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同じ日の日記

銃痕が残るサラエボで、スケーターを探して/児玉浩宜

ウクライナ、セルビアを経て、スケートボードを持ってボスニア・ヘルツェゴビナへ

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2024年3月は、3月24日(日)の日記を集めました。香港民主化デモやロシアのウクライナ侵攻などの現地に訪れ、そこで生きる人たちの姿を写真と言葉で記録している児玉浩宜さんの日記です。

バックパックの中身をぶちまける必要があった。その中からようやく引っ張り出したのはスケートボードだ。今回の旅で一番大きな荷物になっている。これさえあればと思っていた。

その国や街の歴史や文化を深く知りたければ、現地で知人や友人を作るのが一番だと思っている。そのためにはきっかけが必要だ。ウクライナでは若者たちに話を聞くため、現地でスケボーを手に入れて一緒に滑った。その後訪れたセルビアでもスケーターたちと仲良くなって現地の実情を聞かせてもらった。であればここボスニア・ヘルツェゴビナでも、という単純でどこか一本槍な企みだ。どこに行けば彼らに会えるのだろうか。まずはこの国に一軒だけというスケボーの専門店に向かうことにした。

ボスニア・ヘルツェゴビナの歴史は“複雑“という表現を避けて通れない。ここでは多数の民族と宗教が混ざり合いながら、時には衝突しながら重ねてきた歴史がある。近年では1992年に勃発したボスニア紛争でボシュニャク人(ムスリム人)とセルビア人勢力が敵対し、その後4年間にも及んで首都サラエボは包囲される状態が続いた。虐殺もあった。「スレブレニツァの虐殺」である。その事件には平和維持軍のオランダ部隊が関与しており、その経緯や問題がさらに複雑化している。それらの歴史を踏まえ、今のサラエボの人たちは何を考え、何を思っているのか知りたかった。地元のスケーターに会うことができればきっと教えてくれるだろう。

サラエボの旧市街地周辺は観光地らしい佇まいで活気があったが、生活の場である新市街地に入ると歩く人は少ない。飲食店には客がおらず、従業員は気だるそうにしている。それはこの街の多くの住民がイスラム教徒であり、今はラマダンの最中だからだろう。しばらく歩くとかつての社会主義国らしい古い高層のアパートが立ち並ぶエリアになった。

角を曲がろうとした時だった。目の前の壁に小さな穴が空いているのが目に入った。なんだろうと見上げると、その穴はアパートの壁の一面に続いていた。すべて銃痕だった。思わず周りを見渡した。どの建物も同じような方角から撃たれた跡が残っており、砲撃によって崩れている箇所もあった。 かつてサラエボは周囲の山から囲まれるようにして攻撃を受けていたというが、確かに銃痕の残る建物の対面を見渡すと遠くに山がある。サラエボの内戦が終結したのは1995年。約30年たった今もこの状況なのだ。少なくともこの風景を見ると、何も終わっていないような気がした。

つい数日前までいたウクライナでのことが蘇ってくる。首都キーウでは、ある日本人ジャーナリストと出会った。話は自然と「イスラエルによるガザ侵攻」についてになる。どうやってもガザには入れないらしい。通訳を雇うとかなり高額になるらしい。そんな会話のあと、一呼吸置いて「でもやっぱり」と彼は続ける。「もしパレスチナに行ってしまえば自分の意識がそれだけに集中してしまう。ウクライナのことは箱に入れて鍵を閉めてどこかに仕舞ってしまうような……」 彼の言うことはわかる気がする。記憶を仕舞い、意識を切り替えてもウクライナの戦争は何も終わっていない。

「君はどうなの?」彼に聞かれて答えに詰まった。はたして他人のこと、ましてや遠い国の人々のことを、私はいったいどれほどまで思い続けられるのだろうか。毎日考えてはいるが、自信はない。2年前のウクライナ侵攻当初とは違い、今では現地で撮影した映像をマスコミに売り込んでもなかなか使ってもらえない。空爆が続いても日本ではもうその話題をほとんど見聞きしない。「ない」話ばかりではどうしようもないから「ある」ものを大切にしていきたい。手を握ったときの触感、震える口調、刺すような視線、あるいは迷いのある眼差し。たくさんの人々の写真と、書き殴った大量のメモ。折々の省察の間にもガザでの虐殺は続いている。

スケートショップの店内は親子がスケボーではなく、ローラースケートを試し履きしていたところだった。頃合いを見計らって店主に声をかけ、どこにいけば地元のスケーターに会えるのかと尋ねた。「街中に行けばいつでも会えるよ。サラエボには少なくとも数十人はいるから」 そう言って彼はいくつかのスケートスポットを教えてくれた。

