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同じ日の日記

あなたの星、わたしの星/阿部朋未

非正規雇用で働くことを選び、会社都合で無職に。母の脚の怪我とさびしさ

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2025年4月は、4月16日(水)の日記を集めました。公募で送ってくださった阿部朋未さんの日記です。

ぴったり真昼に目が覚める。もともと不眠がちで朝4時頃まで眠れなかったとはいえ、こんな時間まで寝ている自分がいかがなものかとは思うけれど、もはや平日も土日も関係ないこの生活にすっかり慣れきってしまった。先月までのきっちりした生活リズムがまるで嘘のよう。果たして近いうちにちゃんと社会復帰できるだろうか。目覚めとともに一抹の不安を抱えながらも重たい体をベッドから起こす。

長らく勤めていた事務職の仕事を退職し、無職になってちょうど半月が経った。
職場環境は上下問わず人間関係も良好だったし仕事自体も順調そのものだったので、こちらとしてはもうちょっと長く勤めたいし働けるなとも思っていた。だから働き盛りの30代、まさか職場都合で退職せざるを得なくなるだなんて夢にも思わなかった。しかもそのタイミングで同居している母親が脚を怪我し、通常の日常生活を送ることが難しくなってしまった。幸いなことに世間一般で言うところの重篤な「要介護状態」ではないため、通院しながら少しずつ回復しているところである。
学生時代に一人暮らしを経験したことはあるにせよ、「自立」の二文字が程遠い。情けないことに30代を迎えてもなお、実家暮らしである事実に甘えて休みの日以外は主な家事のほとんどを両親に任せっきりでお願いしていた。その分フルスロットルで仕事に打ち込んでいたところ、ここへきて普段の家事を私が担うことになったのだった。おかげでほぼゼロに等しかった私の家事スキルはこの1ヶ月で軒並みレベルアップ────というかごく平均的なところまでようやく到達することができた気がする。無職になってしまったのは晴天の霹靂だったけれど、現在そして今後やってくるであろう親のケアのことを考えると神様が見計らったように“なるべくしてなった”タイミングというか、仕方のないことであったのかもしれない。

朝食、のつもりがすっかり昼食になってしまった食器を洗いながらふと考える。点けっぱなしにしているテレビでは、朝から中継をやっていたドジャースの試合が佳境を迎えている。この時間だと、前いた職場は昼休みが終わって午後の業務が忙しくなり始める頃だろうか。とはいえそんなことをいくらどう考えたって、今の私にはすっかり関係のないことなのだけど。先月末までほぼフルタイムでバリバリ仕事していた自分が信じられなくて、どこか夢だったんじゃないかと振り返っては思う。仲が良かった職場の同僚や先輩との毎日の掛け合いも、取引先の業者さんとの何気ない雑談も、出勤前に朝日が差す中、誰もいない電車内で本を読んでいた時間も、みな全部。そもそも東日本大震災が原因で抱えることになったメンタルの持病、そこから来る健康的な不安により非正規で働くことを選んだのは紛れもなく自分だ。「なんで正規で働かないの?」と言われるくらいには元気に無事寛解した今だからこそ、この選択に後悔はあまりしていないけれど、どんなに真面目に頑張って働いても終わりはあっけなく来るのだなと思い知った。なにより、良くも悪くも自分の代わりの人なんていくらでもいて、なんだかもうちょっとくらい肩の力を抜いて働けば良かったんじゃないかとほんの少しだけ後悔した。あれから旧式の健康保険証を返すために、新体制となった職場に一度だけ行った。あちらこちらのデスク脇にはダンボールが山積みのままで、元々の人員が減ったのかフロアには人がまばらになっていた。そういえば来週病院へ行く日なのにまだ新しい保険証貰ってないや。明日辺り元職場の人事課に電話しないと。仕事らしい仕事をしていないのに、毎日があっという間に過ぎていく。でも、家事だって立派な仕事だよな、と実際にやってみて改めて思ったのと同時に、普段から頼りきっている家族のありがたみをしみじみと感じた。

