今日という感覚なしに日々をすごすようになってどれくらいたつだろう。
子供の頃からそうだった気もするし、書く仕事をはじめてからのような気もする。
日々の境界があいまいな暮らしの中で、このところずっとやっているのは過去にあったできごとを思い出す作業だ。去年、読書にまつわる随筆集『ロゴスと巻貝』を制作するためにこれまでの自分の人生をじっくりと観察した。それが面白かったので今も継続しているのである。
面白いと思った理由は、こうだ。わたしはものすごく寡黙な人間で、ひとに向かってなにかを言いたい気持ちも、あるいは意味のないおしゃべりをしたいという感覚もほとんどない。原稿用紙を文字で埋めるのも苦手である(ほんとに寡黙な人間は書き言葉においても囀らない)。日々の暮らしについて話すなどは、いちばん苦手なことのひとつだといえる。それでも本をつくるために努力して、言葉にする作業を続けていたら、なんというか、自分の壊れている部分を直しているような感触を抱き、あ、これはやったほうがいいことなのだ、と気づいた。
そんなわけで、その日あった出来事と、その日の心に定着する出来事とがまるで違う生活を送っている次第。
たとえば今日は2024年3月24日。けれどわたしは1980年の夏休みの盛りにいた。その夏、わたしの最大の武器は白い巻貝だった。父からもらったものだ。どこで拾ったんだか、どこか近所の海なのだろうが、もういらないからやるよとくれた。
「なんでくれるの」
「気にすんな。俺は新しいのを見つけるから」
覚えているのはカンゾウのまばらに咲く寡黙な庭で、小さなスイカを切り分ける父の横顔。空気は乾いていた。その表情を凝視しようとすると、さりさりと音を立てて、光のなかに崩れてしまう。
「ほら、おまえのぶん」
父は、皿に載せたスイカをわたしに手渡し、巻貝をにぎりしめたわたしにたずねた。
「どうだ、気に入ったか」
「うん」
「そりゃよかった」
すっかり嬉しくなったわたしは、その巻貝をリュックにしのばせ、あっちこっちへ持ち歩いては歌を歌って暮らした。歌うときは、巻貝を口にあてがい、歌い疲れたら、巻貝を耳によせた。わたしの歌う歌は父がよく読んでいた、世間で詩といわれるしろもので、全体の寸法がちょうど本の栞くらいというほかにはとりたててなんのルールもない。ただし栞の長さのイメージをたくわえるためには、まわりの空気を肺いっぱいに吸いこまないといけないよと言われていたから、そのとおりにした。朝ごはんを食べると、家の裏手にある神社に駆けつけ、しけった墨汁みたいな森の空気を吸っては吐き、吐いては吸う。境内の森の光は空からしっとりとふりそそぐかと思うと、さやぐ葉陰から湯気となってたちのぼり、すりがらすの向こうをつたうように宙を流れる。森全体は水に浸されたようにしめりけを帯びていた。この森にはわたし以外の人間はひそんでいない。父も滅多にここには来ない。でもべつにさみしくなかった。森にはいつも鳥がいるし、虫の声は怖いくらいだし、森の奥には小さな池があって、そこには鯉がいたから。わたしは森が好きだった。森に触られているのが好きだった。いくつもの呟きや笑いが起こっては耳の奥でかすり傷になる。光に目を、そして音に耳をやさしく傷つけられたわたしは、朱色の末社の石段に腰かけて、手にした巻貝の穴めがけて歌を歌う。感覚の細部になびいている数本の後れ毛をからめとって、ピンでととのえる気持ちで。するとふるえるような存在の心もとなさが消えて、わたしの輪郭がしっかりと立つ。巻貝を口から離し、耳にあてれば、そこには遠く小さな風の音がぼうぼうとひしめき、わたしはそれを観察したくて、音のひとつひとつを順にほじくり返していく。巻貝の内側に潜む音には、たいてい言葉にならない言葉がふじつぼのようにくっついている。それに耳をすますとき、わたしは自分の内側から、まるでわたし自身がその言葉になってこぼれ落ちているように感じた。やがて巻貝の中の小さな風はわたしの呼吸とからまって、わたしの歌そのものになり、そして巻貝そのものがわたしになった。わたしは巻貝だった。そしてこの素晴らしい時間に大人たちの言葉を介入させるのはなんだか無粋なことだという気がし、また巻貝としての矜持に反する行為だとも思われたため、詩などという仰々しい言いまわしを用いずに、わたしはこの一人遊びをこう呼ぶことにした。
小さな海。
はじめて青い海を見たのは、夏も終わりに近づくころだった。