必ずしもその場で伝えられるわけでない感情的な負担、断定できない人間の複雑さを描く
2026/1/14
「娘と父」ではなく、「娘と父と、父の親友」。インディア・ドナルドソン監督の映画『グッドワン』は、17歳のサムが二人の大人と共に三人で森へとキャンプに向かう物語です。「グッドワン=いい子」だった彼女自身や三人の関係が旅のあいだに決定的な変化を迎え、その様子が彼女の観察する視点を通じて描かれます。監督初の長編映画であるこの作品は、ケリー・ライカートやグレタ・ガーウィグに続く存在として、カンヌやサンダンスなどの映画祭でも注目を集めています。
映画に登場する中年男性たちは、無自覚なマイクロアグレッションを含む「悪いふるまい」をはっきりと見せながらも、わかりやすく「悪い人間」として描くのではなく、奥行きを持った一人の人間として描かれます。セリア・ホランダーの音楽が森を共に旅する感覚を際立たせながら、大人/子供、良い人/悪い人、二項対立的に断定することができない人間の複雑さや境界の曖昧さ、そして、大人たちに気づかれないまま静かに変わりつつあるサムの心情を鮮やかに捉えます。
「自分自身も、大人の男性たちの中で観察する子供だった」と語るインディア・ドナルドソン監督にお話を伺いました。三人という関係性や、それぞれの登場人物の奥行きを丁寧に描いた理由。そして、生理やスマートフォンの表現に込めた思い、自然が人間に与えてくれる大切な感覚について。
─娘、父、父の友人という三人の関係性を描こうと思った背景について伺えたらと思います。どのような思いでこの作品をつくられたのでしょうか。
インディア:私はいつも、「三角の関係性」が気になるんです。その三角形がお互いの関係にどのように異なる影響を与えるのか。そうした関係性が、映画や小説のような物語においてどのように機能するのかということにも関心があって。父と娘の物語を描くときに、第三者の存在を含めて語ることで少し違ったタイプの物語がつくれるのではないかと考えました。
それに、幼い頃に両親が別居していたので、父とその友人たちと一緒に過ごすことが多かったんですね。この映画とまったく一緒というわけではないけれど、大人の男性の集団の中で彼らを観察する若い女の子としてそこにいた感覚を覚えています。これは、結婚していない、あるいは別々に暮らす両親のもとで育った子供ならではの経験だと感じていて。もし両親が一緒に暮らしていたら、きっとそこには常に誰か女性がいたはずですよね。「男性ばかりがいる空間に、たった一人の女性として存在する」という少女時代の経験に対しては、特有の感覚がある気がします。
─インディアさんご自身が経験された「観察」がこの映画に生きていると感じます。父のクリスや友人のマットの発言や行動には無自覚な女性蔑視や加害性が含まれていますが、彼らに明らかな悪意があるわけではなく、ときに涙を流すような人としての脆さも持ち合わせている。悪意がなければ何をしてもいいという話では決してないですが、人を善悪で二分するのは難しいことについて考えました。
インディア:私はこの物語を三人の物語として描きたいと思っていました。なので、登場人物全員に対して共感できる視点を入れられたら、と考えたんです。彼らのふるまいには問題があって、映画の終盤で彼らは信頼を失ってしまう。それでも、観客が彼らの存在をときには楽しむことができたり、サムが彼らと旅に出たいと思った理由を理解できたりするようにしたかった。
彼らは恐ろしく酷い人間というわけではなく、ただの人間です。マットはよく喋るキャラクターですが、それは私自身が彼の内面にいる感覚を楽しんでいたからです。彼には悲しみや重さもあり、喜びや好奇心もある。それらが彼の中で常に絡まっている。息子を愛していて、食べることも大好きです。だから私は彼のことを、判断を誤る瞬間もある、一人の人間として描こうと思いました。
─人間がいかに複雑で、一つの側面だけでは語りきれない存在であるかという複雑さを丁寧に描いていて、そこに私たちの日常でもよく経験するようなリアリティを感じます。
インディア:それがまさに、描きたかったゴールでした。マットを演じたダニー・マッカーシーは、そうした脆さをとても的確に表現してくれたと思います。
─サムは旅のあいだ、二人の愚痴や昔話を嫌な顔をせずに聞くという感情労働や、食事の準備などの役割をごく自然にこなしていましたよね。特にマットの無神経でマイクロアグレッションを含んだ発言に対しても、その場ではあえて反論せず、受け流すような一面がありました。それは場の空気を守るための選択であって決して受け入れたわけではなく、終盤に進むにつれてはっきりとした抵抗を形にしていきます。そんなサムの姿に込めた思いについて伺いたいです。
