繰り返される破壊の中で、ニュースでは見えてこない思いを伝えてきた若者たち
2023/12/30
パレスチナ人ヒップホップグループを追ったドキュメンタリー映画『自由と壁とヒップホップ』。イスラエル軍によるパレスチナでの民族浄化に抗議し、これまでセミナーやデモを開催してきた「<パレスチナ>を生きる人々を想う学生若者有志の会」による主催で、12/18に上映会が行われました。
映画の上映後は、アラブ文学・文化が専門の山本薫さんによるパレスチナにおけるヒップホップ文化についての講演、そしてパレスチナにルーツを持つラッパーDANNY JINさんによるパフォーマンスも。前編では、山本さんの講演を中心に、上映会の様子をお届けします。
『自由と壁とヒップホップ』の監督であるジャッキー・リーム・サッロームさんは、パレスチナ系とシリア系の両親の元で生まれ、アメリカで育ちました。周りのアメリカ人がパレスチナについて興味を持ってくれない中、ある日ラジオから流れてきたパレスチナのヒップホップグループDAM(ダム)の“Who’s the terrorist ?(誰がテロリストだ?)”という曲を聞き、衝撃を受けたそうです。
当時はイスラエルの占領に対するパレスチナ人の民衆蜂起「第二次インティファーダ」(2000〜2005年)がヨルダン川西岸地区とガザ地区で起きていました。ジャッキーさんはDAMの曲に英訳をつけ、第二次インティファーダに関するニュース記事をコラージュしてオリジナルの映像を作ったところ、まわりの人が興味を持ってくれたそう。ヒップホップを通じてパレスチナのことを知らなかった層にも強く届けることができると思い、この映画を撮ろうと決めたといいます。
この映画をきっかけにして中東アラブ諸国のヒップホップに興味を持ったという山本薫さん。パレスチナに関心を持つ人の年齢層がどんどん高くなるなか、若い人にも興味を持ってもらいたいと思っていたときにこの映画に出会ったそうです。それから、ヒップホップがいかに現地の若い世代の思いを伝えるツールになっているか、ということに着目をして研究をされてきたといいます。
今回の講演では、映画が制作された2008年以降のガザにおけるヒップホップ・ムーブメントに着目したお話が展開されました。山本さんは「ヒップホップを辿ることで、ガザの、特に若い人たちが何を経験して、何を感じてきたかということを辿れる」と話します。
イスラエル領内のパレスチナ人地区で生まれた史上初のパレスチナ人ヒップホップグループ「DAM」。1999年に結成されたDAMは、占領と貧困、差別により生きる意味を見いだせない若者たちのために言葉を紡ぎ、彼らに影響された若者たちもまたヒップホップを志し、自らの置かれた状況を歌に乗せます。『自由と壁とヒップホップ』はDAMを中心として、各地に分断されたパレスチナ人ヒップホップグループが音楽フェスで集うまでを描いたドキュメンタリーです。
映画の冒頭で、「俺たちの構成要素は、まず30%がヒップホップ。そして30%が文学。残りの40%がこれ」と話しながら窓の外を指差すDAMのメンバー。私たち観客は、少しずつ立場や状況の異なる各地のパレスチナ人ラッパーに出会いながら、「これ」が意味するものを見ていきます。
DAMのメンバーは、自らを「48年組」だと説明します。「48年組」とは、1948年にイスラエルが建国された際に、イスラエル領に留まり、イスラエルで暮らすパレスチナ人やその子孫を指します。対して、1967年の第三次中東戦争でイスラエルに占領されたヨルダン川西岸地区とガザ地区のパレスチナ自治区に住むパレスチナ人やその子孫は「67年組」と呼ばれます。
DAMのメンバーたち48年組は、パレスチナ人であるが故にイスラエル国内で常に差別と抑圧を受けている一方で、イスラエル側に立っていると思われているのではないかと、パレスチナ自治区で暮らしている67年組への引け目を露わにする場面もありました。また、そもそもお互いの居住地は分離壁や検問所で隔てられており、行き来をすることは困難な状況です。監督がカメラを持って調査をするなかで、はじめて各地のパレスチナ人ヒップホップグループが繋がっていったといいます。
