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創作・論考

ただ祈ることの力強さ、揺るぎなさ『夏の終わりに願うこと』

余命幾許もない父トナの最後の誕生日パーティーの準備をする家族の1日

病気で療養中の父の誕生日パーティーの一日を、7歳の少女ソルの視点で描いた映画『夏の終わりに願うこと』。長いようで短い家族にとって忘れられない一日、揺れ動くソルの心や大人たちの葛藤がメキシコの光とともに鮮やかに描かれています。監督のリラ・アビレスは1982年にメキシコシティに生まれ、MIU MIUの短編アンソロジーシリーズ「Women’s Tales」の一篇の監督を務め、国際女性デー65周年を記念したロールモデルプログラムに選ばれるほか、アルフォンソ・キュアロンやギレルモ・デル・トロなども絶賛するなど注目を集め、長編2作目となる本作は多くの賞を受賞しています。

アビレスのパートナーは娘が7歳だったときに亡くなったそうで、本作品は18歳になった娘のことを思ってつくった作品だそう。この夏、実家に長めの帰省をしながら家族のことを考えていたという、ライターの浅井美咲さんによるレビュー。

余命幾許もない父トナの最後の誕生日パーティーの準備をする家族の1日

例えば家族と食卓を囲んでいて、みんなが楽しそうに話して団欒している。でも私はその時、他のことに心を砕いていたからどこか上の空で、彼らが話している声がうまく頭に入ってこない。自分が考えていることと他者の声が絡まり合い、まるで轟音のようになって、頭の中を埋め尽くす。オープニングクレジットの終わりに鳴り出した地鳴りのような音を聞いて、過去にそんなことを思ったことがあったとぼんやりと回想していた。
 
『夏の終わりに願うこと』は、主人公の少女ソルを中心に、余命幾許もない父トナの最後の誕生日パーティーの準備をする家族の1日を描いた映画だ。ラテンアメリカらしい大家族が描かれ、ソルは馴染みのない祖父の家で、忙しなく動く大人たちや、動物たちと触れ合いながら、体調が悪いからとなかなか会わせてもらえない、自室で療養している父に思いを馳せる。メキシコの映画監督、リラ・アビレスによるこの作品は、幼い時に父を亡くした彼女自身の娘を思いながら生み出された物語だ。

ただ祈ることの力強さ、揺るぎなさ『夏の終わりに願うこと』

© 2023- LIMERENCIAFILMS S.A.P.I. DE C.V., LATERNA FILM, PALOMA PRODUCTIONS, ALPHAVIOLET PRODUCTION

オープニングシーンを除いて、本作はその大部分が祖父の家を舞台としている。もちろん大家族が集えるほどいろんな部屋があり、画変わりするからかもしれないけれど、95分間飽きずにずっと見ていられるのは、盛大なパーティーの準備をするこの忙しい1日にいろいろなことが起こり、ソルと一緒にそれを私たちも目撃するからだ。カメラは時にソルと同じ目線まで下がって、彼女を背後や斜め後ろから捉え、彼女が何を見て何を聞くのかを映し出そうとする。

ただ祈ることの力強さ、揺るぎなさ『夏の終わりに願うこと』

© 2023- LIMERENCIAFILMS S.A.P.I. DE C.V., LATERNA FILM, PALOMA PRODUCTIONS, ALPHAVIOLET PRODUCTION

ただ祈ることの力強さ、揺るぎなさ『夏の終わりに願うこと』

© 2023- LIMERENCIAFILMS S.A.P.I. DE C.V., LATERNA FILM, PALOMA PRODUCTIONS, ALPHAVIOLET PRODUCTION

彼女が目にするのは、トナの病状に心を痛めながら、それだけにはかまけていられない、せかせかとした大人たちである。例えば、ソルが従妹のエステルと祖父ロベルトの発声補助器具を使って遊んでいると、早々にロベルトがおもちゃじゃないんだと取り返しにくる。エステルの母で、ソルの叔母にあたるヌリアが怒る父をなだめた後、急いで買い物に行ってくるからお留守番していてねとエステルに告げる。

ヌリアは行きすがらに、ロベルトに「そういえばトナの治療費を払わないといけない」と話しかけるが、彼はもうそんな金はないと応える。ヌリアは「それでもどうにか工面しないといけない」と言い置いてドアの方に向かうが、すれ違った姉のアレハンドラに、「あなたのせいでシンクで髪を洗う羽目になった」と小言を言われる。

