連載
社会や政治の話は大事。けれど、トランスである人の生活はそれだけでは語り得ない
2023/11/2
「生きていくの大変じゃないですか?」――そんな実感を出発点に、作家・ライターの鈴木みのりさんがこの社会で生活し、生き延びていくための方法を、さまざまな会いたい人に聞きに行く連載が始まります。
お金の話、暮らす場所の選択肢、コミュニティ形成の仕方……。安全を確保しながら生活を成り立たせるためにそれらは必要不可欠ですが、「一つひとつどう対処しながら暮らしているのか?」という具体的な話については、社会におけるマイノリティ性が重なっていくほど、ひらかれた場所で共有されることが少ない状況にあります。この連載では、鈴木みのりさんが自分とどこか近いところがあると感じる人たちに、「実際にどうやっていますか?」と率直に問いかけ、対話を行い、その内容を後日振り返って考察した文章をお届けします。「生きていくの大変じゃないですか?」と感じたことのある人のもとに、届きますように。
能町みね子さんは、わたしの世代のスターだと思う。「世代」とは、2000年代半ば以降に広がっていったブログ文化に親しんだ層で、特にSNS黎明期の2000年代前半から、日記機能のあるmixiやその前のネット掲示板を利用したり、ブログを読んだりする経験をリアルタイムで積んでいた「世代」。「わたしの」というのは、文化・芸術、いわゆるカルチャーやエンタメになじみがあって、出生時に割り当てられた性別から移行するトランスジェンダーの女性、あるいはトランスしたジェンダークィアやノンバイナリーである「わたしの」だ。
その頃、テレビで見る、整形や美容によって綺麗さを追求するニューハーフのような立場にはなじめず、2001年以降メディアでよく聞かれるようになった「性同一性障害」という「病理」として気の毒な人扱いされるのにも抵抗があるものの、自分以外のトランスの人々については、ネットの隅っこで性別移行に関する専門的な知識について書かれたもの以外にほとんど見当たらなかった。そう感じていたわたしにとって能町さんが始めたブログは、一般の社会で普通に生きている、自分に近そうなクィアな女性の日常にふれる貴重な機会だった。
トランスする人々による、ブログはじめネットに書き込む文字情報だけの日記や経験談とは違い、能町さんのブログや書籍は、生活の手ざわりがして、「自分以外にもトランスする人がいる」と感じさせてくれ、孤立感を少しだけ軽くしてくれた。
「当時はブログ本ブームで、『実録鬼嫁日記』とかがめちゃくちゃ流行っていて、Amebaブログで書いてちょっと人気だと本になるっていう時代だったので、本にする気満々でブログを始めたんです。ブログなんてやりたくなくて、本を出して稼ぎたかっただけ。文体も、もちろん手癖はありますけど、自分のなかでは相当媚びた感じというか、とても読みやすく優しく書いて。そしたらまんまと出版社からオファーがきて、本になった。ただ、わたしはあれは絶対に売れるっていう妙な確信があったけど、思ったほど売れなかったんですよ」
そう能町さんから聞いてわたしは、「思ったほど売れなかった」がどのようなものかわからないけど、世の中の多くの人がトランスした人々について関心があるのは淡々とした日常よりも、いかに「男/女になったか?」という暴露のような内容や、下半身を含めた「身体がどうなっているか?」「どんな性生活を送っているのか?」というシモへの好奇心だから、その「多く」の関心には響かなかったのかもしれないと推測した。デビュー作含め、トランスであることにまつわる能町さんの三つの書籍は、そういった話題を経由してはいるものの露悪的ではなく、絶妙なバランスを保ちながら、多くの当事者が知りたい「他の人がどう性別移行したか」という要素もきちんと備えていた。能町さんは、本を出す気でブログを始めたことを「めちゃくちゃ戦略的で全然かわいげがない感じ」と言うのを聞きながら、その戦略によって本が手元に届いたことで救われた人たちは相当数いただろう、と思った。
「わたしはその本一冊だけ出して逃げる気だったんです。全然こんな仕事する気なくて、顔も出したくないし。そのとき手術もしてなかったし、お金儲けたら手術代に使ってちょっと休んで、ほとぼり冷めたらどこかの会社に入り直そう、ってつもりだったんですけど……他社からも書籍化のオファーがきた。それを断るのはもったいないなと思って、“本出すのは決まっちゃったんですけど、もし何か書く仕事とかイラストとかあったらやるので”って返事を書いてたら、じわじわと仕事のオファーが増えてしまったっていう」
一方わたしはと言うと、執筆の仕事をはじめたきっかけは、2012年に友達がグラビアの撮影仕事をしていた『週刊プレイボーイ』の編集者とたまたま知り合い、懇意になって、原稿料に目が眩んだからだった。当時は「きのこの山 vs たけのこの里」という企画ページや、レッグウェアの種類とそれらを穿く女性のカテゴリー分けの企画ものグラビアの仕事をしていた。後者はまさに露悪的な、当時流行っていた分類ものだ。そういう記事を他でもいくつか書いた。すぐに、ホモソーシャルで異性愛男性を中心とした働き方になじめず、こんな調子で仕事を続けてられないとすぐに感じた。
週プレの編集者が何度か「小説を書いたらどうか」と勧めてくれたので、新人賞に応募しはじめた。それから数年経った2015年ごろ、世の中でLGBTという言葉が流行りはじめ、大学に在学中にジェンダー学や性現象について学んでいたわたしは、そうした視点を通して少しずつ書評や、映画やドラマの評はじめ、文化・芸術について書くようになった。すると、トランスジェンダーとしての立場から、一般論として解説してほしいとか、いかにマイノリティが大変かとかいう内容が期待されているという依頼も多く、それはそれでキツいものがあった。
能町さんにもそういうことはあったのだろうか?
