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同じ日の日記

ウトロ〜斜里間 通行止め継続中/麦島汐美

2022年2月22日の日記

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2022年2月は、2022年2日22日(火)の日記を集めました。文章や写真などの制作を行う、麦島汐美さんの日記です。

「ウトロ〜斜里間 通行止め継続中 今後の情報にご注意下さい 2/22 AM6:00」

フロント横のホワイトボードを囲む人だかりの隙間から、赤いマジックペンで書かれた文字を読む。今朝は吹雪の音で目が覚めた。雪を巻き上げる風が強まったり、勢いをなくす一瞬の静寂がつくる波間の響きへ、布団から見える窓の真っ白さと合わせてしばらく耳を傾けていた。東京へ帰る21日19時の航空機は着陸せず、それ以前に北海道の知床半島・ウトロの町と他の町をつなぐ一本だけの道路は封鎖され、建物の一歩外に出ればホワイトアウトで数十センチ先も見えない危険な状態だった。私は高揚していた。同時に、ここから出られないということに昂る不謹慎さを誰にも悟られたくなかった。寝ぼけた目尻に少しの深刻さを足して、帰りたいねと話す人々の間をロビーの方へ抜けていく。大きなテレビに流れる朝ドラを大雪情報の青い帯が囲むのを、人々が取り巻いている。テレビから遠く、広いロビーの端に置かれたグランドピアノで、小学校低学年くらいの子どもがふたり遊んでいた。「いやぁね」と話しかけてきた年配のお姉様の気持ちがどちらに向かっているか自信がなくて、そういうこともありますよねとなるべく中くらいの丸い声を出す。知っている音楽を全部やりつくした子どもたちの、自由な作曲の時間が始まった。知らない場所へ来たとき、時間が経っても強く記憶に残っているのは音かもしれない。おとといまでいた釧路の商店街では、北方領土の返還を願う放送が誰もいない夜中のすみずみにも広がっていたことを思い出した。

大きなホテルの大浴場にだけあるシャンプーとコンディショナー。いつもの自分とは違う仕上がりになることを期待して3プッシュする。自暴自棄の助走として、ドラッグストアでラベルも値段も確認せずに手に取った知らない石鹸で身体の隅々まで丸洗いすることがある。おなかの皮膚を削るように手のひらで強くこする。あの1月の冷える夜、レズビアンバーの重い扉の外で「自分だけのからだだよ」と、私はYに言ってしまった。Yが席に着く前に、やんわり性別を問われた時点で私はYの手を引いて店を出た。トランスであるYを差別する激しい意図がある訳ではないことは分かっていた。唯一自分を隠さずにいられる場所の存在や、このコミュニティで出会った友人たちに私だって何度も救われてきた。この国で私たちが女として肩を並べて歩ける場所は広くないという事実に、目の前のYの鎖骨下まで丁寧に伸ばした髪や細くて白い首が反射して、複雑なやり切れなさで心が張り裂けそうだった。「あんたたちには何も分からないでしょ」と路上で私に答えるYの、笑顔に沈めた怒り。もうそれ以上何も言葉に出来ず泣く私の腕を、今度はYが掴んで、そのままお互いに手を繋いで、真夜中を待たず店の明かりが落ちはじめた暗い街を終電までふたりで歩いた。個人的なことを開示する夜を積み重ねて積み重ねて築いた繋がりも、たった一つの攻撃で破壊されてしまうことがあることを26歳の新宿の底で知った。彼女を彼女と認めないすべてが憎く、差別構造を覆す運動を日々怠ってばかりの自分の存在を直視するのも困難だった。「流氷見に来た」と連絡すると、いつものように速攻で「六花亭のバターサンド以外いらんから」と返事をもらってから特に何もない。ふたりの間に横たわる気まずさを、今年の初めのあの夜から互いに感じている。早く会って話したいから、この日記に書いている。長文LINEはいつでも誰でも気持ち悪いってあなたが言っていたから。