リビングで起こる一連のいざこざを捉えた後、カメラはソファにもたれるソルを再び映すのだけれど、彼女は口を噤み、虚空を見つめていて、その心ここに在らずな面持ちに思わず胸が苦しくなってしまう。

ただ祈ることの力強さ、揺るぎなさ『夏の終わりに願うこと』

© 2023- LIMERENCIAFILMS S.A.P.I. DE C.V., LATERNA FILM, PALOMA PRODUCTIONS, ALPHAVIOLET PRODUCTION

死に近づいているという現実から目を逸らそうとする大人たちと、ひたむきに祈り続ける少女ソル

大人たちは、やるべきことや考えるべきことに囚われて、時に言い争いをして、トナが刻一刻と死に近づいているという現実から目を逸らしているようにも見えるけれど、その裏返しに、何か気が紛れるようなことをやっていないと、考えていないと、正気を保てないのかもしれないというふうにも捉えられる。

特にヌリアは、誕生日パーティーの主役であるケーキを焦がしてしまうし、パーティーが始まる直前に酒を飲み始める。さらに、パーティーに顔を出すのを渋り、しまいには1人でキッチンの床に座り込んでしまう。他のことに没頭しようとしないと、彼女はトナがもうすぐいなくなる苦しみに耐えられないのではないか。また、悪魔祓いや量子療法によって、少しでも苦しみを減らそうとするシーンも描かれる。いずれもメキシコでは珍しくない文化なのだそうだが、大人たちは、トナ自身に向き合うというよりは、何か別の方法に委ねて彼の苦しみが減ることを願ったり、自分自身の心を癒やしたりしようとする。

ただ祈ることの力強さ、揺るぎなさ『夏の終わりに願うこと』

© 2023- LIMERENCIAFILMS S.A.P.I. DE C.V., LATERNA FILM, PALOMA PRODUCTIONS, ALPHAVIOLET PRODUCTION

ただ祈ることの力強さ、揺るぎなさ『夏の終わりに願うこと』

© 2023- LIMERENCIAFILMS S.A.P.I. DE C.V., LATERNA FILM, PALOMA PRODUCTIONS, ALPHAVIOLET PRODUCTION

ただ祈ることの力強さ、揺るぎなさ『夏の終わりに願うこと』

© 2023- LIMERENCIAFILMS S.A.P.I. DE C.V., LATERNA FILM, PALOMA PRODUCTIONS, ALPHAVIOLET PRODUCTION

対してソルは、トナが死んでしまわないことをひたむきに祈り続ける。その目は真っ直ぐにトナに向かっていて、何か別の方法に頼ってみたりはしない。ボーッと窓の外を見つめる表情からも、閉ざされたトナの部屋の壁の前で立ちすくむその背中からもトナを思う切実な心が感じられて、それはまるで、大人たちには抱えきれなかった、ただ祈るという行為を一手に引き受けているみたいに見えるのだ。

ソルの家族には、光や星の意味を持つ名前の人が多く登場する。例えば、母のルシアは「光」を意味するラテン語「ルクス(Lux)」に由来する名前であるし、従妹のエステルは「星」を意味するラテン語「ステラ(Stella)」に由来する名前だ。そして、ソルの名前の由来は「太陽」を意味するラテン語の「ソル(Sol)」である。太陽系の中で、唯一自ら発光し続ける星である太陽は、夜の世界でも何かに頼ることなく地平線の下で光り続けている。ソルは家族という小宇宙の中で、太陽のように、他の家族が弱っていくトナと真っ直ぐに向き合えない間も彼を眼差し続ける。

