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同じ日の日記

真に疲れていない日を希求して/浅井美咲

バス・ドゥヴォス『Here』、アン・ボイヤー『アンダイング』を思いながら

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2024年3月は、3月24日(日)の日記を集めました。公募で送ってくださった、映画に関する文筆や音楽活動を行っている浅井美咲さんの日記です。

今日はほんとうは午前中には起きて行きたいイベントがあった。映画の上映と好きな監督さんのトーク。でもわたしの身体は動かず、イベントがはじまったちょうどその時刻くらいにベッドの中で意識がはっきりしてきた。もうずっと昼夜逆転がひどくて、午前中から活動していることはほとんどない。でも朝日を浴びている自分がほんとうはいつでも恋しい。

バス・ドゥヴォス監督の『Here』は、今年観た映画のなかでもとても好きな作品で、主人公のシュテファンから漂う疲れが印象的だった。姉と会話をしている間に眠ってしまうほどの、意識を手放したいと思うよりも前にすべてのエネルギーが自分から逃げてしまったと言わざるを得ない、なにか強烈な疲れ。彼は劇中いろいろな人のもとを訪ねるのだけれど、彼の魂は存在するだけで疲れているから、これ以上疲れないように他者との間に殻を持とうとしているようにも見えた。そしてその疲れは、彼がルーマニアからベルギーにやってきた移民労働者であることと直結している。

わたしがもう何年もずっと疲れているのは、自分が自転車操業限界労働者だからだって、正直に言いたい。わたしは流れ着くようにフリーランスとして働き始めたので、年を追って順当に昇給していくことはない。高い高いと言われている社会保険料が安かった時代を知らない。でも身体は生理のサイクルや、気圧や天気にどんどん敏感になる。もともと虚弱体質気味だったこの身体から、なけなしのエネルギーが刻一刻と流れ出ているんだと思う。昼ごろに起きると、冬でももう陽光はキツすぎるくらい爛々としていて、寝起きの顔を刺してくる。強烈な光はわたしに怒りをぶつけているみたいで(それはわたしに対するわたしの眼差しだと思うけど)、罪悪感が広がる。夜に頭が冴えるようになってきているけれど、夜が好きだというわけでもない。朝を清々しく過ごしたいけど、朝が好きというわけでもないし、昼も別に好きじゃない。どの時間帯も自分のものではないという感覚は、ずっとなにかに追われているところから生まれるのかもしれない。時間に振り回されている。

一度お話しさせていただいたことがあるanóutaの若山さんが執筆されているZINE『draff』には、若山さんが会社員として生きるなかで感じたことが綴られている。ミスを指摘する電話、終わらない企画書作成、強者社員について……(わたしは会社員をやったことがないので身を持って理解できることは多くないのだけれど)ZINEのなかでは、このハイパー資本主義社会のなかで騙し騙し自分のなかにある何かを削り取りながら働く上で生まれる違和や、時には悲しみが書かれていて心を打たれてしまった。八方塞がりで、泣いてしまう。若山さんとわたしを同化するみたいな、わかります、みたいな失礼なことは絶対にしてはいけないけれど、自分を取り囲む疲れに辟易しながら、斜め下くらいに視線をやりながら、一日一日をやり過ごしていくイメージを受け取り、感応してしまう。

ほんとうに八方塞がりだと何度も何度も思う。なんかざっくりした物言いだけど、何かを打開しようとするときはパワーやエネルギーが必要だと思う。でもわたしにはそれはない。わたしは自分で生き方や働き方や大事にしたいことを決めてきていて、あらゆる選択に後悔はない(もともと後悔を感じないタイプだけど)。それにわたしは甘えたで、甘えたでいられるまま恵まれた環境で生きてきたと思うし。でも、人生に満足してるとかしてないとかそういうのとは違う次元で、いや課されすぎやろ、と思っている。前よりも「自分で選んできたものすべての責任を自分で抱えないといけない」という思いが少し減った。それは、インボイス制度が導入されて、そしてはじめて制度によって自分が不利益を被る側になって、システムが人を傷つけるのだということを身をもって体験したからだろうと思う。こんなのほんとうに全部わたしのせいなん?(こんな苦しさを知らずに生きてこられたわたしは、ほんとうにずっと“恵まれて”きた)。

疲れについて……疲れについて……と延々と考える最中やっと読んだアン・ボイヤー『アンダイング』。OH! MY BOOKSさんの読書会に参加させていただいた時に話題にあがった「消耗した生」という章がやっぱりよかった。「疲れ果てている人が疲れ果てているのは、生き延びるために生きる時間を売り渡しているからだ」(※)ほんまそれな、でしかない。求めれば、永遠に“頑張れる”幅があるという夢みたいな話。でも疲れ=自分の内から生じる限界によって“頑張る”は頓挫してしまう。『Here』のシュテファンもそうだけれど、疲れと睡眠は繋がっている。あまりにも寝てしまう。眠ることが悪いことだと自分で自分の頭に刷り込んでいくのがわかる。だって昨日あんなに寝なければあれもできたしこれもできた……

※『アンダイング ー病を生きる女たちと生きのびられなかった女たちに捧ぐ抵抗の詩学ー』p.235

わたしは今の資本主義のせいで、疲れ果てている(でも資本主義があったからこそ生まれた刺激的なものたちを有難がりながら甘受している)。「ショートスリーパーだったら……」とか「1日が36時間とかあれば……」とか大人なのにアホみたいなたらればを考えながら、今日も二度寝に1時間費やしてしまったことに泣きたい気持ちになる。生き延びるための労働のためにとりあえずベッドから這い出るの繰り返しだ、恥ずかしいけど。

眠りながらもなお、いつか来てほしいと願う真に疲れていない日のことを希求する。わたしがこの身体でもっと疲れを感じずに生きられた世界線があったはずだ。この日記が、この夢を現実にするための第一歩であれたら。

浅井美咲

1996年生まれ。太陽星座は双子座。映画に関する文筆を行っていて『NOBODY』『NiEW』に映画評を寄稿。フェミニズム、クィア映画に強い関心がある。音楽活動も行っており、現在2nd EPを製作中。

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