「なんと驚くべき、なんと不思議な! われ炭をもち、水を汲む」(龐居士)
7:15起床、オンに先を越される。昨晩はひさしぶりに松樹と映画を観たので寝るのが遅くなった。「もうおしょうがつでしょ、これがおしょうがつなんでしょ」とはしゃぎながら、オンがわたしと松樹の間に入り込んでくる。重たくなったふとんを剥がし、うん、そうだよ、そうだよ、と彼女の頬を両手でぎゅっと挟んでから寝室を出た。朝の儀式だけはひとりでやりたい。
窓を全開にして、「おはよう世界! 今日もあなたはすてきだね!!」、それから大きく深呼吸。冬の富士山はうまくいった型抜きみたいにくっきりしていて、習慣でなくとも自然と手を合わせたくなる。オンの園は12月中旬から冬休み、松樹の美容室は年末が繁忙期。それに去年はわたしの、今年は松樹の個展が重なり、ここ数年は大掃除どころか1年で最も雑然とした部屋で新年を迎えている(心身ともにへとへとで)。
子どものころ、元旦はもっと特別だった。ベッドから起き上がり、前日に用意しておいたよそいきの服に着替えて階段を降りていく。玄関には半透明のつめたいもやがかかっている。リビングのドアを開けると、オイルヒーターのほのかな温もりとともに、キッチンからお酢のにおいがふわりと漂ってくる。すでに起きていた父と母、おばあちゃんが次々とわたしに声をかける。おはよう、ではないその挨拶にはどこかよそよそしさがあって、わたしにはいつもそれが不思議と心地よかった。
「あけましておめでとう!」には、人をふだんの属性から解放してしまうような無防備さがある気がしている。生まれたてのひよこみたいに、「わたしたちみんなぴかぴかの魂でここに登場しました!」とでもいうように。だからそれは、わたしにはほとんど、「はじめまして」と同じようにも聞こえる——(のだが、お正月には親族の集まりを中心に、属性や役割がひたすら強調されるような習慣が残っていることがつらすぎる)。
昼にたくさん食べることを見越して、残りもので朝食。梅干し入り玄米ご飯と、わかめと玉ねぎの味噌汁を温めなおす。クリスマスにオンと一緒につくって冷凍しておいた水餃子も入れる。「じぶんできがえる、いやきがえない!」の一悶着を乗り越え、それぞれなんとか身づくろい。子どもと出かけるまでのフローがいまだに決まらない。お正月ばかりはかりかりせずに過ごしたいが、「は・や・く!!」という硬い言葉が何度も口から飛び出る。それなしで1日を過ごせる1年を夢見るも、早々に絶望。ちなみに初夢は見なかった。
徒歩圏内にある両親の家へ。途中で図書館に寄り、借りていた大量の本をポストにどかどか戻す。通り抜ける住宅地の門という門に門松が飾られていて、この習慣はいつ誰がはじめて、いつなくなってしまうだろうと考える。古代の日本では、同音の言葉は同じものを意味していて、たとえば「まつ=松=待つ」は「神さまを待つ場所」というところから来ているらしい(コテンラジオの空海の回で聞いた。まさに神回だった)。
神さまとか天使とか妖精とか。ひとつ間違えば誤解や曲解の渦のなかにどんどん滑り落ちていきそうなものごとを、どんな言葉で言い表したらいいんだろう。オンと暮らすようになって、ぐっと身近に感じるようになったそれらの存在を、カッコ笑いやら市場経済やらイデオロギーやらから守りたい気持ちがはたらき、口をつぐみたくなることもしばしばだ。
注文したおせちと、母のお正月料理を5人で囲む。頻繁に会ってはいるけど、食卓を一緒に囲むのは1年ぶり。そしてわたしは300年ぶりくらいにお酒を飲んだ。そのうちに母と父の子ども時代の話になり、当時のジェンダー規範の話になり(ケアすることの喜びと強制の境目は?)、それからわたしの「おばあちゃんたち」の話になった。浅草を拠点に全国を回り政治や世相を風刺する「演歌師」だった両親(添田唖蝉坊の弟子だったのだ)のあいだに双子の妹として生まれ、小学校にも通えず、途中から岩手の親族のもとへ送られて家族バラバラに育った父方の祖母と、早稲田の産科医の家に生まれ、馬車で女学校に通い、病弱の青白い顔を心配されて先生に頬紅をプレゼントされたという母方の祖母。いろいろと対照的なふたりの昔話は、これまでに何度も聞いていて、彼女たちが生きていた頃からお正月の定番だった。今は時間もエネルギーも足りないけれど、いつかそうした「おばあちゃんの物語」を書きたいと思っている。
