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連載

「男らしさの土俵」から降りられたと思って生きてきたけれど

連載:呼びようのない暮らし/星野文月・有吉宣人

松本市で文章を書きながら暮らしている星野文月さんと、俳優・ドラマトゥルク・演劇ワークショップなどの活動を行っている有吉宣人さん。4月から松本で同居を始めることになった二人は、「恋愛関係ではない」という前提条件をお互いに交わして暮らしています。「男女が共に暮らす」ということが当たり前に恋愛・性愛関係と結びついているとされがちなこの世界で、呼びようのない関係性を模索する二人が、同じ部屋から日々を綴る連載です。今回は、東京から松本に引っ越した有吉宣人さんが、調子を崩して悪い周期に入ってしまってからの話を綴ります。

暮らしの中にある、自分の在りようを教えてくれる他者の存在

有吉宣人

夏のおわりに、体調を崩した。
頭に靄がかかったような感覚になったり、不安を強く感じるようになったりして、動き出せない。次第に、東京での仕事に行くことができない日が生まれた。そこでやっと、これは気持ちの調子を崩しているのだと気がついた。そもそも仕事を詰め込みすぎてしまっていたり、忙しい中で東京と松本を往復することで、より余裕がなくなっていたりしたことが、直接的な原因だった。

気持ちが沈む中で、悪い周期に入り、なんだか自分はひとりだな、と思うことが多くなった。
これまでずっと首都圏で生まれ育って暮らしてきた自分にとって、松本で新しく暮らしを組み立てていくことは、星野さんがいる領域に外から足を踏み入れる心もちになっていた気がする。
気を許せる友だち、同じ県内にある実家、仕事。星野さんはこの場所で自分が持っていないものを全て持っているように感じられた。
今振り返ると、ずいぶん自分勝手な悩みだと思う。それらは星野さんが時間をかけて丁寧に築いてきたもので、固有のものだ。でも、身近にいる星野さんと自分を比べてしまい、自分には何もない、と思ってしまった。
暮らし始めてしばらく、二人が互いに見られる形で、毎日の日記をつけることにしていた。でも、調子を崩すにつれて、不安な気持ちばかり書くようになってしまって、これを見せるのはよくないと思い、書くのをやめるということもあった。

自分がいる場所を確かめるように、松本の街中を歩き回るようにした。商業施設のパルコや大型書店の丸善、東京にもある馴染みの場所に行っても、店内の違いばかりに目がいく。自分はこれまでとは違う場所にいる、ということばかり考えてしまう。
「呼びようのない暮らし」の「呼びようのない」関係への好奇心が原動力になって動き出していたけれど、「暮らし」への実際的な想像をしきれていなかったのかもしれない。

悪い周期は加速して、自分が自分である実感がなくなり、抽象的な意味で、自分の形がよくわからなくなってしまっていた。自分はどういう思いでここに来て、どこが星野さんの意思なのか、どの部分は同じ視界を持てているのだろうか。どんどん不安になっていた。

「それで、有吉さん自身はどう思っているの?」

いくつか話をした後、星野さんが尋ねる。「今言ってくれたことはわかったけど、私の話が多かった気がして……」と言われて、口をポカンと開けてかたまってしまう。有吉さん自身……? 自分は、どう思っているのだろう。気がつかないうちに、そんな場面が増えていた。

自分たちは暮らしを進める上で、いろいろなことを話し合うようにしていた。生活の具体的なことから、ちょっとした心の引っ掛かりまで、何か思うことがあるなと感じたら、話すように努める。相手の内に何かありそうだぞと感じたら、時間をとって、すこし話そうと声を掛ける。なるべく、対等という言葉を意識して。そういうやり方やあり方が、この暮らしの実験に必要なことだと思ったし、やりたいことだとも思っていたから。そんな風に、話し合うようにしているつもりだった。

ところが、自分が話をしていることは、相手のことばかりだった。「星野さんはこうしたいと言っていたから〜」「星野さんがこう思っているなら〜」と、主語が自分ではない言葉。そういう、相手の意向を汲めるように物事を進める話し方は、いつのまにか自分の癖になっていた。

星野さんは、暮らし始めたころ「やろうと言い出し始めたのは自分だから」と何度か口にしていた。そういう風に星野さんに思わせないようにふるまいたい、とか、この暮らしを選んで良かったと思ってもらいたい、という気持ちが強すぎて、相手が感じていることをさも自分の思いのように扱って、自分を錯覚させてしまっていた。
じゃあ自分自身は、本当はどう思っているのだろう、となったときに、言葉に詰まってすぐには話し出せないことが続いた。
関係性に名前がついていないことに不安も感じていて、別に家族でもないのに、とか、恋人でもないのに、とか無意識に考えてしまっていて、暮らしに感じている不安な気持ちも、なかなか言葉で伝えられない。

自分が思っていることは、どうしたら言葉になるだろう?
自分が感じている不安は、どうしたら言葉になるだろう?

