小沼理が行き着いた「やりたいことを押し込めない」続け方、上坂あゆ美が大切にする感受性
2026/10/7
日常的に戦争のニュースが流れ、分断が進み、差別的な言動が飛び交ういま、「何をやっても変わらない」「自分には何もできない」と、無力感を抱えながら暮らしている人も多いのではないでしょうか。
そんななかで、悲しみや怒りを抱えながらも、諦めずに課題に向き合い続ける二人の書き手がいます。歌人で文筆家の上坂あゆ美さんと、文筆家・小沼理さん。今年6月に発売された上坂さんのエッセイ集『会社ではおならをしてはいけません』では、生きづらい世界のなかでも光る人々の営みが、今年4月に発売された小沼さんのエッセイ集『悲しい話は今はおしまい』では、傷や喜びとともに社会と向き合った実践の日々が綴られています。
全く異なる作家性のお二人ですが、どちらの作品にも、前向きさを失わずに生きていくためのヒントがあるようです。今回はお二人に、「絶望に打ちのめされずに日々をサバイブするためには?」をテーマに対談していただきました。
―お二人は今日、初対面だそうですね。
小沼:なかなかお会いする機会がなく、今日が初めましてです。Podcast番組「桃山商事」に上坂さんが出られている回を聞いたり、同番組MCの清田さんとは大学の非常勤講師仲間なこともあり、お名前はよく伺っていました。
上坂:清田さんとはご近所さんなこともあり、お世話になっています! 私は、人間関係で悩んでいたときに、小沼さんの『共感と距離感の練習』(著:小沼理、発行:柏書房、2024年)を人から薦められて。読んでみたら参考になる点が多くて助けられた1冊です。
小沼:「人からお薦めされて手に取った」という人が多い本なんですよ。上坂さんにそう言っていただけて、薦めてくださった方に感謝です。
―そんなお二人が、最近、特に気になっているニュースや社会の変化はありますか?
上坂:今だけというわけでもありませんが、すぐに思い浮かぶのは、10代の自殺のことですね。「9月1日問題」なんて言われて、夏休み明けは特に10代の自殺者数が増えるとされています。夏が来るたびに、考える課題です。
小沼:僕は外国から来ている人たちへの嫌悪感や締め付けが、市民の雰囲気としても、政策レベルでもかなり厳しくなっているのが気になっています。海外から来ている友達がすごく辛そうにしているのを見ているので、嫌だなと思います。
―お二人が今おっしゃった問題はもちろん大きなことですが、ご自身に直接降りかかっている問題ではないですよね。「自分には関係ない」と捉える人も多そうです。
小沼:確かに、僕は日本で生まれて日本の国籍を持っているので、直接的に影響を受けることはないかもしれない。でも、自分事じゃないとは思わないんです。例えば外国から来た友達が、どんどん日本にいづらくなって、自分の国に帰っちゃうことになったら、単純に寂しいじゃないですか。それに、「外国人だから」というように属性によって「線を引いて」あちら側とこちら側を分けていくやり方は、絶対に別の属性にも広がっていきます。僕はゲイですが、「外国人だから」と同じように「LGBTQ+だから」と嫌悪されたり制度から排除されたりすることは、同時進行で起きていることでもある。相似形として、自分事として捉えている部分がありますね。
上坂:いま、社会課題に「興味がある人」と「興味がない人」のクラスターがすごくはっきり分かれていて、その分断はより激しくなっていますよね。小沼さんも著書のなかで書かれていたように、「軍事投資に反対」とか「ガザに寄付しましょう」って投稿しても、興味がある人にしか届かない。もちろん、興味がある人に届けることもすごく大事だけど、それらを分断する壁の外にいる人にどうしたら届けられるのだろう、とずっと考えています。
―上坂さんがおっしゃるように、「壁の外」の人と話すことは大切でもあり、難しいことでもありそうです。
