像したりするけれど、それでも無自覚に相手を傷つけていないか、悩むことがあります。本人に直接聞くのがいいのかもしれませんが、直接不躾な質問をするよりは、まずできる限り自分で調べて行動したほうがいいのではないかとも思ってしまう。でもそれが本当に相手のためになっているのか……? というところで堂々巡りになってしまうことがあります。ランさんはそういった感覚はありますか。

ラン:まず、今言ってくれた質問に対してほんとに同感します。当然、それについて悩んだことがありますし、今も悩み続けています。

それでもわたしは、単刀直入に聞くタイプなんです。今まで何回も同じ質問された人にとっては、その質問自体が暴力的なことになりえます。それを十分知ったうえで、疲労感をもたらしてしまうことを想像したうえで、質問を続けるのが、わたしのスタイルです。同時に、調べること、勉強をやめないことも自分のやり方です。特に今日ずっと話をしている、今の社会のなかでよく見えないものや、聞こえないものにまつわる問題。その人たちの声をずっと聞いて、勉強を続けることは、疲れることでもあります。でも、自分以外の人々の生きている姿、他の人々の人生を想像するということは、人間としてやるべき当然なこと、なんじゃないかと思うんですよ。

─本当にそうですね。嬉しいことや楽しいことは、共有しやすく、同意や賛成がしやすい。一方で、悲しいことや痛いこと、苦しいこと、怖いことは、共有しづらいし、簡単に「わかる」とは言えないという感覚があります。でも、さっきランさんが言ってくれた「知らなさを恥じる」感覚は、わたし自身が抱えていた「臆する、尻込みする感覚」ともどこかつながっているのかもしれません。心の奥では「わかってない」と言われたくなくて、どこかで自衛しているのかもしれない。相手を簡単には「わかる」ことができないなかで、自分が間違うかもしれないことに向き合いながら、それでも他の人の人生を想像することをやめないために、なにができるかっていうのは考えていきたいなと思います。

3rdアルバム『オオカミが現れた』より“対話”MV

─ランさんのエッセイ集『話し足りなかった日』では、日常のなかの痛みや恐れを共有されていますよね。特に後半には、大切な友人が病気になり、亡くなられ、そのことに向き合っていた日々のことが書かれています。病や死、大切な人との別れは、誰の人生にも起こりうることですが、自分がその立場になるまでは、どこか見ないふり、考えないふりをしてしまうようなことでもある。とても重要なことが書かれていると思うと同時に、これを書くのは苦しかったのではないかとも想像して。書いているときのランさんは、どんな気持ちだったのですか。

ラン:まず、わたし自身がどういう話をすることができるのか。それを知ったのは、そんなに昔からではなくて、簡単にわかったわけでもありません。韓国でも日本でも、アーティストとしてわたしを知っている人たちは、貧困、差別、孤独感などのテーマを扱うことに注目しています。他のアーティストが主に扱うテーマとは違うから、それをイ・ランの長所や特別な点だと思っていると想像していて。

わたし自身が、これらのテーマを創作というかたちで探求するまでには、結構な時間がかかりました。というのも、今わたしが扱っているテーマ――貧困だとか差別だとか孤独感みたいなもの――は、ずっとコンプレックスだったんです。コンプレックスと、怒り、の理由でした。

─創作のテーマとなる前に、生きるうえで抱えていたコンプレックスや怒りとして存在していた。

ラン:それは例えば、「お腹がすいたのにお金がない」とか「家族に愛される人だったらなんでもできるのに」みたいなこと。ずっとその気持ちを抱えたまま、長い時間を過ごしていました。だんだんその怒りが蓄積されてきて、歌にしました(笑)。コンプレックスや怒りが根っこにある曲や文章をつくるのは、はじめはやりたいからというより、その感情がたまってどうしようもないから出すという感じだった。でもやってみたら、結局それが、わたしができる話だったと知りました。こんなに暗い話を誰が聞きたがっているんだろう? という気持ちがあると同時に、わたしじゃなければ、誰がこういう話をするだろう? と考えて、つくり続けています。

『オオカミが現れた』のなかには、〝ある名前を持った人の一日を想像してみる〞っていう曲があって、その曲の最後で<これは私にしか これは私にしか>っていう歌詞がずーっと繰り返されるんです。今もそんなに自信があるわけではないんですが、「これはわたしにしか」っていう気持ちで、やっています。でも「これはわたしにしか」っていう気持ちを持っているからなにかを生み出せるわけじゃなくて、本当にかろうじてかろうじて、生み出そうとしているのです。

