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同じ日の日記

雨に唄えば/スナネコのアカチャンと燈里

友達の詩のパーティと生け花。あの日僕を撃ち抜いた愛のスコール

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。5月は、2022年6月23日(木)の日記を集めました。公募で送っていただいた、尼崎に暮らすスナネコのアカチャンさんと台北に暮らす燈里さんが、2つの街を繋ぐ「雨」をテーマに書いた日記です。

いつもと何ら変わりのない6月23日。変哲もない1日、それでもかけがえのない特別な1日。瞬間の集積が時間であり、時間が毎日を築き、そしてその毎日の積み重ねが人生になる。だからどんな1日でも私は瞬間を感じ、願わくば記録して共有したい。梅雨だった6月23日は、私が住んでいる台北市も、友達のスナネコがいる尼崎市も雨が降っていました。2つの町を繋ぐ雨をテーマに「同じ日の日記」をスナネコと一緒に書きました。

6月23日にスナネコと私が交換していた曲や雨がテーマの曲で作ったプレイリスト。1〜11曲目はスナネコが、12〜25曲目は私が当日聞いていた曲です。

2022年6月23日木曜日 台北 燈里

スナネコのメッセージの通知で目が覚めた。9時、ということは日本は10時か。先週の金曜日に台北から尼崎に送ったプレゼントが届いたみたい。今日、木曜日が休みのスナネコは、早速贈ったピーナッツバターを色々な食材に添えて食べたようだった。Spotifyのリンクで曲をたくさん送ってくれている。上から順に再生していき、それをBGMに1日を始めた。

10AM、コーヒーを淹れてiMacの前に座りメールを開ける。先日、あるインドの会社から翻訳の仕事のオファーがあり、試験を何なく通過したところだった。研究機関と連携して学術論文を専門に扱う翻訳会社で、まさにやりたい内容の業務、自由で風通しの良い企業文化、柔軟で多様な働き方。ただ、会社が提示する給料のレートがあまりに低く、昨日希望額とその根拠を出して賃上げの交渉をしていた。その返事があり、私の経験を考慮して最初の提示額よりも30%レートを上げるということだった。実はそれでもまだ低いんです……。とりあえず先に今日締め切りのデュオリンゴの翻訳を急ぎで仕上げ、校閲に出した。残りの業務はまた夜に。専門性を活かして複数の面白いプロジェクトを掛け持ちできるフリーランスの働き方が好きだ。

下午2點半からは中国語の授業。毎週木曜日に台湾人のAnn先生と1対1で1時間中国語を練習する。一昨日は先生の誕生日だったので「生日快樂」と言って小さな教室に入った。朝の英語から一転、発音と声調と漢字の合致を確かめながらゆっくりふにゃふにゃ喋る。挨拶代わりに「上週末做什麼?」と聞かれた。……插花、と短く答える。「你喜歡插花嗎?」喜歡……插花培養我的美感。花を生ける時、素材固有の美しさを見極めて花材を選び、その組み合わせや調整で花の潜在的な美しさを引き出す。生け花を始めてすぐに町の草花の見え方が変わった。年中湿潤な気候の台北は緑が多い。公園がどこにでもあり、道路は街路樹が太い幹をくねらせて葉を広げ、アパートのベランダには必ず植物が置かれ、家の前には植木鉢の花や木が並び、コンクリートの道端さえ雑草と苔がびっしり生えている。葉の青さや枝のしなり、零れ落ちそうな花弁が目に止まるようになった。花器に挿す花材の繊細な美しさを発見して、その目を持って町に出ると、実はどこにもここにも美しさはあったのだ、と驚く。

雨に唄えば/スナネコのアカチャンと燈里

写真:Cathy Keng

4PMから近所の大学病院の中医学に診察の予約を入れていた。診察室に入ると先生が私の保険証を見て「中国語と英語どちらが良い?」と聞く。英語で、と即答する。中文、と答える日がいつか来るのかな。呉先生が人差し指、中指、薬指の3本を揃えて私の左手首に置き、脈を取る。右手首も同様に。脈を測りながら、空いている手のやはり真ん中の3本の指でキーボードを叩きカルテに打ち込む。両手の同じ3本の指で今度は私の首を触る。国民健康保険の恩恵を受けて、診察と2週間分の漢方で230元。早速粉末の漢方を水で流し込む。ハーブ独特の甘ったるい匂いがし、温く苦い泥を飲んでいるみたい。この匂いと苦味……そういえば子供の頃「良薬は口に苦し」と祖母が毎朝言っていた。祖母は病気が絶えず、処方薬だけでなく、裏庭の日陰に茂る草を調合してお茶にして飲み、背中の手術痕には枇杷の葉を貼っていた。6月にドクダミと蓬を摘む祖母の両中指で暗く光っていた金の指輪2個。それは今、私の指にピッタリと嵌まり体の一部になっている。

雨に唄えば/スナネコのアカチャンと燈里

写真:Cathy Keng

支払いの順番を待つ間、ガラス戸越しに外の広場に目をやると、鳥が1羽、地面のアスファルトすれすれを飛んでいくのが見えた。あっ、と思った途端、雨が降り始めた。「あめ/rain/yǔ」の3つの音が同時に浮かぶ。傘を持って来ていない。病院の出口で呆然と空を見上げていると、電話がかかってきた。R君だ。ということはもう17時半か。平日はRが退勤するタイミングで車から電話をくれる。「もしもし」。日本語、今日初めて口に出す私の母語。Rは転職したばかりで、今週から始まった新しい会社と業務について淡々と説明していて、所々私が相槌を打ち質問を挟む。Rと私の声は不完全協和音程で、そこに雨の音が拍のように入る。ホッとして肩の力が抜けると、今日1日体が強張っていたことに初めて気付いた。雨の中をゆっくり大股で歩く。梅雨の生温い「みず/water/shuǐ」。頭の天辺で1つに縛っていた髪を解くと、巻き毛が雨を吸ってさらに柔らかく細かく縮れる。植物や木々も雨水を全身で受け止め吸い込んで生き生きと茂っている。葉の緑色が濃く深く、町の中でその存在感を増している。

