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同じ日の日記

息を止めてしまった森で/肥髙茉実

自然は数秒先の未来すら保証してくれないけれど

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。5月は、2022年5月30日(月)の日記を集めました。美術家、文筆家の肥髙茉実さんの日記です。

ツイッターのタイムラインで、誰かがある展覧会について「時間とお金を無駄にした」とつぶやいていた。その人が確実な体験を求めていることを示すひとつのわかりやすい例だと思う。ネタバレを読み漁った後に映画館へ足を運ぶこと、食べログ高評価の飲食店以外で食事をしないこと。すべて不確かな体験にコストを払うことへの拒否であり、より効率よく期待通りに生きたい私たちなりのささやかな対策だ。しかしこれらは限られた時間を豊かにするための「予期」でも「工夫」でもなく、あくまで「既知」の範囲にとどまる。期待外れや想定外を許さずに、社会的な数字と言葉をもとにすでに知っている未来を生きること。それは過去を生きることとほぼ同義と言える気がした。

私たち人間はどうしても不確かな状況や物事が苦手で、常に安心していたいし限られた時間を豊かに過ごしたい。それでも「安心できる豊かさ」の本質は、あらかじめ未来に安心しておくためのプロセスに「既知」と「効率化」以外のバリエーションが増えることであり、そのバリエーションは、さまざまな状況を想像したり、異なるもの同士許し許されたりしながら繊細に増えていくものなのではないか。

今私がこう思えるのは、以前尊敬するキュレーターの方が「重要なはずのプロセスはどこからコストに転じてしまうのか」という話をしてくれたからだった。要は、非効率的・非合理的なプロセスに時間を費やせる人と費やせない人がいて、その差が大きくひらきがちなことから、総体的にプロセスがコストとされてきてしまったのではないか、と。既知と効率化に慣れ切っている現代の人々は、いかにコストを重要なプロセスとして含めていけるだろうか、と。そんな会話の記憶を抱えて、この日私は早朝から軽井沢のある森を目指していた。地域の乱開発で土も草木も死んでしまったという広大な森を、数年かけて有志の人たちと協働して再生させていくためのワークショップに呼んでいただいたのだ。

そもそも森が死んだ要因は、土や草木をコンクリートで塞ぐ近隣の車道とゴミ埋立地にあるという。現地に着くと、たしかに車道や埋立地から近いところほど草木の色はくすみ白んでおり、嫌な湿気が肌にまとわりつく。足元の土は怖いほどふかふかで、スコップで少し触るだけで奥から発酵したような悪臭が立ち上ってくるのだった。ワークショップの先生曰く、これらを改善する効果的な草刈りは、獣の目線の高さに風道をつくるように行う。教わった通りに正しい草刈りをすれば、たった一日で手をつけた場所はたしかに風が通り、小虫の数も見てわかるほど少なくなった。

「目の前で起こることすべてに意味や目的があるのです」と先生は繰り返す。私はこれからライターとして数年間森に通い、毎度こうして地元の人たちと一緒に土仕事をしながら、再生のプロセスの記録と発信を行っていく。毎月デッドラインから逆算してスケジュールを引き、平日はほぼ自宅から出ず朝から晩までキーボードを叩き続ける私にとって、異なる時間軸を生きる自然と向き合い、執筆以外の移動と肉体労働が大半を占めるこのプロジェクトは、イレギュラー中のイレギュラーだ。正直なところ通常よりコストは大きい。それでも、有志が県外からも集まって20名を超え、大勢で黙々と草刈りや土仕事に勤しんでいると、終わる頃には自然とそのコストを重要なプロセスと思い直さずにはいられなくなっていた。

この日は30℃近い夏日だった。帰り際、日の光が強く照り返す車道から、逆光の中の森を振り返ると、残像も相まって一瞬全部がグレーに潰れて見えた。人間都合の開発のために、この熱いコンクリートの下で無数の生命が犠牲になっている。何年も何年も時間をかけてこの森と向き合い続ければ、白んだ緑が青青と生き返るのを見ることができるのだろうか。人間と異なる時間軸を生きる自然は、ほとんど「予期」も「既知」もできず、私たちに数秒先の未来すら保証してくれない。それでももう、私たちは過去を巻き返すように自然の声なき声に耳を澄ませながら手を動かし続けるしかない気がする。

肥髙茉実

美術家/文筆家。東京都出身。2018年多摩美術大学美術学部絵画学科油画専攻卒業、卒業制作優秀作品賞受賞。同年よりウェブ版『美術手帖』ほか『i-D』『THE FASHION POST』『tattva』などで企画と執筆を行う。主な主な展覧会に 2020年「静謐な光、游泳のかたち」(Sta.)など。

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