2002年、ガザ最初のヒップホップグループであるPalestinian Rapperz、通称「PR」が結成。ガザではPRの誕生を契機としてヒップホップが広まっていき、その中心を担ったPRのメンバーであるアイマンは若者たちにラップを教える学校まで作ったそう。そのなかで「DARG Team」という新たなグループが2007年に生まれます。
ラッパーのみならず、トラックメーカーやDJ、アートディレクターが存在するDARG Teamは、工夫されたMVが特徴的だといいます。2008年に発表された“Bet3mar Fena(俺たちで立て直そう)”という曲のMVには、パレスチナの歴史を表した年表が出てきます。2008年の欄には「WAR ON GAZA」の文字。山本さんは、「現在のガザの、四方を分断されて、人やモノの出入りが厳しく制限された非常に厳しい封鎖下の状況は、2005年が一つの大きなポイントとなっている」と話します。
1993年にオスロ合意が結ばれた結果、パレスチナ自治政府が認められ、ガザもその統治下に入りました。山本さんは、当時のガザの状況を開放感に溢れていたと振り返りながらも、実際にはガザ地区の中にユダヤ人入植地があったことや、それを守ることを名目としたイスラエル軍の駐屯地があったことを付け加えます。それによって、イスラエル軍との日常的な衝突は絶えなかったそうです。しかし、2005年にイスラエルはガザ地区のユダヤ人入植地と軍を撤退させ、その代わりにガザの四方を完全に封鎖するという政策へと転換をしました。
その後、2006年にパレスチナ自治政府の議会にあたる立法評議会選挙で、和平推進派のファタハに対して、反対派のハマスが勝利。翌年の2007年には、ファタハとハマスの軍事部門が衝突をした結果ファタハは追放され、今に続くハマスがガザ地区を実効支配している状態に繋がります。その際、イスラエルや欧米各国、そして日本もハマスをテロ組織であると認定し、それに対する制裁という名目でガザ封鎖がさらに強化されました。そして、必要最低限の医薬品や燃料、食品が制限され、人の出入りもできないという、非常に厳しい封鎖が始まりました。
その後、イスラエルとハマスをはじめとするガザの武装勢力との間の衝突は繰り返されますが、最初の大規模なものは2008年に起き、1300人ほどの死者が出たといいます。山本さんは、「大変な事態だということでシンポジウムもやりましたが、今思えば2012年、2014年、2021年とこうした攻撃が繰り返されてきていて。そして今2023年と、どんどん破壊の規模が大きくなっている」と話します。
「俺たちで立て直そう」というDARG Teamの曲は、一見ポジティブな曲に聞こえるものの、破壊が繰り返されてきた中で、自分たちは何度も立ち直ってきたという気持ちが込められた曲だといいます。
2010年ごろからは、「MC ガザ」というアーティストが登場します。彼の特徴は映画のようなミュージックビデオ。その時々のガザでの出来事や、ガザの人々が何に苦しんでいるのかということをラップと映像を使って表現するMC ガザ。日本語で「最後のカチンコ」というタイトルがついた曲は、ファタハとハマスの内部分裂を描いた曲となっています。
ガザ地区では、ファタハを追い出す形でハマスによる実効支配が始まりました。イスラエルに対して有効に対抗するためにも、内部の和解を一日も早く実現してほしいという、ガザの人たちの願いがこの曲のテーマになっているといいます。MVの中で並んでいる二人は、ファタハとハマスの代表。2007年から毎年のように分裂解消の合意がやり直しになってしまう。それを映画のテイクに例え、再度撮り直しとなったときに「何回目だよ。俺たちは11年も撮り直してるんだ。いい加減にしてくれよ!」というコントのようなやりとりも見られます。山本さんは「こういう曲を聞くと、ニュースの中だけでは出てこない、ガザで生きている人たちが日々何に苦しんでいるのか、何を求めているのかということがとてもよく伝わってくる」と話します。
