2022年9月11日(日)の日記/柴沼千晴
やっぱり緊張して早く起きてしまった。ベッドの横のカーテンを寄せて少しの時間窓を開けると、知らない鳥が鳴いていた。「知らない人たちばかりの、でも絶対に心理的に安全だとわかる場所に行く朝」と電車の中でツイートし、大荷物を持って下北沢へ、風が吹くたびに緑が揺れて、屈強そうな犬の吠える声が聞こえる。ワークショップのはじめての集まりの日、うそは話していないけれど、ほんとうのことはあまり話せていないような気持ちになった(これは、そもそもわたしの人見知りが多分に影響しているのだけれど)。みなさんの日記との関わり方や書くことを通じて探していることを聞きながら、日記もきっと同じことなのだろう、と思う。言葉にしたことがその人のすべてでは決してないこと、書かないと決めたことに宿る何かのこと。それはそうと、いつの間にか日記について話す人をみるとうれしくなる人間になっていた。季節の変わり目に何を着ていくかさんざん迷ったからか、みなさんの服装にも注目してしまう。まだよく知らないらしさが表れているかもしれないと思うとうれしかった。
そのままラウンジを飛び出して12時13分発の小田急線へ、東京駅の新幹線のホームへ行く階段の前で待ち合わせ。行きの新幹線で日記のことを聞いてくれた。名古屋に行く日の午前中に用事が入ってしまった、と謝ったとき、ワークショップに参加できることを一緒に喜んでくれた人。あっという間に到着した名古屋は、夏が戻ってきたみたいな暑さだった。フルーツパーラーで桃のスペシャルパフェを食べて(みずみずしくて甘くて、その味を思い出してはパフェの舞をたびたび踊ってしまうほどだった)、焼き菓子屋さんを回って、友人のカヌレのお店で夜おやつに新作を買う。夜はおすすめしてもらったビストロへ、無花果と地鶏レバーの何とかサラダ、自分では絶対につくれない、甘くて酸っぱくて苦くて、まったりしているのにさっぱりしている複雑な味に驚愕する。こんなに無花果が完熟していることってある? と話した。お互いまったく酔っていないのに、ホテルに戻る道を何度も間違えて右往左往して、足のむくみを解消するヨガをベッドの上で滑りながらやって、順番にお風呂に入っている間に、昨日もらった手紙の返事を書いた。
普段の生活ではあまりどこにも行かず何かを思ってばかりいるので、旅の日記は、行った場所や起きたことを喜び勇んで並べたくなってしまう。けれど、何が面白くて笑っていたのか思い出せない時間やわけのわからないところで泣いてしまった時間のこと、わたしだけが大切にしていられればそれ以上は何もいらないのかもね、と思ったり、でもそれだけではいられないのだ、と思ったりする。