天気がいいとメイクをしようという気になる。今日はひさしぶりにマスカラまできちんと塗ってフルメイクをした。職場で気づかれない程度に色を使ってメイクをするのが最近の楽しみ。ブラウンっぽいラメを上下のまぶたに仕込んだ上からイエローとピンクのアイシャドウ、さらにブラウンのアイシャドウを重ねてぼかす。人に見せるためのメイクではなく、わたしが楽しく出勤するためのメイクだから、誰にも気づかれる必要はない。わたしが楽しいのがいちばん。
春の朝は焦げくさいにおいがする、と3月になるたびに思う。正確には、家の外に出た瞬間「なんか焦げくさいな」と思う、そして「そういえばもう3月だ」という流れである。
焦げたような匂いがどこから来るのか、考えてはみるけれど分からない。そもそも、わたしが匂いを正確に感知しているという自信もない。なんてったって鼻炎持ちである。
わたしの体も、それに心も、信用に足るほど強固なものではないのだと気づいてしまった。仕事に行こうとすると心臓がばくばくして動けなくなってしまうようになったのは去年の秋のことだ。好きな曲をかけて部屋中を跳ねまわるくらい元気だったのに、次の日は泣きながら目覚めてベッドから出られなかったりする。「自分の機嫌は自分で取る」という言葉、あれは「自分が不機嫌なときに他人に八つ当たりしたりご機嫌取りをさせたりしない」くらいのことであって、「自分の機嫌は自分でよくすることができる」という前提を持つと不幸になると気づいた。自分の心身が完璧に制御できるなんていうのは思い上がりだ。考えてみたら、薬なしには生理の頻度をコントロールすることだってできないのに。
うれしいことと恐ろしいことが同じ時間軸をものすごい速度で飛び交っていて、わたしは何をどういう順番で考えたらいいのかもう分からない。短歌の新人賞の最終選考に残ったこと。親友がくれた誕生日プレゼントがかわいくて、同じくらいかわいいお返しを考えていること。2年半ぶりに推しの来日公演が決まり、声を出さずに応援するためのでんでん太鼓みたいなグッズが売り出されること。それらをわたしがうきうきと受けとめていたときも戦争は続いていて、おとといには原発が攻撃されたんだって。非常電源が今日にも落ちるかもしれない、よりにもよって今日、3月11日、しかもあのチェルノブイリで。あまりの落差に叫びだしたくなる。誰に向かって叫んだらいいのか分からないけど。
わたしの手の届く範囲はとても小さくて、でもわたしの想像の届くところは年々大きくなっていく。いろんなことがわたしの体の延長線上で起こっている気がする。ストーカーやセクハラの話を聞くたび、誹謗中傷のコメントを目にするたび、自分の体が痛めつけられたみたいに悔しくて悲しい。けれどそういうときわたしの本物の体の目の前には絶対に間違えてはいけない案件があったり、泣いている子どもがいたり、ほっといたら勝手に継続されるけどそろそろ解約したい保険の書類があったりして、こんなマルチタスク、どうしたらいい?
メイクをしていると不思議なほど澄んだ気持ちになると気づいたのはごくごく最近のこと。ようようベッドから這い出して、朝ごはんも体が受けつけないのに、日焼け止めを塗りベースを整えアイシャドウを重ねるうちに、目のくもりが取れていくみたい。
そうやって、今ここにあるわたしの体をかわいがるところからやっていくしかないのかもしれない。どんどん広がっていくわたしの体は、物事を受けとめる器だから。好きな服を着て、好きなメイクをして、髪の毛を好きな色にして、わたしの器を整える。うれしいことも恐ろしいこともキャッチできるようにする。
しかし今これを書いているわたしは、大好きな担当美容師さんの退社を知らされて途方に暮れているのであった。今まででいちばんしっくり来る美容師さん、わたしの髪を毎回かわいくしてくれて、心のよりどころのひとつだったのに。これからどうしようかな。