上坂:いまだに、友達から差別的な発言を聞いて、家に帰ってからずっと悩むみたいなことがめちゃくちゃあるんですよ。同質性の高いコミュニティにだけいるのではなく、いろいろな人と関わることは良いことだと思っているのですが、その分、傷つくことも増える。いつかその友達ともちゃんと信頼関係を作れたときに私の意見を言えたらいいな、という祈りがいっぱいある状態です……。
小沼:「え?」と思うことがあっても、その場ですぐ反応できないことってありますよね。僕もつい傾聴している風で流してしまった経験があります。そして、一回家に持ち帰ったとしても、次に会ったときにカジュアルに話せるかというと、やっぱり勇気がいる。
上坂:そうなんですよ。そんなふうに考えていたら2年経っていて、「もう2年前のこと言えないな」みたいになる。
―友達として関係を続けたいからこその難しさもある、と。
上坂:そうですね。それに、私も自分の意見に自信があるわけではないんです。相手にも相手の考えがあるし、そこに至るまでの歴史もある。30歳を超えてくると、それぞれの人生が違いすぎるので、一方的に断罪する権利はないなって思うんです。だから私ができるのは、「私は傷ついた」という友人関係における事実を伝えることだけなんだろうな、とは思うのですが。
小沼:でも逆に、すれ違った意見を解きほぐせるのも友達なのでは。関係を続けたいからこそ辛抱強く向き合ったり、一度の話し合いでは分かり合えなくても一緒にいることができると思いますし。
上坂:それ、私は「社会のプリキュア活動」って呼んでます(笑)。アニメのプリキュアって、「プリティー(かわいい)+キュア(癒す)」の組み合わせでできた言葉なんですよね。彼女たちはかわいらしくありながら、ただ相手を倒すのではなく、結果的に癒しになるような闘い方をします。言葉で向かい合ったとしても、やっていることは似ているのかなと。その対話から排外的な考えをほぐしていくことができたら、お互いに幸福度が上がりますよね。
―お二人とも、書き物で人に伝える活動をされています。直接話すことと書き物で伝えること、どんな違いがあると思いますか?
小沼:直接話すと、相手の空気感や微妙なよどみとか、言葉以外にも伝わる要素がすごくたくさんあると思います。それに、対面だと相手と前提を共有できているか確認しながら話せる。あんまり伝わってなさそうだったら具体例を足したり、言い換えたり。ある意味、その場を一緒に作っている感覚に近いですね。
上坂:逆に、本は嫌だったら途中で閉じられるところが素晴らしいなと思っています。対面で話していると、私のことが嫌いでも相手は帰れないじゃないですか。申し訳ないなって……。
でも、話すことにも書くことにもそれぞれ面白さがあって。例えば短歌は下手すると1000年くらい残るので、厳選して残したいものを31文字というお皿に乗せている感覚。でも、31文字には到底おさまらないものもあります。なので、こぼれ落ちた部分はエッセイやお喋りで消化しているかも。小沼さんは日記も書かれていますよね。
小沼:ブログで公開する日記をつけていた時期もありましたが、最近は誰にも見せるでもない日記を熱心に書いていて。1日3000字くらい。だいたい翌日に書くのですが、昨日あったことと何を感じたかを、時間をかけすぎずに、でも、できるだけ正確に書こうとしています。
上坂:絵でいうクロッキーみたいな感じですね。でも、なんで日記を書きたいと思ったんですか?
小沼:僕は人と会って話していると、つい相手に同調しちゃうんですよ。日記を書きはじめた10代の頃はその傾向が今以上に強くて。そういうときに「自分って本当はどういうことを考えていたんだっけ?」と気になって、自分の考えを棚卸しするために日記を書き始めました。今も基本的には同じ気持ちで書いています。
上坂:そう聞くと、日記って良いかもって思えますね。私もやってみようかな。
―お二人の本を読んでいると、「これを書くのは負荷が高そうだな」と感じることもあります。上坂さんの作品であれば、家を出て行かれたお父さんのことやお金がなかった頃のこと、小沼さんの作品であれば、差別や抑圧に対抗することへの無力感を感じる自分がいることなど。考えるだけでも気持ちが沈みそうな内容でも、あえて書かれている理由はありますか?
