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映画『パトリシア・ハイスミスに恋して』。監督が語る “日記から映画をつくること”

1950年代の米国でハッピーエンドを迎えた初のレズビアン小説『キャロル』の作家

『太陽がいっぱい』『アメリカの友人』など多くの人に愛される映画の原作を生み出した作家、パトリシア・ハイスミス。デビュー作『見知らぬ乗客』で交換殺人を描いたことでミステリー作家として知られながら、当初ペンネームで発表した自伝的要素を含む小説『キャロル』は、1950年代のアメリカで初のハッピーエンドを迎えたレズビアン小説だと言われています。その一方でパトリシア自身は、「私が小説を書くのは生きられない人生の代わり、許されない人生の代わり」と語り、女性たちとの恋愛を隠す生活を余儀なくされていました。

2023年11月3日公開のドキュメンタリー映画『パトリシア・ハイスミスに恋して』は、そんな彼女の生涯を見つめ、生誕100年を経て発表された日記や本人の映像、タベア・ブルーメンシャインをはじめとする元恋人や家族に対するインタビューなどを織り交ぜて制作された作品です。この記事では、パトリシアの日記に惹かれ映画化を決めたという、エヴァ・ヴィティヤ監督のインタビューをお届けします。

パトリシアの死後、公開された日記に書かれていたこと

ー同性愛者として生きていくことが今よりもさらに難しかった時代、パトリシア・ハイスミスはレズビアンであるという自身のセクシュアリティや女性たちとの関係を周囲に受け入れられない苦しさを抱えていたと思います。そんなパトリシアが「書く」行為を通じて自身の望む人生を探求したという事実に、この映画を通して触れられることには大きな意味があると感じます。今、このタイミングで彼女のドキュメンタリーを撮ろうと考えたのはなぜですか?

エヴァ:発表されていなかった彼女の作品、それはつまり主に日記だったのですが、それらをスイスで見つけたのがきっかけです。日記には、彼女がこれまで公開したことがなかった自身の愛の生活についても書かれていました。

たとえば20年前でしたらこの作品をこのような形でつくるのは難しかったのではないかと思います。なぜかというと、彼女の友人や恋人にとっても、彼女との関係性を明かすには時間が必要だったかもしれないからです。ただ、彼女の意識のなかには日記がのちに公開されて読まれてもいいという気持ちがあったのではないかというふうに思っています。

映画『パトリシア・ハイスミスに恋して』。監督が語る “日記から映画をつくること”

エヴァ・ヴィティヤ監督

ー未発表の日記に関して、「のちほど読まれるかもしれない」とパトリシア自身が思っていたと考えたのはなぜだったのでしょう?

エヴァ:パトリシアは日記をタンスのなかに洋服と一緒にしまっていたのですが、実はその日記自体に彼女がそういったことを考えていたんじゃないかという箇所があります。「私の死後、この日記は発見されて読まれるだろう」といった記述ですね。また、彼女は遺言でも日記について言及しています。

実は私もこの作品をつくるにあたって、初めはこういった個人的な内容を映画の形にしていいのか少し悩むところがありました。でも彼女の日記を読んでみると、そのように日記が自分の死後読まれるだろうと予想しているような箇所があったので、安心して作品制作ができました。

ーこのドキュメンタリーは、パトリシアの人生を暴いたり、スキャンダラスなものとして描いたりすることは決してなく、日記という彼女自身の声や彼女のことを大切に思う人たちの語りを通して、彼女が抱えていた複雑で多様な面に寄り添うようなエヴァ監督の視線が印象的でした。

エヴァ:私にとっては、彼女の個人生活自体は主な関心ではなかったんです。

ー個人生活というのは具体的にどんなことを指しますか?

エヴァ:彼女の愛に関する生活ということになるでしょうか。ただそれも彼女の重要な一部であったために、やはり彼女の個人生活も取り入れる必要があると思いました。彼女はある意味で二つのアイデンティティを持って生きていた人だと言えると思います。だからこそ、複雑な人生を生きていたし、他の人が目にしないような部分を見ることができた、と言うこともできると思います。

映画『パトリシア・ハイスミスに恋して』。監督が語る “日記から映画をつくること”

作中では、映画『アル中女の肖像』(ウルリケ・オッティンガー監督/1978年)の主演俳優でもあるタベア・ブルーメンシャインもパトリシアの元恋人としてインタビューに答えている。

ーこの作品は彼女の人間性のさまざまな部分を描いていますが、そのなかでセクシュアリティにもフォーカスしていると思います。実際に生きた一人の人間の個人的な日記をもとにドキュメンタリーを撮ることの難しさについては先ほども話されていましたが、マイノリティの人のありようを消費してしまうようなコンテンツもあるなかで、エヴァ監督はこのドキュメンタリーを制作するにあたってどんなことを大切にしましたか?

