連載
自分固有の立場で言えることを言う。わかってもらえる場所を探して
2025/6/27
「生きていくの大変じゃないですか?」――そんな実感を出発点に、作家の鈴木みのりさんがこの社会で生活し、生き延びていくための方法を、さまざまな会いたい人に聞きに行く連載。
お金の話、暮らす場所の選択肢、コミュニティ形成の仕方……。安全を確保しながら生活を成り立たせるためにそれらは必要不可欠ですが、「一つひとつどう対処しながら暮らしているのか?」という具体的な話については、社会におけるマイノリティ性が重なっていくほど、ひらかれた場所で共有されることが少ない状況にあります。この連載では、鈴木みのりさんが自分とどこか近いところがあると感じる人たちに、「実際にどうやっていますか?」と率直に問いかけ、対話を行い、その内容を後日振り返って考察した文章をお届けします。「生きていくの大変じゃないですか?」と感じたことのある人のもとに、届きますように。
vol.1:能町みね子さんと話したい。「生きていくの大変じゃないですか?」
vol.2:チョーヒカルさんと話したい。「生きていくの大変じゃないですか?」
vol.3:佐野亜裕美さんと話したい。「生きていくの大変じゃないですか?」
vol.4:斎藤真理子さんと話したい。「生きていくの大変じゃないですか?」
韓国・ソウルに滞在していた2024年の春に、ライムスターのアルバム『Open The Window』をよく聴いていた。特に「なめんなよ1989(Feat. hy4_4yh)」は聴きながら何度か泣いた。
〈その三年前、ソ連で原発が爆発したあと / 冷戦が終結して平成がスタート〉
とタイトルになっている1989年から少しだけ時間を戻し、旧ソ連にあったチェルノブイリ原発の爆発という、世界的なニュースから始まるこのはじめのヴァースが、この曲の方向性を特徴づけていると思う。その宇多丸さんのフロウは、出だしから前のめるように向こう見ずで、深刻なニュアンスを微妙に避けている。平成初期に崩壊したバブルの一方で、景気の良さに浮かれていた日本で若者が消費していたブランドものや不動産を経由して、ライムスターを結成した宇多丸さんの20歳の青春と、当時の日本のストリートカルチャーの状況が溶け合っていく。
「『なめんなよ1989』は、構成も含めて、けっこうよくできたなって僕自身も思ってるから、よかったです。例えば僕のこの最初のヴァースみたいなのって、それこそアメリカ(のラップ)でも、こういうのを書く人ってあんまりいないんじゃないかと思って。世界史的なマクロな視点から始まって、日本のサブカルチャー史、さらには自分史へと、どんどん焦点が絞れてゆく、というのを、一人16小節の尺のなかでなかなか効率よく語りきっていて、これは僕にしか書けないヴァースじゃないかなと。でも、あんまり誰も褒めてくれないんで、こうやって自分で言ってる始末、という(笑)。だから、みのりさんに気に入ってもらえてうれしいです、すごい」
ゲストのhy4_4yhの二人、yukarin(中島由香利)とchanchala(坂越由実子)のヴァースはもっと個人的だし、Mummy-Dさんのパートも、宇多丸さんのヴァースで言及されたグループ結成当時の個人的な感情と情景に焦点を当てた描写。宇多丸さんがはじめに引き受ける、バブル時代の日本のムードと対比される中国の天安門事件のような、大文字の政治と接続されて、みんなの自分固有の視点がより儚く、価値のあるものとして浮かび上がってくるよう。何度聴いても目頭が熱くなる。
この曲はフックで、「自分固有の立場で言えることを言う」と歌われる。自分固有の立場=point of viewを誇る曲だとはっきり伝わってくる。わたしが泣いていたのは、わたし固有の経験と響き合ったからだと思う。韓国の総選挙の時期だった。
「例えば戦争のこととか、要するにシリアスなというかな、現実の歴史や政治の話を、ポップだったりくだらなかったりごく個人的な話と並列でする、みたいなことは、僕がずっと継続してやってきていることではあるんですよ。曲はもちろん、90年代にヒップホップ専門誌でやってた連載から、今やってるラジオ番組に至るまで、姿勢は完全に一貫してるつもり。古川(耕)さん* みたいに古くから(自分の活動を)見てくれてる人は、“最初からずっとこういうことをやってますよね”って、自然にわかってくれてるんだけど。ただ、僕にそこまで興味ない大半の人は、当たり前だけど、断片的情報でしか判断してくれないですからねえ。そういう理解されなさにすごくフラストレーションを溜め込んで、半ば諦め気分でいた時期も長かったけど、2007年に自分のラジオを始めて、ようやく固有の居場所を見つけた、という感じはありますね」
* 宇多丸さんがパーソナリティを務めるTBSラジオ「アフター6ジャンクション」、通称アトロクで、現在は「アフター6ジャンクション2(アトロクツー)」の構成作家
わたしがメディアを通して見てきた宇多丸さんはずっとそういう人だったように思う。ただ、ライムスターのメンバーのMC SHIRO(宇多丸さんの前のMCネーム)と、2000年代に宇多丸さんを認識した雑誌「BUBKA」での連載「マブ論」の人が、ずっとわたしのなかでも一致してなかった。2000年にアメリカのR&BとHip Hopを熱心に聴くようになって、日本にもラップシーンがあると知って、アルバム『リスペクト』や『ウワサの真相』も聴いていたのに。さらに、モーヲタのわたしは、三宿「Web」でのJポップDJイベント「(有)申し訳ないと」にも何度か遊びに行っていたのに、そこで宇多丸さんがDJしていたこともほとんど意識していなかった。