日本語字幕つきのワンマンライブ映像。00:19から“ある名前を持った人の一日を想像してみる”

「わたしもただの一人の、自分の人生を生きているただの一人の人間です」

─かろうじて、という感覚があるのですね。

ラン:かろうじて生み出しているから、なにかを語ろうとして文章や歌をつくるのに、5年や10年かかることもあります。すると「なんでこんなに遅く言ったの? もう過ぎたことなのに」と非難されることもありますよ。たとえば、以前韓国には中絶した人が罰せられる法律があって、2019年に違憲の判決が出たんです(※3)。そのときにTwitterで、自分の過去の中絶の経験を告白したんですよね。言ったとたん、いろんなニュースのメディアから「今すぐその経験をもっと詳しく語ってください」という要求があって、すごくびっくりしました。自分が安全だと思うときに話したいじゃないですか。話すタイミングは、自分が決めたい。

わたしは社会的なメッセージを発信するアーティストだというイメージが韓国でも日本でもすごく強いと思うんですけど、「あなたはそういう役割だから、今すぐなにか言ってくれ」というプレッシャーを感じることが結構あるんです。それで、2022年3月に『韓国大衆音楽賞』で『オオカミが現れた』がアルバム大賞を受賞したとき、スピーチの内容をすごく悩みました。当時大きな注目を集めていた社会問題に対して発言するべきか、こういう役割を担い続けている自分自身も頼るところがない弱い立場だと言うか。悩んだ挙句、後者にしました。

社会におけるさまざまな理由で見えない、聞こえないことにされている声を聞こうとするなかで、メディア出演、集会やデモへの出席依頼だけでなく、多様なマイノリティの立場にある人たちからの個人的な連絡もたくさん届きます。例えば今日もあるメッセージを受け取って。「自分の友達が自殺したがっているんだけど、その友達がイ・ランさんのことが大好きで、なにか手伝ってもらえませんか?」といった内容でした。もちろん関心があるし、わたしの心はその人のもとに行きたがっていました。でもわたしもただの一人の、自分の人生を生きているただの一人の人間です。だから、受け止めきれずにすごくつらい部分もあるんです。今、悩んでいるんです。ある大変な状況に置かれている人たち一人ひとりを、直接手伝うことができる職業に変えていくべきか。または、今やっているように質問し続けて、その質問を作品を通して遠くまで伝えることができる職業を続けるべきか。後者のやり方は、すごく罪悪感が大きいです。罪悪感のために自分の職業や方法を変えるべきか、もしくは罪悪感を認めながら、感じ続けながら、続けていくべきかという悩みがすごくあります。

『韓国大衆音楽賞』授賞式。イ・ランさんの受賞スピーチは、02:27:00頃から。

他の人たちの人生を考えること、想像することは、人間のもっとも崇高な能力なんじゃないか

エミリー:うまく言葉で伝えられるかわからないんですが……。わたし自身はもともとそこまで社会に対して違和感を持たず、わりと幸せに生きてこられたんです。でもここ数年、今まで自分に見えていなかった人の苦しさや、いろいろなことを知っていくうちに、どうしてこの世の中の多くの人はその声を聞こうともしないんだろう? と思うようになって。どんな状況かを知らないから自分が気づいていないことを自覚することもしないし、気づかないままで世の中がまわっていることがどんどん苦しくなっていきました。わたしは今ライターの仕事をしているので、少しでも多くの人が、これまでは気づけていなかったことに少しずつ気がついて、もっとみんなが生きやすくなるように自分にできることをやっていけたらいいなと思っています。でも、そう思っている人がまだ少ないとも感じていて、とても心細く、無力感がありますし、続けていくのがつらく、苦しくなることがあります。そんなときにランさんはどんなふうに、続けていくための希望や原動力を見出していますか?