Leoraからメッセージが入った。先週末はLeoraが企画した詩のパーティーに呼んでもらい、テーマに合わせて花を生けてきた。台北にはTaipei Poetry Collectiveという詩が好きな若者のグループがあり、毎月集まって英語の詩を書いている。先週末は彼らのzine発刊記念のイベントで、詩の朗読や音楽演奏やパフォーマンスがあった。“I FUCKING love being alive in this world, it’s so ugly and hard sometimes and then so soft and gentle and exquisite at other times, I’m left reeling from the juxtaposition. And I feel you see this and celebrate this tooooooo, love yr eye and the way you celebrate folk around you. It’s a really special thing to uplift the way you do”. どう転んでも人生を楽しもうと決めてから、次々と楽しいことが舞い込む。楽観的に、適当に、自分勝手に、笑って、生は素晴らしいのだと信じていたら、どんどんそうなった。その楽しさを共有できる喜びは友達に教えてもらった。電話でRが立て続けに冗談を言っていて、そのくだらなさに白目を剥いた。後でスナネコとLeoraにも電話しよう。私達の雨の日々に祝杯を上げるべき、そう思うでしょう?

2022年6月23日木曜日 尼崎 スナネコ

AM
昨日は雨だった。
あの雨では陽が昇ってもアスファルトは乾くはずもなく、隣家の玄関先にある花壇の土も黒く湿っていることだろう。
ソファに横たわり窓を見てみるが、欠陥住宅をデザイナーズマンションとかいう謳い文句で誤魔化している要塞のような一室からは外を見ることができない。まるで拘置所だ。
僕は雨季になると体調が優れず、体が痛み体調を崩しがちだ。もちろん夏は嫌いだ。
暑さに弱いのだ。
屋内に逃げ込もうにも、ショッピングモールも電車も大げさに冷房を効かせてどうにもこうにも寒すぎて外との温度差に体がやられてしまう。
寒さにも弱い。
なぜこんなに冷房をガンガン効かせるんだろう?
本当に鈍感なヤツらだ。
そんなことしなくても社会はいつだって冷たい。

先月から休日が平日へと変更になり今日は休みなのだ。とにかく今日は雨。
梅雨なのだから仕方がない。

出だしから文句ばかりだが、雨について説明するならば、雨は嫌いではない。
むしろ雨の音は心を落ち着かせてくれる。
そして雨が多い国の陰鬱とした気怠さが作り出したロック音楽と年中カラッと晴れ上がった空でバカが作ったバカみたいなロック音楽ではもちろん前者の方が好みにしっくりとくる。
雨というのは感性を揺さぶる。
雨季。
梅雨を経て夏へと変わる。
季節の転換期の真っ只中に僕はいる。
日中の太陽に焼かれ、極限まで乾いたアスファルトは空からの一粒目の雨粒を受け止め吸い込んでゆく。
続いて次の雨粒。
パラパラと不規則に雨粒は続けてアスファルトを叩きつける。
乾いた地面は瞬時に雨を吸い込み、夏の匂いを大気へと放ってゆく。
次々と雨は地面を叩きつけ、ついに土もアスファルトも水溜まりを蓄え、低地へと流れ込む。
雨が地面を流れてゆく。
飽和状態になったのだ。
雨粒を吸い込めるだけ吸い込んだ地面はついに飽和状態なり、蓄えた水まで流れ出してしまった。
溜め込んで流れ出した感情のようにもう二度とは戻らない雨粒。
世界のエントロピーは増大してゆく。
終わりなき不可逆性の連続の中に我々はいる。
地面を打ちつける雨のように流れ出した感情はどんなものであれそれは愛であると僕は断言できる。
あの日僕を突き刺したスコールの感覚は忘れることはないだろう。
ありとあらゆるドラッグをキメて愛の嵐の中僕を撃ち抜いたあのスコール。
我々が作り出した世界と我々を作り出した世界を結ぶために今日も雨は降る。
終わりなき不可逆性の一部として、我々も、社会も、草木、虫、無機物に至るまで存在している。
願わくば世界に降り注ぐ雨が愛の一部であると知りながら僕は生きてゆきたい。
あの日僕を撃ち抜いた愛のスコールのように。

スナネコのアカチャン

博打好き女好き酒好きの三重苦。仏陀になる一歩手前で我に返り、現在は社会の歯車として稼働中。猫は万物の霊長であるという理念のもと地域猫たちに奉仕。元ヤク中。

1992年茨城県出身。台北在住。翻訳者、執筆者、作曲家。思い通りにならない不完全な自分の体を出発点に、女性性を取り巻く歴史と政治と呪術を探りエッセイを書く。
Akari is a translator, writer, and composer from Ibaraki, Japan, currently based in Taipei, Taiwan. Her writing focuses on the history, politics, and witchcraft surrounding womanhood and uses her imperfect and unwieldy body as a starting point.

ゲーム感覚で外国語を勉強できるアプリ、デュオリンゴ。日本語では4ヶ国語、英語では40ヶ国語の言語を無料で学習できます。隙間時間を使って興味ある言語の文法を学んだり語彙を増やすのに是非活用して下さい。翻訳者として、英語コースと日本語コースを作っています(燈里)。

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