「僕も、今日ここに来る前にいろいろ昔のことから思い出していたんだけど、たしかに、“宇多丸ってこういう人”って一般のメディアにも認知されて、それに基づいて仕事が来るようになったのって、けっこう後になってからだよな、って気もする。ラップもやる、ライターもやる、DJもやる、だけどそれらは全部、個別のものとしてしか認識されてない、みたいな」
わたしがアトロクにはじめて出たのは、2021年だった。その年の春に行われたトークイベント『マイノリティの政治とポップカルチャー、視点の交換 〜クィア、エスニシティ、交差性をめぐって〜』の対談相手として、わたしから宇多丸さんを指名したのがきっかけだった。このトークは展示、ZINEの販売、複数のトークなどで構成された「プンクトゥム:乱反射のフェミニズム」という企画の一環だった。
今よりもっと、トークのタイトルになっているような視点に耳を傾けてもらえる機会もないし、そういった視点を持ってメディアで映画や音楽などについて話したり書いたりする人が少なかった。ポップカルチャーの領域で強い味方がほしくて、宇多丸さんはどうかと、イベント主催のNEW ERA Ladies・宮越里子さんに相談して実現したのだった。
マブ論は、民放テレビ局が長く2局しかなかった90年代の高知県で、アイドルやビーイングや小室哲哉プロデュース作品など、テレビでヒットしている音楽を聴いて育ち、上京してからアメリカの音楽をよく聴くようになったわたしが、まさに読みたいものだった。Perfumeがブレイクする前で、いわゆるアイドルの音楽がより軽視される傾向にあったのに、音楽がどのようにアイドル≒芸能的なおもしろさといかに絡まっているかという点から紹介されてきた。
「マブ論はまさにその、“宇多丸ってこういう人”っていうベースを形成する、ものすごい大きなきっかけになりましたよね。たぶん、普段からあちこちで日本の歌謡曲とかアイドルソングとかにも一家言あるって言い散らかしてたからかな、まずは『SWITCH』っていう立派な雑誌で、つんくやモーニング娘。の特集をやったときに、僕にもちょっとしたコラムの依頼が来て。で、今度はそれを見た、当時まだ白夜書房に入ったばっかりだった『BUBKA』の森田(秀一)くんが、ヒップホップとアイドル両方好きな人だったから、 じゃあそういう連載をやりませんかって、連絡をくれたという。彼のほとんど最初の仕事だったみたいですけど。ただ当時、シーンのゴリゴリ中心にいるようなラッパーで、なおかつアイドルソングの評論をがっつりやる、なんてのは、本当にあり得ないバランスだったので。当時ライムスターのA&Rだった岡田麻起子も、最初は“変な雑誌から依頼が来たんだけど、断っていいよね?”って言ってたくらい(笑)。僕からすれば“いやいやいやいやいや! これこそ俺が待ち望んでいた仕事だから!”っていう感じでしたけど。いずれにせよ、今に至る“宇多丸っぽい”立ち位置、越境的な活動スタンスみたいなものを最初に評価してくれたのは、雑誌編集者たちだったってことですね」
わたしも当時、『うたばん』や『CDTV』を見てゴリゴリのJポップど真ん中を楽しみながら、アメリカのR&Bやヒップホップも聴き漁っていた。わたしの生活の中心にもモーニング娘。が、ハロプロが、アイドルがあった。ただ、そういう人たちがおもしろいことでウケないといけないバラエティ番組のありかたに、最近は思うところがいろいろある。今にも通じる「イジる」お笑いやノリを楽しんだり微かな違和感がありながらスルーしたりしてきたけど、そこに横たわるシスジェンダー・異性愛の男性の欲望やそういう男性同士の結びつきを中心とする構造が問われなければいけないのではないか? そういうエンタメや消費を背景に、あやちょ(和田彩花)とフェミニズムの視点から労働問題もきちんと考えようと、2022年に「エトセトラ VOL.8」の特集「アイドル、労働、リップ」を企画・編集した。
「99年に『リスペクト』っていうアルバムを出して、2001年にメジャーデビューして。日本のヒップホップ、日本語ラップの確立という当初の目標にいったんの区切りがついた時期に、次なる開拓領域として、日本語ポップス全般のクラブ的再解釈、というのが僕のなかで浮上してきた感じはある。例えば、クラブでモーニング娘。をガンガン大音量で鳴らしたら、絶対爆発的に盛り上がるはず! なのに、なぜそれがタブーなんだ? みたいな問題意識から、マブ論の連載開始とほぼ同時に、申し訳ないとにも参加しだしたんですけど。みのりさんもおわかりかと思うけど、あの当時のクラブって、日本語の歌物は基本、御法度だったじゃないですか。小箱で“和物ナイト”とかがあったくらいで、基本はイロモノ扱い。メジャーなクラブで最新Jポップがかかるとかは絶対ありえなかったし、ましてそれをクラブミュージック的なテクニックでミックスしてゆくという発想や技術は、申し訳ないと以外にはなかった。唯一の例外はなぜかMISIAとUAで、ヒップホップのクラブでも朝方だけはかけていい、みたいな謎の不文律が、90年代末くらいから、ぼちぼち出始めてはいたんですけどね」
そういう状況だったなんてわたしは知らなかった。
2000年からクラブに行く機会が何度かあったけど、そこでトランスをめぐってちょっと嫌な思いをしたことがあって行けなくなり、クラブミュージックは好きでも、現場で聴くとか人間関係を築くということがなかった。新宿二丁目の、ふだんはゲイ向けのクラブイベントをやっている会場で、来客者の性的指向を問わない音楽好きの人たちによるイベントや、ファッション好きの人たちが集まるイベントにも行くようになったけど(そういうところで確かにMISIAの「INTO THE LIGHT」を何度か聴いた)、結局シスジェンダーが支配的だと感じられて、足が遠のいた。ただ音楽を、カルチャーを楽しみたいだけなのに、なんらかの規範の空気が影響して楽しめない。
だからこそ、「クラブ」主流から外れた申し訳ないとや、そこでかけられる音楽をきちんと音楽として話そうとする宇多丸さんの営みに惹かれたのかもしれない。
