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同じ日の日記

魂が求めるものに誠実であること/安達茉莉子

2022年3月11日(金)の日記

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2022年3月は、2022年3日11日(金)の日記を集めました。2022年3月に初のエッセイ集『毛布 – あなたをくるんでくれるもの』(玄光社)を刊行した、言葉と絵による作品発表・エッセイ執筆をおこなう安達茉莉子さんの日記です。

こんこんと眠って、朝起きたら5時過ぎ。昨日の夜20時くらいから寝倒してしまっていたようだった。
空はピンク色に染まっている。今日も晴れで、なんだか安心する。
二度寝して7時過ぎに起きて、とりあえずお湯を沸かし、トーストをコンロのグリルにいれて、冷蔵庫にあったベーコンの残りと卵でベーコンエッグにする。トーストに、アボカドを切って乗せる。お湯が沸き、トースト、卵、マグカップにいれたミルクティー、ちょうど全部いっぺんに揃う。昨日夜食べていないのでお腹が空いていた。
朝ごはんが妙に好きだ。よその家にいくと、朝にかけてもいいと思える手間暇、食べる内容、分量が自分とは違っていて、ああこの人の家ではこれが当たり前なんだな、よその家にきたんだなと思う。その違いがいつも楽しい。
しかしなんでこんなにベーコンエッグとトーストの組み合わせって美味しいんだろうと思いながら食べる。

身支度をして、作業机に座って、昨日の夜に返そうと思っていたメールを返す。締切を勘違いしていた仕事の原稿を慌てて送る。12時からの本屋・生活綴方の店番に向かう。
久しぶりに店番に入る。平日だし暇だろうと思っていたら、開店早々からお客さんが多くきて内心慌てた。長年勤めていた会社を辞めて本屋さんを始める人や、漫画家をしながら「一箱古本市」にも出店している人、ご近所の雑貨屋の店主さんなど、今日は知っている人が多く来た。
最近ずっと家にこもっていたから、人と接したり会話するのに若干のタイムラグがあるような気がする。内心で、深呼吸、深呼吸、と唱えながら大したことは特に何もせず座っていた。
あるお客さんが、着けていたピアスを褒めてくれた。服にも合ってるよ、と。青とピンクのグラデーションの樹脂の大きなフープピアスに、青い巻きスカート。なんとなくこれにしようとして出てきたものだったけれど、嬉しい。外に出た甲斐がある。
みんな色々本を買っていく。戦争についての本だったり、日常の本だったり。
今日は3月11日。あの日も金曜日だった、と思い出す。
その頃はストレスの極みにいて、ほとんど自分自身の手綱を手放してしまったようだった。極度の疲労と、精神的にももうどうしていいかわからない状態。唯一、やっと金曜日だというのが救いで、返すのに精神的負荷があるメールを持て余しながら、週末はどこに行こうと考えていたのだった。
お客さんの波が途切れた頃、お店にいた三輪舎の中岡さんと、刊行準備中の本のことについて話す。鈴木店長が桜餅をくれた。食べて話をしていたら、店番でジャグラーの青木さんが来た。店に入るなり、「良い本いっぱい! 良い本一冊100円だよ」と、昭和の(?)叩き売りのマネを始めた。ここに来れば、誰かに会える店。
14:46には黙祷をしようと思って14:45にアラームをかけて、周囲にも「後1分ですよ」と言って、その時間を待っていた。店内は私もポートレートを撮ってもらった、写真家の矢部真太さんの個展をやっている。一人のお客さんが、長いこと展示中の写真を見ている。今週末に、店先でポートレートを撮ってもらえる撮影会もあるんですよと話しかけたら、なんとご家族だった。ええっと驚いて、皆で挨拶をしたりしているうちに、その時間は過ぎていた。店長とご家族の方が話すのを聞いていた。誰かを撮ろうとしている人の後ろ姿を、見ている、見守っている人がいる。