「わたしは絶対デビューのときのネタ以外のものを書くって決めていたので、二冊目の本になった連載は、ジャンルネタ分けが流行ってた頃に書いた『くすぶれ! モテない系』(著:能町みね子、発行:ブックマン社/2007年)です。そこも戦略的に、“このキャラ(トランス)の人”で絶対いかないぞって思っていたので。今だから言いますけど、『くすぶれ〜』も、mixiで意図的にバズらせたんです……これも戦略的に(笑)。“くるりの出し方”っていう章を、出版社の社員さんに“これめっちゃおもしろかった”って、mixiのくるりのコミュニティにリンク貼ってもらったんです。そうしたら、まんまと軽くバズった。自分の内面以外のことを書くって決めて、どうにかうまくいったのが第2ステップですね。
しばらく自分の内面以外の内容でまあまあうまくいったので、トランスに関連したオファーはなくなっていたんですけど、調べれば素性はわかるので……一冊目があれなのに、隠すのも変だなと思って。著作も増えたから、もうそろそろ自分の内面のことを書いてもいいかな、となっていきました。アピールもしないけど隠しもしないくらいのスタンスでいたら、ちょっとはそういう仕事もくるようになって。今に至るまでまあまあバランスよくできてると思うんですよね」
『くすぶれ! モテない系』はもちろん、その後続く、週刊文春での連載「言葉尻とらえ隊」、さまざまな雑誌を読む人の人格を考察する『雑誌の人格』、街を歩く『ほじくりストリートビュー』といった、自分の趣味や関心のあることについて書いたり、政治を含めたメディアウォッチしたりするような、能町さんのジェネラルな仕事はわたしの励みになっていた(真似できるかというとそれは無理なのだけど)。主要なメディアで仕事をするトランスの人たちは見当たらず、いたとしても「オネエ系タレント」や「オカマ」といった芸風でマイノリティ要素を切り売りする道がほとんどだった。今でも、研究者のような専門性も持っていたり権威的な後ろ盾があったりするわけじゃない、トランスであることを公表しているフリーランスで文章を書き続けている人というのは、他に例がない。何より能町さんの仕事は、その独自の視点がおもしろかった。
この連載の企画が立ち上がる前、確か2021年に、能町さんがジェーン・スーさんと話していたTwitterのスペースをわたしは聞いていた。週刊連載のネタ出しが大変という話が印象に残った。当時NHKの広報雑誌『ステラ』で連載を持っていたわたしは、その隔週のネタ出しと執筆に息切れしていて、読者として外からは、飄々と連載をこなしているように見えた能町さんですらそうなのかと驚き、悩んでるのは自分だけじゃないと思えたのだった。それまでは、自分に問題があって、この仕事に向いてなくて、だから書けないのだと内罰的になりやすかった。
「こういう仕事って、書き手同士の横のつながりがあまりないですよね。だから相談する相手も別にいないんですよ。30代前半くらいのときは、わたし自身がもっと突っ張ってた。別に同業者の友達なんていらないって思っていて、全員ライバル……というか敵、ぐらいの気持ち(笑)。舐められたくなくて、ピリピリしておきたいというか、妙に気が張っていたんでしょうね。
ほかの同業者同士が妙に仲良くしているのを見るのもなんか嫌でした。その間柄も同調圧力になるような気がして……。せっかく会社勤めじゃない、一人での仕事になったのに、また同じような仕事をしている人同士で集まって慰め合うのがなんか嫌だなって思ったんですよね。別に表立って敵対はしないんですけど。仲良くなるならちょっと違うジャンルがいいと思ってたんです。久保ミツロウさんは漫画家だから全然競合しないし、あと飲み屋とかで出会う友人関係だと同業者もいないからそういうところで仲良くしてました。
でも40歳手前くらいになって、機会があれば仲良くできるなあ、敵対する相手はそっちじゃないな、ってだんだん思いはじめたんですよね。ジェーン・スーさんとも、そんな感じで自然と話すようになりました」
最近SNSで、「執筆仕事のキャリアが熟すと人に教えたり若手を審査したり激励したりする仕事になるのだろう、と同世代の仕事を見ていて思うが、自分には向いていない、人生の先が見えてしまっている」、という主旨の能町さんの投稿を見たことがあった。専業ではないという意味でもまだ売れた経験がない立場から見ても、紙代や印刷費も高くなっていくし、本を読む人も減っていくだろうし、と出版業界が行き詰まっているゆえの、自分の先行き不安と接続して、その投稿をわたしは読んだ。業界が先細っていく見通しから「人生の先が見えてしまっている」ということは想像ができた。そして、わたしは昨年ある戯曲賞の審査員をやったのだけど、小説で新人賞を取ったり奨励されたりした経験がほぼなく、余裕がないのになぜ人を励ましたり導いたりするような仕事をしているのか? と戸惑いも若干あった。