「そういうなかで、いよいよ越境的な活動スタンスを目指し始めた……っていうか、元々自分がそういう人間だから、ようやくその面が本気で出せた、っていうか。やっぱ当時のヒップホップシーンには、そういうのを理解して受け入れてくれるような土壌は、まったくなかったから。だったらそういう場を自分らで勝手にどこかに作りますよ、どう思われようと知ったことか、みたいな気分だった」
わかってもらえる場所を探して。
わたしの場合、特にここ3年ほどのあいだで、自分が執筆しているメディア業界や文学の世界に対して、本当にここでいいのか? と疑問を抱く機会が増えている。
反トランスジェンダーの存在が強くなっているように見えて、そこから/そこと影響し合って、一般にも少しずつ広がっているのもある。でもそれだけでなく、「反差別」と言っている人たちも、情報としてのみ「理解」ばかりになっている傾向にも強い疑問がある。知識は大事。でも、目の前に、または同じ業界に、その差別で苦しめられている労働者が、あるいは労働者として入っていきたいのに、続けるにしろ参入するにしろ不安を抱く人がいる/いた、ということは想像されていないような傾向を感じる。実態が軽視されているように思うのだ。
わたしは、ジェンダー規範に縛られているメディア表現について書きはじめ、2017年からは、主にアメリカや、日本でも少しずつ見られるようになっていた、映画やテレビドラマにおけるトランスジェンダーの表象についても紹介する機会を作ってきた。
それより前は、一般向けのメディア空間では、トランスであることはほとんど、「オネエ」や「オカマ」や「ニューハーフ」といった、蔑視的なニュアンスを含む言葉づかいで扱われるのが中心で、性別移行(トランス)した女性が表される傾向が強かった。また、2000年代からは「性同一性障害」という病理化の文脈で「シリアスな話題」とされる傾向も強くなった。そういうなかで、自分も含めた、社会的に機会を得にくかったり抑圧されたりしているマイノリティである人々が、ひとつのイメージに縛られずに、さまざまな実態やさまざまな可能性についてメディアで語ることができるか? という実践をしなければ、とわたしは考えて、先行する表象を評する機会を作ってきたのだった。それと同時に、ネガティブな意味を含んでいるとはいえ、「オカマ」や「ニューハーフ」など言葉を積極的に引き受けてきた/いる人たちのことを否定しないやり方は、とても難しいことだった。
自分が気にかけているジェンダーやセクシュリティ、そのマイノリティや、複合的なマイノリティの視点が乏しい、映画や文学の批評をやらないと、自分の目指しているものに価値があるかどうかを評価する基準すらできないんじゃないか。そう思ったのも、ウェブメディアを中心に、映画やドラマについて書いてきた理由のひとつだ。そして、他に参照するあてがほとんどなかったため、自分が見てきたもの、感情、経験を媒介にしようと自分のマイノリティ性について書いてしまったのだった。
自分のトランスとしての一面と関わる文学や映画といった領域での差別そのものや、それを温存する差別的な構造の問題について書いてきた仕事が、なかったことかのように見なされている傾向を感じ、ますます誰と話していいのかわからなくなっていった。さらに、そのマイノリティ性を持つ、学歴があるとか身分がしっかりしているとか、そういう権威的な別の人が出てきたら、そちらの話ばかりが聞かれるようになる。その労働の現場でマイノリティである個人がいかに働きにくいかということには全然関心がなく、ニュースの一個くらいにしか見てないというのが、何年かやってきてよくわかった。
アトロクでも何度か紹介してきた、「トランスジェンダーの役柄はトランスである俳優に」というアメリカ映画・ドラマ業界でのスローガンに基づくさまざまな作品も、マイノリティだから物語がない、役柄がない、給与含めた待遇が悪いといった労働と生活に関する厳しい状況があったから、まず、働きやすい環境づくりのためにされてきた訴え、労働闘争だという紹介をする必要があると思っていた。単にマイノリティを登場させればいいという話じゃない。
さらに、マイノリティである作り手が増えて、持続的に働ける環境ができてくれば、新しい表現の可能性が切り開かれるかもしれない。
なのに、日本にいると、そこで働くいち個人の話を聞くことよりも、そのうえでどう労働環境や評価基準を見なすかよりも、「差別反対」というスローガンを発信することにマジョリティの社会は熱心だと思い知らされる経験が積み重なっている。今ここに立っている労働環境の改善のために、と懸念や不安を共有しようとしても、労働問題としてすら捉えてもらえない。誰かに、自分が観測している反トランスに関する懸念材料について話すと、相手からすると飛躍が多くて大きい陰謀論みたいな話と思われてもしょうがないのでは、という気もしてくる。
いつもこういうキツいことがあるたびに、宇多丸さんならどう思うかな? どうサバイブしてきたのかな? と、いろんな理由で仕事がうまくいかないということを、どこかで共有してみたい、話してみたいと思っていた。アトロクに出るといつもコンテンツを紹介しているうちに時間が経ってしまうし、楽しくて不安を忘れてしまう。
「僕らの立場が似てるとしたら、やっぱりその、一般的なカテゴライズには当てはまりづらい活動をしている、ってことなんじゃないですか。僕なら、一応“本業”はラッパーってことになってるけど、ラジオのパーソナリティも映画評も書き仕事も、僕のなかでは全部が当たり前に同一線上にあることで、どっちが上とか下とかメインとか副業とか、いちいち考えたこともないわ! って話なんですよね。むしろ、こっちでちょっと行き詰まってるときはあっちで息抜きすりゃあいい、そっちに飽きたら今度はこっちに来りゃあいい、という感じで、複数のチャンネルを持ってるほうが、人間誰しも、絶対いいと思うんだよなあ。ただまぁ、最初その域に達するまでが、いちばん大変なんでしょうけどね、まちがいなく。自分なりの立ち位置、居場所を見つけたり、作るところまでが」