「一つの物語を聞かせよう。というのも、私が知っていることは、物語なのだから。物語は世代から世代へと伝えられ〈喜び〉と名づけられる」(トリン・T・ミンハ『女性・ネイティブ・他者』「Ⅳ. おばあちゃんの物語」!!)。
食後、お雑煮を食べる前に腹ごなしのゲーム。オンがカレンダーの裏に描いた「マト」に、粘着性のあるボールを当てるという単純なルール。ものを投げるのがひたすら楽しく、ハマってしまい、オンが遊ぶのをやめたあとでもずっとひとりでやり続けてしまった。松樹の実家にFaceTimeで電話する。おかあさんの大分弁が聞こえてくるだけで、部屋の空気が少し変わった。かすかなイントネーションの違いだけで、こんなふうに新しく空間が立ち上がるのがいつも不思議だ。オンは「おいしごたー!(おいしそうだね)」という言葉を覚えて何度もくり返していた。おもたせにしていたマミーズ・アン・スリールのアップルパイをみんなで食べて、『アトロク』で聞いた簡単なトランプ・ゲームで遊んで、さようなら。
帰宅後、ささいなことがきっかけで松樹とケンカ。満腹すぎて機嫌が悪かったせいもあり、親と長時間向き合った気疲れもあり、「ひどい1日だ!! こんなんじゃ日記なんて書けない!!」と叫んでしまう。ケンカというのは、たいていが単純な言葉の誤配の問題だ。少し違う言い回しをしていたら、タイミングがずれていたら、起きなかったはずのことばかり。「言葉は自分と他者をつなぐ道具でもあるけれど、必然的に人との距離を作り出し、石にも盾にも変わる。そしていつの間にか相手とのあいだに壁を築いてしまう」と以前、オンの園の先生に言われたことを思い出す。すでにわかっているつもりの内容でも、まっすぐ目を見て言われた言葉はささりかたが違う。それでも今日のケンカは長続きしなかった。わたしが止まれなくなる一歩手前で、松樹はおもむろに両手を広げ、「さあ! おいで!」と言った。それは子どもや動物をなだめるような、ほとんどジョークみたいな格好だったけれど、わたしはそこに飛び込むことができた。それだけで言葉が消えて壁が崩れた。Tの字になった長髪の松樹はなんだかキリストみたいで、また神さまを迎え入れる門松のようでもあり、たとえそれがポーズにすぎなかったとしても、本人の意図を超えたところで人の心を救う何かがあるんだな、と思った。冗談返しみたいに頭をぐりぐり胸に押しつけると、オンもそれに参加して3人で笑った。
晩ご飯はおせちの残りと、キャベツと揚げの味噌汁。オンが寝た後で、松樹と『すばらしき世界』を観る。どうしてみんな、あんなふうに他者を信じることができるんだろう? わたしは裏切られるのがこわいせいで、誰かに手を貸すことができないかもしれない。それに誰かをがっかりさせたくなくて、せっかく差し出された手を振り払ってしまいそうだ。今日だって、いい1日にしようと思ったのにちょっと失敗した。「それは100か0かで考えてるからでしょ? 裏切られるかもしれないし、人をがっかりさせるかもしれない。それはみんなどっかでわかってるんだよ。でも今この瞬間は、うまくいってほしいとか、うまくやりたいとか、そう願う気持ちがある。それだけでいいんじゃないの、信じるのは100パーセントじゃなくたっていい」という、松樹の返答をじゃりじゃり噛みしめながらお風呂、持ち込んだ本(カロリン・エムケの『なぜならそれは言葉にできるから』)は読めぬまま、1時すぎに就寝。
冒頭に書いた言葉は唐時代の仏教者、龐居士(ほうこじ)が残したものだ。ここ数年は元旦の朝、抱負代わりにつぶやいている。日常のささいな行為に光をあて、新鮮な驚きを覚えること——は、実際ものすごく難しい。とくに、すべてが小さなことのくり返しの、ぎちぎちと目詰まりした日々のなかでは。それでもふと立ち止まることで、そこにわずかなすき間が生まれることがある。差し出された手に触れ、みずからもこの手を差し出すことができるのは、そんな一瞬なのかもしれないなと思った。