遅番のみうらさんがやってきて、お店番をバトンタッチする。書店員をやっている彼は、3月30日に発売される『毛布 – あなたをくるんでくれるもの』(玄光社)の注文も検討してくれていた。雑談をしながら、「安達さんの本をどうやって売ろうか今すごく考えています」とまっすぐな目で言われて、そうか、本を出すというのはこういうことなんだ、と思った。きっと彼の書店に来るお客さんで、私のことを知っている人は少ない。いたら奇跡かもしれない。そんな限りなく無名の新人の最初のエッセイ集を、いわゆる独立系書店と呼ばれるような本屋ではなく、一般書店の売り場で売ってもらうこと。そのお店を利用するお客さんに対して、本をどう売っていくか、真剣に考えてくれていた。

生活綴方を出て、妙蓮寺の駅に向かう。今日この日をどう過ごそうと考えた時、なんとなく、店番が終わった後は海に行こうと思っていた。先日初めて訪れた、逗子の海。横浜駅でJR横須賀線に乗り換えて、電車に乗ると、ミュージシャンで長年の友人の大和田慧ちゃんから「電車が行ってしまった」と連絡が入る。数日前に電話していて、海に行こうと思っているんだよね、と話したら、合流してもいい? ときて、一緒に行くことにしていた。

途中で、進行方向に向かって左側のシートに移動する。この電車は、こちらからの眺めがなんだか好きだ。ふと顔を上げると、窓の向こうは白っぽく光る空。春の日、とてもよく晴れていた。なんとなく、今日はひとりになりたくないような気がしていた。
一方で、静かに過ごそうと決めていた。
黙祷はできなかったけれど、その時間の後に、祈ろうと思っていた。14:46の後に起こったことに対して、東京にいた私は直接は体験していない。そんな私だけど、それでも祈りを捧げたかった。目を瞑って、自分なりに祈りを捧げる。

11年前のあの日、私はまだ防衛省にいた。自分のデスクにいて、経験したことのない揺れに、とんでもないことが起きたのがわかった。揺れながら片手で打った、家族の無事を確認するための携帯メールは、なかなか繋がらず送信すらもできなかった。揺れが収まった直後、震災対応に一瞬で切り替わり、その日は混乱の中で書類をもって走り回った。
揺れはどれくらい続いただろう。あの揺れの中で、私は本当にこれは死ぬかもしれない、と思った。そして続けて、はっきりと、私はここでは死ねない、と思った。それから続く日々の中で、私はもう自分の人生を歩まなければ、と思ったことを覚えている。
自分の人生を歩むとは、どういうことだったかその後何度も考えた。
数ヶ月して、仕事を辞めることを決めた。その後、兵庫県の限界集落に行き、イギリスの大学院に行く。辞めるときは葛藤も大きくあった。だけど、どうしてももう誤魔化せなかった。
とにかく自分の道を歩まなければいけない。それだけを思っていた。
自分の道が一体なんだかわかっていたわけでもないのに。

大船を越えて、北鎌倉に入るとすっかり雰囲気が変わる。
山に囲まれ、自然が増え、土地の気配が濃くなる。深呼吸がしたくなる。
逗子に着くと、慧ちゃんから電話がある。もう着いたという。
遅れていたはずなのにそんなことあるかなと思っていたら、もう一度電話がかかってきた。間違えて大船で降りたという。逗子に着く時間は17時くらい。何の理由もなく、先日訪れた森戸海岸に行きたいと思っていたけれど、ルートを検索すると駅から30分くらいはかかりそう。日没は大体17時半過ぎ。夕日に間に合うか分からないから、逗子の海岸にいった方がいいだろうか。逗子の海岸も好きだった。だけど、最初に3月11日は海に行こうかと思った時、心に浮かんだのは森戸海岸だった。森戸神社の下にある、あのこじんまりした浜辺で、静かに夕暮れの海を眺められたらと思っていた。
どこの浜辺に行こうか考えも気持ちも定まらないまま、慧ちゃんと合流する。夕日に間に合うかわからないから、一番近くの逗子の海岸に行こう、と言うと、私はどっちでもいいよ、と慧ちゃんは言った。とりあえず歩き始めるけれど、途中でGoogle Mapを見ると、完全に逆方向に歩いていることがわかった。むしろ森戸海岸の方に向かっている。
ああ、どうしよう。どうすればいいんだろう。
ごめん、考えがまとまらない、と言うと、
「本当に行きたいところにいこう」と慧ちゃんが言った。シンガーの彼女が独特の響きをもつ声で言うと、何だかちょっとお告げめいて聴こえた。そうだね……となる。その時胸に浮かんだのは、やっぱり森戸海岸だった。