なかったことにさせないためにも、単著にしてまとめるべきなのではと思って3年ほど前からいろんな編集者に相談してきたけど、確かに最初がすごくたいへんだと感じている。「バラバラの過去原稿を中心にまとめた書籍は企画が通りにくい」といった返答ばかりで、バラバラはバラバラではないと理解し、どうすれば出せるかをいっしょに考えてくれる人も見つけられずにいた(多分わたし個人の問題もあるのだろう)。そこには、ヘイトや反トランスの言説や傾向も関わってくるので、本や文章を出してくれる版元・メディアの人たちとも話したいのに、なかなかうまくいかない。こうやって書いているあいだも、うまく書けない、量を書けない、評価されない、そういうことへの言い訳をしているようにも思えてくる。
「みのりさんにも言えることかもだけど、“僕みたいな人”って、当然ながら僕しかいないんで。だから、何をしようと世間の人たちには、“本当には”わかってもらえないだろう、って、どっかで思ってるんですよね。まぁ、そんな女々しいことは……って、古き悪しきワードをつい使ってしまいました、ごめんなさい! 言い直すと、そんなめそめそしたことは人に言うまいと、悪い意味でマッチョに強がってしまう一面も、僕には確実にある。あと、根っからの一人っ子だから、なんでも自分一人で消化するのがデフォすぎる、という問題もある」
確かに、とも思った。わたし固有の立場で言えることを言う。そうしてやってきた道のりは一貫性があると思えたのは、2023年にアメリカの財団「アジアン・カルチュラル・カウンシル」のニューヨークフェローシップの出願する書類を作るために、自分の経歴を見直しているときだった。そこでは文学部門で受賞に至り、このテキストが世に出るころには、わたしはニューヨークに半年滞在している。
宇多丸さんも自分で自分をずっと評価し、鼓舞してきたのだろうか? 自分で自分の価値を証明する必要があると言う宇多丸さんのジャーニーが、自分の辿ってきた道と少しは似ているといいな。
信頼が不安定な世界を前に、どんな風に書いたらいいのかわからない、とたまに迷子になる。そんなとき、アトロクの「週間映画時評ムービーウォッチメン」で、宇多丸さんが何度か、わたしがパンフレットや映画雑誌への寄稿で評を書いた映画を取り上げて、「こういうやり方があるのか」と発見があった。
「なんかいつも、もどかしそうにされてるな、とは思って見てますよ。でもそれは、少なくとも作家としては、そんなに悪いことでもないんじゃない? 何事にも懐疑的で、満足できない性質なのは。そしてその気持ち、さっきも言った理由から、僕もすご〜くよく、わかります」
2024年の春、韓国の総選挙でソウル・麻浦区を選挙区に、緑色正義党から出馬したチャン・ヘヨンが、3月31日のTransgender Day of Visibilityにトランスの人々に対する差別に反対する投稿をしていた。ただそれを、特に日本から無邪気に「いいこと」としてのみ拡散する傾向に、嫌な感じがした。もちろん、韓国の苛烈な反トランスの状況を考えると、政治家が反差別を述べるのは大事だと思う。一方で、2023年に知り合ったソウルに住むトランスジェンダーの人々のなかには、「立候補している人たちの発言にも投票する人たちの発言にも、すべてに傷つく」というようなことをSNSに投稿する人もいた。
セックスワークに反対する「フェミニスト」を名乗る人たちがいて、かれらは特にトランスの人たちのような、就労や就学の機会が得にくく、セックスワークに従事せざるを得ない複合的なマイノリティの人たちの存在を無視、あるいは後回しにしているように見える。なかには明らかな差別の発信者もいて、それは韓国にも日本にも存在する。
そういう発信や拡散といった直接・間接的な発信をする人がわたしの知人にも何人かいて、微妙な視点についての話に耳を傾けてくれず、むしろかれらに対する「攻撃的な人」とわたしは見なされているのだろうとも感じる。かれらはSNSで、「フェミニズムの文脈」の強い言葉を発したり拡散したりするけど、そのなかに反トランスの考えや嫌悪感情が紛れ込んでいることには鈍感に見える。
そういう人たちの一部が、チャン・ヘヨンの発信を拡散していた。それはひとつの象徴的な現象で、韓国は進んでいて優れていると言わんばかりの強い態度と、そこで生きている生身のトランスの人たちの声にどれくらい関心を持っているのかわからない感じとの矛盾から、わたしにはとても気がかりだった。
そういう微妙な話も宇多丸さんにならできるんじゃないかと思っていた。
「みのりさんの話に直接応えることにはなってないかもだけど……世界のあまりの複雑さを前に、無意識的にせよ“自分にとって気持ちよく”物事を単純化してしまっているところ、僕自身にもあると思うんですけどね。
いっぽうで、これも関係ある話かわかんないけど、なまじ“話が通じる”者同士のほうが揉めやすい、という傾向は明らかにあるよなあ、とは前から思っていて。例えば、もっと本気で差別的だったり無知だったりする人たちは世にいくらでもいるというか、そっちのがまだまだ全体では主流なくらいなのに、そちらとはなぜかあまり、ケンカにならない。なぜなら、そもそも最初からまったく“話が通じない”から。それよりやはり、“話が通じる”者同士の小異を巡ってこそ、激しい争いって起きがちで。亡くなった僕の父が生前よく『日本の社会運動はすぐ内ゲバ化してしまいやすい』みたいなことぼやいていたんですけど、ああ確かにって、今むしろ思ったりします。
