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同じ日の日記

故郷でどうにかなる/菅原万有

2022年3月11日(金)の日記

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2022年3月は、2022年3日11日(金)の日記を集めました。さまざまな国で暮らしながら、アーティスト活動と並行して研究者、文筆家、翻訳家としても活動を行っている菅原万有さんの日記です。

昨日、COVID-19の3度目の新型コロナワクチン接種を受けたが、その日中にとてつもない副反応に襲われ、酷い悪寒と頭痛でうまく眠ることができなかった。夢の中で、私は膨大な数のラグジュアリーな服の商品説明を翻訳していた。商品をクリックし、商品の画像が説明とマッチしているか確認し、翻訳する。それの繰り返し。バレンシアガ。ドリス ヴァン ノッテン。アン ドゥムルメステール。こなしながら、村上春樹の『トニー滝谷』の女性を思い出す。衣服に対する度を越した執着を持っていた彼女が、もしパンデミック禍の2022年を生きているとしたら、何を纏うのだろう?そんなことを考えていると、上から服がひらひらと落ちてきて、積もっていき、いつの間に私がどんどん押し潰されていった。ものに押しつぶされるイメージに苛まされるようになったのは、東日本大震災の後だった。原子力発電所四基の爆発とメルトダウンという世界最悪の重大事故が起きた時に、私は家族から離れ、イギリスの全寮制学校にいた。それ以降、3.11という、日本に国家としての再構築を強いてきたトラウマ的「記憶」に対して、実体験を持って何も言えないとずっと感じてきた。3.11の災害の記録の大半が男性的であり、原発震災だけでなく、パンデミック禍でもジェンダーの問いが突きつけられている。去年書いた、「遠くの霊と生きること、『記憶』への柔らかい主観的体験の介入」は、誰もが無意識に加担しているであろう性差別的構造に自覚的でありながら、「日本を捨てた」と言われる側である私の3.11の記憶を、政治社会的な文脈に置いたものだ。3.11から11年経つが、数年ぶりに故郷である日本に帰国し一年経った今でも、押しつぶされるそのイメージは一向に私を離れず、今も私の作品や悪夢にも登場する。


SUCK MY HOUSE (2021)/Maari Sugawara

話はワクチン接種の副反応に戻るが、短時間、自ら自由を奪われにいくことにより生じる事故的な気持ちよさというのもそこにあった。そこまでしないと日々の目まぐるしさや、ロシア・ウクライナ戦争のニュースをずっとdoomscrollingしてしまうSNS中毒、「私も社会の歯車でないといけない」という強迫観念から自由になれないなんて、私は資本主義社会に根っから毒されている。

自由を奪われることによって、ある種の快楽が生まれるのであれば、自然災害が頻繁に起きるにも関わらず、いまだに原発が稼働し続けている国である日本のエンターテインメントが世界でもずば抜けて快楽主義的なのも、どこか納得がいく。テクノオリエンタリズムを内面化し、半裸の女性がロボットとともに踊り狂うロボットレストラン。コロナ禍で行われた都営霞ヶ丘アパートの住民を立ち退かせ、東日本大震災・原発事故からの復興を妨げながら「多様性と調和」を謳った、「復興」オリンピック。「とりあえず全員悔い改めよ」が掲げられた道玄坂の教会がテーマのバー。もっぱら性行為のためにしつらえた空間であるラブホテル。原発が稼働し続け、「アンダーコントロール」発言を皮切りに、国家権力によるナンセンスがまかり通り、死のにおいが蔓延するなかで快楽に没頭し続ける、あるいはするしかない国である日本と、数年ぶりに日本に帰国し、ワクチン接種の副反応に気持ちよくなった私は、どこか深いところで繋がっている。

「私は化粧する女が好きです。そこには、虚構によって現実を乗り切ろうとするエネルギーが感じられます。そしてまた化粧はゲームでもあります。顔をまっ白に塗りつぶした女には『たかが人生じゃないの』というほどの余裕も感じられます」というのは、寺山修司の言葉だ。私は身体に何かしらの虚構、あるいは理想を走らせることで、いつだって何かから逃れ切りたい。性差別とルッキズムが押し付けられる女性たちにとって、化粧により公の顔を美の基準に近づけることは、他者の眼差しへの服従によるアイデンティティの拘束とも言えるのかもしれない。でも、国家に強いられた拘束ではなく、個人が選び取る拘束がもたらす自由や解放もある。

先週、女性の緊縛師の方に緊縛をしてもらった。写真で見る半裸で縛られている自分は一見苦しそうだが、同意と沢山のコミュニケーションの上で行われる拘束には、ウェイトブランケットのような心地よさと深いケアの要素があり、一気に虜になった。自閉症スペクトラムの人にとって緊縛はすごく落ち着くものであると教えてもらい、納得がいった。縄が肌の上を滑るのを感じ、私は泥のように眠りそうになりながら、静かにラブホテルのベッドに転がっていた。

