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連載

地味で果てしない生活のなかで、やさしい距離を探して

連載:呼びようのない暮らし/星野文月・有吉宣人

松本市で文章を書きながら暮らしている星野文月さんと、俳優・ドラマトゥルク・演劇ワークショップなどの活動を行っている有吉宣人さん。4月から松本で同居を始めることになった二人は、「恋愛関係ではない」という前提条件をお互いに交わして暮らしています。「男女が共に暮らす」ということが当たり前に恋愛・性愛関係と結びついているとされがちなこの世界で、呼びようのない関係性を模索する二人が、同じ部屋から日々を綴る連載です。今回は、星野文月さんがふたり暮らしが始まってからの日々を綴ります。

一緒にいることのうれしさと、むずかしさを同時に抱えて(星野文月)

一緒にいることのうれしさと、むずかしさを同時に抱えて

星野文月

有吉さんとのふたり暮らしがはじまった。
「恋愛関係を持たない」という前提は私たちの間柄にとっては気が楽になるルールだったから、そこに関しては何の問題もなく、暮らす上で必要な手続きをふたりで淡々と進めていった。
電気やガスの契約、エアコンの取り付け工事の段取りなど、一緒に生活に必要なものを手配していくのは、ひとつずつゲームをクリアしていくような感覚があり楽しかった。
共用の銀行口座を作って、そこにお金を毎月それぞれが振り込む。そこから生活費が引き落とされるような仕組みを整えて、必要なものを買うための共用のクレジットカードも作った。
暮らしてみて少し経ってから、洗濯物は別々で回す方が都合がいいとか、お互いの下着が見える形で干されているのは気になるか、といったような些細だけど気になることをなるべく言葉にして、そのことについて取り決めをしていった。

最初の勢いに背中を押されて、生活はとても順調に進んでいるように思えた。
だけど、慣れない暮らしにふたりとも緊張していたし、お互いにすごく気を遣い合っていたと思う。気を遣い合っている素振りを見せないようにするくらいには、ふたりとも気を遣っていた。

次第に、東京との二拠点生活で、仕事も移動も忙しい有吉さんが体調を崩すようになった。有吉さんがつらそうにしていると「自分がどうにかしなきゃ……」と思って、私はおかゆを作ったり、必要なものを買いに行ったり、薬の心配をした。
だんだんとよくなってきたかと思ったら、また東京から戻ってきたときに疲労でぐったりしていて、松本にいるときは休息、東京で仕事をして、疲れて松本に帰宅、というリズムができあがっていった。
私は、有吉さんがしんどそうにしていると自分もしんどいと感じるようになってきた。
それから、だんだんと「ふたり」という単位にも閉塞感のようなものを感じるようにもなった。
この閉じられた空間の中で、弱っている人がいたら自分がケアをしなきゃいけないと思ったし、自分よりも大変そうな人の前で自分のつらさを表出することで状況が良い方向に進むとは思えなかった。
生活を続ける上で感じるようになったポジティブではない気持ちをどんな風に伝えたらいいのかわからなかったし、同じ空間に居て気まずくなることを私はとても恐れていた。
そもそも言葉になる前のしんどさを相手にどう伝えたらよいのかわからないし、伝える必要があるのかもわからなかった。そういうコミュニケーションは骨が折れることだから、気まずくなるくらいなら黙っておこう……と自分が抱えていた気持ちの置き場所を自分で失くしてしまった。

そして私は、勝手に自分が抱えていた「相手をケアしなきゃ」という責任感を緩和するために、有吉さんから距離をとろうとした。
何かあるたびに「でも他人だから」「他人同士ってことをちゃんと意識したい」と口にして、お互いに踏み込まないための、踏み込まれないための境界線を設けようと必死だった。