そういうなかで、前に番組でみのりさんに教えていただいた“インターセクショナリティ”という概念が、やはりすごくいろいろ役立つなあと感じていて。僕もあちこちで使いまくっちゃってます、“鈴木みのりさんに教わって”って言って。なんていうのかな……みのりさんご自身が、いろんな議論のクロスポイントに立っていて、それはすごく重要な役割なんだけど、だからこそ大変という面もある、ってことじゃないですかね」
クロスポイントに立とうとしてきたけど、身近なのに、実際の生身の生活では可視化されにくい話題への危機感を、どうやって友人や知人に共有したらいいのかすら、わたしはわからなくなっている。
その原因のひとつには、2021年の後半、宇多丸さんや、同局の『荻上チキ・Session』のパーソナリティのチキさんらを「鈴木みのりが洗脳している」という、SNSで流されていたデマだった。数万人以上のフォロワーを持つアカウント複数によるデマの拡散だけでなく、それまで書いてきた、自分をトランスジェンダーだと述べた文章も引っ張られてきて、誹謗中傷が広がってもいた。噂の真相なんて誰も調べようともしないし、ただただデマが広まっていく状況に、とても苦しんだ。
それ以外にも、いち書き手としてではなく、「マイノリティの“当事者”で、その知識をある程度持っている人」くらいにしか扱われていないことにとても苦しんでいた。そのマイノリティ性をもって関連する話題について話す負担と、話さずにいて、いい加減な知識やデマが広まりによる、自分にも及んでくるネガティブな影響の負担を、天秤にかける困難もなかなか伝えにくいし、想像してもらいにくい。ジェンダーやセクシュアリティについて、シスジェンダーで異性愛のマジョリティの人たちにとって、自分にも関わることではなく、せいぜい「最近話題になっている人権問題に関する視点のひとつ」程度にしか受け止められておらず、人権意識が高いような言動の人であっても、他人事としか捉えてないと感じる機会も少なくなかった。
複合的な要因から気に病む機会が多いなか、そういったメンタルヘルスとそこからくる体調不良などについて、取引先がケアしてくれないだろうかと考えることが多かった。だから、宇多丸さんが誰かに相談したり、弱音を吐いたりするのか、聞いてみたかった。ラジオで時々、冗談めかした口調だけど、自分を「出入り業者」と位置付けていて、そこからわたしは、補償や支えがより必要なフリーランスの立場への意識があるように捉えていた。
「これはまったく褒められたことじゃないんだけど、僕は他人に相談、まずしないんですよね。もちろん、奥さんね、パートナーとはすごく仲良いけど、いきなりなんでもブチまける、みたいなことはお互いあえてしないようにしてる感じもあるし……ただまあ、うちに帰って、ひとり言で“疲れた”みたいなのがつい漏れちゃったときに、どうしたの? みたいに聞いてくれたのをきっかけに、“ちょっと実は大変だった”ってようやく吐露できる、みたいなことはあるのかな。だからまあ、いよいよヤバいってレベルになったらパートナーにはさすがに心を開くけど、友人・知人くらいだとやっぱり、気づくと弱みを見せないよう振る舞っちゃってる感じだとは思います。それは良くないなとも思ってるんですけどね」
わたしは10代の終わりと20代の半ばごろからの5年ほどの間、精神科医にかかりつけていた。10代のころはジェンダーアイデンティティという言葉はもちろん、自分が「他とは違う」という点について指し示す言葉が見当たらず、アイデンティティ・クライシスに陥ったのだった。20代半ばは、ある程度ジェンダーに関する言葉を学んだ後だったけど、就労も就学もままならず、お金がなく、生き方のロールモデルも見当たらず、先行きも見えないなか、過労もたたって職場で過呼吸になった。スーパーで食品を見ていたら突然涙が溢れてきた。これはまずい、と思って、たまたま10代のころにお世話になった医師が東京にいて、再会し、しばらくカウンセリングを定期的に受けるようになった。
「本当は僕もカウンセリングとかに行くべきなんだとは思う。これは前に、精神科医の星野概念さんと対談したときに、星野さん自身が、いざ自分がカウンセリングを受けようと考えると、途端にどうすればいいんだろうって迷っちゃう、ってお話されてて。まさに医者の不養生(笑)。本当は、ちょっとマッサージ行きますみたいな感じで、心をほぐしに行きゃいいのに、頭ではわかっていても、まだ行動に移せてない」
「今年の頭ぐらいに、去年末からやりとりしていた仕事の件で、これもう無理だってなって、労働問題じゃないかと思うことがあったんですね。アカデミア関連だったんだけど、数年前もクィアと映画に関する書籍をめぐって、アカデミアの人たちとの労働意識の違いや、その問題をいっしょに考えてくれたり対処してくれたりする人が見つからなくて、すごく苦しんだんです。
けっこう希死念慮があるくらいやばくなったとき、以前、演劇・舞台芸術業界でのハラスメントの勉強会を有志で4年間ぐらいやってたことがあって、そのときに、ひとまずフリーランスでアート・芸能関係で、男性から女性への暴力・ハラスメントに限らない相談窓口を探してリスト化したのを思い出したんです。それで、いくつかの相談窓口に電話したんですね。しばらく繋がんなくてパニックになってたけど、やっと繋がったところで1時間半ぐらい担当の方がずっと聞いてくれて。その問題について、こうこうこうですよねっていくつかにパンパンパンってまとめてくれたんです。仕事の段取りの悪さや、補償も含めた契約など取り決めを依頼側が準備しなかったなどの労働の問題、作家という生き方とも結びつく仕事への敬意のなさ、その仕事にも関わるマイノリティ性をかけて仕事をすることの負担や感情のトラブルへの想像のなさといった軽視の問題、とか。わ、すごい! と思った。メディアに出る仕事、そしてその際にアイデンティティを仕事に使うことが期待されている、パーソナルな部分をある程度使う、その点を攻撃される懸念があるっていうケースに関して、仕事をいっしょにする人、依頼してくる人からのリスペクトとか、雇用関係の違いとか、いろいろ意識して整備したり配慮されたりというのが必要なんだな、と少し整理がついた。
