─わたしも子どもの頃から質問が多くて、「なんで?」「どうして?」とたくさん聞いてきました。でも大人になるにつれて、理由がわからないから「なんで」と聞いているつもりであっても、相手からは責められているように感じると言われることも少なくなかったんです。
ラン:そうですね。
─「なんで?」のなかに、「なんでそうじゃないの?」という否定や不満、異議申し立てが含まれていると捉えられる側面があるからだと思います。「なんで?」という問いは、面倒で厄介だと煙たがられることがある。それで、会社のような組織では、そもそもの前提や仕組みを疑うような質問をするのが怖い人もきっとたくさんいると思うんです。
ラン:わたしも子どものときから質問が多かったのですが、質問しても、答えはありませんでした。先生や家族に「なんで?」と聞いても、ただ無視されたり、「大人になったらわかるよ」とはぐらかされたりしました。でも実際は、大人になってもわからないことばかりです。
誰も答えてくれないから、わたしは質問を、創作した作品のなかに入れるようになりました。そうすることで、親や先生だけに質問するのではなく、それを受け取った人たちに質問を伝える機会になっているんです。
─2022年1月には、3枚目のアルバム『オオカミが現れた』が『ソウル歌謡大賞』の「今年の発見賞」に選ばれ、授賞式で〝オオカミが現れた〞のパフォーマンスをされて。そのなかで、ランさんを取り囲むように、ともに舞台に上がっていたオンニ・クワイア(韓国のカルチュラル・フェミニスト団体「Unninetwork」の一員として性の多様性とフェミニズムを支援する合唱団)が、手話で「差別・禁止・法・今」というメッセージを発信しました(※1)。ランさんは自身の問いかけによって、今まで見えないものにされてきた人たちやものごとのことのことを、見よう、聞こうとしているのではないかと感じます。
ラン:うーん……。興味深い話ですが、どこから話したらいいか、考えます(しばらく考え中)。
まず、例えば2021年のことなのですが、秋にすごく体調が悪くなりました。病気になったのですが、そのときにいちばん言われたのは、韓国語でよく使われる「アップジマ(아프지마)」という言葉。日本語に直訳すると「痛いことをやめる」、つまり「元気になって」というニュアンスに近くて。「早く元気になって」といった言葉を聞いて、すごく挫折感がありました。がっかりして、力が抜けたんです。わたしには回復できないかもしれないという可能性もあるのに、病気になったわたしを、その人は受け入れられないという表現に聞こえました。
韓国では、ちょうど今日(4月20日)が「障害者の日」で、ここ数か月、障害がある人の権利を求める人権運動がすごく盛んになっているんです。「障害者」という言葉で表される人たちのなかには、回復の可能性がなかったり、低かったりする人もいるわけですよね。その人に対して「元気になって」とか「回復できるよ」といった言葉をかける光景をよく見かけたのですが、そのときの彼、彼女たちの無力感や、無力感のなかで生きている状況について考えずにはいられませんでした。
アップジマ……痛まないで、元気になって、という言葉は、相手を傷つけることを意図した言葉ではないですよね。ただ知らないから、そういう立場を想像したことがないから発せられる言葉なのだと思います。それも理解できます。だけど、悪意がなくても、知らなかったがために、傷つく人がいることも事実です。そして同時に、知らないからこそ、相手を嫌悪してしまうということもよく起きていることなのではないかと思います。
人は、見知らぬもの、まだ慣れていないものと向き合ったとき、これまで知らなかった自分に対する恥や羞恥を感じることがありますよね。それはなぜかというと、この社会は、強くならないと生きられない社会だから。知らない自分に対して恥を感じて、そういう自分を認められない。あるいは他人にそう思われたくないから、知らなかった相手を嫌悪したり暴力性につながったり、その人の話を聞かないことが起きていて。
だから、質問するのかもしれません。知らないことを前にしたときに「よく知らないからちょっと聞きたいんだけど、今どういう状況なの?」「どういう気持ちなの?」「なぜそう感じていると思う?」という質問をすることが、自分にできることの一つだと思うから。質問すれば、相手の立場から話を聞かせてもらえる。相手の感情を理解することに役に立つ。質問という方法によって、それができると思いますが、人々は自分が知らないことを心のどこかで恥じているから、質問をしなくなるんじゃないかと思います。