小説が雑誌に掲載される機会をわたしも持てたが、そこに至るまでも狭き門で、さらに続けて載るとも限らない。雑誌に載ったとて本になるわけじゃないし、本が出ても売れるとも限らない。そういう現実を、最近やっと、それこそ横のつながりでできた小説家の友達を通して厳しい状況をわたしも実感している。それらだけが理由ではないけれど、日本でこんな仕事に生活を賭けてていいのか? と疑問を抱くようになった。
「わたしは小説を出せばいけるはずって書き始めてしまって、むしろ戦略がないんですよね(笑)」
「みんな戦略のことってあまり語らないですよね(笑)。わたしも恥ずかしいからあんまり言わない。戦略を考えてやっていくのをひけらかすことが、かっこよくないイメージがある。でも、みんなちょっとは考えてるだろうし、語ったほうがおもしろい気もします。」
文章を書く仕事をしているみんなの話を聞いてみたい。特にマイノリティとして文化・芸術やエンタテインメントの仕事に携わって、生き延びてきた人たちの話に興味がある。複合的なマイノリティ性のある自分が、40代になって新たに仕事を始めるというのが想像がつかず、潰しが効かなくなってると思うとやめられない。他者にそのマイノリティ性を理由に責められたり、忌避されたり、ジャッジされたりする不安が予想できるから、接客業で時給1000円ちょっとみたいな仕事でそういう懸念まで引き受けて始められるとも思えず、深夜の弁当工場のバイトを探したこともあった。だから、SNSの投稿を見て、能町さんもこういうこと考えるのかとちょっと安心したのだった。
「人の仕事を見てると、みんなめっちゃ仕事してるな、なんでみんなこんなに量こなせるんだ? って思いますよ。わたしは全然やる気ないし、量書けないし、一日何もしない日もある。締め切りあるのになー……って思いながら、ダメだこの仕事向いてないって、すぐ暗い気持ちになりますよ。そういうぼやきを吐き出して、特に何も解決せずに、そのままダラダラやってる感じです(笑)」
飄々としているように見える能町さんだが、『結婚の奴』の性愛に関する記述同様に、『文學界』2022年1月号に寄稿した「敵としての身体」には、自身のトランスとしてのアイデンティティに関わるぐるぐるとした感情を言い当てる一文があった。わたしは自分の言葉のように感じた。
〈こういう生き方をしている自分が生き延びるための姑息な言い訳を必死で絞り出しているような気持ちになってしまう。〉
同じと言っていいかわからないけど、同じようなマイノリティとして、こんなふうにトランスというマイノリティとしての身体と生き方とに向き合った言葉に、一般メディアでふれる機会がなかった。
先日ニューヨークに、友達たちの助けがあって1ヶ月ほどわたしは滞在した。現代美術のアーティスト、服飾デザイナー、俳優であるトランスの人たちに会った。もちろんそんなふうに「華やかな」仕事で成功する人は非トランスの人と同じく、ごく一部だろうし、それ以外の人たちがどういう仕事をし、生活を成り立たせているかまでは聞き取りはできなかった。それでも生きていく可能性というか、選択肢の幅がまだ日本よりあるんじゃないかと感じられた。
トランスジェンダーの男性である俳優のエリオット・ペイジの回顧録発売日のトークイベントには、たくさんのトランスやノンバイナリー、ジェンダークィアだろう人たちが集まっていた。トランスである政治家候補者を応援して自治体の議会に送って、トランスに関する政治課題をより良くしていこうという、政治参加についてのシンポジウムがある美術館で行われていた。『Vogue』や『GQ』といった雑誌を発行する会社が支援する音楽イベントもあった。コミュニティというものが存在するのだと感じた。同じような立場や属性の人たちが集う自助・互助グループのようなものがあって、グループセラピーが機能しているのかもしれない、と期待できた。それに、バックラッシュが強まっていて死者も出るほどだけど、少なくとも法律上、トランスの人たちに対して、そうであるがゆえの差別は禁止されている。
一方、日本ではコミュニティも、法律も、ほとんどない。近年、一般的な雑誌やメディアで声が聞かれるようになったと見えるけれど、そういうところで可視化されるのはほとんどが高学歴で、安定した就労についている(といってもそのなかでの差別に晒される懸念はあるとは思う)人たちばかりだと思う。もちろんそうした人々が差別や偏見を是正しようとする発信も大事だと思う一方で、長いあいだ、過度な嘲笑や性的な客体化の対象にされてきたのに、そこで生きてきた人たちや生きている人たち、あるいはそうではないかたちを日常で紡ごうとしてきた人たちの存在や生活実態には、なかなか焦点が当たらない。
