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同じ日の日記

親密さはときどき凶暴な春のようだけれど/柴沼千晴

空白を一気に塗りつぶして話ができるような、名前はないけれど大切な関係

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2024年3月は、3月24日(日)の日記を集めました。公募で送ってくださった、『犬まみれは春の季語』『親密圏のまばたき』など、自主制作の日記本をつくり続けている柴沼千晴さんの日記です。

雨が降っているのに遮光のカーテンを開ける前から部屋がほんのりあかるいのは、夜にちゃんとカーテンを閉めていないからで、どうせこうなるのなら今年の春夏はリネンのカーテンにでもしてみようか、と思う。めずらしく土日の両方に予定を入れてしまって、昨日もまあまあの時間に帰ってきたので、からだがやや重い。ベッドのシーツをはがして洗濯済みのものに付け替えて、さっきまで使っていたほうをタオルケットと一緒に洗濯機に入れる。洗濯と乾燥のボタンを押して部屋に戻って、ドアをバタンと閉めたとき、床に積み上げた本のタワーが倒れた。文字通り、足の踏み場もない。

待ち合わせまで意外と時間がなかった。急行のメトロから地上に上がった瞬間に明るくなって、傘をささない人の群れが見えて、雨が止んだことがわかる。ふとカネコアヤノのことが頭に浮かんで、アーティストシャッフルを押すと、“はっぴいえんどを聴かせておくれよ(仮)”が流れた。日常の中にはこういう、何かを思い出すきっかけになるような、ちょうどいいタイミングでそういうことが起きるものだな、と思う。このあと待ち合わせしている彼にこの曲を勧めたのは、何年も前の秋口のことだ。

下北沢に着くと、電話がくる。後ろ姿が見える。並んでふらふらと歩く。BONUS TRACKの入口にある洞々の窓からカラフルなドーナツが並んでいるのが見えて、食べようよ、と誘う。彼はココナツアールグレイ、わたしはカラースプレーのついたチョコレートのやつにした。コーヒーを飲むためにマスクを取った彼を見て、歳を取ったな、と思う。出会ってから10年以上経っているのだから当たり前で、でもその口元をみて、歳を取ったな、とぼんやり思う。彼は花粉症がつらいと言っていた。ティッシュを探すサコッシュの中から、去年行ったらしい海外への航空券が出てくる。

彼は高校時代の友人で、友人といっても年に数回話すか話さないか、いま何を仕事にして、どんな風に暮らしているだとかは全然わからず、向こうはSNSもろくにやらず、用事がなければお互いに連絡もとらないので、この数年間で会った回数は片手で数えられると思う。たまにわたしから「元気?」と送ると、「げんき」と返ってきて、「会おうよ」と送ると「いいよ」と返ってくる。一応、「変わりないの」と聞く。「ないねえ」と言われる。久々の誘いも突飛な提案も、同じ穏やかさで返事がくる。思い出の話もこれからの話もあまりせず、毎日会う人みたいな会話をする。久しぶりに会って、空白を一気に塗りつぶして話ができるような、名前はないけれど大切な関係。わたしはそう思っているし、彼もそう思ってくれていることを知っている。

日記屋 月日とB&Bで、棚をひとつずつ眺める。山の棚、植物の棚、彼は数学と宇宙の棚に興味がありそうで、わたしは街の棚に興味があった。家族の棚から、わたしが知っている範囲の彼なら買いそうにない本を買っていて、ふうん、と思う。いつも会っているわけじゃない人に対してふうん、と思うことがたまにあるけれど、それはただ、ふうん、と思うだけだ。この場で話していること、わたしからいま見える彼だけが彼のすべてなんてことは到底ない。買った本を読むためにfuzkueに行く。一緒の席と別々の席どちらがいいですか、と聞かれて、どちらでもいいです、と答える。一緒の席になる。いわゆる「人をダメにするソファ」のそれぞれの辺にもたれかかることになったので、どちらかが起き上がると、中のビーズが大移動して、もう片方の体勢が変わる。時折本から目線をずらして、彼のうなじを見る。わたしはずっとお腹が空いていて、エアコンがキュゥ、と鳴っているのかわたしのお腹が鳴っているのかわからなかった。3時間後、わたしは2冊を読み終えて、彼は1冊を読み終えたようだった。

外に出ると雨が降っていた。広場では花や植物にまつわるイベントをやっていて、実はさっきも目に留まった白とネイビーのアネモネを一輪買った。なぜだか、不思議だけれどほんのりとチョコレートの匂いがする。花から香っているのか、包装紙から香っているのかわからなくて、ふたりで何度も鼻を近づける。SNSで見かけて気になっていた中華の居酒屋に誘う。地図アプリを見ながら向かうと、知っている建物に着いた。10年くらい前によく一緒に行っていたライブハウス併設のカフェの跡地。カフェがなくなったことも知らなかった。メニューを見て、いい感じの中国茶割りを注文する。毎日会う人みたいな会話を、ぽつぽつと話しはじめる。

何年か前、彼とはもう一生会えないのかもしれない、と思っていたことがあった。わたしがいくら彼のことを大切に思っていても、彼ももしかしたらそんなふうに思ってくれていたとしても、その関係性にわかりやすい名前がつけられないのなら、このままもう会えないのかもしれない、と感じていた。でもそうではないのだとはっきりわかったできごとがわたしたちの間に起きて、それもあって、わたしは昨年12月に『親密圏のまばたき』という自主制作の日記本をつくった。彼はさっきまで、わたしの本を読んでくれていたのだった。日記に自分が出てくることはうれしいと言っていた。自分のことが書いてある誰かの日記は、手紙にほかならないってわたしも知っている。

親密であること。甘美で、すこやかで、だからこそ遠くて、そのかたちがよく見えない。でも、これはいつか裏返って、わたしたちのいまを裏切るようなものでは決してない。親密さはときどき凶暴な春のようだけれど、すべてが吹き飛んでしまうような嵐ではなく、湿度が高くてものすごく強い、それでいてなぜか静かな風に、ただ包まれるほうの春だ。

そうしてここ最近は、彼のことに限らず、目が合うときに何度でも出会いましょうね、ということを思っている。もう会えないのかもしれない、という予感があった人や場所とも、お互いの息や肌が合うときふいに出会い直せることを知っている。だから、ずっと離れずに、長い時間一緒にいることや、明確な接点をもって関係が続いているとか、その関係性に名前がついているということをなるべく重視しない。目が合う人とは、何度だって出会うし、出会い直す。それって些細だけれど運命のことだ。しばらく思い出さなかった曲を久々に聴いた日に、その曲を一緒に聴いた人と街ですれ違うような、もう行かないと思っていた場所にも自然と辿り着くような。そんなことを思って、でもそんなことは言わずに店を出て、立ち止まることなく駅で別れて、たぶんお互いに振り返らずに帰った。

家に着いて、包装をとって花器に挿したアネモネは、チョコレートとは少し違う、さっぱりとした春の匂いがする。部屋に散らばったままの本を見て、そういえば、彼と深夜の東京タワーに行ったことがあるな、と思い出す。乾燥機から取り出したタオルケットを広げて眠った。

柴沼千晴

1995年生まれ。東京都在住。2022年の元日から毎日日記をつけ始める。自主制作の日記本に『犬まみれは春の季語』『親密圏のまばたき』ほか。日記屋 月日の出版部門より刊行の『誕生日の日記』に寄稿。季節の散歩と果物が好き。

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『親密圏のまばたき』

著者:柴沼千晴
発売日:2023年12月10日
価格:990円(税込)

日記屋 月日(東京・下北沢)ほか各地の書店で取扱中

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