ある日、自分が男性であることにも突き当たる。

ジェンダーの話や、今後どう生きていくか、何に思い悩んでいるか、というようなことを話し合う場に、男性が居合わせることが少ないね。と、何気なく演劇の仲間と話したことが発端だった。背景には、男性は悩みや不安を語ることが少ない、人に見せない、何か抱えたときにまずは一人になる傾向がある、というような話があった。
もちろんこういったことは、人それぞれ個人によって感覚が違うことが前提で、男性・女性といった大きな枠組みで囲う言葉で断定して語られるべきではないと思う。あくまで、傾向として挙がった話題だった。
その時は、今後自分自身もどんどんそういうことを話したり、男性について語る集まりを開いたりしていきたいと強く思った。

ただ、暮らしの中での不調を振り返ると、本当に背筋が凍るような気持ちになった。ぜんぶ、自分に当てはまっているのではないか。
悩みや不安をうまく言葉にできず、内向的になり、なかなか相談しない。人に助けを求めない。そもそもそういう状態だから、不安を隠すために仕事をたくさん詰め込む。
自分と向き合わずに、主語を相手にして話す癖も、これに関わることなんじゃないだろうか。自分が男性だから、おちいっていることなんじゃないか。主語が大きいだろうか。

女性である星野さんに、一方的に自分の不調のケアを担わせるようなことは絶対にしたくない、というような意識でいた。だから、ネガティブな感情が伝わるようなことからはなるべく距離を取ろうとした。

ある事柄に対して、「頑張る」「踏ん張る」と、「逃げる」「休む」の間に、「不安を話す」「相談する」「助けを求める」などがある。どうやら、自分にはその「間」がなかった。
これまで、男らしさの土俵、みたいなものからは降りられたと思って生きていた。けれど、自分の言葉で助けを求められないくらいには、男性が抱える傾向のようなものの中にいるのが、自分の現在地なのだと感じた。

自分の話ができるようになりたいと思う。
星野さんは、「それで、有吉さん自身はどう思っているの?」と聞いた後、必ず、しずかに待ってくれている。目の前の人はただ待ってくれている、と思えることは、とても安心する。
そのしずかな間の中で星野さんを見ていると、自分だけでは見えなかった自分のことが、すこしずつ見えて、言葉になってでてくる。

「有吉さんが自分で言えてよかった」
長い時間をかけてどうにか言葉にして、不調が始まったことや感じている孤独感を伝えたときに、星野さんは最初にそう言った。

一緒に暮らしていて、星野さんと自分は、感じたことを言葉にする速度や、そもそも生きる感覚の速度のようなものに、だいぶ違いがあるとわかってきた。
星野さんはいつも感じたことをズバッと話してくれて、自分のことをせっかちだと言う。そんな星野さんが、こちらの言葉は、時間をかけて待つ。聞いたあと、私はね、と自分の話や、思ったことを言葉にする。

互いに主語を自分にして話すことは、対等に相手と接する第一歩だ。そのために、自分は自分をほんとうに大事にしたい。
ネガティブな気持ちも、自分の言葉にできると扱えるものになっていくし、話すことで前に進むことができる。自分のために心を使っていいし、自分のための言葉を話していい。すこしずつ、そう思えるようになってきた。あなたが気づかせてくれたことだ、と思う。自分自身のことをおろそかにして、自分を低く扱ってきたことは、ひとりでは気づくことはできなかった。

言葉が見つからず、口をポカンと開けてかたまってしまう自分が、そういうことを感じられるのは、映し鏡のように自分の在りようを教えてくれる他者の存在が、暮らしの中にあるからだと思える。

有吉宣人

1991年8月生まれ、神奈川県川崎市出身。演劇作品をつくる俳優、ドラマトゥルク。演劇ワークショップをひらく。
慶應義塾大学文学部中途退学、こまばアゴラ演劇学校無隣館修了。参加企画に、世田谷パブリックシアター『地域の物語』、日記と演劇のワークショップ『わたし(のある日)を交換する』など。
(プロフィールの絵:犬川家子)

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