主人公のドニヤは、他の文化圏の同じ年頃の人と変わらず、夢や希望を抱いている
2025/6/26
母国アフガニスタンの米軍基地で通訳として働き、タリバンの復権を機にアメリカのカリフォルニア州フリーモントへと逃れてきたドニヤ。今でもPTSDや不眠症の症状に悩まされているなかで、ある日彼女は、勤め先のフォーチュンクッキー工場でメッセージを書く仕事を任されることに。そこで、一つのクッキーに自分の電話番号を書いたものをこっそり紛れ込ませて……。
2025年6月27日に公開される『フォーチュンクッキー』は、自らと向き合い、愛や希望を希求するドニヤを、オフビートなユーモアで包みながら優しく映し出す作品です。元同僚が命を落とす過酷な状況で生き延び、アメリカへと渡った彼女が、戦争や紛争のない国で生きる人々と同じような日常的な寂しさを抱え、葛藤しながらも、新たな関係性のなかで、誰かから愛されて幸せを感じたいと願って生きている姿が描かれています。この映画がどこか新鮮に映るのは、戦争や厳しい環境の被害者としてばかり語られてきたアフガン人女性を主人公にしながら、アフガン人女性という属性で一括りにしてその戦争体験にフォーカスするのではなく、ドニヤという一人の人間の機微に触れ、物語を紡いでいるから。
主人公ドニヤを演じたのは、本作が映画初出演となるアナイタ・ワリ・ザダ。母国アフガニスタンではテレビ局の司会者やジャーナリストとして活躍していたものの、ドニヤと同じように、タリバンの復権にともないアメリカへと逃れてきた過去があります。役柄に近いバックグラウンドを持つアナイタは、その意志のある眼差しと佇まいで、ドニヤというキャラクターに説得力を与えました。
今回、ババク・ジャラリ監督に話を伺って見えてきたのは、作品の核にある「人種も国籍もかかわらず、誰もが普遍的な願いを持つ」という考え方。そして、ババク監督の故郷・イランの社会や、アフガニスタンの女性たちが持つパワーについても聞くことができました。
─『フォーチュンクッキー』の舞台になっているフリーモントは、北米最大級のアフガン人コミュニティがある街です。今回、フリーモントに住むアフガニスタン人ドニヤを主人公にしたのはなぜでしょうか?
ババク:まず、今まで作ってきた映画のほとんどにアフガニスタンの要素があるんです。というのも、僕はイランで生まれ、ロンドンで育ちました。イランは難民が多い国ですが、なかでもアフガニスタンから来た難民の人口がとても多いんです。加えてイランとアフガニスタンは、言語や文化などの共通点がとても多かったので、小さい頃からアフガニスタンの方々に関心がありました。
─監督はフリーモントの存在を長編2作目の『Radio Dreams(原題)』の撮影の際に知ったそうですね。その後、新聞でアフガニスタンの難民の記事を読んだのが、本作を作るきっかけになったと伺いました。
ババク:『Radio Dreams』はサンフランシスコのベイエリアが舞台になっていて、撮影のときに初めてフリーモントという街を知りました。最初はただ街を見たり、美味しいものを食べたりしようと思って足を運んだんですが、ドニヤのような元通訳の方にたくさんお会いしたんです。そこで、彼らがフリーモントで暮らしていることや、非常に苦しい状況に置かれていることを初めて知りました。それは、アフガニスタンから移住してアメリカに住んでいる人のなかでも、故郷でアメリカの軍や会社のために仕事をしていた元通訳の方を裏切り者だと考える人が多かったからです。そのときに出会ったのは男性ばかりでしたが、女性の通訳の方もいることも知りました。
その後、元通訳の方々のアメリカでの人生に関するルポルタージュ記事を読みましたが、その内容はとても暗いものでした。アメリカに渡るビザを発行してもらう約束をして、実際に渡米したものの、移住後のケアが全くされないために新しい生活にどうやって向き合ったらいいのかわからず、非常に苦労している方が多かったんです。
ただ移民の物語にするにしても、惨めな部分や辛い部分にフォーカスした映画にすることには興味がありませんでした。そういう作品はすでにたくさんあるわけですから。そういったことを考えていたときに、今回の作品の背景が生まれてきました。
─本作のキャラクターに共通するのは、寂しさや孤独を抱えていること。もしくは、人が寂しさを抱えているのは当たり前で、誰もが幸せを追い求めてもいいのだと知っていることです。中国系アメリカ人であるフォーチュンクッキー工場のオーナーや、同僚の友人ジョアンナ、アフガン料理店の店主や、同じアパートに住むアフガン人、セラピストなど、多様な人種の個性豊かな人々が登場しますが、なにか意図があったのでしょうか?
