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同じ日の日記

さかいめの日/朝弘佳央理

2022年2月22日(火)の日記

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2022年2月は、2022年2日22日(火)の日記を集めました。パリを拠点としながらダンサーやストレッチインストラクターとして活動する朝弘佳央理さんの日記です。

8:12
夢の中に本が登場するとき、たいていはその背表紙も中身も意味のない文字の羅列だ。ひらがなかカタカナかアルファベット、時々漢字がそれらしく並んでいるがまったく意味を成していない。あちこちページをめくって目を凝らしてみても「あきてマレbあcesさかんラくーああgoyリスデ棚Wtば」という感じで意味がわからない。
まるでボルヘスのバベルの図書館みたいだ。
あまり集中しすぎると夢が遠ざかって目覚めてしまうから、いつも棚にならんだ他の本を確かめる時間がない。

10:22
台所に立って窓から見上げると向かいの家の小さなベランダが見える。住人のマダムの、柵にふっくらとした腕をかけ、どっしりと体重をかけながらタバコを片手にバス通りを見下ろしている姿を一日に何度となく見かける。もう引退されているのだろうか。それとも文筆業か何かかな。
カーテンは閉めていないので、もしかしたら私が皿を洗っている姿も向こうから見えているかもしれない。

11:08
皿洗いを終え、日曜日のパンの残りをかじりながら石牟礼道子の『あやとりの記』を読む。
昨年11月に読み始めたのだが第一章からあまりに鮮烈で、彼岸に引きずられるようで、ふだん「日常」をこなすばかりのわたしには毒のように感じられるほど彩り濃くゆたかで危険だった。少しずつ読まないとからだの輪郭がぼやけて漂って、戻ってこれなくなりそうな気がするほど。
そういうわけでふたたび本棚に戻したものの、目が合うたびにわたしの胸をうずかせていたのだった。

幼いみっちん(石牟礼道子)はいつものように木にのぼりながら、海から山へ抜ける風の通り道を見ている。まつげに何かがひっかかり、それは何千という孵化した蜘蛛の子があふれるくもの巣だった。蜘蛛の子を枝に渡しながら、樹の肌、山の肌は実に色んな生き物を養っていることに思いを馳せ、世界に混ざり込んでゆく。
ふと声がしたので山ぎわの、海岸との境にある火葬場を見下ろすと、岩殿がいる。岩殿はそこに住み、遺体を焼くことをなりわいとしている。珍しく誰かと話している。一本足の仙造やんだ。
仙造やんは山に入って採れたものを里にもってゆくことで生計を立てている。けわしく高い崖にだけに咲く、この上なく良い香りのする蘭を摘むことができるのは仙造やんだけで、里のひとに敬われている。
山を歩くうちに良い香りのする藤を見かけ誘われるように入ってみたところ、木のうろにはこんこんと酒がわいており、相棒の萩麿(馬)が鳴くのをよそに飲みふけってしまった。その日からどうも萩麿の背中の様子がおかしいのだと言う。
岩殿は、山のひと(神さま)のお酒をごちそうになってただで済むはずもない、きっと萩麿の背には山のひとがまたがったままなので荷も載せず元気がないのだろうと考える。
そこで、神さまに萩麿の背から降りていただくようお願いをしに社へ向かうのだった。

こうして説明するとまるで童話か日本昔話の微笑ましいつくりごとのようだが、実際に読みすすめるとむしろ、もしかしたら私が今まで読み聞いてきた童話や昔話こそこんなふうに世界の秘密を描いたものだったのかもしれない、一番小さいものと一番大きなものが手を取り合い混じり合っている宇宙のことを描いていたのかもしれないと思わせる。
そこには人間と動物、山や海や森などすべてのものの境が今よりも曖昧で、お互いの輪郭が溶け合ったり、入れ替わったり、同じものだったりする感覚が生きている。
石牟礼道子の幼少期ということだから、昭和の時代のこと、そう遠い昔ではない。

仙造やんが藤の花を描写した言葉がうつくしくて、書きとめる。
>鳥の胸毛よりは冷いやりして、柔らしゅうして。あの藤の花房ちゅうはなぁ。
(『あやとりの記』(石牟礼道子/福音館書店、106頁より)

