─ とくに「戦争」のことは、隠されてきたこと、ちゃんと語られてこなかったことが多いのかもしれませんね。
小林:たとえば、学校教育のなかでも原爆投下については習ったし、子どもたちに原爆の悲惨さを伝えるものはたくさんあり、それは素晴らしいものでした。でも、わたしはそんな日本もまた原爆を開発しようとしていたことを、知らなかった。その爆弾の完成を日本人も含め待ち望んでいた人がいたのかもしれないという事実を知ったときに、わたしはすごくショックを受けました。敗戦間近の日本では、原爆を開発し、それをサイパンに落とすことができれば本土空襲が避けられる、と信じられていたのです。原爆は本当に恐ろしいものです。けれど同時に、それをも望んでしまうような人間の欲望まで含めてきちんと考えて、それが繰り返されることを避けたい、とわたしは思いました。
─ご自身の作品で歴史の教科書には載らないような史実や、報道されない現実などを書くために、エリカさんはどのようなリサーチをされていらっしゃるのでしょう?
小林:知りたくてしょうがなくて、どうしても出かけて行ってしまうというか。やっぱりその地域でしか出会えないような本や、資料があったり、実際に見たり聞いたりすると距離感とかわかることもたくさんあるので。一方で、出かけていっても結局、何もわからなかったり見えなかったりもする。一番途方もないなと思うのが、もうこの15年位ずっとおこなっている放射能についてのリサーチです。わざわざ遠くまで取材に行くんですけど、結局は何も見えないんですよね。放射能ってものはそもそも目に見えないから。だから、あぁ、目に見えないな、何も見えないな、っていうことを確認するためにやっているんだなと思うこともあります。
─東京電力福島第一原子力発電所にも取材に行かれていましたよね。
小林:そうなんです。長い期間放射能と呼ばれるもののことを調べてきて、自分のなかではそれをすっかりわかったつもりでいました。でも、東京電力福島第一原子力発電所の構内に入ったときに、そこにローソンがあったんです。うちの近所にあるのと全く同じローソンが。それを見て、わたしは愕然としました。
放射線量が高い場所や、放射能で汚染された場所、というのは、「瓦礫」とか、「野生動物が闊歩する場所」みたいにわたしは心のどこかで思い込んでいたんです。けれど、そもそも放射能は目に見えないものなのだから、ローソンでも何の不思議もないはずなんです。
つまりわたしは、放射線量が高い場所というものが、自分の生きてる今こことはどこか違う場所なんだ、と線引きをして、安心していたんだと気づいてしまったんです。
わたしは、わたしたちは、見えないものを見たつもりになって安心したい、というところがあると思います。でもそうじゃない、やっぱり見えないものは見えないまま捉えるってことが大事なんだと、そのとき改めて気づきました。そこから、作品の書き方も大きく変わったように思います。