上坂:私の場合は、フェティシズムもあるかもしれません。以前、『地球と書いて<ほし>って読むな』(著:上坂あゆ美、発行:文藝春秋/2024年)というエッセイ集に、高校時代に母と夜逃げしてデリヘルの事務所だった場所に住んでいたときのことを書きました。学校に行けるかもわからないような、客観的にはやばい状況ですが、私はその暮らしがとても幸せだったと記憶していて。生まれて初めて母親と長く一緒にいられたから。そのことを書いたときに、私って、「しんどいなかで、主人公だけが希望に気づく」というストーリーがすごく好きだと気づきました。明るいだけの話でも暗いだけの話でもなくて、両方あると一番美しいなと感じます。
あと私は、現在進行形でしんどい「生傷」は書けないのでまだ書いていない。自分のなかで、ある程度もう乗り越えて「かさぶた」になったものだけを書いています。「生傷」を無理に書こうとすると、「これはこういう気持ちでした」って無理に結論づけようとする自分が出てきそうで。書くことで、自分のなかの呪いが強化されそうとも思うんですよね。今のところは、冷静に自分の気持ちがわかるまでは書かないほうがいい気がしています。
小沼:僕は『悲しい話は今はおしまい』には、結構「生傷」も入れたかもしれないです。特に前半に書いた、パレスチナ・ガザでの虐殺がいつまでも終わらなくて、声を上げ続けることに疲弊してしまっていた時期の話とか。ただ、そのときは周りにも同じように疲弊している人がいたので、その人たちのことを思いながら書いていた部分があって。この本を出すことに意味があると思っていたから、書けたのかな。
小沼:そもそも僕はそこまで生傷を書くのが苦手じゃないかもしれない。僕の場合は、文章を書くときに何度も見直したり推敲したりするんですけど、それを繰り返すうちに、徐々に「これはどういうことだったのか」が分かっていく。書くことで傷を処理している部分があるんだと思います。
上坂:小沼さんの文章からすごく感じていました。書くことが治癒なんだろうなって。
―「書くことは治癒になる」というお話がありましたが、ときには書く段階まで辿り着かずに、疲れてしまうこともありませんか?
上坂:怒りの感情が湧いたときって、まだどうにか頑張って相手に伝えようとか、解決しようと思うけれど、悲しみの感情だと別ですよね。例えば、誰かが亡くなってしまったとか、もうどうしようもない出来事に対しては、悲しみが湧く。時間をかけて忘れていくのを待つしかできないから、過程は疲れますよね。社会課題について考えていると、「むかつく!なんとかしなきゃ」という気持ちと「もうどうにもならないじゃん」という両方の気持ちが入り混じってくるのがしんどいと思います。
小沼:僕は悲しみの感情に引っ張られがちで、これまで悪いニュースを見たり聞いたりすると無力感を覚えることがよくありました。無力感が強かったときは、自分が楽しいことをするときに罪悪感も感じていました。すごく困っている人がいるなかで、自分は何もできてないのに楽しいことをしていていいのかな、と。
上坂:私も、最近寄付できてないとか、体力がなくてデモに行けないとか、そういう自分に罪悪感を感じることはよくあります。しかも、忙しいときほどひどいニュースが飛び込んできたりするんですよね。「なんで今!」と怒りながら悲しんでいるときがよくあります。
もっと個人的な話ではありますが、私は短歌を始めて割とすぐ歌集を出したときにも罪悪感を感じました。短歌って、どれだけ素晴らしい本でも初版は500〜1000部くらいが普通で、大体絶版になっていく世界なんです。そんななかで、急に注目していただけるようになって、特権を持っている側になってしまって。自分は権威に噛みついていく側だと思っていたのに、急に特権を得てしまい、どうしたらいいんだろうと……。
小沼:上坂さんの言うような「特権」への罪悪感を抱えている人って、今の時代には少なくない気がするんですよね。でも、僕は『悲しい話は今はおしまい』を書いた後くらいから、ちょっと変わってきて。楽しむときは楽しみながら、同時に社会課題に対してもアクティブに動けばいいんだと思い始めました。だから今は絶望していないと思う。