それで、ひとまず労働問題の相談なら、法テラスとかフリーランス・トラブル110番なんかを勧められたんです。ただ、電話してみた先で運悪く、いちばん最初に相談相手になった弁護士がすごく嫌なタイプの対応だったんです。特殊な仕事・立場だから、という説明を聞いてくれる感じがなかった。また電話しようという気になれなかったんですね」
「うん」
「ちょっと前に宇多丸さんが『Session』に出てたとき、労働組合を作った方がいいんじゃないかみたいな話をチキさんとしてたのを聞いて、その話、わたしもしてみたいって思ったんです。そういう流れで、TBSに専門医とかカウンセラーとかいないのかな? と気になったんですね」
「そういう部署はあるべきだよね、アナウンサーなんか、どんだけたいへんなのかって」
「そうなんですよ、アナウンサーの人はかなりたいへんですよね。いつもアトロクのパートナーのみなさんは大丈夫なのかな? って気になっていました」
「たいへんなんだよ。だから辞めちゃうんだよ」
「うん。わたしもここ半年くらいは、より身近な問題として考えちゃってました。前から、お給料なんて、メディアに出ているリスクとセキュリティの対処を考えたら、全然見合わないよねと思ってたし、自分が出るようになっても、じゃあ適正な金額はいくらか? っていうのもわかんないし……ただ、メディア従事者って業界の外から見てると、多分“すごく莫大な財産を所有してる人”……は大袈裟かもだけど、それに近いくらい問題がない、あるいは見合ったお金を手にしていると思われてる傾向があるというのは感じてました」
「そう見えちゃう、思われちゃうのもわかるけどね。それこそさっき言った弱み見せない問題と同じで、外ヅラよく見せるのが、ある種ホントに仕事でもあるわけだからさ。いっぽうで僕だって、大手芸能事務所とかなら(メンタルヘルスのケアも)万全だったりするのかな、とか勝手に想像してるところあるし。ちなみにうちのちっちゃな事務所の社長自身は、カウンセリング受けて、すごくよかったって言ってましたよ。“だから、メンバーのみなさんも行ってください”って言われて、“ですよね”っていうとこで、僕は止まっちゃってる」
「自分も、余裕がなくなって急に怒りっぽくもなるから、自分がそっち(ハラスメントする)側に行く可能性もあるから、アンガーマネージメントとかも受けた方がいいのかな? とか思ったりするんですけど、行けてない。周りからもなかなか情報が共有されないし」
「そうね……うん、それは本当にみんな、多分共有する場もなければ、ひょっとしたら“共有しないもの”っていう感じもあるのかな。だからこそ、例えばちょっと話は違いますけど、仲良しの玉袋筋太郎さんと飲むときは、主にまず玉さんが、公私の悩みみたいなのを、すごいぶっちゃけてくれて。で、僕は僕で、外では珍しく、仕事上の弱音を吐いたりとか。そういう場というか関係があるというのはとてもありがたくて……でも、そうやってけっこうドロドロになるまで飲んでようやく、みたいなことですからね。やはりあんまり、褒められたものではないかもしれない」
「はいはいはい」
アトロクの縁で、しまおまほさんと初めて話したのは、2024年の2月の終わりごろだった。しまおさんが放送スタジオ前室で声をかけてくれた。他のアトロクによく出る方々と接点を持ったのは、実は初めてだった。アトロクでのレギュラー特集「しまおアワー」を楽しみに聞いていたわたしは、その後の23時台のコーナーに出る日だったので、見学のため少し早くTBSラジオに来ていた。
その日は、タカキ(山本匠晃)さんがパートナーの日で、しまおアワーの延長線のモノマネに4人で興じた。楽しかった。しまおアワーで電話出演し、モノマネを披露するリスナーのみなさんのすごさを実感した。しまおさんが2025年1月28日の放送回で「わたしがラジオに求めているのはスリリングさなんですよ。保険をかけた前置きのあるトークはもういらない」と笑いながら話していたのを聴いたわたしも、1年前のリスナーのみなさんのモノマネを思い出しながら、その通りだと思っていた。あのとき「モノマネ」を舐めていたわたしは、キンタロー。が元ネタの、アンジェリーナ・ジョリーのモノマネをやったけど、それは二番煎じの安全パイで(モノマネのモノマネは寒い結果を招きがちだから、安パイでもないのだけど)、そんなことを考えながら「やる」と言って出たくせに、二の足を踏んでいるわたしに察してか、宇多丸さんやタカキさんがどんどんモノマネを披露してくれた。こんなふうに真面目に分析されるのも嫌かもしれないけど、かれらの懐の深さも改めて感じられた。
しまおさんが声をかけてくれたように、宇多丸さんにも、どう転ぶかわからなくても、興味のあることに向かってパッと乗り越えようとする軽やかさがある。そういう軽やかさがわたしはもっとほしい。アトロクという場を通して、雑談する楽しさや、雑談が企画や何かに対処するときのヒントになるということがある、ということにも改めて気づけた。
ただ、特にここ5年はトランスフォビア、というかフォビアと自覚されていないような、トランスの存在を否定したり二の次にしたりするような考えが広まっているように見える。少なくとも2018年から、SNSはもちろん、紙や動画メディアでの反トランスに資するような動きをわたしなりに観測していて、もうこの対処は個人では抱えきれないとも感じる。でも放置したらさらに悪くなるのではないかという懸念もある。直接的には脅かされない立場の人にそんな話をしたところで、日々そういう情報を気にしてしまうからこその蓄積がある情報を一気に浴びると、負担が大きすぎるんじゃないかと思えて話せなくなってしまうところもあった。