エヴァ:セクシュアルマイノリティの映画が消費されてしまうというのは、ポルノグラフィックな意味でおっしゃっているのでしょうか。その辺りが理解できているか確認してから答えたいと思います。

ーたとえば製作側がマジョリティであるなかでマイノリティの人たちの物語を描く際、表面的にはマイノリティの人に関する作品だと言いながら、結局はマイノリティの人のコミュニティに貢献していないような作品のつくり方や届け方のことを指しています。

エヴァ:私が生まれた1970年代のスイスでは、レズビアンの人たちが存在するのはまったく普通のことでした。一方で、パトリシアが生きた1940年代、50年代、60年代にはまったく違った社会の風潮があったでしょう。あるいは現在も、スイス以外の土地ではレズビアンであることが問題とされてしまう場合もあると認識しています。

この映画ではレズビアンの人たちのさまざまな痛みや困難も描かれていますが、同時に大きな自由や強い連帯感も描かれていると思います。そういった人たちは、パトリシアが生きた時代において隠れた大きな秘密を共有するクラブのメンバーのような存在だったわけですね。そんな人たちの人生を悲劇的でなく描くことができたのは重要なことだとわたしは思っています。

映画『パトリシア・ハイスミスに恋して』。監督が語る “日記から映画をつくること”

若き日のパトリシア・ハイスミス © RolfTietgens_CourtesyKeithDeLellis

パトリシアが必要とした日記という場と静けさ

ーたしかに、自由や連帯を求める気持ち、そのエネルギーも強く感じる映画だと思います。映画の冒頭には「日記に恋した」という表現が登場しますが、なぜその表現を使おうと思ったのでしょうか。

エヴァ:パトリシア・ハイスミスはスイスではとても著名な人物です。ただ、彼女の文学には暗いイメージがありましたし、彼女自身、暗い人物、苦しみに満ちた人物として有名でした。一方で、日記を読むとまったく違った一面が書かれていたんですね。日記からスイスで持たれている印象とは違う一面を発見できたので、「彼女の日記に恋をした」という表現を使いました。

映画『パトリシア・ハイスミスに恋して』予告編

ーme and youでは日記を大切にしています。エヴァ監督自身は日記というものをどんな存在、どんな記録媒体だと考えていますか?

エヴァ:パトリシアの日記でとても印象的だったのは、彼女はなにか整った形で日記をつけようというのはまったくなしに、アイデアやその日の考え、あるいは経験したことや夢など、あらゆるテーマに関して、秩序立った形ではなく書き散らしていたということです。内容だけでなく、そういう書き方自体もとても魅力的だとわたしは感じました。

ーこの映画のシーンの最初と最後はすごく静かなシーンだったと思います。そしてパトリシア自身も「静か」という言葉をよく使います。静かさとは自由でいられること、あるいは「自分が自分でいるために戦わなくてよい状態」と捉えられるように感じました。エヴァ監督はパトリシアと静けさをどう捉えていますか?

エヴァ:彼女はいわゆる非常に感受性が豊かで繊細な人だったと思います。人生のなかでは都市で生活していたときもありましたが、常に田舎を好んでいて、静かに暮らすということが彼女の基本的な要求でした。彼女は書くために、そしてアイデアを練るために、静けさを必要としているような人だったと思います。

それから彼女は自然をとても愛していました。よく双眼鏡で鳥を観察していましたし、大学で生物学や動物学を学んでいた時期もありました。自然を愛し、必要としていたのも事実だと思います。わたしがこの映画を撮っている期間、仕事を始めるとさまざまな動物が出てくることが多くて。ひょっとしたらこれはパトリシア・ハイスミスが妖精のように動物になって出てきているのかなと。彼女の映画をつくりながら、そんなふうに思ったこともありましたね。

映画『パトリシア・ハイスミスに恋して』。監督が語る “日記から映画をつくること”

© RolfTietgens_CourtesyKeithDeLellis

エヴァ・ヴィティヤ

1973年、スイス、バーゼル生まれ。2002年にドイツ映画テレビ・アカデミー(DFFB)で脚本家としてのディプロマを取得。脚本家としてスイスとドイツで活躍し、『Meier Marilyn(原題)』(03)、『Madly in Love(原題)』(10)、『Sommervögel』(10)など、映画やテレビの長編作品の脚本を多数執筆。2015年、チューリヒ芸術大学(ZHdK)の修士課程の一環として、監督として初の長編ドキュメンタリー映画『My Life as a Film:How My Father Tried To Capture Happiness(英題)』を制作。同作品はスイス映画賞や、ロサンゼルス国際ドキュメンタリー協会で最優秀ドキュメンタリー賞にノミネートされ、第51回ソロトゥルン映画祭などで賞を受賞した。チューリッヒ在住。
(Photo: © Martin Guggisberg)

『パトリシア・ハイスミスに恋して』
© 2022 Ensemble Film / Lichtblick Film
11/3(金・祝)より新宿シネマカリテ、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
監督・脚本:エヴァ・ヴィティヤ
出演:パトリシア・ハイスミス、他
配給:ミモザフィルムズ

公式サイト

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