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繰り返される破壊を前に、パレスチナの文化は何を語るのか。山本薫×中島梨乃

自分たちの人間性を保ち、世界に伝えるためのパレスチナのアート。おすすめ作品も

パレスチナ人ヒップホップグループを追ったドキュメンタリー映画『自由と壁とヒップホップ』。イスラエル軍によるパレスチナでの民族浄化に抗議し、これまでセミナーやデモを開催してきた「<パレスチナ>を生きる人々を想う学生若者有志の会」による主催で、2023年12月18日に上映会が行われました。

イベントレポ後編では、上映後に講演を行なったアラブ文学・文化が専門の山本薫さんと、今回の上映会を企画した「学生若者有志の会」の中島梨乃さんにお話を伺いました。パレスチナを報じるニュースからは、日に日に増える死者数ばかりが目に入ってきます。しかし、非人間化するプロパガンダへの抵抗として、音楽や詩を作り続けてきたパレスチナの歴史を知ると、数字に還元することのできない一人ひとりの奪われた人生に目を向けることの重要性をより実感しました。お二人に紹介していただいた「パレスチナを考え続けるためのおすすめの作品」とともに、民族浄化への持続的な抗議を考えるきっかけに。

前編はこちらから

生きる姿勢が問われるヒップホップ。イスラエル国内で生きるパレスチナ人として地元のリアルを歌う

映画『自由と壁とヒップホップ』でまず初めに登場するのは、イスラエル領内のパレスチナ人地区リッダで生まれた史上初のパレスチナ人ヒップホップグループ“DAM”。彼らは、占領と貧困、差別により生きる意味を見出せない若者のために言葉を紡ぎます。DAMに影響を受けガザで生まれた“PR”や、女性ラッパーのアビール・ズィナーティなど、パレスチナの各地に散らばったラッパーたちは、監督が取材を行うことによって互いの存在を認識していきます。同じ占領下にありながらも、イスラエル領内とガザ、男性と女性など、それぞれ異なる立場を持つラッパーたち。自分の生きている現実を伝えるために、自らの声を使って抵抗する様子が描かれます。

―2010年に初めて日本で『自由と壁とヒップホップ』の上映をした際に携わられたとのことですが、どのようなきっかけで日本に紹介することになったのか教えてください。

山本:私は学生時代からパレスチナ連帯運動に関わるなかで、パレスチナの音楽の紹介もしてきました。例えば、1980年代から90年代の第1次インティファーダの時代に、若者にすごく人気があったサーブリーン(SABREEN)というバンドの日本でのアルバムリリースやコンサート開催にも関わっていました。しかし、今の若い人にもっと伝わる音楽はないかと探していたなかでラップに出会って。『自由と壁とヒップホップ』という映画が出たというのは記事でしか読んでいなかったので、「見たい! じゃあ上映会やっちゃえ!」と大学の研究プロジェクトの一環で上映会を企画しました。研究仲間と一緒に字幕をつけて、監督を呼んだ講演会まで行ったのがはじまりです。そのときの反響がすごく大きくて、このままで終わってしまうのはもったいないと思いました。日本の配給会社にいくつも当たるなかで、2013年に正式な日本上映が決まりました。

繰り返される破壊を前に、パレスチナの文化は何を語るのか。山本薫×中島梨乃

映画『自由と壁とヒップホップ』より

―映画の冒頭では、DAMのメンバーが2PacやFugeesなどのアメリカのラッパーから影響を受けたと語る場面があります。アメリカ社会で黒人差別への抵抗として使われていたヒップホップを通して、イスラエル国内で差別を受けるパレスチナ人たちが抵抗するという点がすごく重なる部分だと思いました。

しかし、映画のなかでは、イスラエルの街中でアラビア語を使っただけで警察に差別的な扱いを受ける場面がありました。DAMのようなイスラエルで育ったパレスチナ人たちにとって、ユダヤ系イスラエル人の使うヘブライ語ではなく、パレスチナ人にとっての第一言語であるアラビア語を話すということ自体が身を危険に晒す行為でもあります。そのなかで、これまで英語でやられてきたラップをアラビア語でやるということ自体が、一つの新しい文化を作る大きな転換だと思いました。パレスチナにおけるヒップホップ文化はどのようにして発展してきたのでしょうか?