ラン:他の人々の人生をこまやかに想像できる才能を持っている人は、そう生きていくしかないと思います。これはわたしだけの才能ではなく、人間が持つ、もっとも崇高な能力なんじゃないでしょうか。だからもっと多くの人々に、他の人たちの人生を考えること、想像することをしてくださいとメッセージを伝えているんです。これはある意味では、ある種の使命感かもしれません。でも使命感を持って生きている人が、幸せだとは限らないんですね。わたし自身はいつも、「果たしてわたしを慰めてくれるのは誰?」って、問い続けています。

折坂悠太“윤슬(ユンスル)”(イ・ラン)

「発言だけじゃなくて、パフォーマンスも、ライブも、対話も。怖いし、悲しいですって、感情を見せながら話しているんですよ」

─ランさんは、見えない、聞こえないことにされている声を聞いていますが、ランさんがなにかをつくり、届けるときの方法は多様ですね。多様ですが、そこには、相手の話を聞き、自分の話を聞きながら、意見が違ってもお互いに話をしようとする、対話をしようとしている姿勢が共通しているように思っていて。音楽や文章などの創作、舞台でのパフォーマンス、SNSでの発信、そして友人たちとの日常の豊かな会話……ランさんは自分の声を伝えるときに、それぞれの方法をどう選び、どう向き合っていますか?

ラン:うーん、そうですね……。対話というのは、どういうことを指していますか?

─うまく伝えることができず心苦しいのですが、時に意見がぶつかり、わかりあえないことがあっても、お互いと向き合うために、ランさんはどんなふうに話をしたり、話を聞いたりしているのかが、聞きたいです。

ラン:(しばらく考える)……今の話を聞きながら「どうやって生きていますか?」ということを質問されているのかなと感じました。わたしがどうやって毎日を過ごしているのか……誰となにについて対話するか? なんのメッセージをパフォーマンスにするか? 直接発言するか? なにを創作するか? それを決める前に、わたしはただ生きていて、日記を書いています。たぶん、それだけがわたしが生きていける方法だと思っていて。すぐに忘れてしまうから、記録をするし、その記録を読んで、自分のなかでずっと続いているイシューがあれば、それを創作にしたり、誰かと対話したりするんだと思います。

自分も一人の人間で、自分の人生をやっていくしかないから、毎日ごはんを食べる、寝る、お金のために仕事する。自分の時間も必要だから、他の人に求められたとしてもすべてにこたえることができなくて、そのことに納得しながら、やれることをやるしかないと思って。毎日毎日、疲労感を持っているんですよ。それでも、自分が動かなければだめだという考えも同時にある。イ・ランがイ・ランを助けないとだめ、イ・ランが動かないとだめ、って気持ちを抱えながら、日記を書いて、生きているんです。

─創作も、パフォーマンスも、SNSでのつぶやきも、日常の会話も、日記から始まる?

ラン:日記から始まるんだと思います。日記というか、記録なのかな。誰かとの対話も録音するし、一人で喋ることも録音するし、写真も撮るし、手帳もつけるし、Wordにも書くし、いろいろなかたちで自分の考えを記録しているから。最初は自分と話して、それから他の人と話して、なかには意見の違う人とも話をするから、喧嘩もするし、仲直りもする。そういうふうに、みんながやることをやっています。でも、みんながやることをやっているなら、本当の自分の仕事はなんなんだろう? とずっと考えているんですけど、それは自分が生きていく方法を、生きながら見せる仕事かなと、そう思いながら、生きています。

『オオカミが現れた』が出たあとに、いろんなインタビューを韓国でたくさん受けたのですが、何度も聞かれたのが、「人々にどんなアーティストとして記憶されたいですか?」でした。わたしは、「どんなアーティストじゃなくて、どんな人として記憶されたいか答えます」と言って、「がんばって生きていった人だと記憶されたいんです」って答えました。何回も。

─例えばどんな仕事をしている人でも、なにかの役割を担っている人であっても、誰もがその人にしかわからない個人的な人生を生きているということを、忘れてはいけないと思いました。日本ではアーティストが社会的な問題に対して直接的に発言したり、 メッセージ性の高い作品をつくったりすることがこれまではさほど多くなかったこともありますし、アーティストでなくても、一人の人間としておかしいと思うことに声をあげたとき、一方的な批判が生まれたり、冷静な対話が難しかったりする状況も多々あって。

ラン:わたしは毎日いろんなところからめちゃくちゃ非難されていますよ。そして、わたしも怖いんです。例えばたくさんの人が集まっている場所で発言するのは怖い。でも、「たくさんの人の前で話すのはすごく怖いです」ってそこで話をするんです。それしか方法がないかなって思っています。強い人のように見せながら発言するんじゃなくて、怖がりながら、臆しながら。発言だけじゃなくて、パフォーマンスも、ライブも、対話も。怖いし、悲しいですって、感情を見せながら話しているんですよ。

イ・ランさん、「強くならないと生きられない社会」で問う。「あなたはどうやって生きているんですか」

イ・ランさんと猫のジュンイチ

─本当に、大切なことだと思います。ランさんの話を聞き、怖いのに、怖くないように見せたいという気持ちが自分のなかにどこかあり、だからこういう質問をしたのだと気づきました。

ラン:あ! ちょっと待って! 