能町さんのデビュー作のシリーズや、『文學界』でのエッセイ「敵としての身体」は、水商売や風俗に従事するニューハーフコミュニティや、「オカマ」や「オナベ」といった自嘲ではないものの、「正しい情報」だけではふれられない、クィアな女性の日常の営みや葛藤を掘り下げようという試みだとわたしには感じられる。肉体的な実感が備わっていた。「敵としての身体」で書かれてあった、トイレ利用をめぐって排除的な対応にあっているブラジルのトランスの女の子が抵抗するネット動画についての、〈私の別動隊〉という能町さんの表現は、トランスの人たちの「今、ここ」に存在が許容されていると実感しきれない自分の身体感覚を表現している、とわたしは思った。座ったり寝転んだり歩いたりしながら覗き込んだ、パソコンやスマホで見つけた〈私の別動隊〉を通して、自分を発見するしかない。日本で生活している時間では、自分の生活実態、生き方、見た目などを比較検討したり、正当化とまで言わなくてもせめてまちがってないのだと証明するに足るだけの、自分と近い人々がほとんど見当たらず、その自己発見の身体性は、ネットを通して地域や時間を超えて行われることがしばしばある。
その身体性は、能町さんの近刊『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ』(森山至貴との共著)でのやりとりで言及されていた、クィアな時間性とも通じると思った。
しかしメディアでは、トランスはもちろん、クィアな人々についての言説は、「幸せ」か「不幸」かについて求められるのがほとんどだと感じる。それらの言語化の試みの先に豊かさや可能性があるかもしれないと、評価しよう、感想や批判を通して共に探求しようという人は、文学やジャーナリズムの編集者や批評家にはほぼいない、とわたしは感じている。そうして、「もちろんそれらはすべて、わたしの文章が拙かったり、わかりにくかったりするからふれられてないだけなのかもしれない」と自己批判に戻っていく。
『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ』に、幸福についての森山さんと能町さんの語り合いがあった。クィアな人たちは「ハッピープライド」という言葉を投げかけられたり、同性間の婚姻やしっくりくるジェンダーで生きていることは「幸せ」と評価されがちで、ふたりの語り合いを、そういったシス・ヘテロな規範の尺度に対する問いとしてわたしは読んだ。そこで能町さんが、
〈幸せのかたちを典型的なものとして捉えないようにしようということは、ずっと心がけている〉〈不幸さ、不愉快さの絶対値は変わることはないですけど、かけがえのない自分の不幸なのだ、としっかり把握することで、他人からの評価にまどわされることはなくなりそう〉
と話していたのが、とても印象深かった。物書きはじめ「文化・カルチャーの仕事」にまとわりつく「ヒリヒリしてないと、不幸じゃないと、孤独じゃないとものを生み出せない」、そういう言説にわたしは抵抗感がある。実際、誰かが書いてくれるわけじゃないし、作業するとなるとひとりでやるしかないというのはあるけれど、孤独がかっこいいというか、酔ってるというか、人を寄せ付けないという人にあんまり関わりたくないと思ってしまう。
「人と交流を持たずに、顔出しすらせず、謎めいているのがかっこいい、孤独であってこそ作家、っていうイメージ、ありますよね。だから、孤独で、追い詰められて、キツイ気持ちだからこそ仕事ができる、少なくともある種の仕事はわざわざそういう状況に追い込まないとできない、と思っていたことはあるんですよ。でも、不幸な方がいいものが書けるという言説に抵抗していこうっていう考え方がだんだん強くなっていった。だいたい、不幸っていうか、気持ちが本格的に落ちていると結局仕事なんてできないので、この言説もそもそも合ってるのかって思います」
わたしの場合、特にここ5年のあいだ、SNSのトランスの人々へのヘイトスピーチや、無自覚な差別意識や偏見を見かけたり、そういった状況について、共に仕事をしたことのあるメディア業界の人たちが「大したことない」というように問題視しない様子を前にしたりすると、ダメージを受け、すぐに書けなくなってしまう。そんなふうに言うと、自分の属性と紐づけて能力や努力不足を正当化しようとしているだけだとあげつらわれるんじゃないか? という懸念もあって、なかなかそうは言えない。「気持ちが落ちていると書けなくなる」という話と、「みんながたくさん仕事をこなしているように見える。自分には向いてないかもしれない」という話がわたしのなかで響き合って、もしかして能町さんにもそういったことが起きてるんじゃないか? だからやる気が出ないし、量も書けないし、一日何もしない日もあるんじゃないか? 録音を聴いて文字起こしていると、そういう想像が湧いた。少なくともわたしにはそういうことがよく起きている。
「わたしも別に自分が幸せであることを売りにしたいわけじゃないので。幸せでいようというより、不幸でいないようにしよう、くらい。自分の幸せアピールを書きたいわけではまったくないです。『猫』(『私みたいな者に飼われて猫は幸せなんだろうか?』)だけはそうかもしれないけど」
猫と言えば、能町さんは2020年の夏から避暑のために、猫の小町と共に数ヶ月のあいだ東京を離れ、青森で暮らしている。小町と出会い、共に暮らす様子を綴ったのが『猫』だ。
「暑いのが苦手で、今の人と暮らす前から、夏、避暑で東京じゃないところに行きたいっていうちょっとした夢があって。これは誰と暮らすとか今後どう暮らすかということから切り離された自分の中の理想というか、夢らしい夢ですね。それを一昨年にやっちゃえって。これは戦略じゃないです(笑)」