タクシーだったら15分くらいで着くから、駅に戻って、タクシーに乗ることにした。
葉山の方に向かう道は混む。バスだと、夕日に間に合わないかもしれない。
なんでこんなに夕日を見ることに必死なんだろう、と慧ちゃんに言うと、私も同じだから大丈夫だと言う。
トンネルを抜けると、運転手さんあの夕日を追ってください! と言いたくなるような、進行方向正面に夕日が浮かんでいた。俄然盛り上がる。森戸海岸の前でぽいっと降ろしてもらい、そのまま砂浜に出る。目の前にはオレンジ色の夕日があった。
間に合った!
慧ちゃんと、文字通り、夕日に向かって走った。なんとか間に合うふたり。砂浜を歩いて、橋を渡って森戸神社の下の海岸に入って、しばらくそのままずっと海を眺めていた。
いつからか、一番良いタイミングで一番良いことが起こるようになっていると何の根拠もなく思うようになった。間に合うか不安にもなったけど、きっと何がどうなろうとそれが最善の結果なんだろうなと、どこかで思っていた。
最善だったかどうかは知らないけど、晴れた日の夕暮れの海は美しかった。オレンジ色のきれいな夕日に、かすみがかった空が染まっている。遠くに、紫色の影のような富士山のシルエットが見えた。
わーーーっと両手を上げる。風が結構あって、気持ちいい。ザラザラと、背中の辺りから何かが落ちていくような感じがする。ああ、こんな生活がしたい。やっぱり、海が毎日近くにある生活がしたい。
海を見ながら、お互いここ最近感じていたことや抱えていたことを話す。
いよいよ出版される前夜の日々。不安と、期待と。お互いの今と、これからと。
「でもきっと、新しい景色が見えると私は思っているよ」と慧ちゃんが言った。

この日は海に来なければいけないような気がしていた。
夕日がまだ浮かんでいる時間に。そのイメージを叶えることは、自分にとって、とても大事なことだった。海に向かって祈りを捧げたかった。その祈りの内容を、言葉にするのは難しい。だけど、そうしたかったのだ。

波打ち際の透明な水を眺めたり、強い風の中で滞空するトンビを見たりしていると、生活綴方店番仲間のりえさんから、夕日の写真が送られてきた。りえさんも逗子の海岸にいるらしい。私が逗子に行くという連絡をしていたから、自分で作った味噌をあげようと、わざわざ持ってきてくれていたらしい。
暗くなってきて、そろそろ行こうか、ご飯どうする? お腹すいたねと慧ちゃんと話していたら、鈴木店長から連絡がきた。ここ美味しいよ、と、駅近くの定食屋の情報だった。
りえさんと逗子の駅前で合流する。食事一緒にどうですか? となり、三人で定食屋「はら田」に向かった。