インディア:感情的な負担というのは、ほんの小さな積み重ねによって生まれていくものだと思うんです。若い頃からそうした小さな出来事が肩にのしかかっていく。でも一つひとつは小さくて、自分ではなかなか気づけない。私自身の経験としては、20代になる頃にはあまりにも積み重なりすぎて、はっきりとした重さとして感じられるようになっていました。その感覚を、映画の中で描きたかったんです。だから「石」のメタファーを使いました。重さを物理的なかたちで表したかった。
─私も若い頃、その場では流さざるを得ず、後になって「本当は嫌だった」と気づくことも多かったので、すごく共感しました。そうした語られない負担を象徴するように、サムが森の中で生理を一人で黙って処理するシーンも度々出てきますね。
インディア:彼女が生理をやり過ごす描写も、その重さと繋がっています。私はいつも、映画の中の人物たちが生きるために身体的な営みをしている姿に惹かれてしまいます。たとえば、食事をしたり、家事をしたり、そうした日常の細部が映画になっていく瞬間です。キャンプ中は、いつも以上に生理中であることが煩わしくなりますよね。生理は衛生管理も含めて、とても個人的なものです。彼女が黙って生理を対処していることに、マットたちはまったく気づいていない。それは、彼女の内面では負担が積み重なっているけれど、彼らには気づかれていないということを象徴しているように感じました。
映画の中には、スプリット・ディオプターという撮影レンズを使ったショットがあります。画面の奥にはリラックスしているマットたち、手前には森の中で隠れて生理の対処をしているサムがいて、どちらにもピントが合っている。彼らは同じ場にいながら、何も気づいていないということを表現しようと思いました。
─旅の途中、キャンプに来ている別の男性グループとも出会います。その三人は若く、雰囲気もマットたちとはだいぶ異なりますよね。
インディア:彼らが登場した理由はいくつかあるのですが、観客にある種の期待や身構えをしてもらって、それを崩したかったというのがあります。彼らが最初に現れたとき、観客は「また男たちだ!」と身構えてしまいますよね。
─私も実は、身構えました。
インディア:そうですよね。「若い女の子が男ばかりの森に置かれたら、何か起きてしまうのではないか」という想像をどうしてもしてしまう。でも実際には、彼らはただとても感じがよくて、優しい若者たちなんですよね。彼女と目を合わせるし、彼女が感じ取っていることにも、ちゃんと気づいている。一瞬脅威のように感じられたとしても、実際には彼女にとって安心を与える存在でした。彼らはひとつの異なる男性性のあり方を提示する存在でもあります。
彼らという異なる存在がいることで、マットとクリスはどこか競争的になり、張り合うようになります。お互いにさりげなく貶めようとするようなふるまいが表に出てくる。外部の存在を物語に入れることで、見えにくかったものを浮かび上がらせようと思いました。中年男性二人の関係性を揺さぶって、そのまま立ち去る存在として描きたかったんです。
─はっきりと本人の口から語られているわけではありませんが、サムはジェシーという女の友達に恋心を抱くなど、レズビアンであることを示唆する場面があります。そうしたサムのパーソナリティに関してはどんなことを考えながら描きましたか?
インディア:彼女のクィアネスは途中で付け足したものではなく、最初から彼女自身の一部として存在していました。先程話してくれたような、男性たちに気を配り、居心地よくさせるための感情労働を引き受けながらも、彼女には友人がいて、恋心があって、自分のセクシュアリティを自然に受け止めています。そうした彼女の人生の奥行きを、観客が窓から覗き見るような形で見せたいと思いました。
彼女は、自分自身のあり方に迷いがあるわけではありません。でも、親やほかの大人など、権威という言葉が適切かはわからないけれど、自分より力を持つ立場にある人との関係性については、疑問を持ち始めている。だからこそ、彼女が普段から大切にしている人たちとの関係性を具体的に描くことが重要でした。
─旅の序盤、サムがスマートフォンでジェシーたちとやり取りをしている姿が印象的です。電波が届かなくなる旅路で、スマートフォンはどんな役割を果たしていますか?
