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同じ日の日記

モントリオール月齢17.4/Bambi_d’Or

飛行機の乗務員が綴る。硬水で淹れたコーヒー、制服のまま寝落ち

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2022年8月は、2022年8月15日(月)の日記を集めました。飛行機の乗務員のBambi_d’Orさんの日記です。

国境の北、カナダのモントリオールに早朝07:00きっかり着陸。

ゲートまでの地上走行が普段よりあきらかに速い。

エコノミークラス中ほどの座席で初産の妊婦が「何かとても変な感じがする」と訴えたため救急隊を手配してあるのだ。

中型機で座席もカーゴも満杯、着陸時の衝撃は機体前方でも身体に響いた。

ブリッジが接続されドアが開く。

仏語訛りの救急隊員男女が「どこ?」と訊くのと私が「26C」と言うのと、通路向こうの同僚が「急病人搬送のため全員着席待機して、通路を塞がないで」とアナウンスしたのがすべて同時で、機内用車椅子がするするとキャビン後方に吸い込まれていった。
 
 
予定日は11月後半? いて座なら元気で読書家の優しいお子さんですね、性別はお楽しみ?  あらそれは近ごろ珍しい、でも確かにそりゃ生涯最大のお楽しみですね、大丈夫きっとだいじょうぶですよとさすった背中の柔らかさと、脂汗が滲んだ顔の幼さと、栗色の巻き毛を無造作にまとめていた電話コードみたいなピンクの髪ゴム? が出来事の断片として記憶の水底へと沈んでゆく。
 
 
ホテル着9:45。部屋のカードキーを受け取ったとたん天井がぐわんと大きく廻った。

地震かと思ったがただの目眩だった。

8月14日から15日をまたぐ満席の夜通しフライト数本で、ほぼ一日まともな食事をしていない。持参した茹で卵と白桃ひとつを口にしただけだ。

エレベーター脇のカフェいちばん手前のテーブルに制服のままスーツケースごとなだれ込み、

「あー何かカロリー高いものください、ボンジュール」と言ってゲラゲラ笑われた。

苺とバナナとヌテッラ(ヘーゼルナッツのチョコクリーム)のクレープ生クリーム載せは、食べ進めるうちに赤黒白が火砕流のようにぐちゃぐちゃになる。

そのさまはイザナギとイザナミが天浮橋から仰々しい矛(ほこ)で大地の渾沌をかき混ぜる国産み(くにうみ)の神話の序章のようで、まことにエロチックでよろしい。

硬水で淹れたコーヒーの後味は、可聴音域だけを切り取ったデジタル音源みたいに鋭利だ。
 
 
掛け布団の「上」で制服のまま寝落ちから目覚めて13:40。

ホテルのシーツと布団はいつも何かを拒むような強靭さでタックインされており、あいだにもぐり込むべく剥がすのに相当な腕力が必要だ。

あの独特のベッドメイキングには表面をピシッと整えるという表向きの意味合いとは別に、何か非友好的なメタメッセージがあるのかもしれない。

14:00過ぎホテルのジムは月曜なのにそこそこ混んでいる。

なるべく日陰に近いトレッドミルに飛び乗り、傾斜を0.5に速度をまずは3km/hrの超緩慢なモードに設定のち、iPhoneのブックマークからYouTube「ゲームさんぽ/Cyberpunk2077吟行」を再生

ブレードランナーを極限まで昇華させたような美しさと世界観の作り込みが素晴らしいゲームCyberpunk2077を見ながら、現代俳句界のスター関悦史・北大路翼・中山奈々の3人が、それぞれ目にした情景をもとに俳句を即興で詠んでいく41分のプログラムだが、これがとんでもなく面白い。

「腹筋崩壊」と謳い文句にあるがまさにそのとおり。ジムでワークアウトの最中に観るときには注意が必要だ。
 
 
部屋に戻り軽くシャワーを浴び日焼け止めを塗り直して15:15、とりあえず街に出る。
 
 
セントローレンス川から離れるほどプラトー地区、という漠然とした知識と記憶だけを頼りに、観光客の流れやストリートミュージシャンの音楽に注意を向けなんとなく歩き進む。

ここケベック州は北米大陸の中で唯一、公用語が英語ではなく仏語という特殊な環境だ。

欧州らしさを感じることの一つに、個人経営の書店の素晴らしさ・多さが挙げられる。

多い、と言ってもその数は年を追うごとに減少傾向にあるのは確かだが、紙媒体の書籍への信頼、というより「帰依」に近い何かが彼らにはみられる気がする。

亡くなった親友や同僚たちのことを、滞在先の都市やホテルでぼんやり考えることが増えた。
 
 
さっき少し足を止めて入った書店ポスターの円環を見て、ガン闘病を公表した坂本龍一が月刊誌のインタビュー連載で「時間の一方向性」についての懐疑を繰り返し述べていたのを思い出した。

私もまったく同じことを、初めてギリシャに行った今年の晩春以降から感じるようになっていたので、それを読んだときには少し驚いた。
 
 
インタビューで彼はギリシャのアテネにある円形劇場でピアノを弾いているうち「ゾーンに入り」込み、没頭したうえ30分近くひとりで疾風のごとく演奏してしまい、他楽器パートナーたちの視線でようやく我にかえり、ふと振り返ると神殿支柱のあいだから月が見えたエピソードに言及している。
 
 
時間の一方向性について懐疑することは、月の満ち欠けがリニアでなくランダムに発生し得ることをも可能性のひとつとして考えることかもしれない。

それを許容できる人がどれくらいいるのかは、きっとゼロ寄りの未知数である。
 
 
19:00すぎ。たまたまテーブル席が1人ぶん空いていたベトナム料理屋を見つけ、夕食にフォーを啜る。

南東の方角に歩いていたつもりが見事に北西に向かっていたことに気づいて引き返した頃には、陽がとっぷり落ちて肌寒くなっていた。
 
 
とつぜん巨大な円環オブジェが出現、そこで写真を撮っていた同僚たちとバッタリ落ち合った。どの顔もいい具合にほろ酔いだ。

操縦士らとクルーの全員で仲良くホテル手前の交差点で信号を待つ。もうすぐ22:00。
 
 
隣に立った旧いNew Balanceを履いた副機長が「きみと去年LAフライトしたのを覚えてるよ」というのでなんだろうと曖昧に笑っていたら、

「きみは『COVID-19は第三次世界大戦が姿を変えてあらわれた、本来なら戦争に使われるはずだった周期的自然発生エネルギーを消費している現象だ』と言っていたんだホテルのバーで。覚えてない?」と言う。胸に冷たいものが走った。

めちゃくちゃである。めちゃくちゃの極北だ。
 
 
「めちゃくちゃなことを言う子だなとびっくりしたので忘れられないよ、アッハハハ」と爆笑している。

「あははは、たぶん私もめちゃくちゃ酔っ払っていたんでしょうね、あははは」と返すのが精一杯だった。
 
 
COVID-19が世界を塗り変えてから29ヶ月経った2022年8月15日 月齢17.4

ふくふくしたオムレツのような佇まいだったはずだが、曇天のモントリオールの夜空でその姿を見ることは叶わなかった。
 
 
 
参考メディア:
1.ゲームさんぽ [腹筋崩壊]Cyberpunk2077で俳句を詠んでみた!
2.月刊『新潮』(坂本龍一インタビュー「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」連載中)

Bambi_d’Or

飛行機の乗務員 / 英語圏某港湾都市在住 / 湯船の中 / 映画館 / 素数

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