アン:ジュンイチ(ランさんと暮らしている猫)が植物をかじったみたいです。

─えっ……!

ラン:それ食べたらすぐゲロするから! あ、もう大丈夫です。

─良かったです……。今日はすごく大事なことを聞いて、怖いという感情を受け止めながら進んでいかないと、自分も変わらないということを思いました。お話しできて嬉しかったです。

ラン:ありがとうございます。良かったです。あ、ジュンイチが怒った。ごはんの時間です。

─ごはんの時間! ランさん、今日は本当にありがとうございました。最初に話してくださったアンさん、エミリーさんも、ありがとうございました。

※1……韓国では、2006年から差別禁止に関して数多くの法案が国会で発議されている。現在も引き続き、性別、障害、病歴、年齢、出身国、出身民族、人種、皮膚の色、出身地域、容姿・遺伝情報などの身体条件、婚姻の有無、妊娠または出産、家族形態および家族状況、宗教、思想または政治的意見、前科、性的指向、性自認、学歴、雇用形態、社会的身分などに基づく包括的な差別禁止法制定に取り組んでいる

※2……ハン・トンヒョンさんは訳文に続けてこのように説明している。「なお、放送で伝わったかどうかはわかりませんが、この後に行われたライブパフォーマンス(イ・ランとチングたち名義で『オオカミが現れた』。コメ欄に映像あり)の最後に合唱団が『差別禁止法、今(すぐ制定せよ)』と手話で4回繰り返したということもお知らせしておきます。韓国にも日本にも包括的な差別禁止法はなく、課題となっています。ちなみにこの動画でプレゼンター、『昨年、斬新さと独創性がもっとも際立っていたアーティストはいったい誰だったのでしょうか』と、言ってますね。そういう賞のようです、『今年の発見賞』」

※3……1953年以降、韓国には「堕胎罪」が存在し、レイプの被害にあった場合や女性の身体に危険がある場合を除き、中絶をした女性は罰金または懲役刑に処せられるとされていた。2019年に憲法裁判所が同刑法は憲法違反だとする判決を出し、2020年末までの刑法改正を命じ、2021年1月1日から人口妊娠中絶が非犯罪化された

(取材:2022年4月20日)

イ・ラン

1986年ソウル生まれ。ミュージシャン、エッセイスト、作家、イラストレーター、映像作家。16歳で高校中退、家出、独立後、イラストレーター、漫画家として仕事を始める。その後、韓国芸術総合学校で映画の演出を専攻。日記代わりに録りためた自作曲が話題となり、歌手デビュー。2ndアルバム『神様ごっこ』(国内盤はスウィート・ドリームス・プレスより)で、2017年韓国大衆音楽賞「最優秀フォーク楽曲賞」を受賞。3rdアルバム『オオカミが現れた』で2022年韓国大衆音楽賞「今年のアルバム賞」を受賞。最新著作はいがらしみきお氏との往復書簡『何卒よろしくお願いいたします』(甘栗舎訳、タバブックス)。そのほかの著作に『話し足りなかった日』(呉永雅訳、リトル・モア)、『アヒル命名会議』(斎藤真理子訳、河出書房新社)、『悲しくてかっこいい人』(呉永雅訳、リトル・モア)、『私が30代になった』(中村友紀/廣川毅訳、タバブックス)。ストリート出身17歳の猫、ジュンイチの保護者でもある。

イ・ラン『オオカミが現れた』(日本盤)

発売日:2021年11月15日(月)
価格:3,300円(税込)

[CD] イ・ラン – オオカミが現れた│SWEET DREAMS PRESS STORE

2022年3月19日に行われたワンマンライブ『Pain On All fronts』の映像に日本語字幕をつけて公開中。
[LIVE] 이랑(Lang Lee) – Pain On All fronts [현대카드 Curated 72]│YouTube

『話し足りなかった日』

著:イ・ラン
訳:オ・ヨンア
発行:リトルモア
発売日:2021年10月6日(水)
価格:1,980円(税込)

イ・ラン 『話し足りなかった日』│リトルモアブックス

『わたしとあなた 小さな光のための対話集』

編集:me and you(野村由芽・竹中万季)
発行:me and you
価格:3,850円(税込)
発売日:2022年8月20日

『わたしとあなた 小さな光のための対話集』│me and you little magazine

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