2018年には、「帰還の大行進」を描いたMVを発表します。ガザでは2018年から1年8か月ほどかけて、毎週金曜日にイスラエルとガザの国境沿いでデモが行われました。国境沿いは立ち入り禁止区域とされ、電流の流れるフェンスが設置されています。そもそもガザの住民は、7割以上がイスラエル領になってしまった地域出身の難民と、その子供たちです。フェンスの向こう側は、もともと自分の祖父母が暮らしていた国であり、自分たちはそこに戻る権利があるんだという、ガザの人々の共通の想いによって「帰還の大行進」と呼ばれるデモが行われていました。
市民運動家が始めたこのデモには、最初は若い人や子ども連れの家族がピクニックのような気分で集まっていたといいます。しかし、だんだんと若者たちがフェンスに近づいてイスラエル側に向かって投石をするようになり、イスラエル軍による発砲でたくさんの人が亡くなりました。狙い撃ちをされ、身体障害者になる若者も続発し、ガザの社会にとても大きな傷を残したといいます。
「パレスチナ人は武器を取って戦うことしかできない、テロ行為しかできないという偏見がありますが、非武装の無防備な若者たちがフェンスに近づいた結果、発砲されてしまう。今回のハマスの攻撃が起きてからではなく、実は1年以上も毎週デモを行なっていて、その中で多くのパレスチナ人が傷ついて殺されてきました。代償が何十倍も重いとわかっていても、一矢報いたいと一つの石を投げる。それだけのために命をかける若者たちが絶えないということも、このMVを見るとすごくわかります」と山本さんは続けます。
10月からのイスラエルの攻撃に際して、SNS上で拡散された12歳のラッパーの映像があります。破壊された建物を背景に歌うMCアブドゥルの姿は世界中で再生されました。「この映像は一見すると今回の攻撃の中で撮られたように思えますが、実際は2021年のもの。逆に言うと、こういう同じような破壊がずっとずっと繰り返されてきたということなんです」と山本さんは話します。
MCアブドゥルは現在15歳。エミネムに憧れて9歳からラップをはじめたそうです。世界中で話題となった“Palestine”という曲をきっかけとして、アメリカのレコード会社でマネージャーとして働いていたDAMメンバーのスヘイルがデビューに導きました。しかし、この夏アルバムを出すために渡米していたところで今回の攻撃が起こり、ガザへ帰れなくなってしまったといいます。自分は夢を追うためにアメリカにいるものの、家族はガザに残されたまま。何もしてあげることができないという心情を歌っています。
<お母さんに電話したい、携帯に充電できたかな 弟たちは寂しくないかな、ちゃんと育ってくれるかな これはジェノサイド でも今度のはテレビに映し出されてる>
『自由と壁とヒップホップ』では、女性のラッパーが何人か登場します。家族に応援されている人もいれば、人前で歌うことを反対されてしまいステージに立つことを諦めた人も。DAMと同じくイスラエル国内に住むパレスチナ人であるアビール・ズィナーティは、家族に反対されながらも「男には女の問題はわからないから」と自らの置かれた状況を歌い、観客は「私たちの代弁者だ」と共感を寄せます。
「シスター、凶悪な占領者にがんじがらめにされ、人殺しの支配者に指図され、君の人生は壁にとらわれた」
ガザ初のヒップホップグループであるPRは、“Prisoner”という曲で「シスター」と女性に語りかけます。「凶悪な占領者」とはイスラエルのこと。しかし、同時に「人殺しの支配者」とは当時すでにガザ地区を制圧していたハマス政権を指しているのではないかと山本さんは言います。
