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創作・論考

「声という居場所」〜瀬尾夏美が観た『重力の光』〜

異なり同士がつくる豊かな汽水域に、自分自身の居場所を見出せる

9月からシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開している映画『重力の光:祈りの記録篇』。これまで愛、ジェンダー、個人史と社会を主なテーマにしながらさまざまなヴィデオ作品をつくってきた石原海監督が北九州に移り住み、困窮者支援をするキリスト教会に集う人々との出会いと交流から始まったこの映画は、人間の「生」の姿に迫り、「祈り」とは何かを問う、フィクションとドキュメンタリーを交えた実験的な作品です。

me and you little magazineでは、3名の方に『重力の光:祈りの記録篇』を観ていただいて自由に綴っていただいたコラムをお届けします。二人目は、東日本大震災以降、岩手県陸前高田市に移り住み、現在は宮城県と東京都を行き来しながら、土地の人々の言葉と風景の記録を考え、絵や文章をつくっている瀬尾夏美さん。被災間もない頃の避難所の記憶と重ね合わせながら、アーティストにとって、撮ってみたいと思うもの、形にして残しておきたい人や場に出会うことについても、思いをめぐらせます。

まず、はじめに言葉があった。
言葉の中に命があった。
命は人間を照らす光だった。
光は暗闇の中で輝いている。

年老いた女性が、聖書の言葉を読み上げる。微妙に震えるその声によって、書きつけられた言葉はわたしたちに開かれる。この言葉をどのように捉えられようか。
言葉。命。光。暗闇。ごく身近ではあるけれど、その意味を掴みきることのできない単語たちは、いまを生きるわたしにとって、わたしたちにとって、どのような存在と言えるのだろう。

「声という居場所」〜瀬尾夏美が観た『重力の光』〜

『重力の光 : 祈りの記録篇』©2022 Gravity and Radiance

『重力の光:祈りの記録篇』は、アーティストで映画監督の石原海さんが移り住んだ北九州・東八幡キリスト教会が舞台になった、すこし変わったドキュメンタリー映画だ。
本作は、この教会に集う個性豊かな――ひとりひとりものすごく魅力的な、「星の輝きを宿した無名の人びと」が、キリストの受難と復活を描く演劇に取り組む様子が軸に構成されている。

ある日の稽古風景が映る。年老いた人、若い人、怖そうな人、優しそうな人、気弱そうな人。不思議な人びとの集まりは、どこか親しげな空気を纏っている。
彼らは、コピー用紙や分厚い聖書に印刷された言葉を順に読み上げていく。
小柄な男性が何度もつまずきながら声にしたのは、キリストが弟子の足を洗うシーン。別の男性が、なんで足を洗うのかわからんよね、俺もそう思う、と言って応答する。聖書を読んだことがある人じゃなければここは難しい。だから、それを説明する何かが欲しい。男性はそう続ける。
すると牧師が、男性の提案を掬い上げるようにして、歴史的な背景を語り始める。
さあ、適切な言葉は見つられるだろうか。すでに書かれた言葉をより理解するために、いまわたしたちに必要な言葉を。

「声という居場所」〜瀬尾夏美が観た『重力の光』〜

『重力の光 : 祈りの記録篇』©2022 Gravity and Radiance

先ほど提案していた男性は、キリスト役を演じている。自らの身体であるパンをちぎり、みなに配る最後の晩餐のシーンは、どのように演じられようか。パンがのった皿を順番に回して、それぞれがちぎって食べるのか。それとも、キリスト自らパンをちぎって分け、ひとりひとりに配っていくのか。
前者の身振りを試してみるけれど、互いの手元がぶつかってもたついてしまう。それならこうしてみればいいのでは、という声が方々から飛んでくる。そうして再び、じゃあやってみよう、と皆で動いてみると、一連の動きは先ほどよりもスムーズに見える。
書かれた言葉を声に出しながら読み込み、自分たちの身体を使い、演じようと試みる。すると、書かれた言葉と言葉の間、つまり書かれなかった空白の部分が浮かび上がってくる。
その空白にそれぞれがそっと触れながら、言葉の解釈について話し合い、共有し、積み上げていく時間は尊い。この時間をもたらすために、この言葉は書かれたのでは、とさえ思えてくる。