さいご、お社で神さまにたむけたもの(ヤマモモの実る大ぶりの枝やスイカズラの房、長い髭根のある山芋や猪肉、きのこ)が質素ながらも選びぬいたものに感じられて、何度もその手触りや匂いを想像した。
三人が祈る真剣な様子は馬にも伝わって、萩麿がいつもは飲みつけないお神酒を歯を食いしばりながら我慢して飲んだりするくだりも愛おしく不思議で、わたしは、こんな世界に自分が生きていなかったことがかなしいような、憧れに胸が絞られるような、自分のいろいろが見るもの聞くものにじわりと溶けてつながってゆくような感覚になって、ため息をつきながら読んだ。

14:00
日本語の教え。
バカンス中なので時間を長く取って反復練習に時間を割く。
フランス語を勉強することも日本語を学び直すことも、自分がどのようにことばを獲得してきたのかをなぞる時間でもある。

一歳半のとき、ものに名前がついていることを初めて知った瞬間、わたしはひどく驚いた。それまでももちろん目の前にあるものごとを見分けてはいたけれど、そのひとつひとつに言葉が結び付けられているなんて思いもよらなかった。
目の前が急に眩しくなった気がして、そこにあるものをひとつひとつ見ようとした。
ついさっきまで、そこにあるものをわたしは違うふうに呼んでいたような気がした。
でももうそれを思い出すことができなかった。
この瞬間の記憶はいまでも私の拠り所となっているのだが、語学学習の過程もまた、この境のような場所に自分を連れ戻してくれる。

17:23
家に帰ると待ち構えたようにカチューシャ(隣の黒猫)が庭に誘う。一緒に庭に出るとカチューシャは嬉しそうにする。いつだって真顔だしあまり長い時間撫でさせてもくれないけれど、付かず離れずの距離で背中でこちらを感じつつ、私が動くとさっと足元に来て次についてきてほしい方向へ導く。手振りも目線のうながしもないのに何をして欲しいのか分かる。
この小さな骨のなかで何を考えているのかなと、おでこを指で探る。
動物が、まったく姿のちがう私たちと一緒に生きてくれることに何度も驚く。

22:22
先延ばしにしていた滞在許可証の申請をやっと終える。
期限の2ヶ月前までに終えないといけないのに1ヶ月を切ってしまっていた。なんと大胆な。あぶないあぶない。
今までは手続きのための予約を取るのも大変なら、時間通りに行っても延々待たされる、やっと申請が通れば今度はIDカードを受け取るためのアポイントが取れない、寒風吹き荒ぶ中の長蛇の列……と何十年経っても改善されないシステムであった。
しかしこの2年ですっかり電子化が進み、家にいながらほとんどの書類を手に入れ、申請までできるようになった。
ありがたいことではあるが…。
世界は変わってゆく。

朝弘佳央理

18歳から舞台活動を始める。
La Danse Contrastee、AAPA/Away At Performing Artsに所属し「踊りに行くぜ!」や大野一雄フェスティバル、国際ビエンナーレに出演。
中村恩恵、Henning Brockhaus、Nicole Wendelの作品等、様々なプロジェクトにも参加。
振付家としての主な作品には「輪郭」「夜弓」「誰もいない部屋 – chambre sans personne」「隙間灯りのもつれる – L’écume des lueurs」「Von Einem, der die Steine belauscht – 石に耳を傾けるひとについて」「Eluht Amitlu」がある。
現在はパリを拠点とし、役者・彫刻家・建築家などさまざまなアーティストと共に作品づくりを行う。
近年はストレッチインストラクター、指圧師としても活動。

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Photo:Fumie Toki

アマヤドリのストレッチチャンネル

家でできるストレッチの動画です。
長年のコリや自律神経系の不調に働きかけるマッサージや、体のパフォーマンスを上げるヒントとなるトレーニングも織り交ぜています。
体を動かすことに苦手意識を持っている方にも、専門的に体を動かしている方にも、それぞれの取り組み方をしていただけます。

『あやとりの記』
著:石牟礼道子
発行:福音館書店
価格:825円(税込)
発売日:2009年3月20日

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