―『悲しい話は今はおしまい』のなかでも、「特権性への後ろめたさは責任感へと変わり始めた」といったことを書かれていましたね。
小沼:今までは特権性とされるものを自分が持っていることを「原罪」のように感じてしまっていたかもしれません。でも、それ自体は罪ではないはずで。自分を責めているだけでは絶対続かないなと思うようになったんですよね。そう気づいてからは、矛盾していたり不足していたりすることがあっても縮こまるんじゃなくて、「自分にできることをやっていく」方向に考え方を変えていきたいなって思えるようになりました。
上坂:持続可能性が大事だというのはすごく共感するところです。私たちの人生は本当は、強くも弱くもない風がずっと続いていくみたいなもので、悲しんでばかりいるのって、サステナブルじゃない。何十年も生きなきゃいけないんだから、明るいものを信じたほうが良いときもありますよね。
一方で、余裕のあるタイミングに限りますが、一回落ち込み切るのが有効なときもあると思います。何がいいかって、落ち込み果てると、だんだん飽きてくるんですよ。ネガティブに行き切るとポジティブになる場合が自分はあるなと思います。
―今日のお二人のお話を聞いていると、自分が今どう感じているのかをよく見つめることが、絶望せずに生きていくためのスタート地点のように感じました。
上坂:私、10代の頃に学校と家庭が辛すぎて、感受性のスイッチを切ったことがあるんです。そしたら悲しいも辛いもなくなったけど、うれしいも楽しいも、痛いも、全部なくなった。するとだんだん「別にいつ死んでも一緒だな」と思うようになってしまうんです。だから、行き過ぎた諦観とか無感情は、現代社会で一番危ないんじゃないかと思っていて。怒りでも悲しみでもいいから、感情は自分で持っておくことが大事だなと思います。
小沼:僕は最近、近しいことを「欲望」という言葉で考えていました。これまで自分は「自分がこうしたい」と思うことを、どこかずっと抑圧してきたんですよ。自分の欲望のためだけに何かをするのは許されない、そういうことをしていい人間ではないと思っていた。でも、最近それを解放する回路ができてきて。今は、デモに行って「戦争をやめろ」って大きな声を出すことと、普通に友達と遊ぶことと、体を動かしたいと思うことが、全部並列に「自分がやりたいこと」として存在している感じがする。それは、上坂さんがおっしゃっている感受性の話と、きっと通じ合う部分があるんだろうなと思います。
『会社ではおならをしてはいけません』にも、「こういうもんだ」と思っていたことが翻る瞬間がたくさん描かれているじゃないですか。絶望しているときって「こういうもんだ」と諦めてしまっている状態だと思いますが、感情があれば共感したり、疑問を持ったり、話し合いに繋がったりする。だから感受性や欲望を持つことが、絶望せずに生き延びるためにはすごく大事なんだと思います。
上坂:本当にそうですね。「悲しい」とか「寂しい」とか言ったら、迷惑がかかると思ってしまう人もいるかもしれないけれど、まずはそれを解放することで、絶望から抜け出せることは割とあるはず。
小沼理
1992年生まれ、文筆家。著書に『1日が長いと感じられる日が、時々でもあるといい』(タバブックス)、『共感と距離感の練習』、『悲しい話は今はおしまい』(柏書房)。
上坂あゆ美
歌人・文筆家
2022年、短歌集『老人ホームで死ぬほどモテたい』(書肆侃侃房)でデビュー。その他の著書にエッセイ集『地球と書いて〈ほし〉って読むな』(文藝春秋)、『会社ではおならをしてはいけません』(双葉社)など。Podcast番組『私より先に丁寧に暮らすな』パーソナリティ。
プロフィール
「生きのびプレイリスト」
上坂あゆ美と、僧侶・鵜飼ヨシキのポッドキャスト「私より先に丁寧に暮らすな」による、憂鬱や生きづらさを感じる10代に向けて、音楽やポッドキャストを集めたプレイリスト。
作家やアーティストら、27名からのメッセージとともに特設サイトで公開中。
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