「わたしは、ここ4〜5年東京に暮らすのが厳しいなって感じてて、離れる選択肢はないかなって考えてるんですね。物価も家賃も高いし、狭いし、それこそ暑いし。コロナ禍で、狭い部屋にひとりでいて、人と会わなくなったから、なぜここにいるんだろう? って考えたんです。ただ、地方は地方で別の課題がありそうだなとも考えますよね。都市空間のほうがマイノリティにとって生きやすいんじゃないか、とか」
「わかりますよ。ご出身はどちらなんですか?」
「高知県です。ただもう実家と言える場所がないし、車がないと生活もできないから、戻れないなっていうのはあって。6年くらい前に一度試しに1〜2ヶ月仕事で住んだことがあったんですけど、移動が大変で文化的な施設も乏しくて、これは無理だってなったんですよね。今から免許を取るというプランも組み込んで考えられなくて」
「わたしは実は田舎に住みたいっていうのはなくて、地方都市が良かったんですよ。車を運転する気はないので、自転車でどうにかなる県庁所在地レベルの街、っていうのを考えて」
「それで猫もいっしょに住めてっていう……」
「そう。それで青森になったんですけど。県庁所在地くらいだったら、よく言われる田舎の嫌な部分をわたしはあんまり感じない。噂話っていうか、人から人への話の伝達がめちゃくちゃ早いとかはありますけど(笑)、それは向こうにたくさん知り合いがいるわけでもないし、コミュニティが狭いからそうなっちゃいますよね。住んでみたら意外と大丈夫だったんですよ」
「人といっしょに暮らしたいっていう実践との折り合いの付け方はどういう感じですか?」
「人と暮らしたいと思って『結婚(仮)』を始めたけど、とは言え、他人といると時にはめんどくさくなったりもするじゃないですか。それが、わたしは夏のあいだだけ青森にいて、向こうは向こうでやたら海外旅行に行って1〜2週間とかぽこっといなかったりするので、わりと離れてる時間は長くて。結果としてちょうどいいバランスになっているんですよね」
「そのあいだ人と暮らしたいっていう欲求が湧き出てくるとまではならない、と」
「そこまではならないですね。でも、わたしも別にずっとこの関係が続かなくてもいいやとは思いつつ、どちらかが病気になったり、いきなり好きな人ができちゃったりすると、この生活はどうなるのかなというのはずっと思ってます。まあ深く考えずに無計画にやってるんですけど(笑)」
この話をしてから1ヶ月経って、NHKで放送された『ネコメンタリー 猫も、杓子(しゃくし)も。 能町みね子と小町』をわたしは見た。ただ能町さんが小町と(少しだけ夫(仮)のサムソン高橋さんも写る)東京と青森の自宅で生活の様子の一端を垣間見て、何かの属性に還元されていない、ひとりの女性である人の姿に胸打たれた。キャプションに表示された〈幸せになり、つまらなくなった(おめでとう)〉という能町さんの言葉を見て、先ほど書いたことに矛盾するけど、「幸せになろう」と宇多田ヒカルの歌がわたしの頭の中に鳴り響いた。
マイノリティだから必要だった知識や、そうだからということもあって得た経験のみを「マジョリティとして勉強したいから」という理由で、「トランスとしての経験をもとに……」とか「トランスについての知識を教えてください」という依頼が多い。そんなわたしの話の流れで、能町さんがこう言った。
「わたしは知らない人と同席しても当たり前に“女です”って顔でいるし、“自分がトランスである”みたいな意識は少しずつ薄まってるんです。そうすると服装とかも、どうでもいいって言ったら変だけど、自分がこんなことしたら変なんじゃないかっていう意識が消えていくんですよ」
わたしにも似たようなところがあった。たとえば最近、仕事でヨーロッパに行った際、飛行機のなかでCAの人から「サー(Sir;男性への英語の敬称)」と何度も言われた。ちょうど髪を短く切ったばかりで、そのときは大きめのトップスを着ており、スカートを穿いた下半身はブランケットをかけていたし、トータルのバランスでまあそう見えても仕方ないのかなくらいに思った。特に「自分をこう扱え」という主張もしなかった。
この15年くらいのあいだ、英語で「マーム(Ma’am;女性への英語の敬称)」とばかり呼びかけられてきて、もちろん同じ人からの呼びかけではないが、経験則として、人は髪型、声、体格、服装、振る舞いや語り方など、さまざまな雰囲気で相手のジェンダーを勝手に推測していると考えている。ジェンダークィアとして、「マーム」にも「サー」にも抵抗し、「Mx.(ミクス/エムエックス)」と呼んでほしいと求めるのが正しいのかもしれないが、継続的に人間関係を築くわけではない相手からの見え方にいちいち左右されていたら、疲れてしまう。