「今みたいな状況だと聞こえてきづらいですが、特に若い女性たちにとって、ハマスの支配下で生きるということがどれだけ息苦しいか。PRは女性の声を代弁し、イスラエルにNOと言うだけでなく、本当に自分たちの自由を奪っている原因を批判します。ハマスのことを名指しで批判するのは非常に難しいですが、こういう音楽を通じて、彼らが抱えている閉塞感のようなものを知ることもできます」
また、DAMは「イスラエルの占領と戦い、自由を求める自分たちが、自分たちの社会の中で女性を抑圧することは許されない。占領との戦いとジェンダーの解放は同じ戦いだ」と明言しているそうです。女性に向けたメッセージや代弁する曲もある中で、DAMに憧れた若者にもその意識は広く共有されているといいます。
パレスチナだけでなく、アラブ、中東の世界では、1990年代の終わり頃から、特に若い世代の自己表現の手段、そして社会批判や政治批判のツールとしてラップが根付いているそうです。一方で、DARG TEAM、MCガザやMCアブドゥルなどは全員ガザを出てしまった現状もあるといいます。山本さんは、「ガザの中で生きていくということは、若者にとっては本当に何の希望も未来もない。だからこそ、何かチャンスがあれば外に出たい。音楽を通じてヨーロッパやアメリカに呼ばれてツアーに行く機会が出てくると、多くの人がそのまま戻らないか、戻れなくなってしまう」と話します。
しかし、PRの創設者の一人であるアイマンは現在の攻撃の中でもガザに留まっているといいます。2008年の最初の大きな攻撃のときに、家にいた彼は目の前で父を爆殺されました。その経験から、自分はガザに根ざしたリリックを作ることが自分の糧であり、ガザのことを歌い続けたいと思ったと話しているそうです。
「この60日で2万人以上が殺された! 無実の人々の血が滝のように流されている。今起きていることをどんなに説明しようとしても言葉が出てこない。たった一つの事実。それは、我々は決して忘れないということ」
会場では、パレスチナと日本にルーツを持つラッパー、DANNY JINさんによるパフォーマンスも行われました。
「祖父は1948年のナクバで難民になり、それ以来パレスチナには戻れていません。親戚はまだパレスチナの西岸地区にいて被害に遭っている中で、パレスチナにルーツを持つアーティストとしてできることを考えたときに、この曲をつくりました」
「音楽からはニュースなどでは見えてこないパレスチナの人々の心情が伝わってくるし、彼らが歩いてきた経験を辿ることができる。今ガザでは、みんな日々生き延びることに必死だから、歌声などはほとんど聞こえてこない。その中でも、PRの時代からずっと現地で活動しているSOL BANDというバンドが瓦礫の中で歌っている映像が、昨日たまたまSNSで流れてきました。子供たちを元気づけるためにみんなで歌っている。今は本当に、ただみんなが明日も生きていてほしいという、それ以上何も考えることができない状況ではありますが、一方で今までも繰り返されてきた破壊の中からガザの人たちが立ち上がって音楽を続けてきたように、きっとまたそういう日が来るという確信を持つことができました」という言葉で締めくくった山本さん。
ニュースでは日々ガザの悲惨な状況が流れてきますが、音楽からパレスチナを辿ると、それが今にはじまったことではないこと、そしてそれに立ち向かうために歌い続けていた人々の姿を確認することができます。
後編では、山本薫さんと本イベント主催の中島梨乃さんへのインタビューを通して、私たちが今パレスチナを取り巻く状況とどう向き合うことができるのかを考えます。
※本記事内に出てくる歌詞の和訳は山本薫さんによるものです。
『自由と壁とヒップホップ』
2008年公開
監督:ジャッキー・リーム・サッローム
出演:DAM、マフムード・シャラビ、PR、ARAPEYAT、アビール・ズィナーティ
配給:シグロ
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