「ウトロ〜斜里間 通行止め継続中 今後の情報にご注意下さい 2/22 AM6:00」
フロント横のホワイトボードを囲む人だかりの隙間から、赤いマジックペンで書かれた文字を読む。今朝は吹雪の音で目が覚めた。雪を巻き上げる風が強まったり、勢いをなくす一瞬の静寂がつくる波間の響きへ、布団から見える窓の真っ白さと合わせてしばらく耳を傾けていた。東京へ帰る21日19時の航空機は着陸せず、それ以前に北海道の知床半島・ウトロの町と他の町をつなぐ一本だけの道路は封鎖され、建物の一歩外に出ればホワイトアウトで数十センチ先も見えない危険な状態だった。私は高揚していた。同時に、ここから出られないということに昂る不謹慎さを誰にも悟られたくなかった。寝ぼけた目尻に少しの深刻さを足して、帰りたいねと話す人々の間をロビーの方へ抜けていく。大きなテレビに流れる朝ドラを大雪情報の青い帯が囲むのを、人々が取り巻いている。テレビから遠く、広いロビーの端に置かれたグランドピアノで、小学校低学年くらいの子どもがふたり遊んでいた。「いやぁね」と話しかけてきた年配のお姉様の気持ちがどちらに向かっているか自信がなくて、そういうこともありますよねとなるべく中くらいの丸い声を出す。知っている音楽を全部やりつくした子どもたちの、自由な作曲の時間が始まった。知らない場所へ来たとき、時間が経っても強く記憶に残っているのは音かもしれない。おとといまでいた釧路の商店街では、北方領土の返還を願う放送が誰もいない夜中のすみずみにも広がっていたことを思い出した。