ババク:ベイエリアは多様性に溢れていて、いろんな方が住んでいる場所です。フリーモントももちろん様々な方がいる街ですし、サンフランシスコには有名なチャイナタウンもあります。
中国系アメリカ人、アフガン人、白人系アメリカ人など、色々な背景を持つ人物が登場しますが、彼ら一人ひとりの心の機微を描くことで、人種にかかわらない普遍的な感情があることを描き出したかったんです。例えば、ドニヤは白人系アメリカ人のダニエルと出会いますが、それぞれの違いを描くよりは、人間が夢や欲求、孤独を抱えていることは、核の部分で皆共通しているということを描きたかった。それらは、自然の本能として誰しも持っているものです。そういった普遍的なものを分かち合っているのを見せられると思い、なるべく多様な人選をしました。
ただ、誤解がないように言いたいのは、文化や背景の違いを認識することはもちろん重要だということです。人によってそれぞれ言語が違ったり、食が違ったり、文化が違う。そういった違いが僕はすごく好きです。僕たちが旅をするのが好きなのは、新しい知らない文化や社会に触れたいからだと思うし、仮に僕が日本に行くことができたら、自分が経験してきたこととは違う世界が待っていて、夢のような体験になるだろうと思います。
─過去のインタビューにおいて、映画ではあまり描かれてこなかった「アフガン人女性のたくましさ、力強さ、誇り高さを見せたかった」とおっしゃっていました。これまでの映画作品におけるアフガン人女性の表象について、どう感じていらっしゃいましたか?
ババク:アフガニスタンの女性がニュース、メディア、映画、本などで登場すると、被害者であるという風に描かれることが多いです。あるいは話の主人公は父や夫で、誰かの妻、誰かの娘として語られることが多いように思います。
僕は小さい頃からアフガンの女性たちと触れ合ってきましたが、皆パワフルですし、一人ひとりが夢と希望を持っています。そういう思いを持つことは日本の方をはじめ、他の国に住む女性たちと全く変わらないと思います。
─主人公のドニヤが、日常的な寂しさや孤独を感じ、葛藤しながらも移民コミュニティの外に出て、新たな関係性やまだ見ぬ愛を探し求める姿は、とても新鮮に感じられました。彼女を通して、どのようなアフガン人女性像を見せたかったのでしょうか?
ババク:ドニヤは、他の文化圏の同じ年頃の方と全く変わらない、夢や希望を抱いている若い女性だと考えていました。ドニヤは仕事をしたいし、夢も持ちたいし、恋愛もしたいし、朝起きて眠る、安息の日々を送りたいと思っている。
けれど、米軍基地で通訳として働いていた彼女は、もちろん恐ろしい光景を目撃してきているし、とても辛い経験をしています。アメリカに逃れてきたことについて、「あの国を出たかっただけ。どこでもよかったんです。ドイツでも、フランスでも、イギリスでも、エルサルバドルでもどこでも」というセリフがありますが、それはタリバンが戻ってきた現実からとにかく逃げないといけなかったからです。タリバン政権下で女性として生きることは、非常に辛いことです(※1)。
ただ、ドニヤは今アフガニスタンの外にいて、そのことに対する罪悪感やトラウマを抱えてはいるけれども、これから素晴らしいことが起きることに対する心の準備ができている。前を向いているんですよね。ただ、それはアメリカンドリームのような軽々しいものではありません。あくまで一人の人間として求めるものです。
そしてそういう彼女を見せることで、なによりも彼女が一人の人間であるということを描きたいと思いました。人生においても映画においても、難民や移民であるということを肩書きのように考えてしまいがちなんだけれども、そうやってカテゴライズする前に一人の人間として見ることができれば、互いに繋がりあうことへの助けになるし、互いにより深く理解しあえると思います。なので、決して哀れみの対象としては描きたくなかったんです。
『フォーチュンクッキー』予告編
─監督は8歳ごろまでイランに住んでいらっしゃったそうですね。そのときに触れ合ったアフガン人の方々に対してどのような印象を持っていたと記憶していますか?
ババク:イランにはアフガニスタンからの難民の人口がすごく多かった、という話はしましたが、子ども時代にアフガン人に対する扱いを目の当たりにして混乱しました。子ども心でさえも、アフガン人の方々がイラン社会のなかでカテゴライズされてしまっていることを感じていたからです。
正直、多くのイラン人のアフガン人難民への扱いはほんとうにひどく、子どもの自分から見ても「なんでこんなに不快なんだろう」と思うことが多かったです。僕は小学2年生までイランにいたんですが、親に「アフガンの人々がまるで二級市民のように扱われているのはなぜ?」と聞いたことがありました。これは親のおかげですが、「全然違いはないんだよ」と教えてくれました。そのときに、これは社会でのイラン人の振る舞い方が表れている、悲しい例なんだと理解したんです。その頃から、国境というある種ランダムなものがあって、それを跨ぐだけで全く異なる待遇を受けたり、国籍や人種によってカテゴライズされたりすることについて考えるようになりましたね。
─子ども時代の貴重なお話をありがとうございます。現在のイラン社会やアフガン人女性たちについて、感じていることはありますか?