インディア:旅に出ると、電波を失い、彼女は友人たちと話すことができなくなります。だから、この旅の外側にある本来の彼女の人生を繋ぎ止める、小さな錨のようなものが必要だったんです。彼女が何を大切にし、どんな人物なのか。その断片を観客が感じ取ることができれば、彼女により深く共感できるのではないかと考えました。
─電波の届かない自然は「現実世界から遮断される場所」としてポジティブに描かれがちですが、自然とテクノロジーを安易に善悪として対比していないと思いました。
インディア:スマホに没頭して周囲が見えなくなるとか、テクノロジーが人との繋がりを壊すとか、そういった話は簡単にできると思います。でも、たとえば私の妹を見ていると、対面でもスマホでも絶えずやり取りを重ね、友人との深い絆を育てている。サムにとってスマートフォンは、家にいるときの生活を覗くための「窓」であり、友人関係や社会的な繋がりを維持するための「錨」でもあります。
山の中で急に電波が入って通知音が鳴る瞬間って、ちょっと驚かされますよね。私も前にハイキングしていたとき、山の頂上に着いた瞬間に電波が入った経験をして。あれは、一気に現実に引き戻される瞬間でした。自然の中でスマホの存在を忘れて楽しんでいたところに、突然割り込みが入る。その感じがおもしろいなと思って。「現実から完全に逃れることはできない」というユーモアとして、スマートフォンを使いました。
─音楽も素晴らしかったです。ラストで流れるコニー・コンバースの「Talkin’ Like You (Two Tall Mountains)」も心に残り、この映画にまさにぴったりの選曲だと感じました。また、劇中歌をつくられたセリア・ホランダーは私もすごく大好きなアーティストなのですが、旅が進んでいくときの感覚がより立体的に立ち上がり、映画に引き込まれました。彼女も撮影場所の森の近くで暮らしていたそうですね。
インディア:そうなんです。当時、彼女はたしか撮影場所に近いニューヨーク州北部に住んでいたと思います。彼女自身がハイカーで、アウトドアが大好きなんです。
─映画における音楽の役割については、どのように考えましたか?
インディア:劇中で流れるすべての音楽において、「どうしたら音楽が、サムの視点に入るためのもうひとつの『窓』になるか」をずっと考えていました。外側から「彼女はこう感じているはず」と決めるのではなく、あくまで音楽が彼女自身の感覚とぴったりと重なっていることを大切にしたかったんです。音楽が旅そのものをどう伝え、旅が進むにつれてどう変化していくのかについては、かなり検討を重ねました。たとえば、水が印象的に使われる長いシークエンスでは、水の流れが持つ感覚について話し合いながら音をつくっていきました。
セリアとはこれまでも何回も仕事をしてきたので、私たちのコラボレーションは言葉にするのが難しいほど直感的です。最終的には、音楽を通じてサムが感じていることをそのまま一緒に感じることができたかなと思います。
─インディアさんご自身もハイキングに行かれるということですが、あなたにとって自然はどのような場所ですか?
インディア:私にとって、自然の中で静養するのはとても大切な時間です。本格的なキャンプだけでなく、海に行くといったもっとささやかなことも含めて大事にしています。都会の生活から遠ざかり、自然に語らせてみると、その声はとても大きく響き始めます。そうすると、自分の内面から声が聴こえるだけでなく、世界そのものに耳を澄ますことができるようになるんです。そうやって自分がとても小さな存在だと感じられることが、私にとっては大きな安らぎです。
自然の中に身を置くと、意識が一点に研ぎ澄まされていく感覚があります。なかなか日常生活では難しいけれど、人間にとって欠かすことができない大切な感覚だと思うんです。私には4歳の息子がいるのですが、外に出ると何時間でも一人で遊び続けるんですよね。その姿を見ていると、人間が喜びや充足を感じるために本当に必要なものは、実は驚くほど少ないことに気付かされます。
もちろん、日々の暮らしでずっとそうした環境で生き続けることは簡単ではありません。だからこそ、自然の中で数週間過ごしながらこの映画を撮れたことは、私にとってとてもかけがえのない経験でした。この映画をつくること自体に、大きな喜びがあったと思います。
インディア・ドナルドソン
アメリカを拠点に活動する映画監督。父はニュージーランドの映画監督ロジャー・ドナルドソン。映画監督になる前はテキスタイル業界で働いていた。監督デビューは2018年制作の短編映画『Medusa』で、その後2019年と2021年に短編『Hannahs』と『If Found』を発表。長編デビュー作『グッドワン』は、2023年にポーランド・ヴロツワフのアメリカ映画祭で制作途中作品として発表され、ポストプロダクション支援として5万ドルの賞金を受賞した。完成版は2024年の第40回サンダンス映画祭と第77回カンヌ国際映画祭の監督週間で上映され、カメラドール(新人監督賞)ノミネートを果たした。同作はその後、同年の第13回シャンゼリゼ映画祭でアメリカ独立長編映画部門のグランプリを受賞、第96回ナショナル・ボード・オブ・レビューで新人監督賞を受賞している。
プロフィール
『グッドワン』
2026年1月16日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町他全国ロードショー
監督・脚本:インディア・ドナルドソン
出演:リリー・コリアス ジェームズ・レグロス ダニー・マッカーシー
2024年/アメリカ/英語/89分/2.00:1/5.1ch/カラー/原題:Good One/日本語字幕:堀上香
提供:スターキャット/配給:スターキャットアルバトロス・フィルム
©2024 Hey Bear LLC.
作品情報
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