ただ祈ることの力強さ、揺るぎなさ『夏の終わりに願うこと』

© 2023- LIMERENCIAFILMS S.A.P.I. DE C.V., LATERNA FILM, PALOMA PRODUCTIONS, ALPHAVIOLET PRODUCTION

誕生日パーティーが始まった頃、ソルはようやくトナに会うことができた。ベッドに腰掛ける彼の元に駆け寄り、力いっぱい抱きしめる。トナはプレゼントがあると言って、ソルに自身が描いた絵を見せる。そこにはフクロウやカエル、ヘビなどソルが好きな動物たちが描かれていた。トナはこの絵を描いたのは「ソルと絵の中で会うためだ」と。「すごく好きでも会えなくなる日が来る、でもいつもそばにいるよ」とソルに語りかける。ソルは彼の言葉で、誰よりもトナ自身が、自分が近いうちにいなくなることをわかっているのだと悟るのだ。その後ルシアがやってきて、親子3人が久々に再会する。ハグをする父と母を眺めるソルの横顔をカメラが捉えるのだけれど、何よりも待ち望んでいた光景を前にしても、彼女の顔に笑顔は浮かばない。

ただ祈ることの力強さ、揺るぎなさ『夏の終わりに願うこと』

© 2023- LIMERENCIAFILMS S.A.P.I. DE C.V., LATERNA FILM, PALOMA PRODUCTIONS, ALPHAVIOLET PRODUCTION

そして、ロウソクに火がついたケーキを前にしたソルが、バストアップショットで映される終盤のシーン。「何か願いはある?」と聞かれたトナが、「何も願うことはない」と応える声を最後に、パーティーに集まった人々の声は段々と編集によって掻き消され、オープニングクレジットでも鳴っていた轟音に取って代わる。ソルは頬杖をつき、ロウソクの火を眺めていたが、その目はいつの間にかカメラのレンズを見つめていて、背後に鳴り響く音も相まって私たちは目が離せなくなる。観るものを吸い込むような切迫した長回しは、ぐるぐると思考が巡らせるソルの頭の中を表しているみたいだ。どうか死なないでほしいという祈りが少しずつ形を変えてゆく。

大切な人を喪うソルを前に、彼女が抱えるもののあまりの大きさに、為す術もなく立ちすくんでしまうように感じられる。でも、ソルがルシアに肩車をされ(原題の「TÓTEM」は監督が娘を肩車した写真を見て思いついたそうだ!)、まるでトーテムポールのように背が高い1人の人間となって、オペラを口パクで口ずさんでトナを笑かせてみようとする時、ソルはまるで、天に昇るみんなを照らす太陽だった。ソルは間違いなく、私にとっても太陽だった。

ただ思うこと、ただ祈ることは、なんて力強くて揺るぎない

この夏、私は実家に長めの帰省をしていて、数ヶ月ぶりに家族と過ごしていた。私は在宅ワークができるので、仕事に出掛けたり、お買い物に行ったりするみんなを見送る係だった。そして、どっと疲れきっていたり、ちょっと機嫌が良かったりする彼らのいろんな日を、食卓の端っこにある定位置から眺めていた。娘が実家を離れたことなんて忘れてしまうくらいには長く帰省して、「生活をするように過ごす」ことを、私は密かに大事にしている(そして私の願いが叶う、稀有な環境に感謝している)。

近くに住む祖父母にも会いに行って、相変わらずよく喋るなあと思いながら、確実に以前よりも痩せている、その身体を見ていた。来年の夏、私の家族はどんな形になっているんだろう。それは誰かがいなくなってしまうみたいな決定的な話だけでなくて、私の家族を構成する誰かが誰かに抱く感情が変わり始めてしまうみたいな、目には見えない関係性の話も含めて。この夏、ぼやぼやと家族について考えずにはいられなかった私にとって、ソルのひたむきさは眩しかった。トナに死なないでほしいと一心に願った彼女の佇まいは、色々なことを考えてぐちゃぐちゃになった私の思考を貫くみたいだった。ただ思うこと、ただ祈ることは、なんて力強くて揺るぎない。

浅井美咲

1996年生まれ。太陽星座は双子座。ライター・編集者として活動。映画に関する文筆を中心に行っており『NOBODY』『NiEW』に映画評を寄稿。フェミニズム、クィア映画に強い関心がある。音楽活動も行っている。

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『夏の終わりに願うこと』

監督・脚本:リラ・アビレス
出演:ナイマ・センティエス、モンセラート・マラニョン、マリソル・ガセ、マテオ・ガルシア・エリソンド、テレシタ・サンチェス
2023年/メキシコ・デンマーク・フランス/カラー/95分/スタンダード/原題:Tótem
日本語字幕:林かんな 配給:ビターズ・エンド 後援:メキシコ大使館

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