100センチを超えてもなお降り積もる雪が、いまだけの坂をつくっている。体を洗う間におさまってきた降雪の向こう、オホーツク海に接岸する流氷が仄かに見えてきた。海にも山にも空にも、私たちの間にも本物の/架空の坂があることをこの数日で理解した。崩れ、が肯定の運動として発動することもあるのかもしれない。この雪の中で、道の除雪作業をする人の手が坂を崩すところを想像してみようとする。13時、通行止めはまだ継続しているものの、吹き付ける風雪の勢いは弱くなった。近くの展望台と流氷を臨むスポットへ向かうバスも動き出した。「ウトロ」の地名は、「そのあいだをわれわれが通るところ」というアイヌ語が元になっている、と道中の車内アナウンスが流れる。バスを降り、現地のネイチャーガイドに先導されながら、夕陽台の絶壁から流氷を見た。そこから15分くらい再びバスに揺られて、ひらけた海岸沿いで降りる。隣町へも道路を渡っていけないのに、ロシアまで歩いていけそうだった。向かい合う海と山の親密さの中で、あまりにも余所からやってきた私の体は透明だった。静かなことがすばらしく、この心許なさに辿り着くためにこれからだって旅へ出るんだろう。じっとしていると風も雪もまた強くなってきて、急いでホテルに戻る。飛行機は欠航し、道路も開かないままだった。敷きっぱなしの布団や机に散らばった荷物をまとめて一度チェックアウトして、そのまま2月22日のチェックインをする。四角い木目調のブロックで日付を入れ替えるカレンダーの222の横に、オレンジ色の狐の折り紙が3個添えられていた。

元々泊まっていた和室の4階はキャリアの電波もWi-Fiも眺望もヒーターの性能も悪く、ひたすら吹雪と「オードリーのANN」一人旅回のまとめを聞いているだけだったのに、空き状況の都合で今日泊まっているのは最上階のスイートルームになった。通信状況の問題も隙間もなく快適な空間で、大きい犬3匹が余裕でくつろげるソファで無音に浸かっているとすべてを忘れそうになる。豪雪の気配を感じながらのこのこやって来て、リゾートに閉じ込められたバカな観光客でしかないのに、思考を巡らせるフリをしているだけのような恥ずかしさを振り切って、何人も一緒に支度できる大きな姿見でひとり身なりを整えて、カメラだけ持って外へ出た。

地図を見ると、午前中にバスで行った夕陽台の岬の先へは歩いていける距離だった。また少し日差しが出始めて、ところどころ雪が薄いオレンジに染まっている。人通りのない坂道を、除雪車が行き交う。木々も、バス停も、アパートも雪に埋まり、時折舞い上がる細かい雪の粒が眉間によわく当たる。ひとりで歩いていく。マスクを外し、地面をつくるムギュっという音に集中するため地面を見ていると、かすかに動物の、おそらく犬の足跡がこれから進む方向へ続いている。嬉しくて顔を上げると、積み上がった白と松の葉の濃い緑の谷間に墓石が、いくつも見える。一軒家の玄関フードに覆われた軒先に、ペダルのない小さい自転車が2台倒れている。木工のお土産屋の屋根から雪を落とすために振り上げた青いスコップが反射する太陽の鈍いあつさ。アパート2階の角部屋に灯る光。岬の入り口に立つ看板の一番高い場所に、カップルのサインが密かに描かれている。

移動の途中で過ぎるだけだった道沿いに生活が面状に広がっている。そのあいだを私が通過する。考えもしなかったことを考える機会がもっと欲しい。ひとりで静かに考えたあとは、それを近しい誰かと共有して、その先にまだ遠い誰かとの対話があればと祈る。あなたを思う「好き」の気持ちを因数分解して、より強かな織物にしたい。二重窓の奥のガラスに、白い猫がべったり張り付いている。222の今日は全国的に猫の日で、ホテルのフロントで見た狐の折り紙はきっと猫だった。ひとりぼっちの横浜の道端で拾った、生意気で、くるおしいほどにいい匂いの2匹にも会いたくなる。ホットカーペットであつくなった猫の柔らかさを思い出しながら、かきわけて着いた夕陽台から流氷を見下ろす。シベリアからの寒気で冷やされたアムール川の水が凍りながら海に流れ込む。塩分濃度の低い水はそのまま海の表面で凍り、白さを広げながらこの町にたどり着く。大きな塊の下、800メートルの濃い海(と表現していいか分からないけれど)のくらさに、氷の隙間から差し込む光の眩しさをここから想像することはできるか。できると信じたいままホテルに帰り、つきっぱなしだったカメラの電源を落とそうとするとフラッシュがこれまでになく眩しく瞬いた。見たこともない明るさの光は、新宿で初めて会った日のYみたいだった。

麦島汐美

1995年東京生まれ。フリーランスで映像、イベントの制作部など。フェミニズム・映画・アイドルについての執筆。身近な人について書いた文章や撮影した写真から、二つ目の身体を物語に生み出すことを目的に制作/発表もしています。2020年から「都市と芸術の応答体」メンバー。

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