一方で、カメラは演劇に参加するひとりひとりに対峙し、その身体に蓄積された記憶を掬い上げる時間をつくっていく。モノクロで描かれるインタビューシーンの連なり。
彼らはもちろん、全く異なった背景を抱えている。共通するのは、この教会に集う者であるということ。
年老いた女性はフィリピンのミンダナオで生まれ、戦火を生き延びた経験を語る。
生きづらさを抱えていた男性は、死にたいという思いを告白したときに、それってどういうこと? と耳を傾けてくれた人びとがいるこの場所に、深く関わるようになったという。
家族から虐待を受けてきた若い女性は、はじめは教会の人びとにも警戒心を持っていたけれど、どんな態度を取っても彼らが自分を見捨てないことに気がついた。それはなぜなのかと尋ねてみたときに、神様がみんなを見捨てない方だから、という答えをもらい、洗礼を受けることに決めたという。
元極道の人。家族に去られてしまった人。ホームレス状態にあった人。大病をした人……ひとりひとりがまったく個別の人生を歩んできて、それを大切な物語として抱えている。信仰を持った経緯も、この場所に集う理由もそれぞれで、だからきっと、聖書を読み上げるときに感じ取るものも、救い/救われるということへ抱くイメージも異なるだろうと想像する。
彼らが天使の羽をまとい、低い山の裾野でひとりずつ映るシーンがある。彼らは踊ったりタバコを吸ったりして、過ごしたいように過ごしているように見える。それは、聖書という物語の中に居るからこその、解放された姿なのかもしれない。空の青、山の緑、手前に白い衣装と羽、そしてずっと奥から差し込む光。ひたすらにうつくしい世界のなかで、人間存在が放つおかしみが愛おしい。
年齢も性別も見た目も多様な彼らの語りを順々に聞いていると、その異なり同士がつくる豊かな汽水域に、自分自身の居場所も見出せる気がしてくる。それは翻って、彼らが彼らなりの罪を背負っているように、わたしもまた罪を背負う存在であるのは同じ、という気付きでもある。だからこそ、ともに居たいと思うし、居られるのだと信じられる。

「声という居場所」〜瀬尾夏美が観た『重力の光』〜

『重力の光 : 祈りの記録篇』©2022 Gravity and Radiance

演劇をつくるという共同作業のなかで、その言葉の意味を話し合って、共有していく。一方で、自分にとっての切実な言葉とその意味を、それぞれの力で見出していく。
集団と個を往復することは、もともと信仰を巡る文化的な営みに含まれていると思うけれど、ともに作品制作がしたいと提案することで、それが 「祈りの記録」として形になったことは稀有であり、素晴らしいことだと思う。
東八幡キリスト教会という場と、ここに集う人びとをリスペクトする石原さんたち制作チームのまなざしが、彼らの中にある確かな光を捉えている。とくに終盤、実際に彼らが演じる演劇のシーンは光がとてもうつくしい。そのことがきっと彼ら自身を勇気付けているはずだし、彼らの光に照らされて、観客たちの内側にあるはずの光もまた瞬く。

聖書を読む。互いを理解しようと試みる。キリストの受難と復活を演じる。それも背景が異なる、困難を抱えた人びとが集って。
石原さんが仕掛けた場の設定は繊細で一見シリアスではあるけれど、稽古の合間の何気ない会話や参加者の数人がショッピングモールで遊ぶシーンなどから、撮影の現場にはたくさんのおもしろい(おかしくてつい笑ってしまうような、あるいはどうしようもなくてため息が出るような)ことがあったのだろうと想像できる。
そして同時に、この場所の日常にある楽しさ(もしかしたら石原さんには、それそのものはカメラには映せないという感覚があったのではないか)が伝わってくる。そもそも、困難を抱えた人びとやその支援者たちが集い、祈りを捧げている教会と聞けば、かなりシリアスな場だと思ってしまう。けれど、実際に物事が起こっている“現場”には、ただそれだけにとどまらない豊かさがあるものだと、被災間もない頃の避難所で冗談を言い合っていた人びとを思い出しながらわたしは考える。苦しみを経験した/している人びとが集う場には、互いを気遣う優しさがあるから。それはどこか「許し」に似ているのかもしれない。
ここには「許し」がある。相反する感情や、普段は出会うことのなさそうな人やものが同居できる稀有な場所であるからこそ、ふらりと訪れた石原さんも居ることができたし、惹かれたのではないか。だからきっと、作品をつくった。アーティストにとって、撮ってみたいと思うもの、形にして残しておきたい人や場に出会うことは、何にも代え難い幸せである。そして、新たに背負うべき罪の始まりでもある。