ババク:これはイラン人女性の話になりますが、2年ほど前にイランで女性の権利や自由を求めるムーブメントがありました(※2)。現状に異を唱えて立ち上がる彼女たちの勇敢さには本当に感嘆しました。またアフガン人女性も、タリバンではない政権だったときからそうやって立ち上がり続けてきたんです(※3)。2001年にタリバンが一旦退去したからといって、彼女たちの状況が劇的によくなったわけではありませんでしたが、そういった状況でもアフガニスタンの女性たちは色々なことを試みてきました。
例えば女性に音楽を教えるとか、スケートボードを教える(※4)とか、自分たちの教育の権利のために戦うことを教えるとか。もしかしたらムーブメントとしては小さいものかもしれないけれど、そういった活動が連綿と続けられてきたことに、僕はパワーと決然とした意志を感じていたんです。
※1:アフガニスタンにおける女性の権利の状況は、タリバンの支配下で劇的に悪化している。タリバンは、女性と少女の自治、権利、日常生活を直接的な標的とする少なくとも70の法令や指令を発し、家庭内、女性や少女の公共の場所へのアクセス、雇用機会、リプロダクティブ・ライツ、妊産婦の健康管理、教育、メンタルヘルス・サービスなど厳しい制限が置かれている。一方で、厳しさを増す現実に直面しながらも、アフガニスタンの女性たちは驚くべき強じん性と勇気を示し続けている。(参照:UN WOMEN JAPAN 「よくある質問:タリバン支配から3年を経たアフガニスタンの女性たち」)2025年3月現在も、女性が通えるのは小学校までとする措置が続いている。(参照:NHK「アフガニスタン 女性が通えるのは小学校までとする措置続く」)
※2:2022年、頭髪をスカーフで適切に覆っていなかったとしてクルド系のマサ・アミニさんがイランで道徳警察に逮捕され、その後死亡。この事件がきっかけにイラン各地で大規模な抗議行動が起き、治安部隊による残忍な弾圧によって数カ月後に沈静化させられた。(参照:BBC「『私は好きなものを着る』 イラン政権に反抗する女性たち」)
※3:1977年にアフガニスタンのカブールで設立された「RAWA(アフガニスタン女性革命協会)」は、継続して活動を続けている団体の一つ。また日本にも「RAWAと連帯する会」がある。(参照:朝日新聞「街から色が消えていた 元教師が8年ぶりのアフガンで見たもの」)
※4:アフガニスタンでは、女性が公共の場所でスポーツをする自由がほとんど認められていない。しかし、新しい文化としてスケートボードが持ち込まれ、女性たちにも広まっていった。(参照:KAI-YOU premium「紛争国で、スケボーが女性人気No.1スポーツになるまで」)
ババク・ジャラリ
1978年、イラン北部のゴルガーン生まれ。主にイギリス、ロンドンで育ち、東欧研究の学位と政治学の修士号を取得した後、ロンドン・フィルム・スクールで映画制作を学ぶ。2010年に長編デビュー作『Frontier Blues(原題)』(09)が、サンフランシスコ国際映画祭で審査員特別賞を受賞し、脚光を浴びる。続いて、長編2作目の『Radio Dreams(原題)(16)が、ロッテルダム国際映画祭でタイガー・アワード(最優秀作品賞)、シアトル国際映画祭で審査員特別賞を受賞。さらにロシアのアンドレイ・タルコフスキー映画祭では最優秀監督賞を受賞するなど、数々の映画祭で高く評価される。3作目の『Land(原題)』(18)は、ベルリン国際映画祭でプレミア上映され、本作『フォーチュンクッキー』は4作目の長編監督作品。プロデューサーとしては、ヴェネチア国際映画祭でプレミア上映された、イタリアのドゥッチョ・キアリーニ監督『Short Skin(原題)』(14)や、ライアン・ゴズリングが製作総指揮を務めた、ノアズ・デシェ監督の『White Shadow(原題)』(13)などに参加し、監督、プロデューサー、脚本家として多岐にわたり活躍している。
(Photo:© Butimar Productions)
プロフィール
『フォーチュンクッキー』
2025年6月27日より全国ロードショー
監督:ババク・ジャラリ
脚本:カロリーナ・カヴァリ、ババク・ジャラリ
出演:アナイタ・ワリ・ザダ、グレッグ・ターキントン、ジェレミー・アレン・ホワイト
作品情報
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