「わたしはトランスしてから好きで2回坊主頭にしてますけど、丸坊主だろうが何だろうが、わたしは女なんで、っていう考えを実践したかったというのもあります。変なこと言ってくる相手がまちがってる、くらいの気持ちになるとだいぶ楽ですよね。『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ』でも書いたけど、自分がトランスだと言いたくないっていう矛盾自体が、トランスジェンダーのあり方だと思ってて。“トランスジェンダーで悩んでいます”の段階のままだと、何をしててもトランスであるという意識がずっとわだかまってしまう感じがする。わたしの意識も消えることは絶対ないけど、かなり薄くなってほぼ開き直ってしまって、だいぶ楽になりました。わたしは別にそれでいいと思っています」
能町さんが、こんなにハイトーンが流行する前から奇抜な髪色に染めたり、ベリーショートにしたりする様子が、ずっと魅力的だった。対談当日の髪色もいいなと思ったし、服のセンスも好みだった。わたしは、男性扱いされるのがずっと受け入れ難かったが、それと同じくらい、「規範的な女性性」にもずっと馴染めない。髪はせいぜいボブくらいにしか伸ばしたことはない。飲み屋で隣り合った人や、友達や家族・親戚からでさえ、散々「髪伸ばさないの」とか、さらには「胸がない」「おっぱい入れないの?」とか「ピンクは着ないのか」とか、いわゆる女性性を出せと言われ続けていたわたしは疲れていた。あと、ジェンクリでも。
「ああ、ジェンクリ」
話の途中でフと言った言葉が、能町さんに略語だと通じた。うれしい。そうわたしは心のなかで思った。トランスジェンダーの人たちのなかでも、性別違和や、ジェンダーに関するアイデンティティの相談・セラピー、ホルモン投与、外科手術を望んでいる人たちが訪れるのが、ジェンダー・クリニックで、その略語がジェンクリだ。
日常生活を送っていると、「女らしい」という傾向はあるけど、女性とひとまとめにできないくらいいろんな容姿や振る舞いの人たちがいる。髪が長い人、短い人、声が低い人、背が高い人だっている。そうは言っても、「女性/男性とはこういうもの」という規範があるなかで、トランスの人たちは安全や安心のために、そこに同化しようとする。ニューハーフ的というか、「容姿を綺麗にして」だったり、埋没系含めて「髪を伸ばして」というトランスの女性や、トランスした女性的なノンバイナリーやジェンダークィアの人も多い。
デビュー以降能町さんがどういう見た目なのかも気になって、わたしは画像のGoogle検索を繰り返していた。それで、ラジオやテレビで能町さんの姿を見るようになって、髪型のバリエーション、服の趣味から、そうだよね、そういう女性もいるよね、規範的じゃなくてもいいよね、とわたしは安心できたのだった。
とは言え、規範にずっと抗って生きることはわたしにはできないし、きっと誰もが、バランスをとりながら生きているのだろう。
たとえば恋愛をはじめとした親密な人間関係の話題になると、途端に保守的な考え方がわたしに湧いてきて、そこにハマりきれない自分をジャッジしてしまう。外形的に「異性愛」に見える枠で、持続的にわたしを「女性的な位置」に置いて見てくれる人がいないと、たやすく「自分が何者なのか」が揺らいでしまうのだ。何度かメディアでも、あくまでしっくりくる外見やふるまい(ジェンダー表現)がおおむね女性的とされる側というだけで、「女性である」という意識はないという点からジェンダークィアであると自己定義するようになると、年々、自分に対して性的に興奮している相手がいるとき、この人は一体何を期待してそうなっているのか? と不思議に感じてしまうようになった。
「恋愛は起こりうる感じなんですか?」
「全然ないですね……出会い自体がないです。能町さんはありますか?」
「ないですね。なくていいやって気持ちになっちゃったんで。みのりさんはあったほうがいい感じですか?」
「うーん、それこそ『結婚の奴』でも書かれてましたけど、もうちょっと話したいなとか、そういうのはあります。友達とごはん作りながらテレビでも見ながらダベってるときに、こういうのが続くといいなとは考えるんですけど……。あの人かっこいい、きれい、とかって思うことはあっても、そういう人がほしいというより、何かあったときに助けてくれるとか、一人で生活を回していくのがしんどい、毎日掃除が大変、ああトイレットペーパーもう切れたのか、みたいなときに買い出しを一人で回さなくてもいい人がほしいとは思います。日本で、東京で暮らしていると単身者で占有できる面積の広さは賃料が高くないと狭くなるので、誰かと出し合えたら、選択肢を広げたいなということをここ5〜6年考えますね。単身で歳をとっていく未来は想像できない。
ただ、付き合う、セックス、結婚、子どもっていうルートがセットの共同体形成、少なくともパートナーとの共同体形成をするのが世の中では一般的じゃないですか? 自分にはそういうのは無理っていう諦めと、ぶち壊したいという尖った気持ちと、そういう価値観を内面化しているところが混ざり合ってて、フと“彼氏ほしいな”っていう言葉として浮かんでくる、つぶやきとして出てくることはあります」