だけど、私たちに必要だったのは、気まずくなるかもしれないことも差し出しあって話せるようなコミュニケーションだったのだと今となっては思う。

自分が何を感じていて、どうしてそういう行動をとろうと思ったのか。相手に何を求めていて、ここからどうしていきたいと思っているのか。そういうことを、なるべく言葉にしようと努めてみること。
そんなコミュニケーションは労力と勇気が要る。うまく気持ちを伝えられないと落ち込むし、聞き入れてもらえなかったらどうしよう、という不安がいつもついて回る。
だけど、それでもあなたに話したいし、わかりたいし、わかってほしいし、っていう気持ちが根底にはたしかにあって、それは、恋人だからとか家族だから、友だちだから、みたいな「根拠になる関係性」があるからしていることにしたくないな、と思う。

そう思う一方で、私はこの関係に名前が付いていないことに不安ももちろん感じていて、自分の対人関係における容量があっという間に有吉さんで占められてしまうと、恋人や家族、みたいな名前が付けられた関係を優先してしまいたくなる気持ちが湧くことがある。
心の自由を求めてこの暮らし方を選んでみたけれど、「呼びようのない関係」ゆえにいつも足元がぐらぐらと揺れているような心もとなさも同時に感じる。私たちの関係性は不確かで、ここにある距離は近づいたり離れたりを何度も繰り返し続けている。

だけど、きっと夫婦や恋人、家族だって同じことなんじゃないか、と思う。
相手とどんな距離感で、どんなふうに居たいのかは、いつだって自分たちで考えて、選び、築いていくものだと思うから。
そこに正解なんてものはきっとなくて、みんな揺れながら、試してみながら考えていけば良いんじゃないだろうか。それがうまくいかなくても、何でもやってみないとわからないことばかりだから。

ヤマシタトモコの漫画『違国日記』の中で、主人公の朝と叔母の槙生も、家族ではない「呼びようのない関係」のまま暮らしている。
これまで他人との関係に縛られずに生きてきた槙生にとって、どんどん近しくて大きな存在となっていく朝。進路に迷う高校生の朝にどこまで踏み入って良いのか戸惑う槙生へ、昔の恋人が“衛星のように誰かを見ていられるような距離”でいようとすることも美しいと伝える。

「与えたものと同じものが返ってこなくていいとか、少し離れてその人に関わっていたいとか 衛星ってのはそんな感じだ」

親子ではないふたりは、そこにある距離を探り合いながら、それぞれのやり方で想い合って、一緒にいる。
近づき、親密になることは素晴らしいことだと思うけれど、そうなることばかりが良いことだとは私は思わない。むしろ、相手との間にある距離を見つめていたいし、そこにある距離も丸ごと抱きながら、人といられたらと思う。

決してうまくいくことばかりじゃないし、生活は地味で果てしない。
疲労と諦めの気配をいつも隣に感じながら、それでも相手を理解しようと手を伸ばしてみることを諦めたくないし、やっぱり自分の気持ちも知っていてほしいと思ってしまう。

ここで暮らしてから感じるようになったよろこびや楽しさ、戸惑い、わかり合えない歯痒さは、ぜんぶ、絶対に自分ひとりだったら感じられなかったことばかりだ。

一緒にいることのうれしさと、むずかしさを同時に抱えながら、それでも衛星のように近づいたり遠ざかったりを繰り返しながら、きっと人と人は一緒にいることができるのだと思う。
私は私のままで居ていいし、あなたはあなたのままでいい。
そう思い合うことのできるやさしい距離やあり方をずっと、私は探していきたい。

星野文月

作家。1993年7月生まれ、蟹座。長野県 富士見町出身。
現在は松本市で暮らしながら、文章を書いている。
著書に、私小説『私の証明』(百万年書房)、エッセイ集『プールの底から月を見る』(SW)がある。松本市の独立系書店「栞日」で書籍の選書を担当。

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映画『あずきと雨』のアフタートークに登壇します。

日時: 11/16(木)20:30の回上映後
会場:ポレポレ東中野
登壇者:星野文月(作家)、有吉宣人(演劇をつくる俳優)、隈元博樹(映画監督)

映画『あずきと雨』 隈元博樹(『Sugar Baby』『あの残像を求めて』)長編初監督作品

『プールの底から月を見る』

著者:星野文月
発行:StoryWriter
発売日:2022年11月27日
価格:1,400円(税込)

星野文月『プールの底から月を見る』 | StoryWriter

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