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同じ日の日記

幻の愛の成就/穂村弘

同じ夢には戻れない。でも、どの夢にもいつも私がいる

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2024年4月は、4月11日(木)の日記を集めました。「すみれコード」の夢を見たという、猫と暮らす歌人の穂村弘さんの日記です。

私は老婦人たちのお茶会に参加していた。あちこちで明るい笑い声が挙がっている。なんと全員が元宝塚だという。でも、自分は宝塚の舞台を一度しか見たことがない。どうしようと焦る。「すみれコード」という言葉が耳に入る。「すみれコード」って何だっけと必死に考えている時、猫に起こされた。暗い。時計を見ると、まだ五時じゃないか。といっても、昨日は夜の七時に眠ってしまったから寝不足ではない。むしろ寝過ぎ。

どうしてあんな夢を見たのだろう。心当たりがない。昭和時代の黒電話のように誰かの夢と混線したのか、と思う。ふらふらと起き上がって、宝塚語辞典で「すみれコード」を調べてみた。

【すみれコード】

劇団の品位を損なったり夢を壊したりしないための暗黙の了解項目。(略)お付き合いしている人の有無はもちろんNG、ファンも求めない。暗黙のルールであり、“夢を壊さない”という点でおおまかに“日常生活を見せない”ことがコードであったように思う。(略)知りたいけど知りたくない、知ってはいけないすみれ色のヴェールは、時代の共に薄くなってきているのかもしれない。すみれコードがなくなりませんように。

そうだったのか。「すみれコード」というネーミングが素敵だと思う。すみれは宝塚市の市花であり、劇団の象徴でもあるらしい。そういえば、”すみれの花咲く頃”という劇中歌もあった。100年近く前の名曲だ。

猫にごはんをあげて、自分も納豆ごはんを食べて、ベッドで本を読んでいたら、いつの間にか眠ってしまった。同じ夢には戻れない。でも、どの夢にもいつも私がいる。今度の私は真夏の街でタクシーが拾えなくて焦っていた。手を挙げても止まってくれなかったり、もう誰かが乗っていたり、タクシーかどうか微妙だったり。アスファルトの反射が眩しかった。現実の自分は暗闇で眼を閉じているのに不思議だ。

午後、家を出て途中の公園で縄跳びをしてから、吉祥寺エクセルホテル東急に向かう。「好きな音楽」についての取材を受けるためである。自分で考えたテーマに沿った10曲を挙げて、それについて語るのだ。過去に登場した人々の記事を見ると、「元気になりたい時に聴くユーミンソング」「和と洋のセンチな10曲」「やっぱり坂本龍一」などのテーマがあった。自分はどうしようか。迷った挙げ句に「好きなテレビ主題歌」にした。私が選んだ10曲のリストを見た編集者さんは「”僕たちの失敗”と”残酷な天使のテーゼ”だけは聞いたことがあります」とのこと。こういうのは世代によるからなあ。帰りに駅ビルのロンロン(今はアトレだけど昔の名前で呼んでいる)で崎陽軒のシウマイ弁当を買った。

夜、食卓で眠っている猫を起こそうとしてみた。いつも眠いのに起こされるから、その辛さを理解して貰おうと思ったのだ。でも、駄目だ。声をかけても揺さぶっても耳をくわえても起きない。猫はどんな夢を見ているのだろう。

こんな短歌を思い出した。

ゆうべ夢でおまえに会ったと聞かせればあたしもという顔をする猫   風花雫

「あたしも」に胸を打たれる。相手が「猫」であること。その場所が「夢」であること。それによって、幻の愛の成就が輝いている。

穂村弘

歌人。1990年、歌集『シンジケート』でデビュー。短歌のほかに評論、エッセイ、絵本、翻訳なども手掛ける。著書に『短歌の友人』(伊藤整文学賞)、『鳥肌が』(講談社エッセイ賞)、『水中翼船炎上中』(若山牧水賞)、『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』、『世界音痴』、『本当はちがうんだ日記』、『にょっ記』、『君がいない夜のごはん』、『はじめての短歌』など。石井陽子とのコラボレーション「『火よ、さわれるの』」でアルスエレクトロニカ・インタラクティブ部門栄誉賞を受賞。近刊に『蛸足ノート』『迷子手帳』がある。

『迷子手帳』

著者:穂村弘
価格:1,980円(税込)
発行:講談社
発売日:2024年5月23日

迷子手帳│講談社BOOK倶楽部

『蛸足ノート』

著者:穂村弘
価格:1,980円(税込)
発行:中央公論新社
発売日:2023年11月20日

蛸足ノート│中央公論新社

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