「何をしたいかだと思うんですよね。本でも書いているんですけど、みんな恋愛して、結婚して、楽しそうでいいな……って、わたしはそれはそれで羨ましかった。ただ、漠然と“みんないいな”ではなく、じゃあわたし自身はどこまで、何がしたいのか? をめっちゃ細分化して考えていくと、“人と暮らす”というのがいちばんやりたいことなんだってわかったので、じゃあそれ以外はいいや、って思って」
「人と暮らすと恋愛がセットにわたしはなっちゃってる。世の中一般もそうですよね」
「わたしはそこすら切っちゃった。もちろん恋愛がいちばんしたい人もいると思うし、人それぞれなんでしょうけど。とにかくわたしは“人と暮らす”に絞って、そのためにはどうしたらいいのか? って考えました」
わたしはそれが難しいと感じていた。
最近見たドラマ『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』で、自閉症スペクトラムであり「他と違う」という面が多いウ・ヨンウに、ロマンス要素が訪れる様子を見たとき、マイノリティである者としてわたしは、自分の人生にも「みんながしているのと同じこと」が期待できると信じたいのだ、と突きつけられた。誰もが恋愛をするはずという一般的な考え方から逃げたいのに、わたしも誰かに求められたいとも思ってしまう。しかし、その「求められたい」は一時的な快楽のような「恋愛」なのか、持続的だと期待できると一般的に理解できる「共生/パートナー・家族化」のようなものなのか、混濁をフィルターにかけるのが難しくて、よくわからなくなる。
わたしが能町さんの書籍で好きなのは、特に『ときめかない日記』のような、恋愛やセックスや、それらとひと続きだと一般的に考えられている家族形成をめぐる内容で、『結婚の奴』でもクィアな女性が葛藤しながら他者と性愛的な関わりを持つ描写のきめ細かさには驚いた。
「過去には恋愛もあったんですけどね。『結婚の奴』にもいくつか書いているように、一年ちょっとは続くんですけど、そのときも恋愛から結婚っていう意識があんまり芽生えてこなかったんですよね。もしかして結婚するのかな? と考えることはあったけど、この人と結婚したいとはならなくって。全然いっしょに暮らすイメージが湧かない。実際同棲とかはしなかったんです」
「部屋に行ったり呼んだりはしたんですか?」
「それはあります。いっしょに旅行ぐらいはしたし、それなりに楽しかったんですけど、結局別れちゃった。そのときは楽しかったけど、わたしは恋愛を経て結婚するっていうのが向いてないんじゃないかって、何回かの経験を経て、そう思ったんですよね。恋愛相手と一生添い遂げられるなんて思えなかった。一旦、恋愛して結婚するっていうステップは捨てて、“人と暮らす”をターゲットにしてみるか、っていう感じです。みんなよく恋愛して結婚できるなって思います」
「コロナ禍の直前くらいかな。同世代のシスジェンダーの女性で異性愛な友達で、周りからの見え方を気にしたり、誰かといっしょに生活したい、寂しいと思う自分の感情だったり、いろんな理由が入り混じってたりするんだと思うんですけど、それでスタイルを変えた人がいたんですね。それまでずっとショートカットやパンツルックが中心だったんですけど、もっとコンサバになろうと、髪を伸ばしたりスカートを穿いたりして」
「それでやっていけるんですかね?」
「会って話すと前と変わらないんだけど。まんまと彼氏ができて楽しそうには見えました」
「へえ……すごいな」
「多くの人は恋愛〜結婚〜子育てみたいなのを内面化しているし、“こういうのがモテる”みたいなのからハズれたままでいるのが難しくなるときってあるよなと考えさせられました。お付き合いする人に変わってもらうとしても、その思考を自分がほぐして、というのもそれはそれで難しいし……」
「だからみんなマッチングアプリを使っているのかな。これはひどい偏見なんですけど、わたしは昔のイメージで、マッチングアプリってまったくモテなかった人の最終手段じゃないかと最近まで思ってたんですよ。でも今は全然違いますよね。アプリで結婚した人が周りにむちゃくちゃ増えています。マッチングアプリってお互いに、結婚したいのか、子どもがほしいのか、ということがわかっているところから始まるじゃないですか。人といっしょに住むという明確な目的がわたしにはあったんですけど、目的や条件を決めてから出会いを求めることって、自分には縁がないと思っていたマッチングアプリと変わらないって、最近気づきました。すごく合理的にうまく人と暮らすためのシステムなんだなって」
とりとめのない会話で、答えはないけど、こんなふうに、クィアな女性と恋バナをしたり、先行きの不安を共有したりできることが、わたしに必要だと思った。
能町さんが、Twitter(現X)で相撲の話題を投稿しているのを見ると、どこか安心した。相撲には関心はないけれど、わたしにとっての、SMエンタテインメントのアイドルたちのコンサート実況投稿に似ていると思った。そんなふうに没頭していると、自分のマイノリティ性やそれと関わる政治・社会の話題から離れられる、離れてもいい、離れたいよね? と、少し軽い気持ちになれる。