昼過ぎ、溜まっていた洗濯物を次々に洗い、その合間に掃除をてきぱきとこなす。
幸か不幸か、思いがけず無職になり自分の時間が持てるようになったので、長年の念願だった本格的な英語の勉強にも力を入れ始めた。オンラインで英会話のレッスンを受け、その前後にはテキストをひたすら読み込むために机に向かう。時折夕ご飯の買い出しに近所のスーパーへ出かけるくらいで、あとはほとんど家に引きこもる生活。気づけばこの半月、思い切って遠出をすることもなく、家族以外の人と話す機会がほとんどなくなっていた。半ば自分が選んだ生活とはいえ、誰かと話す機会がないのは地味にしんどい。自分の世界が半径3キロ以内で完結し、その内側へとどんどん塞ぎ込んでいくような感覚がする。けれども、世の中には私のように家族を介護することが必要だったり自身の病気や怪我により外出や生活がままならない人が沢山いるはずで、現実社会においては目に見えにくい、気づかれにくい存在に違いない。しかもそれは、今この瞬間だけでなくて今後の人生においてもさらに起こりうることでもある。自分自身が当事者になることでようやく身をもって気づくことばかりで、己の不勉強や上辺だけでしかなかった理解や寛容さにただただ項垂れるほかなかった。この世界で生きるには、というよりは誰かを思いやりながら共に生きていくにはもっと視野を広げて、想像力を働かせないといけない。最も大切であり、視野が狭く独りよがりになりがちな私には足りない部分。たとえ牛歩だとしても、一歩ずつ学んでいきたい。

ここ最近は歌人の岡本真帆さんがTwitter(X)で紹介していた、お台場の景色が映し出されるライブカメラのYouTubeチャンネルを流しながら勉強をしたり物を書いている。近所のスーパーへの買い出しから帰ってきて、いつものようにパソコンを点けるとちょうど日没の時間、おそらく汐留であろうビル群に夕日が沈んでいくところであった。夕日が沈む直前、より一層燃えるように空を染めるオレンジ色から段々と夜に移りゆく群青色のコントラストがとても美しくて、思わず胸に迫る。画面の向こう側、東京の街で暮らすあの人も、この美しい夕焼け空を少しでも目にしていたらいいなぁと思った。

完全に日が沈み、ぽつりぽつりと明かりが灯る。街が少しずつ瞬き始めて、そしてまた夜が始まった。私は再び机に向かいながら、英語の勉強を少々ほったらかしてこの文章を書いている。
側には家族がいるから正確には完全に、というわけではないけれど、私はひとりぼっちでいつだってさびしい。無職になってからは、自分のいる世界と外の世界により大きな隔たりが生まれた感覚さえする。夜中に車を走らせてみんなでファミレスどころか、他愛のない電話やLINEができるような友達や恋人もいない。SNSで仲の良い人は何人もいるものの、そういう時ほど無下に誰かと関わりたくないし感情に任せてネット上に全てを書き流したくない。あぁ、なんてめんどくさい人間なんだろうと自分でも思う。でも生まれてこのかたこういう生き方しか知らないのでどうしたらいいのかもわからない。それでも、こんな自分となんとか上手く仲良くやっていこうと思うし、少しずつ変わってみようとも思う。なにせ、人生はまだ続くらしいのだから。

阿部朋未

1994年宮城県石巻市生まれ。写真家。
音楽系専門学校在学中にカメラを持ち始め、「Ammy」名義として参加した『Reborn-Art Festival2019』から表現活動を本格的にスタート。2023年3月には初個展『ゆるやかな走馬灯』を東京・末広町のPARK GALLERYにて開催。写真家としての活動の傍ら、地元紙でのコラム連載など精力的に執筆活動も行う。現在、PARK GALLERY公式 noteにてエッセイ『もしもし、一番星』を連載中。

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