「うん、そうだね。その、みのりさんとしては、決して気軽ではいられない現況もありつつ、ホントはもっと普通に駄話をしたいのに、っていうのはきっとありますよね。
なんていうの、特定の問題、例えば“トランスフォビア問題を語るに相応しい方”として(メディアに)出る、それ自体が、もうさ……もちろんその問題自体は厳然と存在するし、解決しなきゃいけないにしても、“特定の問題の当事者”っていう属性でしか扱われない感じにいっつもなっちゃうとしたら、それはそれでなんだか、結局あんまりよろしくない構図にもなっちゃってますよね……」
明瞭としない言葉だけど、だからこそ、こちらの言わんとしている複雑な話題を、そのまま受け止め、消化しようとしてくれると感じられる。なるほどと、相槌を打ちながら、サングラスの奥の目は見えないけど、きちんとこちらの話を聞いてくれるとはっきりわかる。これは、ラジオリスナーとしても感じていたことだけど、実際目の前にするともっとその姿勢が伝わってくる。他の人がどう感じるかは知らないけど、わたしは安心して話せると思う。
ある点から見たとき「その表現は望ましくない」という言葉づかいとどう付き合うか? 「女々しい」という使い古された言葉づかいに慣れながら、問い直す宇多丸さんの話し方を聞きながら、不完全な人間の姿を見る。時々ラフな言葉が自分を肯定してくれることがあるとも思う。FNCYの曲「SPLASH」の、「その体が喜ぶままにして」というフレーズが、「My body, my choice」という英語をカタカナにしたスローガンや、「トランス女性は女性です」といった反差別の言葉よりも、日本語で生まれ育った自分にとってしっくりきたように。ライムスターとhy4_4yhの「なめんなよ」という言葉にもそういう強度がある。
「最近、げっそりするような言説にうっかり触れちゃったときに、まず浮かぶ言葉として、“付き合いきれねえよ”っていうのがあって。とりあえずそう言ってやり過ごすしかない局面が、とにかく多すぎる。
僕はあちこちで公言してる通り、自分自身ではSNSアカウントを持ってないんです。いわゆる“炎上”も、よっぽど深刻なところまで行ってたらさすがに周りの誰かが教えてくれるだろうし、Yahoo!ニュースに出てこないうちはまあ良し! という(笑)、そんくらいの基準でいます。だから、人の言うことをまったく気にしてないわけじゃないけど、わざわざ追っかけたりはしない。
特に、アトロクみたいな毎日の帯番組をやるにあたって、SNSの動向を気にしすぎるのは、ちょっと心身にとって、やっぱデメリットのほうが圧倒的に大きいなと思って。エゴサ的なことは、だいぶ前に一切スパッとやめました。
言うまでもなくインターネットって、調べ物したり買い物したり、“必要なときに使う”分には便利なものですよね。でも、絶え間なくドアをノックされて、“こんな話をみんなしてますよー!”って、頼んでもない醜いチクりみたいなのをえんえん聞かされて……僕はそれ、すごい要らないなあ(笑)。僕だって人の目はすごく気になる、だからこそ、自分でその気にしすぎ具合をコントロールしないと危ないじゃん? と思って、“情報”の蛇口を、意識的に開け閉めしてるわけですけど」
政治的にはっきりした立場を表明し、意見をしっかり述べるというのが必要なタイミングや場というものもあると思う。ただ同時に、割り切れない個人の生活のなかで、大文字の政治のあれこれだけではどうにもならない、「答えのない問い」に必ず行き当たる。それは結局自分で持ち続けるしかないし、その時々でどう振る舞うかを自分で判断するしかない。それは一個人としてもそうだし、そういう個人であることを前提とした作家やアーティストのような人たちは、それぞれが自分でどうにかするしかないんだろう。
「そうだ、今話聞いてみたいこと思い出したんですけど、宇多丸さんっていつ寝てるの?」
「寝てるわ、バリバリ寝てるわ。みんなそれ言うんだけど、バリバリ寝てるわ。すごい寝てるよ。俺寝るの大好きだから」
「えー、本もめっちゃ読んでるし、映画も見てるし」
「全然、読めてないし見れてないよ。そういう風に見えちゃうのか、やっぱり」
「うん。『ムービーウォッチメン』でも毎週課題の映画を2回は最低観てるでしょ? 劇場行って」
「でも、そのせいで他の作品は見れてなかったりするし。逆に『室井慎次』なんか3回も観て(『室井慎次 生き続ける者』のアトロク2でのレビュー 前編・後編)、人生のムダですよ! そういうことばっかしてるから、本当に観るべきものは、全然観れてないです」
その映画をわたしは観てないし、たぶん観に行かないと思っていた。でも宇多丸さんのレビューを聴くと、観てみようかなとも思った。
「例えば、番組で扱う予定はないけど、“これも観といたほうがいいな、今年を代表する作品だからな”みたいなのを、今回のベスト(2024年に映画時評で扱った作品の中からベストを選ぶ)に備える意味でも観に行って、なるほどいいね! さすが!って、やっぱり思ったりする。けど、これは悲しいかな、自分が映画評でやった作品と比べると、やっぱり咀嚼度が全然違うんですよ。ぶっちゃけ『室井慎次』のほうが、めちゃくちゃ理解してる(笑)。どういう風にできてるか、よくわかってる。
もちろんそれで(映画時評で扱って)、いい作品と出会えればと思いますよ。それに越したことはないんだけど。だから、これはなんていうか、もう、人生ですよね。あんまりよからぬ人物とご縁ができちゃうこともあるし、いい人だなと思うけど縁がないこともあるし」
そうそう、それそれ! 正しいこと、清いこと、それを否定するつもりもないけど、よからぬ人物に惹かれてしまう自分がいることも、わたしは肯定したいと思っているのだ!