山本:やはりパレスチナの場合は、この映画の中心であるDAMがシーンを引っ張ってきたと言えます。ただ、アラビア語が使われているのはパレスチナだけではなく、中東から北アフリカにかけて20数か国と非常に広いので、アラブ圏の相互影響もあります。アラブ圏で一番最初にヒップホップが入ってきたのは、アルジェリアやモロッコだと言われています。フランスの植民地だった歴史があることから、移民のつながりなどもあって、1990年代頃からフランス語とアラビア語混じりのラップが歌われていました。そこに1990年代の終わりくらいからDAMや、他にもチュニジアでアラビア語のラップをやる人たちが同時期に出てきて、互いに影響を受けながらヒップホップが育っていき、ラッパーもどんどん増えていきました。DAMはそのなかでも先駆的なグループだったというのがまずありますね。

パレスチナのなかでもDAMと同時代にラップを初めた人がいたんですけど、最初は英語で真似るところから入るんですね。しかし、やはりヒップホップの特徴として、自分たちの地元のリアルを歌うということがあります。韻を踏むなどのスタイルだけではなくて、生きる姿勢がすごく問われる音楽じゃないですか。それぞれが生きている地元のリアルを伝えるというときに、外国語ではなく自分たちの言語で伝えるというのは当然の選択になり、アラビア語を選んでいきます。

実はそこに至るまでも、DAMのメンバーのなかでちょっと葛藤があって。彼らはパレスチナ人といってもイスラエル社会で生きているため、イスラエル人でもあるんですよね。第一言語はアラビア語ですが、ヘブライ語も喋れる完全なバイリンガルなので、最初は実はヘブライ語でラップをやっていたんです。当時はイスラエルのヒップホップの方が少し先に進んでいたので。そこでちょっとのし上がってやろうみたいな気持ちがあって、英語のあとはヘブライ語で曲を作っていました。しかし、だんだんと自分たちは誰のために、誰に向かって歌っているんだろうということを模索していくなかで、アラビア語に行き着いたんですよね。ただ、DAMは実は今もヘブライ語でも曲を作っているし、英語の曲もあります。メインはアラビア語ですけどね。

パレスチナでは文化施設や詩人、ジャーナリストが狙い撃ちにされている

―ガザに住むPRのメンバーが「ラップをやっていなかった頃は何をやる気も起こらず、ただ悶々としていた」と話すシーンがありました。それだけだと、日本でもたくさん聞く言葉です。日本においても「やる気が起きない」「悶々とする」という感覚を持っている人は多いように思います。しかし、その後には子どもたちが銃撃される様子が映されて。その瞬間に「自分とはまったく異なる世界に生きることを強いられているんだ」という現実を突きつけられました。また、DAMのメンバーたちは「自分たちが有名になったら、何かでかいことができる。いろんなことができる」と言っていました。しかし、その「でかいこと」というのが、自分の地元で学校を作ることなんですよね。もともと図書館があった場所に警察署が建てられたり、オリーブ畑がどんどん壊されたり、未来が根こそぎ崩されていく。そのなかでラップは自分たちの声で作るからこそ、唯一奪われないものになっているのかなと思いました。

山本:そうですね。今回の講演では、ガザやヨルダン川西岸地区への攻撃が繰り返されてきたものの、そのなかで歌う人が出てきているということも紹介したかったんです。ラップに限らず、ナクバの前からずっとパレスチナには文化的に豊かな土壌があります。途絶えることがありません。自分たちの抵抗を文化で伝える伝統がものすごく豊かに根付いています。イスラエルがそれを狙い撃ちにして潰そうとしているということは、見ていたら明らかです。

この間、パレスチナの文化省が出したレポートを見たんですが、今までに破壊されたガザの文化施設は、ハマスとどう考えたって関係ないような学校や大学、そして文化センター、アートギャラリー、劇場などだったんです。そういうものも軒並み壊されているし、詩人や作家、ジャーナリストなど、表現したり伝えたりする仕事の人が殺されているんですよね。それはもうガザだけでなく、西岸でも繰り返しやってきたことです。やっぱり表現によって外の世界に自分たちの存在を伝える人は邪魔なんですよね。今回のガザや西岸地区への攻撃の初めに、イスラエルの国防相は「自分たちはヒューマンアニマルズと戦っている」と言いました。要するに、パレスチナ人を非人間化して見せたいわけです。そうすれば、その人たちを殺すことを世界中が許してくれるという、そういうエクスキューズにしたい。