私がBDSM(ボンデージ(拘束)、ディシプリン(懲罰・しつけ)、ドミナンス(支配)、サブミッション(服従)、サディズム、マゾヒズムの頭文字を取った嗜虐的性向をひとまとめにして表現する言葉。同意に基づいて力関係を楽しむロールプレイを指す)や緊縛、特に女性が女性に対して行う緊縛に惹かれている理由は、歴史的に虐げられてきた属性を持つ者が自分のセクシュアリティに主体性を持ち、その属性を逆手に取り、快楽を追求するという行為に昔から興味があるからだ。それは、私自身が人生の半分を欧米圏で暮らし、アジア人、クィア、自閉症者の女性としてさまざまな差別を受け、重層的な他者化を経験したからでもある。BDSMにおける同意の上での暴力とは、単なる欲望や快楽の手段ではなく、時に権力にアクセスし、時にそれに対抗するための手段にもなり得る。BDSMが持つ潜在的なケアの要素は、支配や服従を選択すること、つまり構造的暴力の歴史の延長線上で快楽のために暴力をふるう・ふるわれるという意志を行使することだけではなく、人種、国籍、ジェンダーなどのさまざまなカテゴリの形成と遂行における、「役者」としての自分の役割を認識することにもある。今年の春に博士課程に合格し、今年から香港と中国本土で最短でも5年間過ごすことが決まった。その後も私は世界のどこかを転々とし続ける。どこかの国家に帰属意識を持つのではない、批判的ディアスポラとして。自由になるのは難しい、だったら私は怒りや悲しみも快楽も全部遊びにして、選び取った拘束がもたらす、他者性を超越する可能性をもっと確かめていきたい。

最近、主に欧米圏で行われているレース・プレイ(人種プレイ)について知った。人種プレイとは、相互の同意の上で行われる人種差別を用いたロールプレイや、人種差別的なシーンの構築を伴うBDSMの実践である。例えば、黒人の参加者が奴隷の役を演じたり、ユダヤ人の血を引く者が囚人の役を演じ、白人の主人に服従する。欧米圏のBDSMコミュニティの多くを白人が占め、このプレイが主に白人に消費されていることから、ポリティカル・コレクトネスに欠けるとして、人種プレイはこれまでBDSMコミュニティやそれ以外の場所でも論争を巻き起こしてきた。だが、参加者の有色人種の者、特に黒人女性たちの中には、このプレイに強烈な快楽を感じるだけではなく、一種の治療効果やエンパワメントを感じる者もいるという。参加者のなかには、プレイを通じて奴隷制度などの歴史的トラウマを自分自身の言葉で再現することにより、不安を交渉することができるメカニズムだと捉える者もいる。参加者たちが自己決定と相互同意の上で行われるこの暴力的でエロティックな遊びは、彼らにとっての実際の、あるいは象徴的な何らかの救済をもたらすものではないかもしれない。彼らが行っているのは、快楽にアクセスする新しい様式の革新と、セクシュアリティと暴力の複雑な結びつきの再考だ。アメリカのBDSMコミュニティに属する黒人女性たちのなかには、このプレイを利用して、アメリカにおける人種的従属と暴力の歴史に挑戦している者もいるという。苦痛と快楽、服従と権力という一見相反する要素が複雑に絡み合うこのプレイは、人種や性による権力差や、参加者らの生きた経験を特徴づける人種的・性的他者性を超越する限られた可能性を秘めている。

私は身体にユートピアを走らせたい。身体に走らせるのはメイクであり、カラコンであり、刺青であり、ワクチンであり、美味しいご飯であり、縄である。空想と現実、内と外、心と体の狭間で戯れることで、私はさまざまなことから逃げ切りたい。逃げ切りたいのは、アメリカの従属国家として、東アジア冷戦体制のもと国策で導入した原発により多くの人々の故郷を奪い、今も人々の生活と命を蔑ろにし続ける日本の政府であって、今も稼働し続ける原発で、ロシア・ウクライナ戦争で、全ての戦争で、コロナで、私を虐げてきた人と、彼らに私を虐げさせてきた全てのものだ。理想を身体に走らせることで、私は身体を世界のなかに直接場所を持たぬ、一つのユートピアに入らせていく。

菅原万有

1994年東京生まれ。10代を英国で過ごす。早稲田大学国際教養学部を卒業後、カナダに移住し、2021年にオンタリオカレッジオブアートアンドデザインにて美術学修士課程を修了。2022年に香港政府博士課程後期課程奨学金 (HKPFS)を受賞し、同年度から香港城市大学スクールオブクリエイティブメディア博士課程に在籍。アーティスト活動と並行して、研究者、文筆家、講師、翻訳家として活動を行っている。ある地域の史実に関するリサーチ等を通じて、VR、映像、テキスト、インスタレーションといった形態で、今日の世界の社会制度や政治体制下に潜む問題に言及する作品を発表している。

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個展『Algorhythms of Innocence』

会期:2022年8月14日〜10月10日
住所:Japanese Canadian Cultural Centre(カナダ日系文化会館), 6 Garamond Ct, North York, ON M3C 1Z5, カナダ
開館時間:10:00〜17:00

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