その場所のひとつ「スナイパー通り」と呼ばれる通りに向かった。ここはその名前が示すように、紛争中は道路を渡ろうとする市民がスナイパーに狙われるという恐ろしい所だったらしい。今ではもちろん歩く人はいるし、道路もきれいに舗装されている。だが、肝心のスケーターの姿が見つからなかった。その後も街中にあるいくつかのスポットを巡ったが、残念ながら結果は同じだった。 どういうことだろうか。

彼らがいた気配のようなものはある。街にある段差やスロープ。それらをよく見ると、その縁になにかが削られたような跡が残っている。きっとスケーターたちがトリックをする際に残した跡だ。残るのは痕跡だけ。これではまるで亡霊を探すようなものだ。

ひとつだけ手がかりはあった。私が滞在しているホステルの管理人がスケボーを手にしている私を見て「山に行くのか?」と言っていたのだ。山にはボブスレーのコースがあるらしく、そこでスケボーをする人がいるらしい。1984年に開催されたサラエボ冬季オリンピック。それは共産圏で初の冬季五輪であり、冷戦下の緊張緩和が期待されていた。そして会場には競技のひとつであるボブスレーのために施設が作られた。しかし、五輪から8年後に勃発したボスニア紛争では、サラエボを掌握しようとするセルビア勢力の砲撃拠点としてその施設が使われたという。平和の祭典の舞台が戦争の舞台になったとは皮肉だが、 現在ではその跡地がスケボーだけでなく、ハイキングやマウンテンバイクのコースとして親しまれているらしいのがやや救いだろうか。

あいにく山へ向かうロープウェイの乗り場には「工事のため営業停止中」と張り紙があった。脇に停めてあった車の窓から顔を出したおじさんが話しかけてくる。「片道で10ユーロでどうだ」白タクなのだろう。結構高いな、と迷っていると、彼は私が手にしていたスケボーを見て言った。「上に行けば同じようなスケーターがたくさんいるよ」やはりボブスレーコースはスケートスポットとして知られているらしい。「さあ、行こう! 乗りなよ!」急かされるまま私は車に乗ってしまった。

車は快調に山道を登っていく。「君は中国人? 日本人? 俺はボシュニャク人だ。ムスリムだよ」短い自己紹介のあと、自然と話題は紛争の影響についての話になった。つい数年前までこの山中ではセルビア人勢力が埋めていった地雷の撤去作業が行われていたという。そんなところでスケボーをすることに問題はないのだろうか。危険であり、不謹慎のような気もする。回りくどい私の質問を彼はさえぎった。「だからスケボーだろ? この間もフランス人のスケーターを上まで連れてったんだ。下まで一気にスケボーで降りるんだよ。ビューン! って」 と言って彼は手を広げ真似をするようにして笑った。

20分ほどで山の中腹にある駐車場に着いた。 ここから続く登山道を歩くとボブスレーコースのスタート地点らしい。おじさんの車が去ると、途端に静寂。あたりに誰もいないのが気がかりだが、行けばわかるだろう。

針葉樹の独特の湿気と匂いを感じながら鬱蒼とした森の中を進んでいく。すると巨大な排水管のようなものが頭上に現れた。近寄ってみると排水管というより用水路のようにも見える。古くてぼろぼろのコンクリート製で、それは確かにボブスレーのコースだった。

ボブスレーについて詳しい知識は無いが、本来コースに氷を張った上で滑るものだろう。コースの中を覗いてみると落ち葉や砂利が溜まっていた。さらには穴が空いたり裂け目ができており、銃痕のようなものもある。無残な姿だった。隣には競技の関連施設らしいものが崩れたままになっていた。交戦によって破壊されたのだろう。この周辺がサラエボを陥落させるための砲撃の拠点になっていたようだ。あらためてボブスレーコースを眺めてみる。目に付くのはコースに描かれている鮮やかなグラフィティ。それらは幾重にも重なるように描かれており、傷跡を癒すようにも辛い過去を覆い隠すようにも見えた。きっと彼らにしかわからない、より複雑な思いがあるのだろう。地元のスケーターがいればそんなことも聞きたいなと思った。

しばらくそこにいたが、ここには誰も現れなかった。街まではずいぶんと距離はあったが私は歩いて山を下った。

スケーターは姿を現してくれない。それはまるで、私の「スケボーさえあれば」という見え透いた企みに、「この街はそんな簡単なものじゃない」と突き返されているようだった。

児玉浩宜

写真家。雑誌やWebメディアへの写真提供、執筆などを行う。
香港民主化デモを撮影した写真集『NEW CITY』、『BLOCK CITY』を制作。
2022年からロシアのウクライナ侵攻の取材を続けている。

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『Notes in Ukraine』

写真:児玉浩宜
発行:イースト・プレス
発売日:2022年12月19日
価格:3,850円(税込)

Notes in Ukraine|イースト・プレス

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