そのようなプロパガンダからすれば、非人間化された人たちが詩を読んだり絵を描いたりというのは邪魔なわけです。だからそういうものを狙い撃ちして潰してきた。それに対してパレスチナ人たちは、自分たちの人間性を保ち、またそれを伝えるためにアートに力を注いできたという歴史があります。そこに関して私は、どんなに酷い破壊が行われても、パレスチナではまた新しいアートが生まれるのだという確信があります。

繰り返される破壊を前に、パレスチナの文化は何を語るのか。山本薫×中島梨乃

上映会での講演の様子

―パレスチナに生きる人々がそのように文化を作り続けている一方で、今日本に住んでいる私たちはニュースを通して現在の侵攻を見ています。そのような状況のなかで、今回の映画などパレスチナを題材にした作品を見ていると、それを見ることができるという自分の立場を考えてしまうんです。

もっとも有効な抗議の手段としてデモやBDS(ボイコット、投資撤収、制裁)運動などがあると思います。今のお話を聞きながら、パレスチナ人たちの人間性を示す行為が音楽や文化を作り続けていくことだとすると、それを受け取ることも同時にとても重要なのだと思いました。今こうして日本語字幕付きでパレスチナの映画を見られるなかで、私たちはこの作品をどう見ることができるのでしょうか。

山本:もう素直に、感動しません? パワーをもらえますよね。本当にいつもそう思います。日本にいると悪いニュースしか聞こえてきません。今回のガザのことだけでなく、もっとその前から、前向きなことなんてこの数十年起きていないので。だけど、パレスチナに行くとすごく元気になる。これは私だけではなく、みんな言います。現地の人たちは常に前向きなんですよね。常に何か新しいことをやっているんですよ。だからこっちが逆に「なにそんなところで立ち止まってるの」って言われている気持ちになるんですよね。それでいいと思います。それが、こういうアートに触れることの大切さだと思います。フィールドは違っても、「自分はここで何ができるんだろう。みんなががんばってるみたいに、自分もがんばらなきゃな」とみんなが思ってくれることが、一番大事だと思います。

抗議運動でボロボロになっている人たちにこそ見てほしい

続いて、「<パレスチナ>を生きる人々を想う学生若者有志の会」の中島さんにお話を伺いました。中島さんは欧米中心のフェミニズムに疑問を持ったことから、イスラーム社会における性的マイノリティやフェミニストについての研究を始めたと言います。

―そもそも中島さんが中東地域の文化やパレスチナに関心を持ったきっかけはなんだったのでしょう?

中島:母がトルコの研究をしていて、小さい頃にトルコの農村に滞在していたこともあり、地元の子どもたちや女性たちと接する機会が多かったんです。大学に入ってからフェミニズムを勉強しましたが、あるときムスリムの女性たちを「フェミニズムに目覚めていない遅れた人たち」という目線で見てしまっていることに気づきました。フェミニズムによって生きやすくなったものの、逆に見えなくなってしまったものもありました。それは、日本の大学で学ぶようなフェミニズムが欧米中心であることも大きな理由だと思います。そのため、大学院での研究テーマをイスラーム世界における性的マイノリティやフェミニストに変えました。ちょうど関心を変えたところで、今回の10月からのパレスチナへの攻撃がはじまり、余計に自分が動かなきゃいけないという気持ちになりました。最初は挫折してしまいましたが、10月16日のイスラエル大使館前での抗議デモで、今の「<パレスチナ>を生きる人々を想う学生若者有志の会」のメンバーや岡真理さんと出会ったことで、一緒に動くことになりました。

2023年10月28日に岡真理さんを招いて行われた『ガザを知る緊急セミナー ガザ 人間の恥としての』

―「<パレスチナ>を生きる人々を想う学生若者有志の会」では、これまで岡真理さんを招いたセミナーや、各地でのデモを開催してきたなかで、今回の上映会をやるに至った経緯や思いを教えていただきたいです。

中島:上映会のことを考え始めたのが11月の中旬でした。そのときの私はパニックになっていて。デモもやったし記者会見の用意もしていて、思いつく限りのことをやったけど、状況はほとんど変わりませんでした。バイトもずっと休んでいたし、授業も全然頭に入ってこなくて。そんななか、今回協力してくれたアレイホールの赤松さんに相談したら、上映会ならできると言われて。「上映会っていう手があったか」と思うと同時に、これまでは攻撃されている“今”のパレスチナのことしか考えてこなかったと気づきました。