店の佇まいをみた瞬間、間違いなくここは美味しいとわかる定食屋。絶対に美味しいとわかる何かを放っている。案の定、入ると、地元の人が美味しそうに食事を楽しんでいた。
お品書きと、壁に貼られている短冊を見る。どれも美味しそう。今日の煮魚定食を聞くと、金目鯛の煮付け定食だった。即決する。透き通った醤油のスープの中に、華やかな甘さの金目鯛。柔らかくほぐれて、白いご飯にあう。絶対に自分では作れないこの微妙なあらゆる「加減」。求めていた味だった。なんと納豆パックもついてくる。
マスクを付けたり外したりしながら、三人でいろんなことを話した。目の前で、今日初めて会う二人が、母や娘、家族、人生の片鱗を話をしている。
店を出た後、慧ちゃんが「何だか小旅行をしたみたい」と言った。
本当にそう。日帰りの小旅行のようだった。夕日に向かって真剣に走り、友達と合流し、日頃しないような話をたくさんして、それは確かに旅先の出来事のようだった。

2011年のあの日から、自分の道がなんだかわからないまま、それでも自分の道を歩もうと、仕事を変え、居場所を変えて生きてきた。
でも、今日のようなこと——「本当に行きたいところに行こう」と、自分が今どうしたいかに忠実であること、それを叶えるように動いてみること——をずっと繰り返している。そして、誠実であること——be true to yourself——感じたこと、感じていること、信じていることに対して誠実(true)であること。
その瞬間その瞬間、「こっちかな」という方に身を運ぶ。こだわりすぎて流れが止まってしまったらそれもダメで、あくまで、心地よい感覚を頼りに、ただ誠実に。

11年前のあの日、東京にいた私も、自分の死の可能性をはっきりと意識した。
死ねない、と思った。
まだ死ねない。それだけははっきり、突き上げてくるようにわかった。
「自分の道を生きなければならない」
今思うとそれは、揺れの中にいた私が全身全霊で打ち上げた閃光弾、あるいは照明弾のようだった。その後の人生で、何度もビカッと光るように、私を照らした。
何か自分の魂が求めるものと違うことをしている時、その度に、そうだ、自分の道を歩まないと……と、道を改める。そんなことを何度もしてきたように思う。私はあの時の感覚にずっと、忠実に、誠実に生きてきた。そしてその繰り返しで、流れ流れて今日この日がある。

自分の道とはなんだろう。そのほとんどは、大きなものではない。朝ごはんはトーストにするかとか、ジャムにするかアボカドをのせるかとか、電車はこっちの眺めが好きだとか、夕日に間に合いたいとか、タクシーに乗るかバスに乗るかとか、いちいちそういう「自分が何を求めているのか (what I really want)」に誠実で、忠実であること。五感が開いていること。実際夕日に間に合うかどうか、実は結果は割とどうでもいい。だけどそう思って動くと、不思議となんでも間に合っていく。
どのようにでも変わりうる世界の中で、飲み込まれず、自分の中心に戻るようにすること。風の中で一点に滞空するトンビのように、流れに乗りながらも、ポジションを保つこと。11年間、ずっとそうやって、風や水流の中で、自分の飛び方や泳ぎ方を身につけるようにしてきたのかもしれないなと思う。
すべて同じ日の出来事だったと思えないほど、長い時間と距離を過ごしたような、美しい一日だった。

安達茉莉子

作家、文筆家。東京外国語大学英語専攻卒業、サセックス大学開発学研究所開発学修士課程修了。政府機関での勤務、限界集落での生活、留学など様々な組織や場所での経験を経て、言葉と絵による作品発表・エッセイ執筆をおこなう。著書に『消えそうな光を抱えて歩き続ける人へ』(ビーナイス)、『何か大切なものをなくしてそして立ち上がった頃の人へ』(MARIOBOOKS)、『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』(本屋・生活綴方出版部)ほか。 初のエッセイ集『毛布 – あなたをくるんでくれるもの』(玄光社)を2022年3月末に刊行。夏に向けて新作エッセイ集を準備中。

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Photo:矢部真太

『毛布 – あなたをくるんでくれるもの』

著:安達茉莉子
装丁:惣田紗希
校正:牟田都子
帯文:竹中万季 (me and you)、野村由芽 (me and you)
発行:玄光社
定価:本体2,200円+税
発売日: 2022年3月30日

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