「仕事上、帯(番組)でやってると、それだけで普通の生活してるよりはインプットは常時豊富にされてるわけだから、それ以上プライベートでもインプットする気にならんわ、って感じになるのも仕方ないし。
例えば映画ひとつとっても、出会いさえすれば人生変わるくらいの作品たちがすでにこの世には山ほど存在してるにもかかわらず、そのすべてを観ることは現実にはできないし、実際のところ、そこまで頑張って観ようともしていない。そのくせさらに、新作もどんどんどんどん、増えてゆく。
つまり、ほとんどの“いいもの”に、我々は触れられもせず死んでゆくしかないんですよ。映画だけとってもそうなんだから。もう、いろいろ諦めるしかない」
「そこの割り切りってどうやったの? どうやってその境地に行けたの?」
「行けてないよ(笑)。だから、そのことを思い出すたびにヤダなと思ってるけど、でも、ヤダなと思ったってしょうがないじゃん。そんなの、“死にたくないな”みたいなことと、ほとんど同義だもん。時間が無限にありゃあね。でもさ、そのくせさ、自分のメンタルスタミナがついてゆかない、っていうかさ。時間は空いてんのに、“いや、ちょっと疲れちゃって……”、もうなんも考えたくない! ってときがあるよね」
「そうなんですよ。それでわたしは、ここ数年“意味のあるもの”を観たり読んだりするのがしんどい時期がずっと続いてるんですよね。それでずーーーっとTikTokとYouTubeばっか見てる」
「それ、やっぱそうなんだね。『花束みたいな恋をした』における麦くんのパズドラしかり」
「いや、そう! あの気持ちわかる!」
「そっかあ。やっぱあの場面は秀逸ってことなんだなあ。“パズドラに失礼だ”って怒ってる人もいてそれはなるほどと思ったけど(笑)、とはいえ現実の何かを言い当てているのは確かなんでしょうね」
「あの映画でわたしが衝撃的だったのは、最後のファミレスのシーンで、主人公のふたりが向き合うシーンで、こう、カメラが真正面からふたりを撮るじゃないですか」
「うん」
「わたし名前ど忘れしちゃった」
「麦くんと絹ちゃん」
「あ、そうそう。それで、麦くんを真正面から撮るカットで、え、わたしこの顔知らない、って思ったんですよね。自分もああいう顔してるんだろうな」
「自分もそうだし、あらゆる人に対して、それはね……どんなに仲良かった相手でも」
「この人知らない人だ、みたいなのね……あの映画の3年前ぐらいに、同じようにファミレスで、すごいひどい失恋をして。下北沢のガストで。だから、は! っとしました……っていう駄話をする場がほしいんでしょうね! たぶんね(笑)」
「ハハハハ! うん、まあねえ……でも僕も、仕事場以外で駄話する機会は減りましたよ。やっぱコロナ禍以降は、前みたいに飲みで出歩くみたいなのをしなくなったし、そこまでしたいとも思わなくなっちゃった。
こないだコンバットRECと飲んだときが、一年振りだったんですけど、“じゃあ、ひさしぶりだしもう一軒ぐらい行こうか”って言うと、“やったー!”とか言ってて。で、移動しながらさ、“一年振りなんてありえるかよ”っつってて、“そんな経ったかね?”って。“でもさ、仲良いって、こういうことじゃない? 一年ぶりに会ったって、パッとこう、楽しくやれるじゃない?”みたいなことを言っても、“こんなことあるかよ、一年振りなんて異常ですよ”って、ずっと文句言ってて。
かれとはとにかく、ひたすら駄話。ただ、始まると長いから、帰り際にはいつも、帰る帰らない問答になる。“もう帰んの? つまんねえ大人だな!”って(笑)。でもまあ、しばらく会えてなくても会えばすぐいつもの調子、っていう友達がいてくれてるのは、ありがたいことですよね」
駄話もしながら、明快に答えのない話題を共有したとき、耳を傾けてくれる、というのは一時的でも救いになるのではないかと思う。そういう場所がSNSにもあったけど、特にマイノリティである部分を持つ人たちにとってはもちろん、多くはそうではない人にとっても、危険だと思う事例が増えている。インターネットもSNSも人類には早すぎるんじゃないか。人類が火を使いこなすまでに相当な時間がかかったように。と思うわたし自身も、親指を中心に、自分の身体の一部みたいにiPhoneを反射的にフリックしている。まだわたしはインターネットに飼い慣らされている。文章のように文字ベースで言説を構築するという場に、ラジオのような、フィジカルな快楽とスリルを、どう編み込んでいくか? その挑戦を宇多丸さんはしているように思うし、わたしはその背中を見ながら、自分の営みを続けていくしかないのだと思う。
鈴木みのり
1982年高知県生まれ。ジェンダーやセクシュアリティの視点、フェミニズム、クィア理論への関心から小説、映画、芸術について執筆。“早稲田文学増刊号「家族」” (筑摩書房)、“すばる”2023年8月号で小説を発表。第22回“AAF戯曲賞” (愛知県芸術劇場 主催)審査員を担当。近刊に“‘テレビは見ない’というけれど” (共著/青弓社)、和田彩花と特集の編集を担当したフェミニズムマガジン“エトセトラ Vol.8 (特集‘アイドル、労働、リップ’)”。アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)2024年度ニューヨーク・フェローシップ(文学部門)を受賞し、2025年1月よりアメリカ・ニューヨークに滞在。
宇多丸(ライムスター)
1969年東京都生まれ。ヒップホップ・グループ「ライムスター」のラッパー、またTBSラジオ『アフター6ジャンクション 2』(月曜~木曜 20:00~生放送・2025年5月現在)を担当するラジオパーソナリティ。
1989年、大学在学中に「ライムスター」を結成。日本ヒップホップの草創期から牽引し、最前線で活躍してきたシーン立役者の一人。また2007年にTBSラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』がスタートすると、趣向を凝らした特集、愛と本音で語りつくす映画評コーナーが話題を集めて、2009年に第46回ギャラクシー賞「DJパーソナリティ賞」を受賞。ほか、2000年6月から続く雑誌『BUBKA』でのアイドルソング時評『マブ論』、またその書籍化含めて、映画関連書籍やお悩み相談本など、多数の著作活動も行っている。近作にライムスターのアルバム『Open The Window』(2023)、同ツアーの映像作品『King of Stage at 日本武道館』(2024)などがある。
プロフィール
番組情報
あわせて読みたい
連載
日本から言葉を学びに韓国へ。移動しながら考え書くこと、生活と文学
2024/10/31
2024/10/31
連載
『大豆田とわ子』『エルピス』などを手掛けるテレビプロデューサーと、生活について話す
2024/06/15
2024/06/15
連載
2019年からNYに移住。日本に生まれ育ち、国籍は中国というマイノリティ性から考える
2024/02/08
2024/02/08
連載
社会や政治の話は大事。けれど、トランスである人の生活はそれだけでは語り得ない
2023/11/02
2023/11/02
newsletter
me and youの竹中万季と野村由芽が、日々の対話や記録と記憶、課題に思っていること、新しい場所の構想などをみなさまと共有していくお便り「me and youからのmessage in a bottle」を隔週金曜日に配信しています。
me and you shop
me and youが発行している小さな本や、トートバッグやステッカーなどの小物を販売しています。
売上の一部は、パレスチナと能登半島地震の被災地に寄付します。
※寄付先は予告なく変更になる可能性がございますので、ご了承ください。