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同じ日の日記

ウィーンの夏、冷たい白い石の部屋で/眞鍋アンナ

12,000キロ離れたこの国の椅子の上から、もう一度考え始める

毎月更新される、同じ日の日記。離れていても、出会ったことがなくても、さまざまな場所で暮らしているわたしやあなた。その一人ひとりの個人的な記録をここにのこしていきます。2022年7月は、2022年7日18日(月・祝)の日記を集めました。公募で送ってくださった眞鍋アンナさんの日記です。

どうしても家から出られない日はいつだってどのタイミングでだって訪れる。
私の7月18日は、セルフ・ロック・ダウン。
日本で起きてしまったできごとを、今は何も見たくなかった。
苦しい気持ちになるにはキャパシティが足りなかった。だから、自分で扉を閉めた。

私は今、きっと外を歩いていればおもしろいことを書けるであろう街並みに住んでいる。
ウィーンという街は大声で誰かがわめいても元々半径50mにそれを気にするような人はいないような都市で、夏になれば住む人間のほぼほぼ全員が旅行に行ってしまうから、もっともっと空っぽになってしまうオーストリア帝国(とは、随分昔に言われなくなった。知る人によれば、それは正しい戦争の負け方だったと言われたりする)の首都だ。
日本はきっと暑いのだろうか。残念ながらウィーンの夏は気まぐれだ。昼間にあがりにあがった30度も、夜には凍える10度まで下がってしまう。7月18日はそういう天気だ。
暑い日差しが耐えられず、部屋にこもってしまった。今住んでいる部屋は友人から夏の間だけ借りた部屋で、べルヴェデーレ宮殿のそばにある陽の入りがイマイチなありがたいひとへやだ。
ここにさえこもっていれば三種の神器のひとつ、エアコンってやつは必要ない。そもそもウィーンの古い建物たちにそんなものがついていたためしがない。湿気のないこの国は、遮光カーテンをしっかりしめ、おとなしく部屋の中にこもっていれば、熱なんぞついぞ感じず快適に過ごせるものなので。
そんな冷たい白い石の部屋に引きこもって考える。隣人が掃除機をかける音が聞こえてくること以外、私がこの部屋から出る理由はいまのところない。
少し足を伸ばせば美術館に行けるし、少し贅沢をすればドナウ川のほとりでカクテルだって飲める。だけど、そうはしたくない日が今日だった。気晴らしが必要、ではなくて。自分を守ることに特化しなくてはいけない日ということだけが、思考レベルをあえて落とした頭でぼんやりと考えたことだった。

わかっている。この国にいられる時間は貴重だ。来月になれば私は一旦日本に帰国しなければならないし、平日だろうが休日だろうが関係ないフリーランスの身でいるならば、時間のある限りインプットを求めて歩き回って自分から行動したほうがいいにきまってる! だけど、そうはできないらしい。今日だけは。
冷蔵庫の中には何もなかった。ジントニックを作ろうとして買ったトニックウォーターは、肝心のジンを買うお金がなくてただ転がっているだけだ。パスタはもう飽きた。お米を炊く元気はない。この国に炊飯器はもってきてないから、フライパンでじわじわ炊くしかない。そんなの冗談じゃない。助けて、コンビニエンスストア。いますぐ日本が隣町に引っ越してきたら、私は頑張って外に出るのに。
しかし、ないものはない。仕方がないから、デリバリーを開く。こんなことをしてしまった自分が恥ずかしい。お金もないのにデリバリーを開いて大好きなエスニック料理を検索している。注文した店の隣にある地域で一番大きな教会の方向に向かって許しを請う。神様、こんな日のデリバリーを許して。アーメン。
この時点で勝手にひとりで今日をだいぶドラマティックな1日にしてしまっているが、いかんせん注文済のマッサマンカレーが届くまではまだご機嫌とは言えない。たかが歩いて5分のその店からデリバリーの自転車が何故まっすぐ私の家にきてくれないのか。表示によると他の人の家に先に届けているらしい。なるほどね、店と私の家の間5分の中間地点。どうしたって優先したいならどうぞ。私はジンの入っていないトニックウォーターを飲むよ。ええ、ゆっくりきてくれて構わない。もうツイッターもインスタも今日は絶対に開いたりしないから。

空腹は人をとても苛つかせてしまうらしい。たっぷり15分かけてやってきた配達員が私を見てにこりともせず突き出した紙袋をかかえ、こちらだって無愛想にドアをしめる。やれやれどうしてこんなに重いんだ? たかがカレー一個なのに。やれやれどうしてこんなに遅いんだ? たかがカレー一個なのに。
そう思ってあけたら箱が四個入っていた。四個! カレー、ライス、カレー、ライス、計四個だ。
間違えた注文を持ってきてしまった配達員をはだしでおいかけたがもう遅い。困り果てた私が箱の文字に気づいたのはその3分後。
「注文をくれたマッサマンカレーの野菜がすこしすくなかったよ ごめんね お詫びにおまけのココナッツカレーをいれておきます」
……今日1日が、どうにか乗り越えられそうだった。そんな話があるか? とも思った。マッサマンカレーというのはそもそもそんなに野菜は必要ないのに。しかも、カレーの中を軽くさらってみたら野菜は割と入っていた。黙っていればバレなかったのに。
おまけとして、違う味のカレーをつけてしまうこの国の適当さと、そしてライスまでつけてしまう太っ腹っぷりと、そして、そして。
一人じゃどうしても食べ切れるような予感はしなかった。ろくに話したことはないが、掃除音が響く隣人の部屋を叩く。
「いいんですか」「いいんです 食べきれないもの」
その言葉だけが今日、誰かと交わせる言葉の最大限だった。でも、悪くない最大限だ。

7月18日、あの日から10日。
私だけの力じゃ何も動かないこと、何も変わらないこと、
そしてそれでも何も考えない理由にはならないことをきちんと再確認しなくてはいけない日だった。
……私はそれから逃げた。違う国にいるからというもっともらしい理由をつけて。
でも簡単に、見知らぬ誰かに親切にされてしまっただけで、しっかりと理性は戻ってきてしまう。
満たされた空腹の中、12,000キロ離れたこの国の椅子の上から、ぼんやりと自分の生まれ育った国の未来をもう一度考え始めた。

眞鍋アンナ

1994年生まれ。写真家。
東京とウィーンを行き来していたが、今は東京とベルリンを行き来している。
左腕に鶴を二羽彫ったら予想の五倍の大きさでできあがった。

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