ちょうど少し前に山本先生から、音楽で抵抗運動をしているラッパーたちがいるという話を聞いていたんです。その人たちの歌を聴いて力をもらったというか、まだまだ自分は動けるという気持ちになりました。ヒップホップからパレスチナについて関心を持ってもらいたいという気持ちはもちろんありますが、私みたいに運動でボロボロになっている人たちにこそ見てほしいです。

映画
『自由と壁とヒップホップ』(ジャッキー・リーム・サッローム監督/2008年)

パレスチナのヒップホップ・ムーブメントを取り上げたドキュメンタリー。占領地の検閲所や分離壁といった目に見える分断はもちろんのこと、ジェンダー差別や世代ギャップまで、さまざまな壁を音楽の力によって乗り越えていこうとする若者たちの姿を描く。イスラエル領内パレスチナ人地区で生まれた史上初のパレスチナ人ヒップホップ・グループ「DAM」が、占領や貧困、差別により生きる意味を見出せずにいる若者たちへ向けて言葉を紡ぎ、そんなDAMに刺激を受けた若者たちもまた、ヒップホップを志し、歌うことで失われていた感情が呼び覚まされていく。やがてDAMは各地で活躍するパレスチナ人ヒップホップ・グループを集めてライブを開こうと試みるが……。監督は自身もパレスチナにルーツを持つアラブ系アメリカ人の女性アーティスト、ジャッキー・リーム・サッローム。

『自由と壁とヒップホップ』公式サイト | SIGLO

映画
『パラダイス・ナウ』(ハニ・アブ・アサド監督/2005年)

イスラエル占領地ナブルスで暮らす2人のパレスチナ人青年が自爆テロへ向かうまでの48時間の葛藤や友情を描いた衝撃作。2006年度ゴールデングローブ最優秀外国語作品賞など数々の賞を獲得したが、第78回アカデミー賞外国語映画部門にノミネートされた際には、自爆テロ被害者の遺族たちからノミネート取り下げの署名運動が起きるなど大きな波紋を呼んだ。メガホンを取るのは、パレスチナ人のハニ・アブ・アサド監督。

『パラダイス・ナウ』

小説
『悲楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事』(著:エミール・ハビービー、訳:山本薫、発行:作品社/2006年)

「パレスチナ文学の最高傑作」(エドワード・サイード)。祖国にあって祖国を喪失し、敵国の市民として生きる……。総人口の二割に及ぶイスラエル在住パレスチナ人たちの不条理な現実。サイード(幸せな男)という名のありふれたパレスチナ人男性を主人公にイスラエル建国から70年代の中東戦争頃までのパレスチナの現実をシニカルに描く、エドワード・サイード絶賛のパレスチナ文学の代表作。

悲楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事|作品社

小説
『ハイファに戻って/太陽の男たち』(著:ガッサーン・カナファーニー、訳:黒田寿郎、奴田原睦明、発行:河出書房新社/2017年)

二十年ぶりに再会した息子は別の家族に育てられていた――時代の苦悩を凝縮させた「ハイファに戻って」、密入国を試みる難民たちのおそるべき末路を描いた「太陽の男たち」など、不滅の光を放つ名作群。

ハイファに戻って/太陽の男たち|河出書房新社


「Refaat Al Areer “If I must die”」

山本薫
慶應義塾大学専任講師。専門はアラブ文学・文化。パレスチナ文学の最高傑作と称されるエミール・ハビービー著『悲楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事』(作品社、2006年) の翻訳や、 パレスチナのラップシーンをとらえたドキュメンタリー『自由と壁とヒップホップ』(ジャッキー・リーム・サッローム監督作品、2008年)の日本公開などにたずさわる。

中島梨乃
2000年生まれ。トルコにおけるフェミニスト運動やクィア運動について学ぶ大学院生。<パレスチナ>を生きる人々を想う学生若者有志の会のメンバー。高校生の頃から性教育の活動を行う。SNSでの発信活動のほか、大学男女トイレへの生理用品の設置、ドラマ『17.3 about a sex』の台本監修、性情報の検索結果変更を求める活動など、無関心層へ性教育を届ける取り組みをしてきた。

『自由と壁とヒップホップ』(2008)
監督:ジャッキー・リーム・サッローム
出演:DAM、マフムード・シャラビ、PR、ARAPEYAT、アビール・ズィナーティ
配給:シグロ

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