2020年にわたしは、『社会・からだ・私についてフェミニズムと考える本』(井上彼方編、社会評論社)で〈いつもの喫茶店、おろしたてのエッジィなデザインのスカート、台中の宮原眼科のチョコレート、MAG NY LOUISEで買ったユーカリの実とワレモコウ、よく行ったゴールデン街のバー。〉〈トランスへと向けられる差別、政治課題における後回し、軽視がいかに問題かと、論理的に指摘するのはもちろんだいじ。ただ、トランスである人々の生活はそれだけでは語り得ない。〉〈「親密で、くだらなくって、深みがある一方でどうでもいい会話が交わされるなかで女性同士がつながり、シスターフッドや友情が見出されるような、何かが醸成される」、そんなやりとりが生まれ、語り合えるスペースが必要〉と書いた。
去年の夏、能町さんが出演していた青森でのトークイベントの配信を見ていたわたしは、能町さんが穿いていたパンツを見て、浮き足だった。それは、よく行く東京の服屋で買おうか悩んで、売り切れてしまったオーストラリアのホームウェアブランドのものとまったく同じだった。そのことをわたしはツイートしたところ、能町さんがリプライをくれて、青森で買ったのだと知った。たったそれだけのことなのに、わたしはさらにうれしくなった。もっと趣味や娯楽や、生活について、おしゃべりしたい。聞きたい。
最近わたしは、生きていく手がかりを探したくて、特に自分に近い人がどのように生活をし、生きてきたかに興味がある。この連載を始めたのもそういった動機だった。能町さんには服装や生活について参照したり、将来についてのロールモデルと見ている人はいたりするのだろうか?
「数少ないけど、一応いるかな。ロールモデルはわりと身近なところから探しちゃってますね。どう生きよう? って悩んでた20代、mixiとかもなかった頃に、ネットの掲示板で知り合ったトランス女性の集まりに顔を出したこともあったけど、なんかこのコミュニティには馴染めないって思って。ファッションの方向性もわたしとだいぶ違うし、このテイストはわたしには難しいと思ってフェードアウトしたんです。それよりも、わたしにはシスジェンダーの女性の友達がたくさんいるから、そういう仲のいい子と同じ系統でいいじゃん、別にわざわざトランスの友達をつくらなくてもいいかって、20代半ばくらいからは思うようになったんですよ。生存バイアスみたいな物言いで申し訳ない話なんですけど……。50代になっても、たぶん身近から探すと思います。みんなで“どうしたらいいかわかんないね”って言いながら」
能町さんの「敵としての身体」にこういう一文があった。〈自分自身を全否定しながらなるべくそんなことは忘れて珍妙な身体を晒しながら歩いている恥ずかしい塊である。〉これはわたしも感じているものだった。コンサバな、保守的なほうが生きやすいのだろうというのは、「珍妙な身体を晒している」と考えざるをえないほど、日本では男は男で、女は女で、幸せというものは家族がいて、という枠がしっかりし過ぎるほどしっかりしているからじゃないかと思う。
能町さんと話してみたいと思って、話してみたけど、考え出すとキリがない問いは残ったままだった。1時間半話したくらいで答えが出るなら、とっくに解決しているので当然と言えば当然だけど。
「わたしもこのあとどうなるか自分では全然わからないんで。今40代半ばになっちゃいましたけど、だんだん、自分の昔のまんまのファッションが似合わなくなってきた。50代のわたしができる服装、なんだろう? とか、そういう悩みはあります。あ、ロールモデルで言えば、ちょっと年上の、尊敬できる先輩というか友達というか、そういう存在がいます。ちょっと年上にそういう人がいると安心しますよね。頻繁に会って話をするわけじゃないけど、うっすら何人か思い浮かびます」
日本にいると、日本だけじゃないかもだけど、コンサバになったほうが生きやすいんだろうな、いやむしろそうじゃないと生きていけないのかな、という不安のようなものがときどきわたしにはよぎる。「気にしてる」と「気にしてない」のあいだでいつも揺らぐ。能町さんももしかしたら同じように矛盾を抱えて、ときどき友達と会って、話して、そうしてどうにかやりくりして生きているのかもしれない。そう思うと微かに大丈夫という気持ちになれそうな気がした。
※引用カッコ〈〉内のカギカッコ「」はジャネット・モック「My Journey (So Far) with #GirlsLikeUs: Hoping for Sisterhood, Solidality & Empowerment」より鈴木が訳出したもの
プロフィール
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発行:エトセトラブックス
価格:1,300円(税別)
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著:森山至貴、能町みね子
発行:朝日出版社
発売:2023年7月1日(土)
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