「声という居場所」〜瀬尾夏美が観た『重力の光』〜

『重力の光 : 祈りの記録篇』©2022 Gravity and Radiance

最後にもうひとつ、この映画で印象深い「歌」について。
集いの場のシーンの合唱には、各々の祈りを持ち寄りながらともにいることの安心感がある。また、震える声が響く独唱では、歌われているその言葉自体がありありと聞こえてきて、同時に歌い手の背景にある物語がやわらかく伝わってくる。
鑑賞者はきっと、映画を観たあとしばらくは、彼らの声を纏って生活することになる。それがひとつの居場所を得たようで、心地よい。

だからぜひ歌を聴きに、映画館へ足を運んでほしい。

瀬尾夏美

1988年、東京都足立区生まれ。土地の人びとの言葉と風景の記録を考えながら、絵や文章をつくっている。2011年、東日本大震災のボランティア活動を契機に、映像作家の小森はるかとの共同制作を開始。2012年から3年間、岩手県陸前高田市で暮らしながら、対話の場づくりや作品制作を行なう。2015年宮城県仙台市で、土地との協働を通した記録活動をするコレクティブNOOKを立ち上げる。現在は“語れなさ”をテーマに各地を旅し、物語を書いている。また、ダンサーや映像作家との共同制作や、記録や福祉に関わる公共施設やNPOなどとの協働による展覧会やワークショップの企画も行なっている。参加した主な展覧会に「ヨコハマトリエンナーレ2017」(横浜美術館、2017年)、「3.11とアーティスト|10年目の想像」(水戸芸術館、茨城、2021年)、「日常のあわい」(金沢21世紀美術館、石川、2021年)など。単著に「あわいゆくころ 陸前高田、震災後を生きる」(晶文社)があり、同書が第7回鉄犬ヘテロトピア文学賞を受賞。また、「二重のまち/交代地のうた」(書肆侃侃房)、共著に「10年目の手記」(生きのびるブックス)。「声の地層 〈語れなさ〉をめぐる物語」(生きのびるブックス)をウェブ連載中。

『重力の光 : 祈りの記録篇』
(2022年/日本/72分/カラー/16:9/ステレオ)

監督:石原海/撮影監督:八木咲/撮影補助:杉野晃一/美術:中村哲太郎、前田巴那子/音楽:荒井優作/録音・整音:川上拓也/照明:島村佳孝、伊地知輝/メイク:宇良あやの、竹中優蘭/衣装:塚野達大/翻訳:Daniel Gonzalez/題字:石原邦子/コーディネート:谷瀬未紀(pikaluck) /制作:柿本絹、木村瑞生/プロデューサー:AKIRA OKUDA/出演:菊川清志、森伸二、⻄原宣幸、村上かんな、下別府為治、奥田伴子、川内雅代、藤田信子、石橋福音、奥田知志/撮影協力:枝光本町商店街アイアンシアター、東八幡キリスト教会、NPO法人抱樸、株式会社FRAGEN、桑島寿彦、つかのみき

配給:「重力の光」制作運営委員会 ©2022 Gravity and Radiance

9月3日(土)〜【東京】シアター・イメージフォーラム
10月1日(土)~【大阪】 シネ・ヌーヴォ
10月22日(土)~【愛知】名古屋シネマテーク
10月28日(金)〜【福岡】 KBCシネマ
11月18日(金)~【京都】 京都みなみ会館
12月17日(土)〜12月31日(土)【神奈川】横浜シネマリン

公式サイト
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Web連載「声の地層 〈語れなさ〉をめぐる物語」(生きのびるブックス)

「声の地層 〈語れなさ〉をめぐる物語」瀬尾夏美│生きのびるブックス

『10年目の手記:震災体験を書く、よむ、編みなおす』

著者:瀬尾夏美、高森順子、佐藤李青、中村大地、13人の手記執筆者
発行:生きのびるブックス
価格:2,090円(税込)
発売日:2022年3月11日(金)

『10年目の手記:震災体験を書く、よむ、編みなおす』│生きのびるブックス
10年目の手記 – Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021

『あわいゆくころ――陸前高田、震災後を生きる』

著者:瀬尾夏美
発行:晶文社
価格:2,200円(税)
発売日:2019年2月1日(金)

あわいゆくころ――陸前高田、震災後を生きる│晶文社

『二重のまち/交代地のうた』

著者:瀬尾夏美
発行:書肆侃侃房
価格:1800円(税)
発売日:2021年2月

二重のまち/交代地のうた

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